92 落とし物 その2
「やれやれ、熊に戻されたクマ」
目の前に続くのは廊下。背後は壁だった。
真っ直ぐ行くしかない。
しばらく歩くと、T字路。
「うーん、これはどうしたらいいんだろう。あ、こういう時は占いだよね」
翔一は占い袋を出そうとするが、出てこなかった。
「精霊界は阻害されているのか……木刀は……出せた!」
どうやら、強力な魔力物は出せない。
どちらの側の道がいいともいえなかったので、木刀を倒して決める。
「えーっと、右かな」
右寄りに倒れた木刀を拾うと、右に歩く、再びT字路。
「これも適当に決めるクマ」
同じような選択が何度もあった。
何度も曲がる間に、訳が分からなくなってくる。
「うーん、困ったクマ」
「キュークマクマ」
「え、あ」
チビクマが後ろを指すので見ると、いつの間にか宿精のダーク翔一が立っていた。
「ダーク君、どこに行ってたんだい、心配したクマだよ」
「……俺も心配したぞ」
「他のみんなは?」
「……全員帰ったぞ」
「え、嘘だろ。どうやって、ここを抜けたクマ?」
翔一は少し様子のおかしいダーク翔一と連れ立って歩く。
「そんなことはどうでもいい。それより、おまえ、赤い珠と黒い珠を持っているだろ」
「なんでそんなことを聞くクマ?」
「いいから、見せろよ、興味あるんだ」
「……」
出せないことを説明しようと思ったが、様子がおかしいので無言で反応を見る。
「早く見せ、ろ、よ、熊公!」
黒い子熊は明らかにいらいらしていた。
そして、徐々に、ダーク翔一は大きくなっていく。
「……君はダーク君じゃないね」
「うるさい! 早く、宝をよこせ! 俺はお前の分身だ!!!」
ダーク翔一だったものは、今や、廊下の天井まで届く巨大で黒い影になっていた。
爛々と光る眼、鋭い鉤爪が伸びてくる。
「白虎一剣」
翔一はいきなり怪物の懐に飛び込む、
「迅雷!」
手にはいつの間にか『念焔剣」が握られていた。
ズバ!
居合斬りで、怪物の胴体を一気に薙ぐ。
黒い影は存在を破壊されて薄くなっていく。
「バカな、俺が、死ぬ?」
陰から微かな声が聞こえた。
「ふう、しかし、『念焔剣』は出てくれたクマ。他のは出ないよね」
どうやら、通常物品は取り出せるようだ。
呪術的に『普通の物体』扱いのこの剣は出せる。そして、戻すこともできた。
水筒を取り出して、一口だけ飲む。
「大事にしないと」
最低限の食料と水は常に持ち歩いている。
異世界で苦労した経験がいつも心の片隅にあるのだ。
「おい、翔一」
ふと背後を見ると、ぬいぐるみのダーク翔一が立っていた。
思わず、身構える。
「何やってんの。宿精忘れたのかよ」
「君は本物クマだよね」
「当たり前だろ、これほどのイケメン熊を忘れるとか、お前耄碌したのか」
「……どうやら、本物だね。どうやって僕の位置を?」
「困ったときは妖術、これ基本」
「ますます本物だ」
「フッ、ようやく俺のかっこよさに気が付いたか」
イキリ雰囲気になる黒い子熊。
「そんなことより、他のみんなは知らないクマ?」
「見てないが、妖術使えば一発だ。まず、お前を探した俺を褒めるんだぞ」
「じゃあ、妖術で大絹姫ちゃん探してほしいクマだよ。一番心配なので」
「ならば、因果をたどるか」
ダーク翔一は妖術を使う。特に問題もなく発動したが、
「大絹姫はこっちだ!」
新たなT字路で左手を指すダーク翔一。
「あ、女の子の声が聞こえるよ、姫ちゃんかも」
翔一は逆の右方向を見る。
かすかに耳に反応したのだ。
「なんだよ、術使った意味ないだろ」
「とにかくこちらに行こう」
二人で連れ立って、声の方角に向かう。
無機質な廊下を進む。
「ケホ! ケホ!」
弱弱しい咳の音。
翔一は宿精と顔を見合わせた。
「あの姫さんが咳するわけがないな」
「術の結果から姫ちゃんじゃないクマ?」
「因果の流れとは違う。別人だ。というか、逆方向だっていってるだろ」
しばらく行くと扉がある。
そっと近づく二人。
鍵穴から覗くと、可愛らしい女の子の部屋が見えた。
ベッドに一人の少女が座って苦しそうに咳込んでいる。そして、少女の傍らにはチビクマが一匹。
(あ、聖倫ちゃん……)
この部屋は聖美沙の妹、聖倫のものだったのだ。
なぜかチビクマが一匹迷い込んでいる。
「ケホ……あなた、どこからきたの?」
「キュー」
少女はチビクマを撫でる。
フワフワの白に近いベージュの毛皮。
「あなた、柔らかいわ。名前はあるの?」
「クマクマ」
「魔法のいきものよね、お父さんがくれたのかしら……」
チビクマは倫の膝の上に乗る。
彼女は嬉しそうに撫でた。
(チビクマ、倫ちゃんに懐いてるね)
「おい、何か見えたか」
「知り合いの部屋だよ。女の子の部屋を覗くなんて悪趣味だから、ここは通り過ぎるクマ」
「しかし、他に扉なんてないし、ここが何かの鍵だぞ、絶対」
「うーん、しかし」
「あの娘、この世界に戻ってすぐに何度か会ってたな。最近見ない気がする。あ、チビクマまでいるぞ」
宿精も興味津々で覗く。
「ダーク君はいつも寝てるクマだから知らないと思うけど、あの子は病気で休学していたんだ」
「俺はお前の生活をいつも監視してるわけじゃないぞ。というか、お前が内心きてほしい時以外意識しないのだ」
この辺りが分身とのすれ違いが多い理由である。
彼は彼なりに精霊界での行動があった。最近は現実界でも行動している。
戦いや冒険の時は助けが欲しくて彼をどこかで呼んでいるのだ。
平和で問題のない時間には長い間姿を見ないこともある。
「わかってるよ。でも、倫ちゃんに助けてもらった方がいいクマ」
「あんな病弱そうなガキ、なんの助けにもならんだろ」
「もうちょっと言い方があるだろ」
辛辣な言葉に少しムッとして、翔一は宿精を諫めようとしたが、複数人の足音がして押し黙る。
「誰かきたな」
翔一はうなずいて、結局、覗いた。
真向かいに扉があり、そこが開くと、三人の人間が入ってくる。
中年の男女と白衣を着た男。
チビクマは慌てて隠れた。
中年の男女は、男性が日本人離れした彫の深い顔立ち、整えた髭と高級スーツで一部の隙も無い。女性も外国人のような容貌の美女、緩い普段着的なドレスを着ている。医者は白衣眼鏡で特徴がない。
「先生、娘はいかがでしょうか」
女性は倫の母親だろうか。上品で美しい女性が心配そうに手を揉みながら聞く。
(凄くきれいな女性だ、ハーフかな。姉妹は外国人の血が入っているんだ)
「少しお待ちを。倫ちゃん、咳や熱はどうかね」
診察する医者。
「前より、ちょっと苦しさが増してるみたい……」
症状を述べる倫。
「いくつか薬を処方しましょう」
聴診器を当てたり、脈拍を測ったり、医者は少女を詳しく診る。
やがて、三人は部屋を出る。
微かに会話が聞こえた。
少し離れた廊下で話し合っているようだ。
「先生、いかがだったでしょうか……」
中年の女性の声。
「芳しくありません。現状、かなり強い薬を使っていますが、これ以上となると入院が必要です」
「以前、入院しても、娘に大きな回復はなかったようだが」
中年の男性の声。彼が父親なのだろうと察せられる。
「申し訳ありませんが、お嬢様の病状はまだわからないことが多いのです。我々も手探りの状況なのですよ」
「それでも医者か! わからないのでは役立たずではないか!」
父親が激怒する。
「すみません、しかし、我々も全力を尽くします。是非、入院をご検討ください、ご自宅では対応が……」
「あなた……」
「……すまん。失礼した。すぐに手配しよう」
医者は頭を下げた気配、そして、去っていく。
(……)
「我一族は、定期的に病弱なものが生まれて早死にする。これは運命なのだ」
男の哀しみを帯びた声。
「そんな、私の可愛い倫が。嫌です! そんなの!」
母親が泣き始める。
「無理なのだ。魔法を使っても、通常の医者に頼っても、運命に囚われた子供は……」
女性の嗚咽。
二人はやがて、どこかに去った。
「倫ちゃんのご両親だったクマ」
「向かいの扉から出たら、屋敷に出て、外に出られるかもしれんぞ」
「しかし、みんなとはぐれたままだから……」
「あいつらもいい大人だから大丈夫だろ」
二人は思案した。
「あれ? なんか変だぞ」
扉を少し開けて、様子を見ていたダーク翔一が声を上げる。
翔一もそっと覗くと、寝ている倫の上に黒い手のようなものが見える。
「ぼんやりした感じの手だと思うクマ」
ベッドの裏の壁からぬっと手が出てる。
倫は苦しそうな寝顔。
「おい、霊視してみろ」
翔一は霊視する。
倫のオーラが黒い手に吸い込まれているように見えた。
チビクマが果敢に指先に噛みついているが、何の効果もないようだ。
「黒い手が、倫ちゃんのオーラを……」
「何者か知らんが、あの娘の生命力を吸っているんだ!」
翔一は『念焔剣』を取り出すと扉を開け、稲妻のように間合いを詰める。
「白虎一剣!」
問答無用の一撃を黒い手に放った、
バシュ!
オーラの刃が黒い腕を切り裂く。
「ガアアアアアアアアア!」
何者かの叫び、黒い手は引っ込むと扉の向こうを走っていく大きな音。
先ほどの三人が去っていった方向になるはずだが、
「追うぞ、翔一」
「うん、しかし、倫ちゃんは」
大きな音の割に、何事もなかったかのように倫は眠っている。
苦しそうな表情が若干和らいだようだ。
「大丈夫だろ、ケガ一つないぞ、それよりあの怪物がこのおかしな場所の原因だ」
「チビクマ君、倫ちゃんを頼むクマ」
「キュー!」
薄ベージュのチビクマが倫を守るようにベッドの脇に立つ。
二人は扉を開けた。
想像とは違い、ここも迷宮の廊下だった。
「あれ? 屋敷じゃないクマ」
見ると、大きな影が曲がり角を曲がったのが見えた。
廊下の床に黒い血が点々と落ちている。
ダーク翔一がタールのような怪物の血を紙に染み込ませると、妖術を行う。
「これで奴との因果がつながった、どこまでも追っていける」
子熊と熊のぬいぐるみは怪物を追った。
大きな影は迷宮を迷いなく進み続ける。
幾度か後ろ姿を目撃した感じでは、黒くて大きく、尻尾と小さな羽。
(ドラゴン?)
「倫ちゃんの部屋にきた三人はどこに行ったんだろう」
「たぶん、あの部屋は現実界と異界と重なっているんだ。俺たちは迷宮の異界から抜けていない。だから、俺たちはあいつを追えるけど、外には出られないんだよ」
「じゃあ、あの怪物を倒せばどうにかできるクマだね」
「ああ、可能性は高い」
やがて、廊下は暗い階段に通じる。
短い階段で、降りた先は広いホールのようになっているのが見える。
そのホールには扉の無い部屋がいくつも繋がっているようだ。
(ちょっと何かの巣穴のような形状クマ。しかし、レンガ造りだから違うと思うけど)
その階段の前に、闇にボウっと浮かぶ、可愛い人形。
チビクマを抱いた大絹姫だ。
「大絹姫ちゃん」
「おう、翔一殿ではないか、駄熊もおるようじゃの」
「キューキュー」
「誰が駄熊だ!」
「心配したクマだよ。こんなところで何を?」
「妾たちは閉じ込められたのじゃよ。元凶を鬼道で探った結果、ここにきたのじゃ」
「僕たちは怪しい怪物を追ってきたクマ」
「ならば、そいつが何らかの原因じゃの」
「じゃあ、ここに入って行くしかねぇな」
宿精の言葉にうなずく子熊。
翔一先頭に、三人でゆっくり降りる。
居合の構えをしつつ、油断なく階段を踏んだ。
2021/8/12~2022/8/5 微修正




