8 叔母公佳、忍び寄る影 その2
家に帰ると、安西公佳が一緒についてきた。
祖父母も今日は泊ってから帰るという。
叔父は仕事が忙しいと帰ってしまった。
「翔ちゃん、お願い。ちょっとだけクマちゃんになって。公佳に自慢したいの」
母の詩乃がいきなりそんなことをいう。
「え、でも」
「子熊をあなたが連れてきたって自慢したの。一時間でいいからお願い」
母に頼まれるとどうしようもない翔一だった。
「じゃあ、クマクマっと。熊になりましたクマ」
「喋らないでいてくれると助かるわ」
「クマクマ」
応接間に連れて行かれる。
「公佳ちゃん、さあ見て、クマちゃんよー」
「あら、本当に子熊じゃない。キャア。可愛いわ」
叔母は満面の笑みになる。
「詩乃。そんな動物飼っちゃダメじゃない」
祖母は注意するが強くいうわけでもない。
「お母さん、この子は翔ちゃんが連れてきたのよ。追い返すわけにもいかないし」
「クマクマ」
「あれ? クマってこんな鳴き声だったかしら」
公佳が不思議そうな顔をする。
祖母は、結局、子熊を目の前にすると、ニコニコ顔で相手をする
「こっちおいで、偉いわ」
手を叩いて翔一を呼ぶので、歩いていくと大喜びだった。
「お母さん、クマちゃんは私が相手するの」
公佳が翔一を抱っこする。
「私の方に歩いてきたんだから、私に抱っこする権利があるわ」
祖母と公佳は翔一の取り合いをする。
翔一は無害な争いなので好きなようにさせていた。
祖母に抱っこされたとき、嫌な気配が視線の上、中空にあった。
見ると、黒くて気持ち悪い何かがじっと睨んでいる。
(さっき、追っ払った生霊クマ)
公佳を睨んでいる。
水晶のお守りが強い光で怨霊を寄せ付けない。
(お守りなくなると、公佳姉ちゃんにしがみつくクマ)
こいつの憎悪は根深く、そして、単調である。
「デザートよ。クマちゃん。ハチミツパン持ってきたわよ」
母の詩乃が翔一の好物を持ってくる。思わず敵への意識がぶれる。
「クマクマ」
翔一は蜂蜜の香にあらがえず、パンを頬張る。
「あら、この子、おいしそうに食べるわ」
祖母がニコニコする。
その時、公佳のお守りを破って、生霊がしがみついたのが見えた。
さすがに、翔一は固まった。
昔作ったお守りとはいえ、まさか破られるとは思わなかったのだ。
公佳は頭痛でもするのか、暗い顔になる。
「恐ろしい呪詛だ。でも、全然自分を隠してない。呪いの顔を近くで晒しているぞ」
ダーク翔一がどこかを見つめている。
そこに呪詛者がいるのだろう。
「私、ちょっと頭痛が」
「あら、少し横になりなさいな」
祖母が心配そうに公佳を見る。
「あなた、いつもすぐに具合が悪くなるわね。体が弱いのよ。無理をしては駄目よ」
生霊は公佳を憎悪に狂った目で睨み続ける。
翔一はこのままだと問題を感じて、二人の意識がそれた時点で彼女達から離れる。
そして、人間の姿に戻ると、彼女たちに会いに戻る。
公佳が一人、暗い顔で立っていた。
「公佳お姉さん、これ付けてください」
「あら、それ毛皮のモフモフね。お守りなの」
「ええ、水晶のより強力ですよ」
「あなた、霊能力とかあるの?」
「……ええ」
「いいのよ。芸能人ってそういう人多いから。あなたも両親がそうだから力があっても不思議じゃないわ」
祖母はどこかに行ったのかいない。
「お婆さんは」
「お母さんは薬を買いに行ったわ。心配性なのよ」
苦笑する公佳。
しかし、彼女に注がれる怨念はさらに力を増すようだった。
お守りは憎悪を吸って膨れる。すぐに浄化が始まるが、呪詛が去ったわけではなく、しがみついている。
「ありがとう。ちょっとましになったわ、でも」
ふらふらと、居間のソファーに横たわる公佳。頭痛でもするのか、目をつぶって眉をひそめている。
叔母が落ち着いたので、少し離れて宿精と話す。
「因果を追えないか」
ダーク翔一に聞く。
「因果もくそも、すぐそこにいるぜ」
ダーク翔一が指さす先には、闇の塊のようなものがあった。
「どちらも倒すべきか」
「ああ、それが邪な呪いならな」
呪詛は人を憎む力である。だからといって、かならずそれが間違っているわけではない。対象が憎まれて当然の悪行をやっているなら、大いなる神や祖霊がその怒りに力を貸す時がある。だから、解呪詛は簡単に行えるようなものではないのだ。
安易に呪詛を解除すれば、大いなる存在の怒りを買うかもしれない。
翔一は考えても仕方がないと思い、直感で判断する。
公佳に憎悪を向ける存在の陰湿さは光を欠片も感じない。正義の報復の部分がないのだ。そして、それに力を貸す、闇の塊も己さえ良ければいいという、身勝手さがあった。無神経で人の家にまで入り込んで呪いを行う。異様な根性だった。
「呪詛者を祓うべきか、助力者を祓うべきか」
「怨念は闇のこいつではない誰かの思いだ。しかし、それを増幅して強化しているのは庭の奴だ」
「じゃあ、こいつを祓えば、公佳さんの方の怨念は消えるね」
ちらっと、庭の黒い瘴気を見る。
「怨念はそのままおんねんだけどな。呪力がなくなるから、体調不良とかはなくなるはずだ」
「冗談言ってる場合じゃないよ、僕はちょっと瓶を探してくる。ダーク君は見ていて」
「わかった。俺の力を見せるときが来たか」
「無理は駄目だよ、待ってて」
そういうと、翔一は急いで台所に向かう。
悪霊を封じ込める呪術に壺や瓶が必要なのだ。
資源ごみの袋の中に、何かの空き瓶が入っていた。
「お母さん、この瓶貰うよ」
料理の下ごしらえをしていた詩乃は、
「ええ、いいけど何に使うの?」
「いいことだよ」
「?」
翔一はそういうと急いで庭に戻った。
庭に戻ると、ダーク翔一が木の棒に聖性精霊を纏わせて振りかぶっていた。
彼に実体はないので、棒も精霊界に転がっていた魔性化した物品だ。幽体ならば効果があるということなのだろうか。
漆黒の悪霊に棒を振り下ろす。
「悪霊退散!」
バシッ!
棒は闇を打つように見えた。
しかし、悪霊は爪の伸びた手で、はっしと棒を掴む。
「お、放せ!」
そして、何かの白い札でダーク翔一は叩かれる。
「わ、うわ! 痛い!」
棒を放して尻もちをつく黒い子熊。
さらに札がたたきつけられそうになるが、這う這うの体で逃げる。
「助けて、翔一!」
涙目になったダーク翔一は、一目散に翔一の背後に隠れた。
「普段、戦いなんてしないのに、かっこつけるからだよ……」
「あんな奴、一撃でやれると思ったんだ」
子熊のダーク翔一は、人間体の翔一の腰にしがみついてぶるぶる震えている。
闇の塊から、赤い双眸が光った。
「何をするか、獣め!」
年を取った女の声だ。
「話ができるなら……公佳さんに何のうらみがあるのか知らないけど、いい加減にしてくれませんか。呪詛の手伝いとか恥ずかしくないんですか」
「フフフ、あの女が対価を支払う限り私は助力するだけの話。呪詛は違法でも何でもない。私がやりたいようにやるだけだ」
「あの女? とにかく、呪詛を解かなければ、痛い目を見てもらいますよ」
「小僧、舐めるな! 私の法力を思い知るがよい!」
かっと見開かれる瞳。
呪力の波動が翔一を打つ、が、
守護精霊が簡単に止めてしまった。
「バカな! 効かぬのか」
「それだけですか、じゃあ、これを」
聖性精霊を受祚した小石を取り出すと、ヒュンと投げつける。
小石は見事命中する。
「ギャア!」
苦しみ悶える悪霊。二度三度と投げつけると、動きが鈍くなってくる。
動けなくなったところで、悪霊の周りに魔方陣を描き、封印する呪文を唱えた。
正義の怒りに燃えた精霊や祖霊が集まり、黒い霊を瓶の中に押し込んでいく。
「やめろ! やめてくれ!」
「自業自得ですよ」
ぎゅっと蓋をして、ガムテープで巻く。
マジックで封印呪紋を描いて、悪霊は完全に閉じ込められた。
「ふう、終わった」
「ざまあみろだ!」
ふんぞり返るダーク翔一。
「いや、あの、君何もしなかったよね」
「普段助けてるのを忘れたのかよ」
「それに、異論はないけどね……」
ふと、背後に視線を感じたので、振り返ると公佳がいた。
「あの、翔ちゃん、今黒い影と戦ってたわよね……」
どうやら、一部始終を見られていたようだ。
「え、あああ、何でもないですよ。何もしてません」
慌てる翔一。
冷や汗が出る。
「その瓶は何なの? 黒い影が入ったわ。それに、呪術みたいなことをして……」
「あ、これは、その」
どうやら、彼女は多少霊感があるらしい。
全くない人間には、翔一のパントマイムに見えたかもしれない。しかし、彼女には、悪霊の影が見えていたのだ。
翔一は慌てながらも、公佳の肩から怨念が消えたのを確認した。
「ねえ、誰にもいわないから教えてよ」
美しい顔が迫ってくる。
(これはごまかしきれないかなぁ)
翔一は観念した。
「ええ、そうです、本当のことをいいますと、僕は幽霊とか霊魂が見えるんです」
「その呪術みたいなのは?」
「悪霊の封印呪術です。偉い人に教えてもらったんですよ」
「誰よそれ。もしかしたら、失踪中のことよね、それ」
「あ、ええっと、どうだったかなぁ。いつ教えてもらったのかわからないよ」
やはり、しらを切る翔一だった。
しかし、公佳はそれ以上そのことは追求しなかった。
「いいたくないならいいわ。誰だって、そんなのことの一つぐらいあるものよ。でも、悪い霊を封印したならいいことよね。どんな奴だったの?」
(ありのままにいうと、公佳さんを怖がらせるよね……)
「わからないけど、偶然通りかかった悪霊の類だと思います」
「ふーん」
公佳との会話はそれで終わった。
祖母が薬を買ってきたのだ。
「お母さん、もう治ったわ」
「一応、飲んでおきなさい。せっかく買ってきたんだから」
「もういいのよ。でも、ありがとう。そうだ、そろそろ私帰るわ。急に仕事が入ったの」
そういうと公佳は暇を告げて去ろうと支度を始めた。
マネージャーの女が車で迎えに来る。
ガチャ、車の扉が開く音。
翔一は叔母を見送ろうと玄関にいたが、ふと、覚えのある香りをかいだ。
(この匂い?)
車から降りた女。
叔母より若いが地味な女だった。それなりにきれいな顔立ちだが、歪んでいる。
翔一はぞっとした。
その女は一瞬、公佳を強烈な憎悪の籠った目で見たのだ。
あの肩に乗っていた怨念の目だった。
思わず、彼女の白い手を取る。
「あら、どうしたの?」
不思議そうな顔をする公佳。
「タクシーを呼んでそれに乗った方がいいよ」
「おかしなことをいうのね。マネージャーさんが来てくれたのに」
見送りに出た詩乃も不思議な顔をする。
「そうよ翔ちゃん」
車に向かおうとする公佳。
翔一はマネージャーの女に瓶を見せつける。
「もう終わったぞ! これを見ろ!」
女ははっとしたような顔をする。
そして、急いで車に乗り込むと、一人で逃げるように去った。
「え、ユリちゃん、待って。私乗ってないわよ!」
公佳が叫んでも、車は止まらなかった。すぐに見えなくなる。
「……何なのあの子」
唖然とする公佳。
「今の……」
詩乃も何か気が付いたようだった。
数日後。
「そう、マネージャーさんは退職したのね」
母の電話の声が聞こえる。
聞く気もなかったが、電話の相手が公佳だったので、好奇心に翔一は負けた。
「社長さんの話だと、使い込んだお金があったみたいなの。数百万も」
「え、じゃあ訴えるの?」
「一応反省してるみたいだからしないって。分割して返してくれるという話になったから。それより、あの子、私のプライバシーを週刊誌に流してたようなの」
「……」
「記者さんの話だと、なんだかすごく私のことを憎んでたみたいだって。恋人を取られたとか……」
「心当たりはあるの?」
「ないわ。でも、お付き合いした男性たちの過去を全部知ってるわけじゃないから」
「そうよね。私たちの仕事は恨まれやすいから気を付けるのよ」
「ええ、わかってるって。それより、翔一君のことだけど」
「……何か知ってるの?」
「翔一君、霊感が強いの。それに、何か悪霊みたいなのを捕らえたわ。その現場を見たの」
「あの瓶ね。何か黒いものが入っていたわ。そして、赤い目が見えた」
「お姉ちゃんも気が付いたのね。失踪していた時のことに関係あるかもしれないわ」
「記憶がないっていってるから……」
「本当は記憶があって、いいたくないことがあったんじゃないの?」
「それは、そうかもしれないけど、あの子が自分から喋ろうと思わない限り、私は聞かないわ」
翔一はそこまで聞いて、強烈に自分の過去を話したいと思った。
しかし、同時に話をして、家族を苦しめる可能性もあると考えると、躊躇した。
あまりに苦しい話だからだ。
翔一はふらふらと自室に戻り、無理やり勉強をして忘れることにした。
そして、更に数日後。
学校の帰り、家の近くを歩いていると、みすぼらしい人物がおぼつかない足取りで近寄ってくる。
杖をついた老婆。
霊能者の神良風だった。
以前に見た姿は激変し、中年女性だったのが一気に二十歳は年を取ったような姿だった。服装も汚らしい。
「た、頼む。許してくれ」
「あなたは……」
「お前は私の魂を……」
翔一には何となくわかった。
あの瓶に閉じ込めたのはこの女の生霊だったのだ。
普通、生霊は意識的に使えるものではないが、この女は何らかの呪術で自在に操っていた。
しかし、今、その生霊は封じられている。
魂の力を削られ、生気が劇的に減少しているのだ。
老婆はアスファルトにひざまずくと、土下座する。
「許してくれ、解放してくれ……」
「呪詛なんてやるからじゃないですか。僕は知りません」
立ち去ろうとする翔一。
「頼む! もう二度と悪事はしない!」
涙を流して土下座する老婆。
さすがに心が痛んだ。
「……」
「このババア! 俺を打ちやがったのはこいつか!」
ダーク翔一の声がする。
「さすがに、ちょっとかわいそうかな」
「甘いなあ、お前は。そうだ、血判と署名入りでもう悪事はしませんという誓約書書かせろ。それでこいつは何もできなくなる。何かやりやがったら、強力な因果からコテンパンにできる」
「まあ、それでいいか。こいつがどんな悪事をやって来たか知らないけど、公佳さんはそこまで被害を受けてないからね」
ダーク翔一と相談を終えた翔一は老婆に向かう。
「いいですか、この紙に『もう二度と悪事はしません、力は生涯良いことに使います』と書いて、署名と血判を押して渡してください。それで封印は解いてあげます」
「わかりました、ありがとうございます!」
ノートを破った紙を渡す。
老婆は路地に入り、人目のつかない場所で作業を行った。犬歯で親指の皮膚を噛み切る。
紙を受け取ると、約束の文面と血判があった。
翔一は瓶を取り出して、解放する。
老婆、神良風はほっとした顔になった。
「もう、二度とこの辺りには来ないでください」
バンドエイドを渡す。
老婆は何もいわず、逃げるように立ち去る。
翔一も無言で踵を返した。
2021/1/17~2024/9/28 修正




