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88 常世の岸辺、去る者と来る者 その1

 霊魂や精霊が行きつく先。

 それは海である。

 そして、その海は常世とこよに続く。

 常世は魂の行き先であり、そこから帰ってきたものは前世の記憶と因縁をすべて失い、再び新しい命の循環を始める。


 神界霊界、精霊界にも海岸はある。

 そこには厳密な違いはなく、正確には単に異界というのが正しいのかも知れない。

 その『海岸』は生命が終わる場所であり、同時に始まる場所である。

 そこは非常に神聖な場所でもあるが、同時に、おぞましきものも出現する場所であった。

 ズル。

 その日も、何かがゆっくりとした動きで、砂地にとりついている。

 母なる海から這いずり出てきたのだ。

 ズル。

 それは、大きくぶよぶよとした半透明の黒い何かである。

 巨大な芋虫のようなその何かは、砂をかき分け、蠕動しながら陸地を目指していた。

「ハァハァ」

 芋虫は激しくあえぎ続ける。

 人間のような呼吸音。

「ハァハァ……ぐ」

 不気味な生き物は蠕動するのもつらいのか、苦しい呼吸を整えるために動きを止めた。

「ハァハァ。もう、すこし……だ」

 驚いたことに、その生き物は人間の言葉を発する。

 芋虫の正面にぼんやりと人間の顔が見えた。

「ハァハァ。ひどい目にあった」

 顔はじわじわと誰かの個性を映し始める。

 その顔は怜悧で美形の男性の顔になっていた。

 見る人が見ればわかるだろう。

「せ、仙人の俺が、そうそう簡単に死んでたまるか」

 怪物はそうつぶやくと、不自由な体を蠕動させて、じわじわと内陸を目指す。

「復讐してやる、あの熊怪物。そして、ヒーローども。全部、皆殺しだ」

 よだれを垂らしながら、ズリズリと砂をかき分ける。

 だんだんと顔がはっきりしてきた。

 そう、それは、以前格闘家集団との戦いで大クマーに討ち取られた邪仙、榊原宗一郎さかきばら そういちろうの慣れの果てだったのだ。

「仙骨はかなり消え去ったな……一度、輪廻させられそうになったからだ。あの、水竜野郎め。あの怪物も切り刻んでやる!」

 憎悪に凝り固まった異常者の顔。

「肉体を再編して現世に戻り俺の仙術宝器を取り返す。そうすれば俺は力を取り戻して、復讐できるのだ。まずは何をしてやろう。ふひひ」

 おぞましい残虐な行為を思い浮かべ顔を笑いにゆがめる巨大芋虫。

 ひとしきり笑っていたが、微かな足音を聞いた。

 ザ、ザ、

 砂を踏んで誰かがやってくる。

(ま、まずい、今の状況じゃ何もできないぞ! 静かに、静かに身を潜めるんだ)

 とっさに顔面を消し、岩として擬態する。

(うまくいったぞ、これなら……)

 擬態の裏でニンマリ笑う榊原。

 

「やれやれ、本当にこれだから、若い奴らは」

 土器のお面をかぶった子熊が一人でうろうろしているようだ。

(子熊! 土器の面?)

「なぜ、知的労働の私が、こんな肉体労働をせねば……」

 子熊は一度通り過ぎる。

(ふう、そのままどこかに行け)

 思わず安どのため息をついた榊原だが、油断が速すぎたようだ。

 子熊は足を止める。

 そして、振り向いて戻ってきた。

「お、気が付かないところだった。これ、でかいなぁ。岩に見えるけど、本質の形がはっきりしてない。原初物質だなこれは」

 子熊は右手に大きな鉈を持っていた。

(俺に気が付いた?! 何をするつもりだ。何者だこいつ!)

「まとめて持って帰るのは無理だよな。やれやれ。……この極天で買った安物の鉈で通用するかな」

 そういうと土器面の子熊は大ぶりの鉈を振りかぶる。

「ま、まて! 俺は……」

 叫ぶ榊原。

 しかし、思った以上に声は小さく、波と風の音は大きい。

 ズン!

 岩のように見えていた大きな黒い芋虫は頭部分を鉈で斬りおとされる。

 飛び散る体液。

「うわ! 仕事終わったら、また洗濯機に入るか」

 訳のわからないことをいいながら、子熊は無感動に芋虫を分割していく。

「やれやれ、面倒くさい」

(ひぃ! ひぃ! 死ぬ! 消滅する!)

 榊原は意識を保てなくなっていた。

 頭部分をひょいと抱える土器面の子熊。

「でも、なかなかの収穫だぞ。あの宿精や翔一君にマウント取ってやるのだ」

 人間? として小さな勝利をもくろむ子熊だった。


「じゃーん。見ろ。私の収穫を」 

 土壁源庵つちかべ げんあんは両手に大きな半透明の黒い肉を持ち上げてアピールする。

「先生。すごい収穫クマです」

 翔一も帰っていたのか、ぶよぶよしたイソギンチャクのような、これも半透明の気持ち悪い肉を背負っていた。

 海岸には大きな土鍋が設置され、二人の子熊と一人の少女が煮炊きの用意をしている。

「先生、どこにあったの。そんな大きな原初物質。大きいわ」

 少女が源庵を褒める。彼女は弟子の奥島希子おくしま きこだ。

「おっさんをあまり調子乗らせないほうがいいぜ。この魔術は俺の発案なのだ」

 薪をせっせと運びながら、エラそうな態度のダーク翔一。

「宿精殿、薪はこの位置に」

 鍋を乗せる台と薪の管理は球磨川風月斎くまがわ ふうげつさいが差配しており、エラそうな割には便利に使われているダーク翔一だった。

「原初物質は鍋に山積にするから、見つけたのは全部持ってきてくれ」

「おいおい、私ほどの存在が見つけたものだぞ。簡単に運べる量じゃない」

「じゃあ、僕に任せるクマー」

 翔一はズンっと大きくなる。

「あ、やっぱり大クマーさんだったのね。話には聞いていたけど」

 奥島希子は土壁源庵の二番弟子として、一番弟子、御剣山翔一みつるぎやま しょういちの正体は聞いていたのだ。

「そろそろ、準備が整うでござる」

「わかった、すぐに持ってくる」

 源庵の案内で芋虫の残りを取りに行く翔一。

「ところでダーク君。すごい土鍋ね、これ。呪力が」

「ああ、これは前にいた世界の神界から拾ってきたんだ。半神たちが料理に使ってんだけどな。これはそれだけにしておくのはもったいない代物だ」

「兄弟子クマちゃんの冒険の話ね。いつか全部聞かせてよ」

「ああ、まあ、いつかな」

 この話になると、皆、口が重くなる。

 優しい兄弟子、翔一も悲しい顔をして首を振るだけなのだ。

 大熊が毛布に乗せて大きな肉の塊を引きずってきた。


「えーっと、肉は入れた。常世に続く海水で煮る。塩分はそれでいいな。隠し味に大和田の刻み。砕いたユニコーンの角。精霊界で拾ってきた様々な物質……こんな所か。じゃあ火をつけてくれ」

 宿精の言葉に、源庵がファイアーエレメンタルを呼ぶと薪は一気に燃え上がる。

「オオワダの刻み? 何それクマ」

「秘密のレシピさ」

 激しく燃え上がる薪。

 かなり熱い。

「すぐに沸きそうね。どのくらいかかるの?」

 希子は熱さに何歩か下がる。

「三時間くらいかな。その間術の詠唱が続く」

 ダーク翔一が答える。

「わたし、お母さんに用事をいわれているからもう帰らないと」

 弟子の言葉に源庵はうなずく。

「結果はまた精霊界にきた時に教える。それまでは儀式の練習をしておくのだ」

「はい、先生」

 希子は源庵に返事すると、スーッと消えていく。

 現実界では目を覚ましたように見えただろう。

「おっさんにはもったいないくらいの可愛い弟子じゃないか」

「宿精殿は私の本体が呆れるぐらいのイケメンだったという現実を忘れているだろう」

「それ本当かよ。そう思い込むうちに脳内で『真実』にしたことじゃないのか」

「ふ、嫉妬かな」

「ねーから。土器面のぬいぐるみに何を嫉妬するんだよ」


 希子の入れ替わりのように大絹姫おおぎぬひめがやってきた。

 お気に入りのチビクマを抱っこしている。

「どうじゃ、進んでおるのか」

「キューキュー」

「姫ちゃん。もうしばらくかかるクマ」

 鍋はぐつぐつと煮えたぎり、混沌の物質は海水とまじりあって生命の源へと変化していく。

「しかしこのようなものを作って何をするつもりじゃ」

 ふわふわと浮いている小さなお姫様。

 抱っこしたチビクマと一緒に透明なドロッとした液体を眺める。

「ほえー。しかし、意外と奇麗なものじゃな……あ、何か蠢いておる」

「え? そんなことあるのかな」

 翔一は大熊化しているので覗き込む。

 確かに、鍋の底に何かがいるようだった。

 半透明のナマコのような影が見える。

「なんだこれ……、蒸気と沸騰でわかりにくいけど」

「ほうほう。旨そうなものを煮込んでおるのう」

 突然、話しかけられる。

 ぼんやりしていた祖霊も宿精も、パッと立ち上がって警戒した。

 そこにいたのは白髭、白髪。白いゆったりとした着物のようなものを着た人物だった。

 老人だったが、赤い顔の非常に活力に満ちた人物に見える。

「ご老人、はじめてお見受けするクマ。僕たちは……」

「よいよい、存じておるわ。その方たちの働きもな」

「……」

(ものすごいオーラクマ。そして、白く透明に輝いている。まるで神様。悪い人ではないかな)

 老人の不思議な存在感は悪意がなく、皆に安心感を与えるようなものだった。

 警戒を解く仲間たち。

「だが、しかし、そのような生命の源を作って何をするつもりなのだ」

「強力な精霊を作るんだ。そして、結界の礎とする。こいつの家に敵が乱入したからな」

 ダーク翔一が翔一を指す。

「お母ちゃんが心配クマ。吸血鬼が僕の家の結界を破って侵入したクマなんです。撃退はしましたが……」

 あの混沌同盟襲撃事件の後、翔一は自宅にかなり厳重な結界を張った。しかし、前の結界もそれなりに強力だったので、それを打ち破られた現実を超えるには何らかの方策が必要だったのだ。

 源庵やダーク翔一と相談した結果、この『海岸』でガーディアンを作り上げ、契約して自宅を守ってもらおうという計画である。

 既存の精霊や祖霊でもそれなりの結果は出るだろうが、彼らでは地に結びつきがない。裏山の土地神もおらず、自宅に因果のある存在もいない状況では家を強く守る存在がいないのだ。

 それ故、新しい存在を祀ることで自宅を強固に守ってもらおう考えた。

「僕の敵。悪者たちはかなり強いクマです。家族を狙われては……」

 翔一は術の概要を説明する。

「うむうむ。母を思って行動を起こすとは孝行者じゃな、勇者殿は」

 老人は笑顔で白髭をしごく。

「して、ご老人はどのような御用件ですかな。拙者は球磨川風月斎くまがわ ふうげつさいと申す」

「剣豪よの。わしは愚か者を拾いにきたのじゃ」

「愚か者? ああ」

 土壁源庵は合点がいったように、ダーク翔一を見る。

「間違いないぞよ」

 ジトっと宿精を見る大絹姫。

「あのなあ。俺がいないと何もできないくせに何いってんだよ」

「ほうほう。違うぞ。わしが拾いにきたのはここにおる」

 そういうと、老人は迷いもなく煮えたぎる鍋に手を突っ込んだ。

「あ、おじいさん、大丈夫クマ? すぐに治癒精霊を!」

「心配はいらぬ。ほれ、何ともないし、これを見ろ」 

 老人は何か蠢く、小さな生き物を鍋から取り出した。

 よく見ると、それは人間の顔を持った芋虫である。

 体長は十五センチくらいで小さな顔。

「キーキー。放せ、放せ!」

 その生き物は邪悪な男、榊原宗一郎の慣れの果てだった。

「あ、そいつ」

「見たことあるぜ、超極悪野郎だ!」

「まだ生きておったか、成敗してくれる!」

 刀に手をかける風月斎。

「落ち着け。これはわしの弟弟子じゃ」

「弟弟子でござるか……ならばご老体は」

「そう、地仙の方丈ほうじょうじゃ」

 ため息をついて自己紹介する。

「榊原は何年も日本の悪の首領の一人だったクマです。大勢を手にかけ、罪もない子供を殺して……」

 翔一はどうしても批判の思いをなしには語れなかった。

「そうだよ、爺さん。あいつは何人も殺したんだぞ。あんたらがあんな奴に技術を教えたからじゃないのか」

 ストレートに批判するダーク翔一。

 宿精の言葉は辛らつだったが、思いは皆同じだった。

 死した子供たちの霊魂の悲しさを思う。

「本当にすまぬ。我ら仙界の者も事の重大さを知ってあわてて行動したのじゃが。何せ、仙界では何かを決めるだけでも何年も経つというありさま。わしが焦れて一人で弟を探しにきたら、既に、精霊界の勇者に倒されたというではないか」

「確かに、もう終わったことクマです。しかし、弟弟子さんの所業はあまりに邪悪。せめて、子供たちを弔ってほしいクマ」

「わかった、償いになるかはわからぬが、転生した子供たちにはそれなりの贈り物を授けよう」

「恨みを残さないようにお願いしますクマ」

「それはその者の気の流れもあるが、良いようには計らう」

「……ありがとうございます」

 翔一は、それでも頭を下げた。

「この榊原には一千年間漬物石に封じる罰を与える。それで真人間に戻るのなら、輪廻転生に戻す」

「キーキー! 許してくれ、兄者!」

「うるさいぞ。貴様とはもう兄弟の契りは解消する。神仙のお許しも得ているのじゃ!」

 方丈仙はそういいながら、足元の砂を一掴みとって、芋虫ごとぎゅっぎゅっと握る。

 それは見る見る大きく平べったい石に変わった。

「すごいクマー」

「若い時は本当に輝くほどの才能だったのに……皆も期待しておった」

 首を振ると踵を返す老人。

「さらばだ、勇者と仲間よ」

 そういうと、ふっと、掻き消えた。

「あ、消えたよ。なんだったんだ、あの爺さん」

 ダーク翔一の声。

「ん、あのご老人、瓢箪を落として行かれたな」

 風月斎が指さす。

 老人が腰につけていた瓢箪が砂の上に落ちている。

 手に取る翔一。

「たぶん、くれたんだよ。翔一君受け取っておくのだ」

 源庵にいわれ、うなずく。

「おじいさんが返してくれっていいにくるまで預かるクマです」

 つるつるときれいな瓢箪、赤い紐が巻かれていた。


 老人が消えた砂浜を見つめる。

 邪仙榊原の真の最後が思わぬ結末だったことに、思いをはせる翔一だった。




2021/8/1 8/2 微修正

2021/8/1 老人の描写を若干追加

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