85 五級ヒーローとアンデッドの禍 その2
続々と窓枠を乗り越えて入ってくるグールの集団。
刻一刻と模範囚部隊は不利な状況になっていた。
「このままでは囲まれる!」
叫ぶ藤堂。
「二階だ、二階が事務所になっている。そこに逃げよう」
ケンジが答えた。
工場は五十人ほどの作業場だったらしくそこそこ広く大きい。
二階は厳密にいえば中二階だが、階段を上った先にはいくつも部屋があり、そこもそれなりに広いようだった。
「しかし、袋小路だぞ」
囚人の指摘。入れば逃げ出せない位置なのも事実である。
「仕方がない、ヘリを要請するよ」
端末を出すが、グールにのしかかられる。
ケンジは拳でグールの顔面をつぶし、投げ飛ばす。
「ち、この状況じゃ無理だ。一旦上がってから連絡する。皆移動するんだ!」
大絹姫が裏切りグールを増やし、突撃させて敵の気を引いている間に、囚人たちは中二階に駆け上がった。
囚人の何人かは、折れた警棒を捨てている。
翔一は半開きの扉に気が付く。資材置き場と書いてあった。
(この奥、資材置き場クマ……あ! これなら)
中二階の下の部屋、その奥に見える物にひらめき、向かう。
「おい、治癒クマーどこに行くんだ」
ケンジが叫ぶが、
「武器のあるやつは階段の上で迎え撃て。ない奴は二階を探すんだ! 工具とかあるだろう」
大沢の声に囚人は動く。
中二階になだれ込んで、武器になりそうな物を探す囚人たち。
しかし、中二階は事務所だったらしく、あるのは事務関係の物ばかりだった。
「碌なのがないぜ」
「ここは鉄工所だったみたいだが、武器になりそうな物は下の階だな」
藤堂と大沢はざっと見回ったが、小ぶりな工具が見つかっただけだった。
「これじゃあな……」
小さなスパナを投げ捨てる。
「とにかく、包囲されないようにしないと。君と君は奥に、武器がない者は待機しておいてくれ」
ケンジが指示をする。この状況において囚人たちも否応もない。
人を階段前に配置してグールを迎え撃つ。
階段は入ってきたのと奥にもう一つあった。
交替で防御するのだ。
ケンジは一息ついたので、端末を取り出す。
「こちらケンジ。応答願います。こちらケンジ!」
しかし、応答はなかった。
「どうした、ケンジさん」
「つながらないんだ。クソ、どうなってる」
「見せてください、俺は詳しいんだ」
安藤が促すと、ケンジは渋々渡す。
「あ、これは中継器に問題ありますね。普通に使っていて、認証の問題ということもないでしょう」
公用のスマホはどうも動きがおかしく、反応が鈍い。
「……単純な問題でもなさそうな……」
「早く直してくれ!」
焦るケンジが大声を出す。
プチ。
突如、端末の電源が切れた。
「え?」
「うるさいぞ、お主ら」
大絹姫が端末を触っていた。
「も、もしかして」
「ごちゃごちゃと、うるさいから黙らせたのじゃ」
「何するんですか! あなたのせいで大ピンチですよ!」
ケンジが好青年の仮面を捨てて珍しく激怒している。
「えーい、男なら小さなことで激発するでない」
「小さなことじゃありません! 援軍を呼べなかったら、僕らは……」
ケンジは何かいいかけて詰まった。
囚人たちは真顔で見つめていたのだ。
「ま、まあ、ケンジさん。元からつながらなかったんです。このお姫様のせいではないかも」
安藤がフォローする。
「そうじゃそうじゃ、妾そんなに悪いことしてないもん」
いじける大絹姫。
「そんなにってことは、多少、悪いことやった認識はあるんすね……」
安藤が突っ込みを入れる。
「おい、そろそろヤバいぞ。すごい大軍がきた」
階下に満ちるグールの大集団。
「もう、こんな棒切れじゃ抑えきれない!」
最前線で戦っている男が、泣きそうな声で叫んだ。
「まともな武器はないのか!」
大沢が事務机をひっくり返す。
突如、バリッと天井が破れる。
「皆さん、これを使うクマ!」
ガンガラガラと金属の音がする。
かなりの数の肉厚のパイプが誰もいない場所に落ちてきた。
持つのに適した太さと長さ。そして、片方が鋭く斜めにカットされている。
頑丈な鋼材だ。
「おい、これならいけるぞ!」
大沢が大声を出す。
囚人たちはこぞってその武器に群がった。
すぐに、鉄パイプを持った男が交代しグールを突き殺す。
「全然違うぜ。いくらでもかかってきやがれ怪物ども!」
囚人が叫ぶ、
藤堂は先頭きって入り口に立ち、ズバズバと敵を刺してグールの死骸の山を作った。
ひょいと降りてくる治癒クマー。
「ありがとうクマ君。このパイプは?」
ケンジがほっとした顔で聞く。
「下の階にパイプがいっぱいあったクマだよ。持ちやすそうなのを見つけて持ってきたクマ」
「このカットは君が?」
「え? ああ、なんだろう。わからないクマ。何となく持ってきたので」
本当は『念焔剣』ですぱすぱと斬って作ったのだが、しらを切る。
「そうだ、君、端末持っているだろう。本部と連絡してくれ」
翔一は精霊界から端末を出すと、見る。
「あれれ、電源入らないクマ」
「妾は何もやってないぞよ」
疑われる前に大絹姫が弁明する。
ケンジから隠れるように翔一の毛皮の背中にへばりついた。
「くそ、どうなっているんだ!」
金属の柱を叩くケンジ。
「おい、敵が引くぞ」
階段前で戦っていた囚人が声を上げる。
見ると、一階に満ちていたグールたちはぞろぞろと引いて行く。
そして、半径五十メートルぐらいで逃げられないようにこちらを見て立ち止まった。
「ち、包囲してやがる」
陽が落ちてくる。
小さな廃工場の二階に立てこもったヒーローと囚人たち。
廃工場を取り囲むように、グールの大集団が包囲していた。
「五百はいるな。警察や防衛会議は何をやっている」
ケンジが窓から確認する。
囚人たちは皆死んだように無言だった。
とりあえず、バリケードを作り、すぐには侵入できないようにする。
「のう、熊殿。お主なら皆を簡単に助けられるであろう?」
「うーん、どうもこの状況簡単には行かないと思うクマ。かなり大きな結界が張られたようだよ。それに、グールは異界からきてるよ、たぶん」
「ならば、巨悪が居ると?」
「うん、とにかく、囚人の皆さんにはなるべく自助努力してもらって、僕は首魁を倒そうかと」
「……しかし、水も食料もないのでは」
非常に小さな声で会話する翔一と大絹姫。
「水は大丈夫みたい」
誰かが洗面所の蛇口をひねると、赤茶色の水が出てくる。
「ふう、みんな、綺麗な水じゃないかもしれないが、今はこれで我慢だ」
ケンジがいうと、交替で水を飲み始める。
「ケンジさん、援軍も望めないとすると、いつまでも立て籠もってもいられないぜ」
藤堂が怪物の群れを指さす。
「しかし、逃げようにも……」
「あの熊公が開けた天井の穴から逃げたらどうだ。屋根を伝って、この街区から逃亡する」
大沢が天井を指さす。
空には星も見えない。
「途中、かなり距離がある。僕は大丈夫だけど、無理なのもいるだろう」
囚人の中にはあまり若くない奴、鈍重な奴もいる。
「一階に梯子がある。あれを持ってきて、渡せば……」
「一階に出ると、奴らくるかもしれませんよ」
安藤が怯えた声を出す。
「俺が取ってくるぜ。隠密は得意な方だ」
藤堂がいう。
「わかった、頼む」
ケンジがうなずいた。
藤堂はパイプを持つと、猫科の猛獣のように、するすると、バリケードを越え、階段を降りる。
確かに、相当な隠密の腕前だった。
しかし、翔一は念のために隠密精霊を飛ばす。
安藤の懸念通り、こちらから見えない位置にグールが何体か潜んでいたが、藤堂には気が付かなかったようだ。
そっと梯子を手に取ると、静かに戻ってくる。
「ふう、心臓に悪いぜ」
大沢が藤堂に手を貸して、内部に引き入れた。
「よし、早速出発だ」
ケンジが宣う。
「みんな、待ってほしいクマ。皆さんが助かるために、大絹姫様から守護の呪術を施します」
「妾の強力な呪力で、そなたらに守護の力を宿す。聖なる力で怪魔を防ぐ。グールの攻撃の痛みが減るはずじゃ。他の魔物が居るなら、それも防ぐ」
「上半身裸になるクマだよ。油性マジックで呪紋を描くから」
「彼女は『祈祷師ゼロ』の一員だ。防衛会議もかなり頼りにしている。信用しよう」
ケンジが装甲服を脱いで体を見せる。
一応、鍛えられた肉体。
他の物たちも、鎧と服を脱ぐ。
囚人は入れ墨をしているものが多い。
大沢はメタルミュージシャンみたいな入れ墨。そして、藤堂は龍の和彫りだった。
「すげぇな、あんたの墨」
「ああ、若い時ちょっとやらかしたんだ」
大沢に答える藤堂。
一応、分担して魔術をかけた。
大絹姫は魔除けの鬼道。傷を防ぐ皮膚の術。
翔一は各人個性に合わせて精霊を一つ憑依させる。若干、距離を開けて精霊を纏わせたので、傍目には掛けたことはわからない。
(藤堂さんと大沢さんは一番強いから、怪力の精霊もいれるクマ。おデブとお年寄りには俊敏。安藤さんには猫科の夜目精霊。他の人には聖性を適当に追加)
「よいか、術は朝日とともに消える。それまでに逃げるのじゃ」
男たちは無言でうなずく。
あまり大声を出すことはできないからだ。
「じゃあ、僕が先導する。皆ついてきてくれ」
ケンジが最初に梯子を登る。
囚人たちも無言でついていった。それを見届けると、翔一は闇に消える。
「おい、熊公はどうした」
大沢が聞く。
「熊殿は調べたいことがあるそうじゃ。妾も熊殿に同行するから心配はいらぬ」
「しかし、だな……」
「あの方は四級でもヒーロー。妾も単独ではないが二級。そなたらはいうなれば五級じゃ、我らの方が先輩になる。我らのことはご心配召さるな、それより御身を大切にするのじゃ」
「待てよ、あんたらだけで」
藤堂も顔を出して止めようとする。
「グール共は恐ろしい姿だが、油断せねばお主らならばなんとかなる。身を守り、必ず生きのびるのじゃぞ」
「……」
大絹姫の姿はそういいながら闇に消えていく。
いかつい二人の男は一瞬無言になった。
「……」
「どうしたんだよ大沢」
「俺たちなんかの身を案じてくれるのがいるんだな」
「人間じゃないがな」
「先輩どもは自分で何とかするだろう。俺たちは所詮五級だ。……梯子を引き上げよう」
二人はうなずいて行動を開始した。
屋根伝いの移動は二軒目までは上手く行った。
屋根の高さが同じくらいで、距離も短かったのだ。
三軒目で、かなり高くなる。
「心配するな、距離は短い」
藤堂が仲間を促す。
足下は路地であり、グールの大半はまだあの建物を包囲している。
路地には数体がうろうろしているだけだ。
「おい、デブ山、慎重に行け。この梯子は頑丈だから、大丈夫だ」
先に渡った大沢が対岸で梯子を持っている。
ケンジは腕を組んで状況を見守っていた。
「うん、わかってるよ。ふうふう」
荒い息をつきながら、デブ男がゆっくり渡る。
梯子を軋ませ、何とか渡り終えた。
「ふう。次、あんたが渡ったら俺もいく」
藤堂が梯子を抑えて、年配の囚人を促す。
彼と藤堂で最後だった。
年配はデブよりは俊敏だが、今日の激しい戦いが思った以上に体力を奪っていた。
渡ろうとして、足が滑る。
「あ!」
さっと手を伸ばして、藤堂が彼を掴んだ。しかし、無理な姿勢で人間一人を支えるのは重すぎた。
梯子が外れて落ちそうになるが、それはとっさに対岸の大沢が取る。
「ち、重いぜ!」
「藤堂さん、降ろしてください。俺だけで何とか逃げます」
「心配するな!」
藤堂は引き上げようとする。精霊の怪力のおかげで上手く行きそうだった。しかし、
バリ!
脆くなった屋根のひさし部分が崩壊する。
「うわ!」
「藤堂!」
二人して、落ちた。
とっさに壁を蹴った藤堂は、猫のように地面に着地する。
大した高さではないが、年配の男は動けないようだ。
「大丈夫か?」
「あいたた、足を」
「藤堂、逃げろ。グールがくるぞ」
藤堂は男を背負うと、全力で駆ける。
そして、目的地とは違う方向に消えた。
グールの小集団が彼らの後を追って行く。
「もうあの二人は助けることはできない。僕たちだけでも逃げよう」
ケンジはそう提案する。
囚人たちは顔を見合わせたが、
「あんた、ヒーローだろ、見捨てるのかよ」
大沢が詰め寄る。
「助けに行って、今ここにいる人たちも危険に晒すなら、それは無責任だ」
ケンジが反駁すると、大沢もそれ以上はいえないようだ。
「そうですぜ、大沢さん。無理は禁物だ。俺たちはボランティアで命かけるほどのものも貰えない」
安藤がそういうと、大沢は胸ぐらをつかむ。
「てめぇ。なんて野郎だ」
「ス、すんません、兄貴。しかし、この状況では……俺だって見捨てたいわけじゃないですよ」
「ち」
しかし、それ以上は大沢は何もしなかった。
現実問題を見ると、バスの位置まででもまだ距離があった。
「バスに刑務官がいると思うか」
「わからないが、バスに乗っていれば立ち往生しているかもしれない。逃げたのなら援軍がくるだろう。運がよければ待っているかもしれないよ」
ケンジの予想。
「……」
「バスの辺りまで建物が密集している。途中のあの広い道を何とか越えたら、梯子で登って、屋根伝いに逃げよう。それで安全に行ける。バスがどうなっているかは運だけど、屋根の上から確認するなら安全だ」
ケンジの提案に皆うなずく。
バスは使われなくなった広い駐車場に停めてあり、それを囲むように古い町工場が並んでいる。
途中の広い道以外は地上を行く必要はなさそうだった。
彼のいうように、そこ以外は問題ないだろう。
囚人たちはケンジを好いてはいないが、現状では彼の保身的態度と楽観論は縋りたいものである。
結局、大沢も無言で従うようだ。
彼らは夜の闇の中、梯子をかけ、何度も狭い道を横断する。
建物の中には屋根が壊れかけているものもあり、かなり危険な移動だった。
しかし、何とか広い道の前にまでたどり着く。
広い道にはグールが三匹ほどふらふらしていた。
「三匹か……よし、建物を降りて草叢に隠れ、一気に襲い掛かろう」
「おう」
ケンジの提案にうなずく大沢。
そろそろと、建物を降りる。
そして、全員で草叢に隠れた。
「なんだか、あのグールおかしくないか」
安藤が怯えた声。
たしかに、通常のものとは違って、爪がサーベルのように長い。
ズル。
大沢の後ろで嫌な音がする。そして、
「うわぁ」
デブが大声を出した。草叢の中でバランスを崩してこけたのだ。
ギロッと振り向く、サーベルグール。
「ち、やるしかねぇな」
鉄パイプを構える大沢。
こぶしを握るケンジ。
へっぴり腰の安藤。
男たちはパイプを握り締めて立ち上がった。
2021/7/25 8/13 8/15 微修正




