81 異世界探索行、消えた少女を尋ねる旅路 その10
「悪クマー伍長。所詮は雑魚だろう。俺の前ではな。バリバリ、ムシャムシャ、ゴクゴク。……ええい。大人しくしろ。お前の親がどうなっても知らんぞ!」
衛兵隊長タドコロは翔一を侮る言葉を発し、肉を食べ、酒を飲み、少女にセクハラをしようとする。
少女は泣きそうな顔で、大人しくなった。
脂まみれの口をビジネススーツの袖で拭い、薄ら笑いを浮かべるタドコロ。
「少し、お聞きしたいのですが、お名前と姿から見るに、異世界の人ですクマ?」
「ほう、わかるのか。俺は一年前にこの世界に召喚されたのだ。異世界にきた瞬間、レベルが二十になった。要は圧倒的チートキャラだ」
「へえ、じゃあ、何かすごいことできるクマなんですか」
「フ、見ろ」
男は少女を離すと、羽ペンと羊皮紙を出し、稲妻のような速度でなにかを書き綴る。
瞬きする間に、書類を完成させた。
「お前は東の塔勤務だ、これが命令書になる」
「へぇ、本当にすごかったクマです。こんなに優秀なら、男爵の覚えもめでたいクマですよね」
「ほう、よくわかっておるではないか、熊公」
「じゃあ、ちょっと聞きたいことがあるクマ」
そういうと、ひゅんと何かが飛ぶ。
ボコ!
それは男のみぞおちに当たり、かなりの威力だったので皮越しでも、男は悶絶した。
「ぐ、は、なんだ」
痛みのあまり、椅子から転がり落ちる。
「石ころを胸に当てたクマだよ」
翔一はそういうとグルグルとひもで縛った。
尚、少女はピクリとも動かない。
こっそり、痺れ系の精霊を纏わせておいたのだ。
「僕が術を使うのにも気が付かない。身のこなしも目配りも素人。二十レベルは嘘だと思うクマ」
そういいながらタドコロを担ぐと、人の気配のしない部屋に彼を押し込める。
「クマクマ」
「もが、もが、う、嘘ではないぞ」
「嘘臭いクマ」
「俺は事務職員として、事務職二十レベルなのだ。一般市民クラスという奴だ」
「それって、要は一般人クマですよね。そうだ、この少女を見たことないクマ?」
写真を見せる。
「なんだ、貴様、異世界の存在なのか。……しかし、黒髪の少女。なかなか美人じゃないか。だが、見たとしても教えないぞ」
むぎゅっと、ほっぺたをつねる。
「素直にしゃべるクマー」
「ぼ、暴力に屈したら、二十レベルに転生した意味がないんでね」
「意外と根性あるクマ」
「二十レベルなめるなよ!」
面倒になって、睡眠精霊をとり憑かせる。
男はひとたまりもなく、ぐうぐういびきを掻いた。
簡単に体を調べたが、魔力の剣を持っているだけで他には何もない。
「剣は危険だから没収クマ」
一旦、男を部屋に置き、少女を介抱する。
術を解くと、びっくりしたように瞬き。
しかし、熊を見て身を固くする。
「きゃ、あ、悪クマー伍長さん。食べないで。私、美味しくないわ、やせっぽちで」
「心配いらないクマだよ。小麦の値段が金貨二枚もするから困ったクマクマ」
「あ、あなた……いいわ、ちょっと人気のない場所にきて」
彼女の案内で、台所にくる。
食材の仕込みをしている男が働いているだけで、他人には無関心な様子だ。
「この女の子、見たことあるクマ? これは非常に詳細な肖像画クマ」
写真を見たことがない人たちにリアルなものを見せるととても驚く可能性があるので、前置きをした。
「わ、生きているみたいな綺麗な絵。魔法の絵よね、これ。……でも、見たことないわ。こんな素敵な子なら、みんな気が付くもの」
「男爵から微かに、彼女の匂いがしたクマだよ」
「会ったことがあるの? でも、男爵の部屋にも彼女はいないわ、何度か監視付きで掃除したことがあるの」
彼女の話では、貴重品などが大量にあったという。
「女の子の持ち物があるのかもしれないクマだね。場所を教えてほしいクマ」
「三階、最上階よ、簡単にわかるわ。でも、途中に漆黒の部屋があって、悪霊が住んでいるの。以前、私の仲間が突入したけど全滅したわ。誰も帰ってこなかったの」
「他に危険はないクマ?」
「男爵は悪霊に絶対の自信があるみたい。警備兵もいないわ。兵も何人か死んでるから蛮人たちも怖がってるみたい。用事がある人は悪霊の許可を得て通るの」
「許可を得る方法は?」
「男爵が連れて通るだけね。今のところ、それ以外の方法で通った人を見たことがないわ。衛兵隊長も同じよ」
「緊急の連絡はどうやってるクマ」
「伝声管があるの。そこには警備兵が常駐している」
「わかったクマ。このまま引き返すわけにもいかない。僕は行くよ。ありがとう」
「ごめんなさい、悪霊のことは調べてるけど、全然、情報が出てこないのよ」
「これはお礼クマ」
そっと少女に金貨を渡す。
そして、手を振って別れた。
「悪霊? ああ、あれか。あれは亡者だ。スペクターという奴だ」
縛り上げた衛兵隊長の言葉。
再び尋問すると、素直に喋り始める。突然怖くなったのかもしれない。
「何か知っているクマ?」
「あいつはどうしようもないぞ。男爵の許可がなければな。他の手段で通った奴を見たことがない」
「とにかく、片手だけ自由にするから、その部屋までの通行許可を書くクマ」
男は観念したのか、さらさらと書類を書く。
気のせいか、書類という言葉に目をぎらつかせ、ペンを荒々しく走らせることに異常に興奮するようだった。
男を縛り直し、眠らせる。
翔一は占い袋を取り出して、現状のまま突っ切ることを占ってみた。
「死の危険。成功率は低い。ないこともない……」
外を飛んで迂回、あるいは、精霊界から迂回することを占う。
「結果は、ほとんど変わらない。男爵の部屋のある三階ごと悪霊が守っているクマかも」
聖性精霊や祖霊の強力な存在を呼んで、霊界からの攻撃で悪霊退散を占う。
「……お、これは前のよりは上手く行くみたいだ。でも、障害も大きい。悪霊を呪縛して閉じ込めてるからある意味当然クマ」
普通に悪霊対策をして調伏でケリをつけると占った。
「これが一番マシな結果。結局、普通に油断してないのが一番クマ。これで行く」
翔一は占い道具をしまい、現状の守護精霊に加えて、魔力対消滅の精霊を三体呼び、これを常時おく。
(丸太……はいいかな。必要そうなら『水竜剣』使うクマ)
ゆっくり、二階に上る。
蛮人衛兵がいたので、許可証を見せた。
「あの衛兵隊長の野郎、また変なの入れやがったのか。俺たち字が読めないから、上級幹部さんに見せろ」
「上級幹部?」
蛮人の案内で幹部の部屋に入る。
思わず絶句。
幹部の豪華な部屋で、大股広げてリラックスして座っているのは、ベアトリスだった。
「ああん、誰? 今取り込み中よ」
低くて怖そうな声。
なぜか、皮のボンテージ衣装に、かなり濃いメイクをしている。
「悪の女幹部クマ」
「あら、クマちゃん。大丈夫だったの」
声が普通になった。
「僕はあの村の領主に追い出されて仕方なく去ったクマ。ベアトリスさんは」
ベアトリスは怖い顔で蛮人を睨むと、彼らはビビって退散する。
「私たち、運悪く魔物軍団に遭遇しちゃったのよ。連中、すごく慌てていたわ、ボスがやられたって。でも、さすがに多勢に無勢すぎて捕まったのよね」
「フムフム」
「そのあとガンツは何人か倒したから、捕まって罪人に。私は美貌があったし読み書きができるからここの男爵に献上されたってわけ」
「中条さんはどうしたクマ」
「あいつ、あまりに根性がなさすぎて、すぐに捕まったわ。役立たずだから便所掃除専門の奴隷にされたのよ」
「あの人も、ウンコマンに……」
運命の激流に翻弄される人々を思い、感慨にふける翔一。
「ところでクマちゃんはどうしたの」
「僕はここに人探しにきたクマ。最上階に何かあるけど、悪霊が居てちょっと難しいという話を聞いたクマだね」
「聖剣があれば……聖剣はイケメンに渡ったのよね。うわさに聞いたわ。どんな人だったの、エトワール様って」
気のせいか、イケメンの話題になると目が輝く。
「エトワールさんは結婚して、可愛い子供もいるよ。とにかく、今は悪霊の部屋をどう抜けるかだけど、何か知らないクマ?」
「うーん、男爵以外通れないってことしか。通常の連絡は男爵が降りてくるか伝声管使うからね。そうそう、役に立つかわからないけど、あの男爵、小声で何かつぶやいてから通っているわ」
彼女は男爵の身の回りの世話もしている。
何度も彼の傍にいる関係で、そのことに気が付いたのだ。
「私とあいつとの関係は……想像に任せるわね」
妖しい笑みをするベアトリス。
「男爵はいつごろ帰ってくるクマ?」
「周辺見回りだから……もうじき帰ってくるわ。そのあとは執務室に籠る。三階は幾つか大きな部屋があるわ、あいつの部屋は最奥の小さな部屋」
「ありがとう。男爵を待つよ」
「……あなたが、行動を起こすのだから……結果は想像つくわね。私も準備しておく」
翔一は悪霊の部屋の前にきた。
確かに、かなり強力な魔力がある。
(死の力かな。たぶん)
ぐっと、『エルベスの瞳』を握る。これは強力なので、最後に取っておきたい。力を解放したら、邪悪な術者に居場所を教えるようなことになる。心強いが最後の防波堤だ。
爪と握力だけで天井に張り付き、梁の陰に潜む。
やがて、一人の気配が近づいてきた。
漆黒の鎧にフルフェイスの兜。使い慣れたシミターを二本腰に挿している。
(あいつが、アントゥス男爵)
びっくりするほど強力な黒い歪んだオーラだった。
ベアトリスが出てきて、媚を売る。
「今日はいい」
男はすげなく彼女を突き放すと、扉の前にきた。
翔一の真下に彼の兜が見える。
扉が開く。
「ガ・リアル・ン……」
男は相当な小声でつぶやいたが、翔一の耳にははっきり聞こえた。
漆黒の闇に入り、男の足音は迷いもなく通り過ぎる。
(これで安全に通れるかな?)
しばらくして、翔一は天井から降りた。
扉を開ける。
異常な漆黒だった。今はまだ暗く成り切っていないのに、弱い日光は部屋に入らない。
「ガ・リアル・ン……」
翔一は同じく、つぶやく。
そして、足を踏み入れた。
「何者だ。聖句をつぶやき、無関係の者が入ってきたぞ」
恐ろしげな声がする。
内心舌打ちをする翔一。合言葉だけでは完全ではなかったのだ。
不気味な白い老人の姿が現れる。
全裸に近い。
痩せた白い肌には、全身に模様が刻まれている。
よく見ると、刃物で切り刻んだ跡だ。
「あなたは何者クマ」
「俺は……そんなことはどうでもいい。聖句をつぶやくとは、貴様こそ何者だ」
「男爵の関係者クマ」
「貴様もウォルスの一族なのか。動物のように見えるが」
「そうですクマ」
(アントゥス男爵はウォルスの一族? 前の領主の関係者クマ?)
ふと、そう思う。
「奴の子孫なのか……今は殺せぬが、いずれ殺してやるぞ。お前たち一族とその手下は皆殺しだ」
「聖句をいう人は殺さないのですか? でも、関係者じゃない人も殺している」
「この城にいるなら関係者だろう、皆殺しだ。しかし、聖句を告げる奴は俺を埋葬した祭主に免じて見逃してやる」
「あなたは一族を怨んでいるけど、聖句を告げる者だけはその人の思い出に免じているのですね」
「そうだ。あの祭主殿だけは俺のことを気にかけてくれた……」
一瞬だが彼の顔が穏やかになった、が、すぐに目を吊り上げ、翔一を睨む。
顔が穏やかになった瞬間、闇が弱くなる。
微かに、壁が見えた。
呪紋がびっしりと描かれている。
(この人は凄い魔力がある。そして、この人を防衛装置としてここに封じている……)
自分たちを怨む者を、その感情を利用して防衛に使う。
その発想に、翔一は寒気がした。
「あなたはここにいるべきじゃない。恨みはもう晴れることもないのです。ウォルスの子孫はもうあなたが何者なのかも知らない。恨みを晴らすより、祖先の世界に行って、魂の安寧を得るべきです」
翔一はひざまずき、チョークで床に魔法陣を描いた。
悪霊から身を守る結界である。
「なにをしている。用もないのならさっさと去れ」
悪霊はイライラしているが、聖句を告げた翔一への攻撃に葛藤があるのだろう。
しかし、一度だけ死の魔力をぶつけてきた。
だが、それは対消滅精霊と一緒に消える。
男は絶対の自信を持っていた力を消されて、唖然とした。
(今は耐えたけど、この魔力を連発されたらまずい。急いで術を!)
鹿の頭蓋を被り、ロッドを出して、彼の祖霊を呼ぶ。
普段なら、ダーク翔一がいるので何の苦労もなく祖霊と交信できるが、今はいないので自分の呪力でやる必要があった。
男の祖霊は、光り輝く世界から手を伸ばすが、部屋の呪紋に邪魔されて入ることができない。
霊界からの光を感じて、男は静かになった。
戸惑うような目線。
翔一は祖霊と男の交信を邪魔する場所を見切ると『水竜剣』を出した。
「そこ!」
バシッと、強大な水竜の力で呪紋の魔力を打つ。
水竜は大声で叫び、魔力は霧散した。
(ちょっとまずいかな。霊界精霊界だけで響く声だと思うけど)
光り輝く世界から、数人の人影が現れる。
背の高い女性のシルエットが言葉を発した。
「息子よ、もういいのです。帰りましょう」
「し、しかし、母上。わ、私の恨みは、皆の恨みは、晴れてはいません」
恐ろしい老人の声が、若く幼くなる。
「もういいのです。あなたが重ねた罪の方が今や大きい。周りを見なさい」
男の周りには、今まで殺してきた人間たちの無数の怒りがあった。
「……俺は悪くない。俺を酷い目に……」
「先祖たちが謝って回ります。お前はもう帰るのです」
母の厳しい声。
「……」
男は無言になると、光る手に縋った。
男は消えて行く。
怒りと悲しみに満ちた因縁は、解かれて無くなった。




