7 叔母公佳、忍び寄る影 その1
その日、御剣山翔一はホテルのパーティー会場にいた。
着飾った人々が、穏やかに談笑している。
翔一は学校のブレザーを着ていた。
パーティーといっても、親族とその親しい友人が招待されただけなので、やや砕けた服装の人間も多い。
料理の匂いが翔一の鼻腔をくすぐる。
酒も用意されているようだ。翔一の前に置かれるのはジュースだが。
(異世界だと子供でも飲んでたけどね、ここじゃ、もちろん、駄目だ)
異世界は遅れた世界であり、真水は危険な飲み物だった。
そんなことを考えていると、叔父がマイクを持って立つ。
雑談をやめる人々。
「今日は皆さま。お集まりいただき感謝申し上げます。我が甥、御剣山翔一君も無事発見され、今までご尽力いただいた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです……」
叔父の雄一がマイクを持って喋っている。地方都市で公務員をやっているが、今日は足を運んでくれたのだ。
母と姉も美しく着飾っている。母は叔父の言葉にうなずきながら、涙を流して喜んでいる。
翔一の隣に涙を浮かべた老夫婦。
この二人は翔一の母方の祖父母で、わざわざ、遠くから参加してくれた。
「翔ちゃん、本当に見つかってよかった。今までどこに行ってたの」
祖母が尋ねる。
老人といっても見苦しい人物ではない。祖母も老いてはいるが美しい容姿だった。
「憶えていないんです。ごめんなさい。僕が覚えているのは、お母さんのことを微かに……」
「どういうことだ、誘拐された前後だけじゃなくて、その前のこともなのか」
祖父は矍鑠とした人物だったが、かなり驚いている。
「ええ、姉のことも少し憶えていますが……」
「お父さんのことも覚えているのか」
「これ、あなた」
なぜか、止める祖母。
「いいえ、お父さんのことは全然覚えていません」
「あのような奴のことは一切忘れたらええ」
翔一の父、天羽栄二は翔一が失踪している一年間の間、何度か不倫をしていたのだ。
自分の息子が失踪しているのに、妻を支えず、浮気に走る父を世間はこれでもかと叩いた。結果、彼は社会的地位を失っている。
翔一はあまり父を憎むつもりはなかった、彼も、何か苦しかったのではないかと。
ただ、母や家族を悲しませたのは事実なので、反省をしてほしいとは願っている。
そのような理由のため、この会には父方の親戚は呼ばれていない。
「それにしても、おまえ、顔や首にすごいけがの跡があるぞ。手にもだ」
祖父はしげしげと眺める。
「わからないんです」
「週刊誌の記事なんて見て悪いが、気になったんだ。翔一、お前、全身傷だらけだったというが……」
首を振る翔一。
嘘をつくのは気が重い。
「いいじゃないですか、あなた。翔ちゃんは帰って来たんですよ。これから詩乃も幸せになるのよ」
「再婚相手が欲しいな。いい年の女が結婚もしてないなんて」
「あなたは考え方が古いですわ。それにまだ離婚はしてないんですよ。栄二さんが……」
「あのクソ男、まだ渋っているのか。一度ガツンとやってやらんとな」
祖父は怒りっぽい男だったが、筋は通すタイプの人間なのだ。
あまり喋ると、ボロが出るかもしれない。
翔一はなるべく無言を通すことにした。
叔父の話やその他短い挨拶が終わったので、会食が始まった。
食事はびっくりするほど美味である。
異世界で生きていた時、厳しい環境の中で食事の旨さなんて二の次三の次だった。
自分も、仲間たちも、その時は今を生きるだけで精いっぱいであり、口に入るものに贅沢なんていえない。
翔一の異世界での三年間は常にそうだったのだ。
今、このホテルの料理はこれでもかと贅を凝らした料理であり、痺れるような旨さだ。
(去っていった友達たちに、食べさせたかったな)
そう思うと、少し涙がこぼれた。
しかし、親戚たちには普通の料理なのだろう。特に感動もなく食べている。
(これは仕方がない。あの世界の常識をここに持ち込んではいけないんだ)
宴会場にはテラスがあり、瀟洒な庭の風景を楽しむこともできる。
誰がよんだのか、楽団を入れて生演奏まで行っていた。
「詩乃ちゃん、よかったね、翔一君戻って来て」
「ええ、ありがとう、みんな」
数人の男女が母を囲んでいた。彼らは芸能界の友人である。
皆、適当に集まって談笑などをしている。
「翔ちゃん、来て」
母が呼ぶので行くと、母の友人たちに紹介された。
挨拶をする。
「翔一です、よろしくお願いします」
背筋がピンと伸びて、一年前とは比べ物にならないほど精悍な顔だった。
「ええ? 翔一君ってもっと可愛らしい感じだったけど、今はスポーツマンみたいだね」
大柄な俳優の男が少しびっくりしている。
「僕のこと覚えているかい」
「ごめんなさい、記憶がないんです」
彼らのことを紹介されるが、パッとしない人たちであり、あまり、記憶に残らない。
そのような調子で、色々な親戚や母の友人たちと挨拶を躱すが、翔一の記憶に引っかかる人物はいなかった。
(無理やり消したみたいな記憶だよね。異世界の言語の代償みたいだ)
異世界の言語は、もちろん、憶えている。まるで、脳に刻み込んだように全く忘れていない。
それに比して、異世界で起きたことはじわじわと忘れ始めている。絶対忘れないこともあるが、細部は消えていく。普通の記憶として。
(友達が残した映像記録を見たら、また思い出すと思うけど)
つらい記憶も多く、見たい気持ちがなかなか起きない。
サイボーグの友人が残した遺品は、現在より進んだ技術で作られている。
タッチモニター一つでも、この現在のコンピューターよりはるかに進んでいるのだ。特にアプリが凄かった。
(どんどんハッキングする。それに、ネットにつないで、すごい勢いで学習している……)
翔一はモニター内のアプリ人工知能がちょっと怖かった。どこまで進化するのか。
「翔一君」
考え事をしていると、美しい女性が声をかけてくる。
「はい」
「私のことも覚えてないのね。叔母の安西公佳よ。記憶にない?」
公佳は赤いドレスを着て、非常にセクシーな女性だった。母の妹である。
ちなみに、彼女は芸名で母は本名である。
「ごめんなさい、失踪した以前もその後も覚えていないんです。気が付いたら、家の近くの路上にいました」
「ふう、でもよかったわ、見つかって。お姉ちゃん、死にそうな顔してたのよ。私も色々伝手に頼ったけど、全部空振りだったわ」
公佳は「ふう」といった瞬間左肩を撫でる。
「ほんとにご迷惑をおかけしました、ごめんなさい」
頭を下げる翔一。
公佳は自分の左肩を撫でながら、
「いいのよ。結果よければすべてよしでしょ。でも、なんだかたくましくなったわねぇ。もっと弱弱しい子供だったのに」
にっこり微笑む。花のような笑顔。綺麗な人だった。
また、自分の左肩を撫でる。
(?)
気になって、翔一は霊視した。
(憑いている……)
不気味な黒い影。
目と頭だけが見える。目はぎらぎらとした憎悪に満ちていた。
「女だ、お前を睨んでいるぞ」
ダーク翔一の声が精霊界から聞こえる。
その邪悪で不遜な目に、翔一は恐怖より怒りを感じた。
(チビクマ)
人々が何かに気を取られた瞬間を狙って、精霊界からチビクマが飛び出す。
誰にも見られず、女の霊体に噛みついた。
「キュークマクマ!」
「グハ!」
女は慌てて逃げると、虚空に消えてしまった。
(何だろうこの香)
「あら、気のせいかしら……ねえ、お姉ちゃん、今度、ドライブにでも行かない? いい男紹介するわよ」
「いらないわよ、男なんて」
詩乃が苦笑する。やはり、憎悪の霊魂が消えたら公佳は気分が楽になって明るくなった。
「あー、そんな趣味だったの、お姉ちゃん」
「違うの、暫くは家族と静かに暮らしたいだけよ」
翔一は精霊界を覗く。
「あれは生霊だ。よっぽど恨んでいるんだな」
ダーク翔一が腕を組んでいる。
「それもあるけど、おばさんはちょっと祖霊の加護が弱いと思うよ」
「本人がちょっといい加減なんだろうな。お守りでも渡しておけよ」
「そうだね、綺麗なのあるかな。野暮ったいのはちょっと敬遠されるからね」
「水晶で作った奴があるぞ、聖性を受祚した奴だ」
「ありがとう、こういうの沢山作っておくよ」
「金がかかるぞ」
翔一は水晶のお守りを手に取る。
昔、呪われた少女に渡した物だ。可愛いものをつけてほしかったので見た目に拘った。その後、更に呪力が高まったので、他のと交換したのだ。
「公佳お姉さん、これ持っててください」
「叔母さんでいいわよ、でもお姉さんっていってくれるの嬉しいわ。あら、これ、水晶ね。あんたそういうオカルトとか好きだったの」
「ええ、まあ。そうです。魔除けですよ、それは」
「ありがとう、綺麗ね」
公佳はポケットに入れる。
「持っていて下さい。それだけで効果あります」
「はいはい、ありがとう」
いきなり、チュッと翔一の頬にキスをした。
翔一は面食らって赤くなる。
「あ、公佳、翔ちゃんに何をするの」
詩乃が翔一を公佳から離す。
「いいじゃない、ケチ」
「渡さないわ、私の息子よ」
「母さん、デザート食べようよ」
ホテルのウェイターたちが、デザートを運んできたので、皆で食べる。
「美味しいね」
「あなた、おいしそうに食べるわ。前は何でも残していたのに」
公佳が驚いている。
「残すなんて、僕にはそんな残酷なことはできないよ」
食料の無い苦しみは忘れられない。
「変わったわね。本当に」
「ちょっと口についてるわよ」
園が翔一をナプキンで拭いてくれる。
デザートを終えた頃、ふと嫌な雰囲気がした。
見ると、血相を変えた女がテーブルに迫ってくる。
中年の余り美人ではない人物だ。服は普通だが、数珠を首からかけている。手にも大きな珠の数珠。
「あなた、何者!」
空気を読まず、怒鳴る女。
会場がしんと静まり返る。
「霊能者の神良風先生よ。先生、いつぞやはお世話に。今は翔一も見つかりました」
詩乃は翔一を探すために、胡散臭い奴らとも付き合いをしてしまったのだ。
「……あなた、人間じゃないわ!」
いきなり不穏な言葉を発する霊能者。
「なんなの、あの女」「頭がおかしいのよ」
人々がそうつぶやくと、ぎろっと睨みつける。なかなかの迫力があり、人々は口をつぐんだ
「大声は控えて頂けませんか」
叔父が神良風をいさめるが、
「なんて存在なの……まともじゃないわ」
神良風は翔一をまじまじと見る。いかにも無礼。だが、翔一は無表情を貫く。
「騒ぎを起こすなら出て行ってください」
ついに、叔父が怒って霊能者の腕を取った。しかし、
「うわ!」
叔父は何かを手に感じて、すぐに離した。
霊視すると、神良風には不気味な影が取り付いていた。そいつが何かやったのだ。叔父の手に黒いオーラが染みる。
(呪詛!)
ダーク翔一が聖性精霊を飛ばして、叔父の手を浄化する。
黒いオーラが消えてほっとする翔一。
「消したわね。いとも簡単に」
霊能者はギロッと翔一を睨むと、踵を返して会場を出た。
やがて、会はお開きになるようだった。
「皆さん、今日はお集まりくださりありがとうございました」
叔父があいさつすると、ぞろぞろと会場をあとにする。
外でマスコミが待っていた。
「ねえ、詩乃さん。息子さんが見つかってお気持ちをお願いします」
「君が翔一君だよね」
叔父が、
「記者の方はご遠慮ください。これは私的な会で、一般人の方も多数いらっしゃいます」
「翔ちゃん、相手しちゃだめよ、お母さんが話すから」
詩乃はそういうと、記者たちの前に立つ。
「今日は皆さん、お疲れ様です。翔一は無事帰ってきました。事件の詳細は警察にお尋ねください。マスコミ関係の方々にも捜査に協力して頂きました、誠に感謝申し上げます。しかし、息子は一般人ですから、これ以上の取材はご遠慮お願いしたいのです」
「息子さんが帰ってきて、何か変わりましたか」
「はい、今、とても幸せです」
「夫の天羽さんについて一言」
「夫は死にました」
詩乃の、情が一切籠らない言葉。一瞬その場が凍り付く。
「いや、あの、死んではいないと思いますが……」
苦笑しながら記者が指摘した。
詩乃はそれ以上は何も答えず、親族の待つ車に乗る。
記者もそれ以上はしつこく問うこともなかった。
ホテルを出発する車。人々から離れていく。
ふと、一人の記者と目が合った。
何の感情もない目。しかし、ニマニマと口だけで笑う。
記者が浮かべる表情ではなかった。
2021/1/16~2024/9/28 微修正