75 異世界探索行、消えた少女を尋ねる旅路 その4
「うげ、くっせぇ!」
禿髭のおっさんが何度同じ悪態をついたのか。
「うるさいわね。いい加減にしなさい。下水通るぐらいしかないじゃないの!」
ベアトリスが怒っている。
「ガンツさん、文句いっても始まりませんよ。ここは我慢です」
中条が禿のおっさんこと、ガンツを諫める。
「臭いものは臭いんだよ!」
宮殿の下水を抜け、堀に出たのち、警備をかいくぐって、大都市の下水に入り込む。
そして、浮浪者組織の案内を受けて、そのまま、都市の外に脱出したのだ。
現在、荷馬車に乗って平原を移動していた。
荷馬車はガンツが運転している。他は荷台に乗っていた。
一行は、濃いめの霧の中を移動している。
(霧の精霊を呼んで、広範囲に霧を出すクマ)
首都近郊はだだっ広い農地なので、身を隠す場所がない。
多少大変ではあるが、翔一は霧の精霊を召喚し続けていた。
「でも、どこかで体を洗わないと、頭がおかしくなりそうですね」
「止まってる場合じゃないのよ、それにしても、霧が出てくれて助かったわ」
ベアトリスは霧の原因をわかっていないようだ。
「水辺を通ったら、ウォーターエレメンタルを出すから、我慢するクマ」
やがて、大きめの用水路の傍を通ったので、精霊の力で皆を洗う。
「ありがとう。クマちゃん。やっぱり、あなたは凄いわ。魔法も使えるのね」
ベアトリスの前では、大した術は使っていなかったかと翔一は思う。
「それにしても、首都脱出までかなり順調だったクマ。運がよかったわけじゃないクマだよね」
「まあ、それは、その、私イスカニア人だから、念のためにコネ作っておいたのよ。いつ迫害されるかわからなかったから」
「ベアトリスさんは、なぜ、そんな危険を冒してこの国に?」
中条が聞く。
「南のイスカニア帝国、先代のユアノール皇帝さんの時代は凄く儲かったのよ。私、豪邸を二つも持ってたの。でも、今の皇帝とはちょっと折り合い悪くて。あの野暮ったい皇帝は私のハイセンスが理解できなくて、復古主義のダサい服を女官に着せて……」
「商売が上手く行かなくなったから、この国にきたんですね」
「支店を出してた縁もあるの」
「ユアンおじさんは今どうしてるクマです」
「あの人は、今の皇帝に位を譲って悠々自適生活よ。といっても、自分がいい暮らしするだけじゃなくて、戦争孤児とか大勢の子供や貧民を引き取って、保護しているの。ものすごく尊敬されてるわよ。今は聖人ユアンという方が有名なほど」
「ユアンおじさんは優しくて、面白くて、凄い立派な人クマ。僕も大好き」
「そういえば、どうしたの。クマちゃんって、自分の世界に帰ったって聞いたけど」
「事情があって、短期間の予定で戻ったクマ」
「あのタマゴゴーレムはいないの」
「え、……あ、あの人は、もう……」
翔一はフロールが死んだことを告げようとしたが、言葉が出ない。
苦しくていえなかったのだ。
代わりに、涙が落ちる。
「いいのよ。……そう、あの人も庶民を助けていたわ。私の国では、未だにヒーローとして話題に上がる人よ」
少し沈黙が起きる。
子熊の背中を優しく撫でる、ベアトリス。
「おい、あんたら。今はのどかに見えるけど、俺たちいずれ捕捉されるぞ。王国魔術騎兵を舐めてはいけない」
ガンツがそういう。
彼もこのまま逃亡できるとは考えていないのだ。
「ちょっと占うクマ。行き先決めよう」
「そんなのでわかんのかよ」
「今は彼の占いに頼るぐらいしか方法もありませんよ、ガンツさん」
翔一は何度か占いをした。
彼らがこの国を脱出するには、北方ルートがよいと、そして、翔一の探す少女も更なる北にいると思われた。
(知り合いに頼るのが吉。となると、エトワールさん……結婚したビアンカさんに頼るのがいいと思うクマだね)
翔一が去ってから数年経っているようだが、彼らが素直に結婚していたら、二人は北方にいる。魔術女王の話を盗み聞きした情報からもそう思えた。
「北に行くと道が開けるクマ」
「馬車は適当なところで売って、私たちは北に向かいましょう。どこかの港でイスカニアへの船に乗れるわ」
彼女は、金はあった。
商売は上手く行かなくなったが、個人資産は莫大な額を持っていたのだ。
首都近辺はしばらく広大な平原が続く。
途中で、馬車を下取りに出し、四人は買った駄馬で北方を目指す。
やがて、丘陵地帯を北上することになる。
シンシア王国北部は広大な丘陵地帯。
緩い山地は北に進むごとに、じわじわと寒くなっているようだ。
(霧は継続して……小ぶりのアースエレメンタルを後方に追従させて馬の足跡をかく乱するクマ。そして、みんなにこっそり隠密精霊を憑依させるクマクマ)
二度ほど騎馬隊の追手に遭遇したが、隠密精霊と霧の精霊の二重効果であっさりとやり過ごす。
魔術騎兵は魔術は使えても専門家ではなく、翔一の魔力を破ることはできなかったのだ。
とある小都市に入る。
「武装を整えようぜ」
ガンツの意見で装備を買う。
おっさん二人は牢屋で奪った小剣を持っていたが、それ以外は何も持たず、ベアトリスも丸腰。翔一はなんとなく木刀を持っていたが、見た目には頼りないだろう。
「僕は木刀があるクマ」
「それ、単なる木の枝だろ。やっぱり男は両手斧。これ常識」
ガンツは皮鎧に武骨な両手用の大斧を見せる。
「鎧って重いですね。それに、こんな剣なんて使ったことないですよ」
中条が皮鎧を着てぶつくさ。
「この辺りに洒落た細剣って売ってないのよねぇ」
ベアトリスはなるべく細身の剣を買ったが、彼女の目線では大きすぎるのだろう。
翔一は宿屋で、彼らの武器と防具に精霊を宿す。
ベアトリスと中条の剣にはエアーエレメンタルを。
ガンツの武器には鋭き刃の精霊。
鎧には防護と強甲の精霊。
三人は思った以上にオーラが強く、複数の精霊を同時受容できた。
「ほう、これなら軽く扱えますね」
中条は素人くさい剣の振りだったが、それでも精霊のおかげで素早く剣を動かしている。
「いいわよ、これなら私の剣術も使える」
ベアトリスの剣術は堂にいったものだ。
「俺のはよくわからんが……薪を割ったら、確かに違うな」
ガンツはそういいながら、カンカンと、慣れた手つきで太い薪を細かく割る。
ベアトリスは鎧を嫌がったが、乱闘の中で鎧を着ないのは自殺行為なので、結局、しぶしぶ頑丈な胸当てを付けた。
そして、中条の剣術はあまりに素人剣だった。
翔一は軽い盾を持たせて正派剣術を伝授する。
正派剣術はこの異世界の中で最も流布している武術だった。翔一もこの世界に来た当初は使っていたのだ。
「クマ君。君、剣術できるんだね」
「いいから、すぐに覚えるクマ。基本技三つだけでいいからマスターするクマ」
正派剣術はド素人がすぐに覚えてそれなりに強い技も多い。
宿屋の中庭で、スパルタ教育をする。
「そこ、違うクマ! 何度いえばわかるクマ!」
「は、はい、すみません」
「謝る前に覚えるクマ!」
酒を飲みながら見ていたガンツだったが、翔一の剣術が相当なものだとすぐに気が付いたようだ。
「あの熊公、意外とやるな。……いや、相当なものだ」
「当り前よ。あの子、人狼男爵オーギュストを一騎打ちで倒したのよ」
ベアトリスも元決闘代行の血がうずくのか、剣術の稽古を見つめている。
「おい、本当かよ。聞いたことがあるぜ、人間の剣士で勝てる奴はいないって預言されたんだよな。それをあんなチビ助が……」
「それが本当なのよ」
翌日にはその都市を出た。
長居すれば追っ手に見つかる可能性があるのだ。
「陛下、申し訳ありません。昨夜捕らえた子熊が衛兵を無力化して逃亡しました」
朝の政務が始まる前の時間。
女王ルシエルは朝食を摂っていた。
「担当の警備主任が申すには、気が付いたら、朝まで寝ていたと」
「牢は?」
「警備隊長が確認したところ、あの太い鉄棒を曲げて、そして、それを元に戻していたというのです。そして、兵士たちは、全員、かなり強力な魔力であっさり眠らされたようです」
「護符は効果がなかったのか? 確か高位の宮廷魔導士たちに作らせた物のはずだが」
「はい、防御効果を上回る強力な術で……」
「すぐに追っ手を手配しなさい」
「は!」
「ちょっと待って、それ、私のクマちゃんのこと?」
女王の食卓は、美しく整備された庭に面し、朝日が降り注ぐ。
その朝日を背景に、一人の背の高い女性が立っていた。
女王ははっとした。
「あなたは、姉上……」
「何奴だ!」
ようやく気が付いた衛兵たちが剣を抜く。
「待て。このお方は私の知り合いだ」
兵を女王が抑える。
女性はダナだった。
朝日を浴びて、女神のような美貌を晒す。
「あなたはもう貴人。このように他国の庭に乱入すべきではありませんわ」
ルシエルはダナを諫めながらも、少し笑顔だった。
口調も優しくなり、親しい関係が伺える。
「ごめんなさい。緊急を要したのよ。あなたとも通信できないし、無理やり障壁を破壊するわけにもいかないから」
魔術の結界を破壊する行為は宣戦布告と捉えられても仕方がない。
「どうやって、ここまで?」
「普通にあなたの国の外務大臣と話し合ったわ」
話し合ったとはいうが、夜中に押しかけて無理やりな直談判をやったともいう。
「姉上、申し訳なかった。北方の狂王は魔神信徒『十傑衆』を揃えて我が国を侵している。首都には強力な魔術結界を成しているのだ」
「『十傑衆』……そういう事情だったのね……でも、大変なところ申し訳ないけど、私のクマちゃんがあなたに捕まったって聞いたの。すぐに返してもらえないかしら」
「部下の話では、昨夜の間に逃げたようです」
「仕方がないわ。ふう。どうしようかしら。あの子が本気で逃げたら、誰にも捕捉できない」
「あの熊は何者なのです。妹弟子に教えて頂けませんか」
「あの子は神聖平原とイスカニアを救った英雄『聖魔旋風』ドゥーベよ。翔一ともいうわ」
「……」
ルシエルは呆気にとられた。
あのかわいらしい子熊がそんなすごい存在に見えなかったのだ。
「その者のことは、我が国にも伝わっています。強力な聖剣を使い、様々な悪を討ち滅ぼして、最後には荒野を緑野に変えたと。現代に現れた神話の英雄であると……」
「あの子はそこまでのことをしながら、何の見返りも求めない。そして、今も、行方不明の女の子を探してこの世界に戻って来たのよ。女王陛下。お願いだから、あの子のために協力してあげて」
「ガルディア王妃のお願いでなくても、それほどの英雄を我が国に迎えるのは名誉。すぐに探索の兵を差し向けましょう。歓迎するために」
「ありがとう、ルシエル」
女王がダナのことをガルディア王妃と呼んだ時点で、部下たちが恐れおののく。
彼女の伝説はシンシア全体に広がっているのだ。
「朝食でもいかがです?」
「そうね、いただくわ。少しお腹が減っていたの」
ルシエルが怖い視線を向ける前に、召使たちが追加の朝食を用意するために走る。
「大英雄が探す少女とは何者なのです」
「あの子は異世界の人よ。あの子の世界の人間がこの世界に拉致されたのよ。よくある話」
「邪教、妖術の使い手。そして、英雄救世主を求める愚か者。そのような者たちは異世界人を無理やり召喚して、自分たちの目的に利用しています」
「異世界人の召喚、法律で禁止しようかしら」
「効果は薄いですわ。そのような者たちに法は届きません。届くのは暴力だけ」
「困った話だわ。私もクマちゃんもそのような悪人たちの被害者なの」
「それは初耳ですわ、姉上。よければお教えくださいな」
女たちの話題は尽きなかった。
2021/7/3 微修正




