71 魔の襲撃と子熊の戦い その3
激しい雨も、若干、雨脚は弱くなったようだ。
大神は祈祷所に向かう細いアスファルトの道を静かに歩く。
フードを脱ぎ捨てたヴェラはその後ろにつく。
大神はゆっくりと人狼に変身し始めた。
翔一のように一瞬で変身することはできないが、服が消え、確実に二足歩行狼に替わっていく。
うっそうとした森が細い道を暗くする。
灰色の人狼。
これが大神の正体である。
そして、赤い目と牙を長くしたヴェラも本性をあらわにする。
祈祷所の門の前に男が二人いた。
門は壊されている。
一人の男は大神を見るとすぐに変容して、漆黒の人狼になり、もう一人は赤い目の吸血鬼の本性をむき出しにする。
「大神恭平だな」
黒狼が声を出す。
赤く光る眼、どろどろとよだれを落とす。
「あんたは……しらねぇな。どこの雑魚だ」
「口先だけは達者な野郎だ。吠えづらかかせてやるぜ」
黒狼は武骨な両刃の剣を抜く。
「あんたが大神を相手するなら、女は俺がやるぜ、キシシ」
ひょろっとした吸血男。
異常なくらいに胴体が長い。
ヴェラは無言で右手を銃に添え、左手をナイフの柄に置く。
「よく見たらいい女じゃねぇか、無力化して俺の女にしてやるぜ」
吸血男はコートの前を開ける。
中には自動拳銃を握った四本の腕が隠されていたのだ。無理やり他人の腕をわき腹に縫い付けた不気味な改造。
ジャキ!
拳銃がヴェラを狙う、
しかし、瞬息の早抜きでヴェラは拳銃を発射していた。
パン!
一本の腕が吹き飛ぶ。
「くそ!」
同時に男の三丁拳銃が嵐のように火を噴いた。
しかし、銃火の後にヴェラはいない。
「消えた?!」
「上よ」
吸血男が上を見た瞬間、目の前に丸い銃口が見えた。
ヴェラは木の幹に張り付くように直立していた。
足に吸盤でもあるのか、重力を無視しているのか。異常で無理のある姿勢。
パパパン!
ヴェラは西部のガンマンの早打ち法で一気に敵の脳天を弾丸で貫く。
ボンっと、頭蓋がはじけ、吸血鬼の頭部は顎から上が消滅する。
ヴェラが地上に降りた時には、吸血男は塵をまき散らしながら、雨の中、溶け始めていた。
古いアスファルトの上を三丁の拳銃が重い音で転がる。
雨滴が当たって塵が舞い、急速に存在が消え失せた。
一方、大神と黒狼は激しい肉弾戦を行っていた。
互いの怪力で、斧と剣は早々に地に落ちる。
斧は落ちただけだが、剣は折れ飛んだ。
二体の怪物は爪と牙、殴りと蹴りで激しくもみ合う。
体格体力は黒狼が上だが、戦闘慣れという点で大神は圧倒していたようだ。
互いに傷つけあいながら、じわじわと大神が黒狼を追い詰めていく。
飛び散る毛皮、血液、そして、肉片。
その血で血を洗う戦いのさなか、大神は一瞬無防備になる。
「ガハ! 死ね!」
黒狼は爪を大神の脇腹に突っ込んだ、
飛び散る鮮血。あと一ひねりで、内臓を破壊できる。
しかし、
黒狼は真っ暗になった。
「グハ!」
両目に大神の爪が入り、脳まで達したのだ。
「爪よ」
ジャキっと、脳内で爪が伸び、脳を貫いて後頭部にまで達する。黒狼を完膚なきまでに殺した。
バリっと頭蓋を割り、片手で首をねじって引きちぎる。
血なまぐさい作業を無言で行う大神。
雨が戦士を洗って、黒い土にしみこませていく。
ヴェラは無言で見つめていた。
「強敵だったわ」
「ああ」
ヴェラは早々に敵を倒したが、大神の援護をする隙があまりなかったのだ。
それほどに、人狼の決闘は素早すぎた。
「祈祷所は大丈夫かしら」
「ところで、あんた、入ったことはあるのか」
「ないわ、あなたは?」
「ない。治癒クマーとは活動域が違うのでね」
彼は都心から関東南部が主な地域だった。
「まだ、かなりの数がいるわ。気を付けていきましょう」
「ああ」
斧を拾い、うなずいて山に入っていく。
その間にも大神の体は急速に治っていった。
ザー、
激しい雨が降っている。
詩乃は一番奥の茶室に逃げ込んだ。
押し入れに入る。
ギシ、ギシ、
隠そうともしない足音が、ゆっくり近ずいてくる。
「どこです。逃げても無駄ですよ。奥さん、今なら殺さず血を吸って奴隷にしてあげます」
気持ち悪い男の声が聞こえてくる。
詩乃は恐怖に震えながら、息をなるべく静かにした。
しかし、心臓がどくどく脈打つ。
心臓の音が聞こえないか心配になるほどの激しさだった。
「いないのかなー。奥さん」
男の声は近い。
口を押える詩乃。
恐怖はピークに達する。
目を見開く。
しかし、男はゆっくり遠のいていくようだった。
思わず、息を吐いた。
「きゃー、お母さん助けて!」
静寂が訪れた瞬間、詩乃の耳に声が聞こえる。
「園ちゃん!」
思わず、押し入れからはい出した。
出た瞬間、背中に寒気が走る。
「やっぱり、ここにいたんだ」
詩乃の後ろ、庭に面した窓の前にずぶ濡れの男が立っていた。
手には白く光るナイフ。
「簡単に騙されてくれて。フフフ……しかし、ちょっと惜しいですね、あなたほどの美女をやるのは」
ナイフが振り上げられる。
詩乃は男の目を見て動けなくなった。
悲鳴も出ない。
(園、翔一!)
子供たちの姿が浮かぶ。
笑う男。
目をつぶる詩乃。
しかし、その時、巨大な影が男に覆いかぶさった。
「おかーちゃん!」
「なに!」
ドン!
男は巨大な肉の塊に吹き飛ばされ、窓と壁を突き破って、庭に放り出される。
バリバリと盛大に茶室を破壊して二つの影は中庭に飛び出す。
詩乃は思わずへたり込んだ。
庭に転がる男。
そして、詩乃を守るように立つ、大型の熊。
男はばね仕掛けのように立ち上がる。
その瞬間、熊の右手が薙ぐ。
バキ!
奇麗に男の首が回転した。
「が、は。よ、よくも!」
男の首は骨が折れ、首が完全に真反対に向いたのだ。
しかし、ゴキゴキと音を立てて真正面に戻って行く。
「グルルル」
当惑したような熊の唸り声。
さらに左手で薙ぐが、男はさっとかわして、白いナイフを繰り出す。
熊は驚いたかのように手をかざして、身を守った。
「くそ、貴様、邪魔をするな!」
ナイフを振り回す男。血と毛皮が飛び散る。しかし、熊は一歩も引かない。
「ガー、グルルル!」
再び、爪で反撃するが男は簡単にかわした。
男と熊の対峙は膠着する。
男は熊の破壊力のすさまじさに動きが慎重になり、熊の方は当惑が強いようだ。
熊のけがは見る見る治って行く。
「貴様、単なる熊じゃないな。例の奴なのか? しかし」
男は逃げるか戦うか迷った。
ドン! ドン!
外から、重い銃声が響き渡る。
「チ! もう、軍が来たのか」
男は逃げること以外頭になかった。
だが、熊に隙を見せれば終わりである。一歩下がろうとした。
ぴちゃぴちゃと軽い足音が迫ってくる。
「え」
男が最後に見たのは白い光だった。
男の首は宙を舞う。
「逆手花流!」
重い声が響く。
男の首は濡れた地面に落ち、転がる。
塵と化し、雨に打たれて急速に崩れていく。
詩乃が見たのは、顔の半分と右腕がないクマのぬいぐるみだった。傘も鎧もない。
左手に白く輝く刀を逆手に持っていた。
「クマクマ、おかーちゃん」
大きな熊が甘えるようにのしかかってきたが、そのまま詩乃は気を失う。
気力を使い果たしたようだ。
館の前に来た大神とヴェラはあっけにとられていた。
吸血鬼と人狼の死骸が積みあがっていたからだ。
死骸の前に不気味なぬいぐるみと人形が浮かんでいる。
吸血鬼は急速に塵になり、人狼の死骸は元の人間に近いものに変容していく。
「あ、まだいたのか」
「妾の呪力で引き裂いてくれるわ」
「チビクマども、散開!」
土壁源庵、大絹姫、そして、ダーク翔一が魔力を燃え立たせようとする。
「まって! 大神さんとヴェラさんクマ。味方です」
慌てて、一体のぬいぐるみが二人を守るように立った。
「俺は二級下位のシルバークローだ。あんたらが祈祷師ゼロなのか」
「私も友愛協会所属よ。敵ではないわ」
大神とヴェラが釈明する。
「フム、人狼と吸血鬼というコンビか。危うく攻撃するところだったぞ。アポを取ってくれないかな。エチケットだぞ」
源庵が文句をいう。
「連絡が取れなかったから、心配して見に来てやったんだぞ。感謝しろよ熊公」
大神がむっとしていい返す。
「ぬう、なんという口の利き方。礼儀を教えてやるぞ」
「大神さん、先生! やめてください」
翔一が大声を出して止める。
「そうじゃ、源庵殿。獣の男は普通あんなものじゃぞ。翔一殿が特別なのだ」
一応、二人は収まったが、源庵と大絹姫は宙に浮いて、二人を観察する。
「なんだよ、ぐるぐる回って、じろじろ見すぎだろ」
「なんだか視線がエッチね」
源庵は熱心にヴェラの半裸の体を見ている。
大絹姫はすぐに関心を失った。
「妾、ゾンビドラマ見る」
「俺も」
大絹姫とダーク翔一は館に戻った。
「大神さん、僕の本体見てないクマ」
「ああ、その声は翔一だな。見てないぞ。というか、なんでお前ぬいぐるみなんだ」
「話せば長くなるクマ」
「ところでお嬢さん、お茶でもどうです」
源庵がヴェラに話しかける。
「私、吸血鬼にされたけど、それでも、ぬいぐるみの方はちょっと遠慮したいわ」
「愛の前には小さいこと」
「普通、大きなことよ」
「先生、僕の本体どこに行ったと思いますクマ」
「……うむ、そうだな。あ奴は子熊。おなかが減ったことと、お母ちゃんのこと以外頭にないだろう」
「そうなると、結論は一つクマですね。僕は家に行きます」
翔一はぬいぐるみの姿で外に向かう。
「私たちはどうする。治癒クマー」
「防衛会議に連絡お願いできますか」
「わかったわ。後は任せて」
たぶん、この場で最も実務的なヴェラに任せて、翔一は自宅に向かった。
祈祷所には大型の黒いバンが何台もやってきていた。
防衛会議の後処理班が集結したのだ。
死骸や敵の装備が回収され、速やかに現場が復帰していく。
「結界は張り直しだな。やれやれ」
土壁源庵のぼやきが遠くで聞こえる。
「しかし、祈祷師ゼロの連中は得体が知れないが、実力は一級レベルじゃないのか」
大神は人間姿になっていた。
既に日は暮れたが、作業は行われている。
「ええ。名のある奴はいなかったとはいえ、あの数をあっさり全滅させるなんて……ちょっと信じられないわ」
「翔一の家の方もやばかったんだろ」
「そちらも、祈祷師ゼロの球磨川風月斎が大半を倒したんだって」
「球磨川……コブラヘッドやった奴か」
「ものすごい剣豪だって評判よ」
「へぇ、一度会ってみたいな。こちらはかなりの男と見た」
「北関東では稽古つけてもらってる人もいるわ。界隈では有名よ。あなた知らないの?」
「剣術はちょっと畑違いだがな。興味はあるぜ」
「あの斧にそこまで執着があるのね」
「そうでもない、単純に隠せるから便利ってだけだ」
後処理班は概ねの仕事を終えて撤収していく。
大神とヴェラも車に乗った。
「ところで、これからどうするの」
「俺は狼男。女と二人になったらやることは一つ」
ぐっとヴェラを引き寄せる大神。
「ちょっと、どういうつもり」
「ごまかしても無駄だぜ」
大神に抱きしめられて、一瞬身を固くしたヴェラだが、すぐに力が抜ける。
「最低ね」
口ではそういったが、ヴェラが抵抗する気配はなかった。
「私は大丈夫、心配しないで」
詩乃は口ではそういっていたが、かなりショックを受けていたのは事実だった。
園もその点では同じだが、彼女はそれほど危機には直面していない。
防衛会議も幹部が謝罪に訪れ、警備強化を約束している。
公認ヒーローの家族が襲われることは、ヒーローたちの士気に重大な問題を引き起こす。会議としても放置できない事態だったのだ。
「自衛隊が地域の常駐部隊増やすから、もうこんなことは起きないクマだよ」
翔一は詩乃にそういったが、彼女が物音におびえるようなことは増えたようだ。
(しばらく、鎮静精霊を憑依させるしかないクマだね)
こっそり、彼女には精霊を纏わせておく。
結界も張り直し、表向きの警備は強化した。
(引っ越すべきかな……しかし、隠棲でもしない限り……完全には)
破壊された扉や窓が修理され、平穏を取り戻すと、詩乃の顔はやがて晴れやかに戻って行った。
「ねえ、翔ちゃん。あなたの先生の体買ってきたわよ」
ある日、かなり上等な熊のぬいぐるみをくれる。
毛皮を手縫いしたものだ。子熊の翔一より一回り大きい。
「ありがとう……」
「テレビで見たの、球磨川先生だったかしら、半分破れていたから」
「え?」
詩乃の記憶はおかしかった。
彼女は自分の目でその光景を見たはずだ。
しかし、いつの間にか、あの襲撃は『テレビで見たこと』にすり替わっている。
ふと、胸の『エルベスの瞳』を見つめる。
神器は神秘的に輝いていた。
2021/6/20 微修正




