6 鬼と人狼
「鬼になった老人、義眼の男、加藤、小倉の関係者……京市君が憎いとしても殺すほどか」
御剣山翔一は授業中、先日の事件で上の空だった。
京市優次は内臓に大けがを負ったが、現代医療の向上はすさまじいものがあり、一命をとりとめたという。
体内から大量のガラス片が出たことは一部で話題になったが、オカルトや不思議系の話としてすぐに話題としては終わった。
少年は現在、体内に傷は負ったが命に別状はなく意識もあるという。
「京市君のお見舞いは一応大丈夫ということです。大勢で押しかけてはいけませんよ」
担任の中岡が大きな胸を揺らしながら生徒たち伝える。
生徒たちはがやがやしていたが、彼は友達が少なく、見舞いに行くという声はないようだった。
もちろん、翔一は行くつもりである。
彼が呪詛されたのは彼の宿精がやりすぎた面もあるからだ。
「病院ではお守り外されてるだろう。ちょっと心配だ」
あの危険な鬼が退治されて、呪詛者はすぐに次が用意はされないと思うが油断は禁物だと感じた。
ホームルームが終わってから中岡に会いに行く。
「先生、僕、京市君のお見舞いに行きたいんですけど」
「あら、よかったわ、私も行こうと思っていたの。クラスから誰も行かないのかしらってちょっと不安だったのよ」
太い黒ぶち眼鏡の中岡はにっこり微笑む。
美人だとは思うが、かなり野暮ったい。
保険医の綾瀬みたいなファッションになれば、人気は爆発したと思うが、それに興味はないらしい。
「僕一人しかいないんですか」
「ええ、そうよ。せっかくだから一緒に行きましょう。放課後職員室に来て」
「途中で花を買いたいから寄ってもらえませんか」
「私も買うわ」
うなずく中岡。
いつも通り、自習室に向かうと聖倫がいた。
よく見る人たちもいたが、不良たちはいない。
おしっこを漏らした不良たちはバカにされながらも学校には来ている。彼らは二度と自習室には来ないらしい。部屋の付近にも近寄らないという話を誰かがしていた。
「翔一君、あの京市君の友達なんでしょ。お見舞いに行くの?」
「うん、行くよ。今日の夕方中岡先生と。クラスは誰も行かないみたいだから」
倫に聞かれ、苦笑する翔一。
「私も行くわ」
「彼と面識あるの?」
「ないけど……」
倫は何かいいたげである。病弱で大人しい彼女が行動したいというだけで、いいことなので翔一はうなずく。
(病弱な女の子が頑張って行動しようとする……)
何かを思い出して、心が激しく痛んだ。
地獄のような光景がフラッシュバックする、死体の山、腕の中で力なく横たわる少女。
顔面が真っ青になる。
「どうしたの、顔色悪いわ」
「な、なんでもないよ……なんでも」
慌ててハンカチを取り出して涙を拭く。
「泣いていたわ……」
ガラガラと扉が開く。背の高い少女。
聖美沙だ。
「お姉ちゃん」
倫が驚きの声を上げる。
「こ、これは生徒会長様。今日はどのようなご用件でしょうか」
中年ハゲデブがもみ手をしながら美沙にへつらう。
「姉として、妹と話をしたいだけよ」
強くて冷酷な視線。
ハゲは小さくなる。さすがにちょっとかわいそうな気がした翔一だった。
倫は美沙と連れ立って自習室から出る。倫が野辺に咲く可愛い花なら、美沙は大輪の薔薇のようだった。
背の高い取り巻きが翔一を睨みつける。
(すごくきらわれてるな)
翔一は苦笑した。
微かに声が聞こえる。
「いい、あいつに近寄ったら駄目。あいつは危険な奴よ」
「翔一さんは優しくていい人よ。お姉ちゃんの魔法で何かわかったの?」
「駄目といったら駄目よ!」
「……」
少女が泣きながらどこかに走っていく。そして、倒れる音。
翔一の胸は、割れそうだった。
(助けないと、今度こそは!)
思わず立ち上がる。
背の高い生徒会の男が二人立ちふさがった。
「御剣山、大人しく自習しておけ」
がっしりした二人の少年。
霊視する、何かの魔力で守られているが力自体は弱い。
「御剣山、着席しろ」
デブの教師が腕を取る。
翔一は彼らを叩きのめすことを考えたが、思い止まった。
ほんの一瞬だが、破壊的なオーラが出る。
黒くて巨大な熊の影。
ぎょっとする男たち。
しかし、翔一はおとなしく座った。
無言で自習をする。
生徒会の連中は去り、自習室は静まり返っていた。
放課後。
学校の駐車場で待つ。
中岡の車は軽自動車だ。
彼女はこの学校の教師だったが、特別な人物ではなく、成績がよかったから赴任してきただけの普通の女性なのだ。
翔一は車に乗る前、母の詩乃に電話する。
「お母さん、ちょっと友達を見舞いしてから帰るから、心配しないで。担任の中岡先生と一緒だから大丈夫」
「担任の先生って若い女よね。二人になっちゃだめよ」
「何を心配してるんだよ」
翔一は思わず苦笑した。
中岡と合流して車に乗ると、病院に向かった。
途中、花とお菓子を買って到着する。
病院の周辺には花壇があり、きれいな花を咲かせていた。
その雰囲気を汚すように、一人の男が病院の前に座っている。
マナー悪くタバコを吸う。
通り過ぎる人たちは眉をひそめている。この辺りは上品な人ばかりなのだ。
サングラス、野性的な顔、皮ジャンにデニムパンツ。三十代くらいの男。
車を降りて病院の玄関に向かったところで彼と遭遇したのだ。
翔一は思わず緊張する。
(こいつ、人狼だ!)
翔一はまじまじと男を見た。
男も見返してくる。
「お前……まさか」
男にもわかったようだ。
(しまった、匂い消しの精霊を纏っておけばよかった)
「さあ、行きましょう、翔一君」
中岡はアウトロー的な雰囲気の男を嫌い、少年の腕を取ってさっさと病院に入ってしまった。
去っていく二人をじっと見つめる男。
玄関に入って見えなくなる二人と入れ替わるように一人の人物が近寄ってくる。
「ねえ、今の子」
大柄で粗暴な雰囲気の女が男の横に立つ。
「ああ、これは収穫かもしれない」
「写真に撮って個人特定するわ」
「頼む、お前はあの子に見られていないだろう」
京市少年はいたって元気そうだった。
「ありがとう先生、翔一君。誰もお見舞いなんて来てくれないと思ったよ」
彼の喉は大丈夫だったらしく、声は普通に出せる。
食事はまだ駄目のようだが。
翔一と中岡ははきょろきょろする。息子が大けがをしたのに、京市の両親の姿がない。
少年は二人の様子を察したのか、
「僕の父は世界を飛び回ってる経営者でね。普通の人はあまり知らないタイプの大企業の社長なんだ。穀物を扱ってる。だから息子が大けがしても日本にすぐには帰ってこないし、居ても来ないよあの人は。僕の母はあの人の三人目の妻なんだけど、死んでしまったんだ……だから、お手伝いさんが僕の母親みたいなものなんだよ」
京市は特に悲しげもなく自分の親の話をするが、彼の目は寂しげだった。
「お父さんは再婚してないのかい」
「してるよ、確かアメリカ人だ。会ったこともないけどね。兄弟もたくさんいる。それも会ったことないんだ、ほとんど。僕は大きな家にお手伝いさんたちと暮らしている」
中岡はハンカチを出して涙を拭いている。
「また、お見舞いに来るわ」
「心配しないで、先生」
「そうだ、寂しいと思って色々持ってきたよ。これ、メタルアイドルのコンサートソフトだけど、これ最高なんだ」
翔一は自慢の布教用ディスクを京市に渡す。
「翔一君ってアイドル好きなんだ……」
「そ、そんなことないよ。この人たちは世界的に認められて大人気なんだ。しかも、全てが極上のエンターテイメント、一言でいえば神レベルのパフォーマンスで、もうね、生きるアート。見ないのは人生の損といっていいよ。是非、見てほしいんだ」
「は、はぁ」
非常な早口でしゃべる翔一。大人しい翔一の一面を見て京市はびっくりする。
「そんなすごい人たちなら見る価値あるよね。わかった、見るよ」
「最初はロンドン公演を見た方がいい。パワー貰えるから」
満足げな翔一だった。
「あ、そうだ、いっておくけど僕は一切ロリコンとかじゃないから。アートを愛する一人の人間でしかない。ガチ勢とか偏見だから」
「心配しなくても、そんなこといってないよ」
看護士が入ってくる。
「あら、楽しそうに話しているのにお邪魔かしら、でも、お薬の時間だから」
小柄でかわいらしい感じの女性看護士だった。
京市が笑顔になる。
彼は母親がいないので年上の女性が好きなのだ。
「じゃあ、もう行くよ、早く元気になるんだよ」
「うん、翔一君。熊のヒーロー探してくれよ」
「また来るわ、元気になってね」
翔一たちは手を振って少年と別れた。
病院の廊下を歩くと声が聞こえる。
「あの少年、体内に何かある。これを見てくれ」
「先生、これは……」
「心臓の中に、ポケットじゃないな、石のような物だと思う……」
「そんなものがあって生きられるものなのですか」
「現に生きているじゃないか。血流は何とか阻害しないように上手く入っている」
「除去はできませんよね」
「難しいな、無理ではないが」
翔一の耳が捕らえた会話である。本当にかすかな話声だったが、病院はかなり静かだったので聞こえたのだ。
そして、
「なんなのあなたたち、勝手に入っては駄目よ!」
看護婦たちの切迫した声が聞こえる。
「どけ!」
「グルルウウウウウウ!」
「キャアアアアアア!」
翔一と中岡は思わず目を合わせた。
「テロ警報、テロ警報、今すぐこの地域から脱出してください」
スマホが鳴る。
誰かがボタン一つで出せる警報を押したのだ。病院にはそのような装置が行き届いている。
何か大柄な者たちが迫ってくる。
おろおろする中岡。
「この女邪魔だな、眠らせてトイレにでも隠しておけ」
ダーク翔一が声をかけてくる。
翔一は鎮静精霊と睡眠精霊を纏わせて、ベンチに座らせた。
「大丈夫ですよ、先生。すぐに警察が来ます」
「ええ……そうね」
そうつぶやきながら眠ったので、翔一は彼女を背負うと、女性トイレに運んで座らせる。あまり人がいない場所で助かった。
何かが迫ってくる。
翔一は誰もいないことを見計らってからツキノワグマサイズの熊になり『白銀剣』を抜く。
身長二メートルはあろうかという大きな鬼が二人現れた。
手にはアサルトライフル。
「あいつだ、あいつが兄貴を殺した!」
そういうと、いきなりライフルをぶっぱなす鬼たち。
翔一は飛んで窓から中庭に逃げる。
「なんて奴らだ、看護士さんや患者さんが無事ならいいクマだけど」
「そんなこと心配してる場合かよ!」
車の陰に隠れるが、鬼たちは正確に翔一の位置を突き止め、ライフルを連射する。
強力な銃弾は薄い物なら簡単に貫通するようだ。
「アースエレメンタル!」
土の壁を作って、銃弾を凌ぐ。
分厚い土壁を貫くパワーはなかったようで、一安心した翔一だったが。
「ゴラァ!」
いきなり目の前の土壁を巨大な野太刀が真っ二つにした。
間一髪転がって避ける翔一。
二匹の鬼は銃を捨て、野太刀を抜いていた。
「機械精霊飛ばしたけど、刀はどうしようもないぜ」
ダーク翔一が敵の武器を使えなくしたようだが、脅威は去っていない。むしろ増した可能性もある。
「こんな真昼間から、とんでもない奴らだ。本気で成敗するクマ」
翔一は少し迷って『白銀剣』をしまい、『水竜剣』を出す。
剣とは名付けたが、巨大な木刀であり、水気を纏う竜が封印されている。打点に銀の鋲が埋め込まれて破壊力も高い。
木刀は彼らの野太刀より長いのだ。
互いににらみ合う。
彼らと翔一の戦闘スタイルは似ていた。
防御を考えていない。ただ、全力で剣を振り下ろす。
翔一はじわじわと彼らに近づく。
本当は逃げたいのだが、逆にその感情を潰すように前に出る。
「おい、くそ鬼ども。俺たちと戦え!」
先ほどの男が彼らの背後に立つ。
既に半分人狼化していた。手にはインディアンの斧のような物を握っている。
そして、その横には同じく女の人狼。大柄でムキムキの肉体だった。
彼女もすぐに狼の姿になり、長く爪を伸ばす。
二人は変容が遅い。
特に女の方が完全に人狼にはならないようだった。
鬼の一体が振り向いて、彼らと戦い始める。鬼は野太刀を滅茶苦茶に振り回し、人狼二匹はチームワークで鬼を翻弄するようだ。
翔一ともう一体の鬼はじわじわとにらみ合った。
互いに間合いに入る。
「グオオオオ!」
「昇竜一段、雲燿剣!」
鬼は全力で剣を振り下ろしたが、翔一はそれに真っ向から飛び上がった。
振りかぶった剣は振り下ろすまで強くない。
その剣に凄まじい速度で『水竜剣』を振り下ろす。
はた目から見たら、木刀を持った熊がテレポートしたように見えただろう。それぐらいに速い動きだった。
木刀は野太刀を叩き折り、鬼の鎖骨を叩き潰す。
木刀から牙が伸び、鬼の肩をえぐり取った。
「ガアアアアアアア!」
鬼を飛び越え着地する。
体の大きな部分を失って、さすがに膝をついた鬼。
返す刀で角の生えた鬼の頭蓋を叩き潰す。
動きの鈍った鬼に回避する術はなかった。
牙が鬼の頭蓋をグズグズにして、中身を辺りに撒き散らす。
目から上がなくなって、絶命する鬼。
人獣よりは若干脆いようだ。
見ると、人狼たちも鬼を倒していた。
雌の人狼が敵を体術で動きを止め、斧の人狼がとどめを刺す。
転がる鬼の首。
二体の鬼は排除された、しかし、人狼たちは警戒を緩めない。翔一は彼らと向き合う。
人狼たちと対峙する。
「あなたたちは悪人ではないと思うクマ。武器を収めてほしい」
そういうと、翔一は剣を精霊界にしまう。
「今のは精霊界に物を出し入れしているのか?」
男の人狼はそういうと、斧を消した。小さな何らかの物品に変化する斧のようだ。翔一とは違う。
「へえ、こいつ人熊だね、珍しい、初めて見たよ」
女はファイティングポーズを解除して人間に戻る。
スポーツマン的なぴったりした服を着ている。
「剣技はなかなかのものだったぞ、さっき見た少年だな、お前」
「……」
「隠しても無駄よ、もう、身元もすぐに割れるわ。あんたの写真をデータベースで検索したから。……御剣山翔一。俳優の息子ね」
彼女は見舞いをしていた翔一を撮影したのだろう。頑丈そうなデータパッドのような物を取り出して話す。
「御剣山翔一君、君は悪人じゃなさそうだな。どうだ、俺たちと手を結ばないか。俺たちは日本防衛会議傘下、人狼協会のメンバーだ。一応政府公認機関だぜ。俺は大神恭平、表の職業はジャーナリスト。このごついのは」
「ごついは余計よ。女子プロレスの赤嶺明日香よ、よろしく」
赤嶺は手を出す。翔一はゆっくり小さくなって子熊になると握手した。
「御剣山翔一ですクマ」
モフっと握手する。
「フフ、可愛いじゃない」
美しい笑顔の赤嶺。
彼女は美形女子レスラーとして有名なのだが、翔一は知らない。
「仲間になるからお願いがあります。この病院に京市優次という子が入院しているクマ。彼を護衛してほしいのです」
「ああ、俺もあの呪詛臭い話で調査していたんだ。あの子を鬼が狙っているのか」
「ええ、理由はわかりませんが」
パトカーと装甲車がやってくる。
重武装の機動隊と自衛隊だ。
「面倒なのが来たから、大神君後はよろしく」
赤嶺明日香が大神に振る。
「僕は担任の先生が心配クマだからお願いします」
「チ、日本防衛会議のメンバーだと名乗るしかないな、面倒だが」
そこかしこで、車が炎上している。
鬼たちは何も考えずに銃弾をばらまいたのだ。人々は既に逃げ慣れているのか、人的な被害はなかった。
先生の車を見ると、撃たれていない辺りに駐車していた。
ほっとする翔一。
「後で連絡する。俺たちの会合に来てもらうことになるだろう」
翔一は大神の言葉にうなずく。
異世界の人獣とは違い、彼らは理性があり仲間同士で協力しているのだ。
翔一は彼らに対して強い興味を抱いた。
(どうなるかわかないけど、彼らと交流してみよう。仲間が増えるかもしれない)
そう思うと、心のどこかで気持ちが躍る。
二人と別れた後、人間に戻って先生を迎えに戻った。
2024/9/28 微修正