66 呪詛学園と祖霊 その3
夜中。
不気味なコンクリートの古い建物、旧校舎の前に、小柄な人影。
御剣山翔一だった。
「何が起きたのか……霊に聞こう」
ざっと霊視する。
使われていない旧校舎だったが、セキュリティはあった。
不審者が入り込むリスクは学校も考えていたのだ。
翔一は機械精霊を送り、一時的に停止させる。
警備も何もいない建物なので、ゆっくりと玄関から入った。
鍵も精霊を纏わせれば機能を停止する。
物理法則を無視して、扉を開く。
ガラスの扉を開くと、そこには古い木造の校舎だった。
木の下駄箱、時代を感じさせる上靴。
一人の少女が暗い顔でうつむいていた。
「おはよう」
彼女は友人たちの影に声をかけるが、誰も返事しない。
「おはよう……」
少女はとぼとぼ歩く。
『お前がもっと人と仲良くやれたら無視なんてされないんだよ』
『いつもうじうじしてるから自業自得さ。お前の責任なんだ』
彼女の背中にそのような声が聞こえる。
(霊が見せる幻覚……)
教室に入る。
彼女の机は真っ黒に落書きされている。
『ふふ。いい気味』『あの顔見た? 仏頂面してきもちわるい』『もっと苦しめてやるわ』
ひそひそ声が聞こえる。
彼女はつらそうな顔をしたが、無言で汚れを落とす。
やがて、先生がやってくるが、決して彼女を指そうとはしなかった。
テストのプリントが回ってくる。
しかし、休み時間に彼女に構うものは誰もいない。
(無視……小さな村八分)
一人でお弁当を食べ、誰もが、彼女はいないみたいな態度。
笑い声、楽しい会話。
そんなことが彼女を苦しめているのがわかる。
ふと、教室から窓の外を見る。
大きな木があった。
ロープがかかっている。
木箱を台にして、一人の少女が乗っていた。
生徒たちはそんな外の光景を見ても、笑っている。
(これは過去の……)
翔一は中庭に行く。
少女は首に縄をかけようとしていた。
「もうやめよう」
そっと、翔一は彼女の背中に声をかけた。
教室からは笑い声が聞こえる。
「わ、私、誰にも無視されて」
涙を流し、振り向いた少女の顔は一つではなかった。少女だけでもなく、少年も。大柄だったり、小柄だったり。
共通するのは絶望した瞳。
「……もう、終わらせるよ、こんなこと。だから、もう、やめよう」
午前、太陽がまぶしい。
学校は授業中だが、静かな校庭をとぼとぼと歩く小さな人影。
気弱そうな女生徒。
無人の旧校舎に向かっている。
「私……」
少女、成田彩芽は涙の中で生きていた。
誰も彼女を気に留めない。
挨拶をしても、誰も返してくれない。
話しかけても、誰も聞いていない。
最初は小さな苦痛だったが、継続し終わりのないこの心の苦痛は彼女を確実に追い詰めていた。
「誰も、私を気に掛けない」
両親に相談しても、
「お前がもっと社交的になれば……。うじうじした性格だからよ。あなたの責任なの」
そう、突き放されるだけだった。
彼女なりに、この無視地獄を抜け出そうとはした。
しかし、どうあがこうともクラスメイトその他同級生や学園全体が彼女の存在を完全に無視していた。
不思議と、最低限の接触はあった。
例えば、資料を配るような場面では一人として数えてくれる。
だが、それ以上の接触となると、まるで冷たい壁のように立ちふさがるのだ。
それが二年以上続いている。
彼女は翔一と同級生だったが、中高一貫教育を選択しており、クラスは何年も同じだった。それが地獄と化したのだ。
心は完全に折れていた。
学校の人間関係からは逃げられない。無限に地獄は続くように感じていた。
「私なんて、生きていても、仕方がないの……」
カバンに潜ませた、ナイロンの頑丈なロープ。
家にあったものだが発作的に持ってきてしまった。
授業を抜け出したのに誰も気にも留めない。
誰もいないグランドを抜け、旧校舎の裏庭に来た。
白い大木が見える。
隣の灌木にロープの端を縛りつけ、輪を作った先端を頭上の枝に投げてかけた。
木の箱を置いて乗り、輪に首を嵌める。
締まって行く紐。
「死んだら、みんな、私に気が付いてくれるかしら」
ボロボロと涙が落ちる。
ふらふらと揺れる体。
少女は気が付かなかったが、背後で不気味な老婆が満面の笑みでこの光景を眺めていた。
やがて、少女は木箱を蹴る。
ぶら下がる体。
痙攣してから風に揺れる。
「私は悪くない、あいつが勝手に死んだ。私は悪くない、あいつが弱いから。私は悪くない、あいつに気づかせようとしていただけ。……いじめはされる奴が悪い」
老婆はそうつぶやくとふっと消えた。
ブチ。
頑丈なナイロンのロープがきれいに切れて、少女の体が浮く。
ふんわりと浮かんで、ゆっくりと地面の草地に横たえられる。
「起きろ」
「え?」
成田彩芽は状況がつかめず、起き上がってキョロキョロした。
「私……」
首を触った。
少し、締まった気配がある。
「馬鹿め、自殺なんて二度とするな!」
少女の目の前に、土器の面をかぶった熊のぬいぐるみがいた。
「なんなの。私、死んだの?」
「死んでいない」
憮然とした子熊。
「あ、あなたは何者なの。クマさん?」
「通りすがりの祖霊だ。お前の様子を見かねて、見守っていたのだ。自殺するとか、先祖も悲しむぞ」
「でも、私、生きていても仕方がないの」
下を向いてつぶやく。
「チ。何をいってる。近い祖霊を呼んでやるから、話をしてみろ」
土器面の熊は虚空に手を突っ込んで、一人の老人を出現させた。
「お前は何者だ」
「わしはその娘のひい爺さんです」
「ひい爺さんならひ孫にいうことがあるだろう」
ハゲ頭の冴えない老人は、少女に向き合うと嫌なオーラを発する。
「彩芽、自殺に失敗したのか……フヒヒ。もう一度やれ。死ね。死んでわしの仲間になれ。フヒヒぃ……ブギャ!」
「何をいうか、このくそジジイ!」
激怒した子熊は石器を老人の脳天に叩き込む。
「やっぱり、私、死ぬしかないのよ!」
泣き始める彩芽。
「ええい、小娘が泣き出したではないか。いい直せ。ひ孫を応援しろ! この馬鹿者!」
ひい爺さんをどかどか殴る熊のぬいぐるみ。
「ひぃ! すみません、すみません。子孫はあまり先祖を敬ってくれず、腹が立って」
「そんな態度だから、敬われないのだ。次のセリフは間違えるなよ。……次、変なこといったら、この石槍をケツに突っ込むからな」
怖い声を出すぬいぐるみ。
光る石槍。
「は、はい! いいか彩芽。先祖たちはお前が幸福になることを願っているのだぞ。自殺なんて考えるんじゃない」
「無理やりいわせたような説得されても」
「状況なんて気にするな、お前が前向きに生きることを願っている人間がいるのだ。少なくともここに」
割って入る土器面の子熊。
「あなたも、そのお爺さんも人間じゃないわ」
「そんな小さなことを気にするつもりか、今、死のうとした人間が。死ぬより大きなことなんてないだろう。これから先、苦労しても人生良いことは絶対ある」
必死になるぬいぐるみ。
「わ、私、徹底的に無視されて。私なんて相手する価値もないのよ。こんな人間じゃ、将来性もないわ」
「そんな訳あるかよ。それじゃあ聞くが、お前を相手する価値もない将来性もないって誰が決めたんだ」
「そ、それは……」
「人をいじめるようなゴミクズどもが仮にそういったとしても、そんな歪んだ奴らの言霊に価値があるのか?」
「……」
「そうだ、お前は思い込まされているだけだ。ここを一歩出たら違う」
「……うぅ」
「どんな人間にもこれから将来性がないなんてない。未来は誰もわからない、予言者でもないのに決めつけるなよ。それに、そんな台詞、よぼよぼの婆さんになってからいうことだ。せめて、そういえる年齢までは生きてみろ」
「うう……ぅん」
成田彩芽は涙を流しながらうなずいた。
「お守りだ」
熊のぬいぐるみは少女に何かを手渡す。
「これは?」
「どうしても、つらくて苦しかったら、これに問え」
そういうと、ぬいぐるみは老人とともに消える。
少女の手にはきれいな勾玉のネックレスが残った。
「今のはいったい……幻覚でも見たのかしら」
彼らの消えた虚空を唖然と眺める成田彩芽。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「彩芽さん?」
上品で美しい中年女性、シスターアンジェラこと学園長が、いつの間にか目の前にいた。
「あ、アンジェラ学園長」
「探しましたわ」
「私を探してくれていたの?」
「ええ」
「……」
「授業はいいわ。それより、あなたにいろいろと教えてほしいの。私、今年赴任したばかりだから、この学園のことはあまり知らないの。あなたは中高一貫コースで私より詳しいわ。それに、あなた自身のことも知りたいの」
成田彩芽は思わず目を見開く。
「わ、私、今まで誰にも興味を持ってもらえなく……て、ううぅぅ」
最後は言葉にならなく、学園長にしがみつき、涙を流す。
「いいのよ、私の部屋に来なさいな。あなたのこと全て知りたいわ。それに、今の不思議な人のことも」
彩芽は学園長の胸で泣き続けた。
「あの女が首謀者だ。繰り返し、付け狙った生徒を追い詰めている」
「何年も……いったい何人の犠牲者が」
翔一は幽霊たちの無念の目を思い出す。
「祖霊たちを集めて聞いたが、百年弱で十人はいる」
「……時間がかかっているとしても、酷い……」
「あいつは言霊で生徒やその他関係者をひそかに操り、一人の人間を追い詰める。そして、その人間が自殺したら、言霊を使って元々いなかったことにしてしまう」
「なぜ、そんなことをやり続けるんですか、飽きもせずに」
「人からかけ離れすぎたものは発展性を失って、人に『再演』を要求する。これは善も悪も関係ない。神だろうが、悪魔だろうが、昨日死んだ幽霊だろうが、その習性に変わりがないのだ」
「じゃあ、あのお婆さんは」
「そうだ」
朝日の中、大勢の生徒たちが登校してくる。
いつもの朝。
しかし、一つだけ違うことがあった。
玄関の目立つ部分に。
『誰のいいなりにもならない。決して忘れることもない』
と、看板が立っていた。
そして、白い壁に落書きされていた文字も、ペンキで消されていた。
一瞬、唖然とした生徒と教師たちだったが、頭を振って、校舎に入って行く。
香美幸は友人たちと何かを語らいながら、楽しく登校してくる。
よく見ると、彼女は学校から一歩も出ずに校門で待っていて、誰も疑問に抱かないうちに「友人」となって彼らに交わるのだ。
言霊使いは学校からでることがない。
師と弟子は精霊界から見ていた。
「学校に巣食っているみたい。何を食べて生きているんだろう」
「もう、普通に生きてはいないぞ」
「……」
少女たちは看板を見る。
唖然と立ち止まり、やがて、不気味な老女の存在に気がついた。
「あなた! 誰?」
「学生であんなお年寄りいたかしら」
少女たちは不気味な老女に一歩引くと、無言で去っていく。
「ま、まて。私は、同級生で友達……」
しわしわの手を伸ばすが、少女たちは取り合わず消える。
きょろきょろする。
登校する生徒たちは可愛い制服を着た老人を見て目をそらし、関わらないように離れて校舎に入っていく。
「なんだあれ」「コスプレかよ」「あんな老人、生徒にいなかったよな」「定年後入学って奴か?」
うわさする生徒たち。
「わ、私は。お前たち! 私は友達よ!」
香美幸が大声を出しても、生徒たちはチラッと見て去っていくだけだった。
「香美幸さん」
彼女の背後に、小柄な御剣山翔一が立っていた。
「お前はA組の……」
「もう、あなたの言霊は通用しません。あなたより強力な存在の言霊で生徒たちに上書きしました」
「……そんな。私は」
「終わりです。全て。いじめで人を地獄に落とし続けるあなたの所業は」
「私は何も悪くない! いじめられる奴が悪い。気持ち悪くてうじうじしていて! あんな奴らに未来はない。私はあいつらに厳しくて、あいつらが強くなるように躾けていたんだ!」
「嘘をつけ! 人が自殺するさまをニタニタしながら見ていただろう。お前は人が苦しむのを見て楽しむ異常者だ!」
いつの間にか、翔一の後ろに土壁源庵が立っていた。
「そうです。あなたは言霊という強力な力を得たのに、その力を悪用した。あなたは人間の身でありながら魔物になったのです」
「う、嘘よ。私は何も悪くないわ。私はかわいい女の子。私は幸野さとる」
よく見ると、その老婆は男だった。
皺くちゃの老人。
がりがりの体で少女の服を着て、ふらふらと旧校舎の方に逃げていく。
「あいつ、香美幸さんじゃなかったんだ」
「言霊魔術で成りすましていたんだ。自分で自分に術をかける。奴の得意技だったのだ」
「美幸さんはあいつが追い詰めて殺したのでしょう。なぜ成りすまして……」
「無意識の罪悪感、罪滅ぼしじゃないか。その犠牲者に成り代わってやって、学校の教室内で自分が思い描く理想の『香美幸』になるとか」
「異常すぎて僕には理解できません」
「理解はいらない。でも、そんな奴もいることは覚えておくんだ」
「はい」
二人は必死に逃げる言霊使いを追う。
衰え切った老人の肉体では、必死に逃げてもゆっくり歩くより遅かった。
「旧校舎の裏に行きますね」
「首吊りの木だ」
「……」
老人は四つん這いになって、砂まみれになりながら校舎の裏に逃げ込んだ。
「どうします?」
「あいつにはそれ相応の報いを受けてもらおう」
源庵は一つの精霊を呼び出す。
霊視の精霊だった。
彼の精霊は巨大で強力であり、言霊使いの呪力では憑依を止めることはできなかった。
「え、そ、そんな」
木にはロープ。
そして、その両脇には、笑顔の少年少女、そして、その家族や先祖たちがずらりと並んでいる。
彼らは一斉に、手の甲で裏拍手を始めた。
「さあ、最後はあなたの番ですよ」
「さあ、さあ」
老人は誰かに抱えられるようにロープに引きずられていく。
「やめろ! やめてくれ! 俺は何も悪くない! 俺は間違っていない!」
言霊も、霊界にいる者たちの深い怨念の前には何の効果もない。
「さすがに、助けるべきでしょうか」
「助ける価値もないよ。あいつはもう死んでいるから」
「え? ……そうだったんですね……。死霊になってもいじめを正当化して、学校から出ず、犠牲の再演にこだわり続け……」
幽霊たちの行う処罰の場である。
翔一は介入するのはためらわれた。
(悪人が地獄に落ちるのを止めたら、それこそ悪人の行為になってしまう)
しかし、見たい光景ではない。
思わず、目を逸らす。
「ああ、あああぁぁぁぁ……」
やがて、老人は木からぶら下がり、動かなくなる。
同時に、魂は大勢の恨みを抱いた霊たちに引き裂かれ粉々にされてしまう。
(かなり強いオーラの男だったけど、誰も守らない邪悪な霊魂は人々の怒りの前に四散してしまった……)
振り返ると、大木にはロープもかかっておらず、幽霊の一人もいなかった。
数日後、朝の登校風景。
「やっぱり、九条様が最高よね」
「本当に美紀はイケメン好きよねぇ」
「ねえ、来季のアニメチェックしてる?」
おとなしそうな少女たちが、好きなアニメの話をしながら歩いている。
成田彩芽もかわいい笑顔で友人たちと会話しながら歩いていた。
胸に輝く小さな勾玉。
「もう、心配もいらないようだな」
精霊界から、石槍を抱いた土壁源庵がつぶやく。
「先生のおかげですよ。あの女の子を助けてくれてありがとうございました」
翔一は深く頭を下げる。
「あれから変わったことは起きていないか?」
「壁に書かれた文字は力を失って、全部風化して消えましたよ」
「フム」
「それにしても不思議なのが、なぜ今まで発覚しなかったのか。外の人、役所とかは気が付きますよね」
「たぶん、電話というやつだ。それで外の奴らも限定的に操っていたのだ」
「電話越しでも言霊魔術が効くんですか?」
「文字とか一つ離れた言葉に効果を持たせるのが得意だったのだろう、あいつは」
源庵は名前を出すのも不愉快なのか、あいつとしかいわない。
翔一は楽し気に登校する少女たちを優しい目で追いながら、
「あの子も人気者ってことはないですけど、クラスに溶け込んでいます」
「それは安心だ。術の問題が消えても人間関係は普通の問題としていつまでもあるからな」
「あの子の祖霊たちはちょっと力が弱いんですよね」
「それに関しては少し私の方でやっておこう。あの子の家族や親族がもっと敬虔な人間だと力も強まるのだがな」
「ここはキリスト教系だから、祖霊崇拝的なことは教えないですよ」
「敬う気持ちだけでも違うぞ。一神教のことは知らないが、この学園からそのような敬虔的な気配はあまり感じないな」
「まあ、この学校は……世俗的ですから」
思わず、苦笑いの翔一。
この学校の生徒で本当に神を信じているような人はほとんどいないだろう。
校風の自由さとキリスト教の雰囲気が好きで入っただけの人間が大半なのだ。
「あの女たちだけは違うが」
源庵の指す先にはシスター姿の女教師たちがいた。この学校の教師は二割程度が尼僧である。
そのうちの一人、少しふっくらしたシスターが笑顔で近づいてきた。
「学園長。おはようございます」
頭を下げる翔一。
「おはよう、御剣山君。それに、父兄さんですわね。また来ていただいたのかしら」
ニコニコ笑顔の学園長。
「え!?」
思わず、精霊界の源庵と顔を見合わせる。
「先生。見えるんですか」
「ええ、土器の面をかぶった熊さんなんて見間違えないわ。間違いなく父兄さんよ」
「そ、そういう問題では」
「それはそうと、事前に許可を取って見学に来られたのかしら」
「あわわ。美人先生。わ、私は弟子の見送りに来ただけだから。じゃあ、これで」
そういうと、源庵は全力で精霊界のかなたに消える。
「また来てくださいね」
のほほんとした学園長。
彼女の得体の知れなさに戸惑う翔一だった。
2021/1/16 犠牲者の数を減らしました。学校から逃げた人もいるだろうという視点からです。




