49 霊能者美濃部浄雲スペシャル、廃旅館に悲しみの怨霊を見たクマ! その3
不気味な黒い波動が辺りに満ちる。
通行人は何かを感じたのか、慌てて避け始めた。
「話なら聞きますから、今度にしてもらえませんか」
翔一は男たちに懇願するが、大きな手で胸ぐらをつかまれる。
「素人に舐められて、黙ってられっかよ。調子に乗りやがって」
ヤクザスーツが怖い顔。
「放さぬか、下郎!」
大絹姫の不気味な低い声。
思わず、男は振り向いたが遅かった。
姫の瘴気の籠った細くて小さな手が、男の手首を掴んだのだ。
「お、あああ、ああああああああ!!!!!」
男は大声を上げると、口をぽかんと開け、よだれと涙をだらだらと流し始める。
「まずい! 皆さん逃げて!」
「兄貴! う、うわああああああ!」
弟分が助けようとしたが、その男も小さな手に掴まれて、一瞬で正気を失った。
ジャーっと失禁する。
大絹姫の異様な漆黒の波動、昼間なのに暗い影で顔が見えない。
彼女の広がる闇のオーラは細くて小さな手が無数に生えており、それに掴まれると魂が恐怖に支配されるのだ。
「ひ、ひいいいい!」「はぁあああ!」
やくざ者も、通りすがりの人々も、狂気の黒い手に掴まれて、恐慌に駆られる。
(僕は聖性と防護精霊で大丈夫だけど……この人、これが原因で流罪にされたんじゃ……)
翔一はそう思ったが、慌てて聖性精霊を多数召喚し、人々に纏わせる。
呪詛が中和されてぽかんとする人々。
翔一は姫を路地に連れ込んだ。
「あんなことをしては駄目です!」
「しかし、悪党どもには罰が必要じゃ」
「関係ない人も巻き込んでましたよ。僕が精霊を呼ばなかったら、とんでもないことになってました!」
珍しく翔一は怒った。
「そ、そうか、それはすまなかった……」
「とにかくここは移動しましょう」
「ここに用があるぞよ」
大通りに出て、タクシーを拾うつもりだったが、大絹姫がきらびやかなファッションビルの前で立ち止まる。
人通りも多いこの場所で姫が騒ぎでも起こせば恐ろしいことになると考えて、
「ここは人も多いし、静かに過ごすには向きませんよ」
「気にするでない」
そういうと、彼女はどんどんとそのビルに入って行く。
オシャレな女性が多く、翔一は気が引けた。
「面妖な、動く階段とな」
大絹姫はエスカレーターの前で思わず立ち止まった。
「乗るだけで上に連れて行ってくれる階段です」
「なるほどのう」
ひょいっと乗り、子供みたいにきょろきょろしながら、
「熊殿、これは面白ぞよ!」
「僕は翔一です。あまりはしゃがないで。皆が見てますよ」
おかしな反応をする大絹姫を通りすがりの人々は面白そうに見て通り過ぎる。
(好奇心旺盛なところはかわいいけどね)
「翔一と申すか、では翔一殿、あそこに行きたいぞよ」
彼女が指す先はヘアーサロンである。
(女の子だからね。でも、ちょっとお高いよ。小遣いもっと持ってきたらよかった)
翔一の不安をしり目にずかずかと入って行く姫。
「いらっしゃいませー」
ホストのようなくねくねした男が出迎えてくれる。
「あら、こちら弟さんかしら。かわいい子ね」
腰のグラインドが気持ち悪い美容師だった。
大絹姫は何も返事もせず、雑誌を読んで調髪されている女に近づく。
「お客さん、順番をお待ちくだ……」
「お主か、妾を呪っている者は」
低くて不気味な声を発する大絹姫。
座っていたその女はアカネと同じく、非常に美しい女だったが、不思議と卑しい雰囲気があった。
「あ、アカネ。なんなの。今あなたの相手してる暇はないの」
「妾を呪っておいて、何たる態度。こうしてくれる」
自分の肩口の黒い何かをぎゅっとつかむと、黒い波動を送り込む。
女は顔面蒼白になり、雑誌を落とすと、椅子から転がり落ちる。
「うわ、ちょっとやめてください。姫さん!」
翔一は大絹姫の手をつかむが、彼女は黒い波動を送ることをやめない。
「ひーーーーーーー!!!!」
女は全身の活力が抜けるような表情をしていた。
若いのに、一瞬、老婆のような顔になる。
翔一は呪いを解くべく、聖性精霊を彼女の手に送った。
バチ!
一撃で、全ての呪詛がはじけ飛ぶ。
「つ、邪魔をするな熊!」
「なんて酷いことをするんです!」
「この女、妾を呪っているのじゃ。呪詛を解いて何が悪い!」
「え……」
翔一は霊視した、確かに、アカネの背中にへばりついていた呪詛生霊は雑誌を読んでいた女と深いつながりがある。
「あなた、アカネさんを呪っていたのですか?」
「呪いなんて、なにいってるのよ」
若干、しゃがれた声でしらを切る女。
「今すぐ、この姫さんに謝るんです。僕も止めきれません。すぐに謝って!」
翔一の剣幕に驚く女。
「あのーお客さん、トラブルなら店の外で……」
美容師が止めようとするが、
「うせろ」
ぎろっと、異様な眼力でにらむ大絹姫に、飛びあがって逃げる美容師。
「すぐに謝って! 呪物も出すんです! グルルル」
翔一は焦りのあまり、獣化しそうだった。
恐ろしい形相の女と少年に恐慌を起こした女は、バッグから小さな人形を取りだす。
アカネを模した人形だった。
背中に針が刺してある。
「こんなもの!」
翔一は聖性精霊をぶつけて破壊した。
四散する人形。
「この子が悪いのよ。私の男を寝取ったのよ!」
女はアカネを指さして叫ぶ。
「お主が男に振られただけではないのか」
「なんですって!」
「もうやめるんだ! 姫さんは普通の人で太刀打ちできる存在じゃない!」
そういわれて、大絹姫の眼力に恐怖したのだろう、女は、
「わ、私付き合いきれない」
といってバッグを抱えて店を飛び出して行く。
「警察を呼びますよ。出て行ってください!」
先ほどの美容師とは違う大柄な男が出てくる。店のオーナーだろうか。
「お騒がせしました!」
翔一は大絹姫の手を掴むと、全力で店から脱出した。
適当な路地に逃げ込む。
「……ハァハァ。もう、寄り道はしませんよ。トラブルはもう終わりです」
「関係ないものも巻き込んでおらぬし、妾は呪いの生霊という降りかかる火の粉を祓っただけじゃ」
「それはそうかもしれませんが……」
「妾を呪うなどと、千年早いわ、あの小娘」
「アカネさんと同一化しているんですか」
「依り代と一心同体になるのは普通のことじゃ」
「彼女に意識は?」
「ほとんどない」
「とにかく、皇居に行きましょう。それで納得してください」
「……よかろう、真に帝がおわすのなら、妾もわがままは申さぬ」
大通りに出て、タクシーを拾い、皇居に向かう二人。
皇居前は物々しい様子だった。
昔みたいに市民が散策する雰囲気ではない。『浸食』のためにテロ警戒が厳重になっているのだ。
そして、それは、表向きの警備だけではない。
しかし、翔一はそのことに気が付かなかった。
タクシーを降りる。
「ここが天皇陛下のお住まいです」
大絹姫に見せる。
「帝がおわすのか……やはり、ここが都なのだ。妾は……」
「そう、もう、あなたは流されてはいない。悲劇は全て終わったんです」
翔一は姫の手を握った。
ぽと。
翔一の手の甲に涙が落ちる。
「もう終わりなのじゃな。妾の怒りも、悲しみも」
「ええ」
見ると、彼女の顔は穏やかだった。
「ありがとう、熊の翔一殿」
ふうとため息をつく翔一。
「待て、その娘」
翔一の背後から、一つの声。
聞き覚えがあった。
「一難去ってまた一難か」
「何をいっている。その女は何者だ。お前は熊小僧の御剣山翔一だな」
男は住良木一族の遠野だった。
翔一は彼らと子熊の姿以外では会ったことはないが、公的なコネを持つ彼らのこと。身元を調べたのだろう。ヒーローの素性を調べるのは法律違反であり、正当な理由があっても推奨される行為ではない。
(自分たちに都合がよければ、平気でルールも破る……)
好きになれない奴らだったが、今は彼らと敵対することはできない。
目の前に時限爆弾のような存在がいるのだ。
「こんにちわ、遠野さん」
頭を下げる翔一。
スーツを着た男たち数人。
今日の遠野はかなりばっちり決まった姿だった。
「いつぞやは失礼しました。しかし、今日はカッコいいですね」
「皇居の呪術警備だ粗末な恰好ではいられない。それより、その女。どう見ても何かの霊魂が人に憑依している」
そういいながら、符を取り出す。
「待ってください。この方はもうお帰りになられます」
「何奴じゃ。先ほどの東夷ような奴らなら、容赦せぬ」
せっかく穏やかな顔になっていたのに、遠野の荒っぽい心に触れて、彼女の顔は再び恐ろしく目が吊り上がる。
スーツの男たちも各々の得物を取り出し、半包囲する。
黒い波動が出始める大絹姫。
「こいつ、とんでもない力だ!」
呪文を唱える遠野。
他の連中も、呼応するかのように術を開始する。
「ホホホ。小賢しい術じゃ。妾に効くわけもなかろう。蹴散らしてくれる!」
ブワっと広がる黒いオーラ。
無数の小さな手が遠野たちを掴もうとする。
「もう、いい加減にしてください。守護精霊!」
翔一は渾身の呪力で守護精霊を呼び、大絹姫と遠野たちの間に壁のように置いた。
姫のオーラは阻害され、遠野たちの術も精霊を抜けず消失した。
「なに!?」「馬鹿な」
「熊殿、邪魔をするな!」
「帝の前で暴れるつもりですか! お二人とも矛を収めて!」
翔一は間に割って入って大声を出す。
遠野も大絹姫も『帝』の権威には弱い存在だった。
翔一の大声で、通行人や警官が振り向いたこともある。
「……ち」
「また、人を巻き込むべきではない」
大絹姫はそうつぶやく。
理性を取り戻し始めているのだ。
気まずい無言。
やがて、遠野が口を開く。
「御剣山と女。結界を張った場所がある、そこまでこい」
「だまし討ちはなしですよ。彼女はもう怨念には囚われていません」
「何者だ、その女」
翔一は歩きながら、彼女と偶然出会ったこと、彼女に納得してもらうために都心に連れてきたことを話す。
「ガキだな。そんなものを都心に連れてきたらどうなるかわからなかったのか」
「……ごめんなさい。でも、もう彼女は大丈夫です」
「……」
案内された場所は、どこかのホールだった。
無機質で美しい建物だが、人はほとんどいない。
大きな広間に、魔法陣が描かれている。
符と旗で作られた陰陽道風の陣である。
「そこに入れ」
翔一と大絹姫は連れ立って、陣に入った。
正座して、向き合って座る。
「どうすればいいのじゃ、妾は」
「ご先祖、ご両親のもとに帰るんです。魂の帰る場所に」
「そうか……」
「僕の宿精が探してきます。そこに横になって」
「うむ」
大絹姫が横になった時点で、翔一は子熊に戻って鹿の頭蓋面を被る。
「ダーク君」
宿精がようやく帰ってきた。
「やれやれ、本当に俺がいないとおまえは何もできないんだから。そうだ、これも使え」
精霊界から何かを出した。
「何これ、宝石のついたロッド……クマ?」
「昔、悪い女魔法使いを成敗しただろ。その時お前が拾っただろうが、忘れたのか」
「ああ、そんなこともあったクマだね」
「どう見ても、呪力を強化する便利アイテムだ。使わないのも損なだけだ」
翔一は祖霊を召喚するために、古代の呪文を唱え始める。
呪に乗って、異界に向かう宿精。
結界のおかげで、邪魔は入ってこない。
面とロッドはいつも以上に呪力を増す。
大昔の霊魂の大昔の祖霊を呼ぶという困難をそつなくこなした。
被体がそれを望んでいるのも大きく、そして、彼女の呪力も強大だった。
光が降りてくる。
「なんだ、あの光は……」
誰かの声が聞こえる。遠野とその部下が物陰からこっそり見ているのだ。
ぽかんと口を開ける遠野。
光の中に古代の装束を着た二人の人物がいた。
顔は逆光で見えない。
「父様、母様」
大絹姫の霊魂が立ち上がる。
怒りに燃えた怖い女がいつの間にか、小さな少女に戻っていた。
「絹は一人で怖かったの、寂しかったの」
「もういいのよ。一緒に帰りましょう」
女性の声。
「母様!」
涙を流し、女性に抱かれる大絹姫。
「ようやく会えたわ、絹。もう、怒りは忘れて、母とともに……」
泣きながら、うなずく大絹姫
大きな男の霊魂が翔一に会釈する。
「では、お帰り下さいクマ」
「ありがとう、獣の男よ」
男の声と同時に、光は消え、古代の霊は消え去った。
場には気を失ったアカネが横たわっている。
面を被った翔一は微動だにしない。
「今の呪力は……強すぎるぞ」
魂消た顔の遠野とその部下がしばらく無言で座っていた。
「関東最強霊能者、美濃部浄雲スペシャル! 廃旅館に悲しみの怨霊を見た! 美濃部オカルトシリーズ最大の危機を迎える!」
テレビから流れる、おどろおどろしいナレーション。
大汗をかきながら、お経を唱える美濃部。悲鳴を上げる女。正気を失ったAD。目まぐるしいカットインが番組の恐怖を盛り上げている。
「こうやってみると、美濃部さん凄い霊能者みたいクマ」
子熊の翔一がつぶやく。
「え、美濃部さんって凄くないの?」
詩乃が、食後のデザートを食べる手を止める。
「基本的に何も見えてないと思うクマです」
「なーんだ。そういえば翔ちゃんって、オバケ見えるって公佳がいってたわね」
「やっぱり。……あのおっさんの所為でとんでもない目に合ったわ」
園がぶつぶついう。
あの後、ダーク翔一が気絶した人を精霊で運んで、安全な場所で眠らせておいたのだ。
気が付いたときには旅館の外にいた。
カメラやその他忘れ物も固めて置いてあったので、彼らは這う這うの体で逃げたのだ。
しかし、辛うじて、最後の部屋に入った瞬間までは撮影できていたので、編集されて放送にこぎつけたらしい。
「撮影で危ないことでもあったの?」
「大丈夫よ、たぶん。でも……最後の部屋に入ったあたりからみんな記憶がなくて、気が付いたら、旅館の前の広場で熟睡してたの。アカネと翔ちゃんがいなかったからちょっとしたパニックだったけど、すぐ電話が入って大丈夫だって」
園たちが目を覚ましたのは三時ごろだった。
その頃には事件は終わっていたのだ。
「翔ちゃん、あの後何があったの? アカネと二人でどこに行ってたのよ」
「ええっと、それはその、秘密クマ」
「何よそれ。飯島さんも凄く知りたがってるわよ」
「翔ちゃん、いいじゃない。ヒーロー活動じゃないんでしょ」
詩乃に促されると翔一は断りにくい。
「うーん、じゃあ、簡単に説明するクマ。怖い怨霊さんがいたけど、アカネさんに取りついて東京見物したいっていいだしたんだよ。だから、タクシーに乗って観光してたんだ。皇居まで行ったら、もういい満足だって。そのまま成仏してアカネさんは解放されたクマ」
「……それ、素直に信じると思う?」
「翔ちゃんがそういうのなら事実よ。園、お姉さんなんだから弟のいうことは信じてあげなさい」
「お姉ちゃんでも、素直に信じられないこともあるの」
怖い顔をする園。
「僕は嘘ついてないクマ」
詩乃に助けを求めるように、彼女の背中に引っ付く。
「あらあら。嘘なんてついてないわよねー」
「クマクマ」
モフモフの体で甘える。
「全く……」
園は呆れてどこかに行ってしまった。
2021/4/22~9/2 微修正




