4 少年を襲う呪詛
数日経った。
「僕はあの時のことをあまり良く覚えていないけど、断片的に覚えているんだ。大きな熊を見たと思ったらあいつらが倒れていて。そして、あのフカフカの毛皮に顔をうずめていたんだ。あの正義の熊さんが僕を保健室に連れて行ってくれたんだよ」
あれから京市優次は御剣山翔一によくこの話をする。
「保健室に連れて行ったのは僕だけど、そんな熊なんていなかったよ。綾瀬先生に聞いたらいい」
これも何度かいった言葉だ。
「だから、僕は直接彼女に聞くんだ。熊を見ませんでしたかってね」
保険医の綾瀬は学校一の人気者だった。
特に男子生徒は用件もないのに彼女に話しかけたくてうずうずしている。
「フフ、それ、本当に聞く必要あるの」
「お、おい、翔一君。僕はそんな下心なんてないよ」
顔を赤くする美少年。少女のようなかわいらしさだった。
冗談をいいながら二人で保健室に行く。
珍しく人が少ない。
普段なら、仮病男子の十人くらいは常駐しているのだ。定期的にボディビルダーのような体育教師が追っ払っているが、今回はそれが原因ではないらしい。
「うわ、生徒会だよ。まずいかな」
京市が柱の陰に隠れる。
数人の腕章をつけた生徒数人が廊下に立ち、一般生徒を追い払っている。
中で誰かが綾瀬と話をしているらしい。
翔一は京市の後ろでこっそり聞き耳を立てる。
(あれ? 聞こえる距離だと思うけど聞こえない)
不思議に思い、霊視を使うと、保健室が何かの結界になっていた。
(認知を阻害している?)
やがて扉が開き、美少女が出てくる。
長くて真っ直ぐの黒髪。長身、鋭い大きな瞳。
聖美沙だ。
目が合う。
翔一はその強い眼力に思わず見とれてしまう。
つかつかと彼女が近寄ってくる。
思わず道を開ける翔一。
「あなた、京市君を助けた御剣山君よね」
「ええ、ハイ」
直立不動になる翔一。
ちなみに、京市も。
「あなた、変なものを見なかった? その時」
「ええっと、何も見てませんです。何かいたのですか」
「……熊よ。大きな熊」
「……」
「おい! 美沙様がお聞きになっているのだ、ちゃんと答えろ!」
取り巻きの大柄な少年が翔一を怒鳴る。
「これは何?」
美沙は翔一の胸元に光る緑石の素朴なネックレスを触る。
見える人間には見えるが、聖なる波動が周辺を打つ。
「……」
答えない翔一に怒り心頭だった少年は、何かを感じて無言になった。
一切魔力を持たない人間でも影響がある
廊下は静かになった。
聖美沙はそれ以上は問わず、無言で立ち去る。
取り巻き達は翔一を睨みつけながらも、あたふたとついていった。
「聞いた!? 生徒会も謎の熊を探しているんだよ。絶対いたんだ、正義の熊が」
京市の心には確信が芽生えた様だ。
「と、とにかく、綾瀬先生に聞いてみようよ」
翔一は京市を促すと保健室に入る。
「あら、京市君、具合はどうなの」
綾瀬は胸が非常に発達している。足も長く顔も小さい。モデルをやっていたという噂だ。
胸元のボタンが開き、スカートもかなり短い。
そういう着こなしが生徒の人気を上げている要因でもある。
「先生、翔一君は見てないっていってますけど、大きな熊を見ましたよね」
「熊? クマちゃんならそこに居るわよ」
綾瀬はお気に入りの熊のぬいぐるみを幾つも部屋に置いていた。
「いや、その、本物の熊です、毛皮で大きくてこげ茶で」
「あの生徒会長も同じこと聞いていたわ。その御剣山君のこともね」
「ぼ、僕は何も知らないですよ」
話を振られて慌てる翔一。
「やっぱり、翔一君何か知ってるんじゃない? だって……」
京市は突如声を止める。目が虚空を泳ぐ。
「? どうしたの君」
綾瀬が不思議そうな顔をしたが、京市の顔が真っ青になっている。
今の瞬間まで赤い顔をして元気そうだったのだ。
「おい、気を付けろ何か来ている」
突然、精霊界からダーク翔一の声がした。
翔一は霊視を行う。
京市の背中をなにか黒い腕のようなものが貫いていた。
「ゲボ! グボオオオオ!」
京市はいきなりしゃがみ込むと、大量の吐血をする。
床が一面血で染まった。
「キャアアアアアア!」
悲鳴を上げる綾瀬。
「呪詛だ、しかも、殺す気だぞ!」
ダーク翔一が怒っている。
「先生救急車よんでください!」
翔一はそういいながらとっさに、京市に翡翠のネックレスを外して掛けた。
ブオンと暗黒の腕は半分消えてなくなる。
「ち、なんて奴だ!」
どこかでかすれて低い男の声が聞こえた。
「すぐにネックレスを外せ! その餓鬼堪えられずに死ぬぞ!」
ダーク翔一が精霊界で叫ぶ、慌てて翔一はネックレスを外す。
このネックレスは異世界で神から授かった物なのだ。正式な名前はないが翔一は『エルベスの瞳』と呼んでいる。
神から直接授かった物を資格もない人間が持てばどうなるか。彼にも分らなかったが、よい筈がない。
とにかく、京市の内臓は呪詛でズタズタになっている。
翔一は特大の治癒精霊を彼にまとわりつかせた。
そして、精霊界から聖性精霊の受祚物を取り出すと、彼の首に掛ける。
「これで暫く安心だ」
「え、今それ、どこから出したの」
綾瀬は目ざとく翔一が精霊界から物を出したのを見たのだ。
「先生、とにかく救急車!」
「そ、そうだったわ」
彼女は走って出ていく。
翔一は京市をベッドに寝かせる。一応死んではいない。
足元に光る物体。
よく見ると血液の中に無数に転がっていた。
「これは、ガラス。ガラスの破片……!」
翔一の腹の中に怒りが貯まって爆発しそうだった。何者かが呪詛で少年の胸の中にこんな残酷な物体を押し込んだのだ。
怒りの余り、獣になりそうだ。
じっと我慢する。
「因果を追えないか?」
「ガラスが大量にあるからな、たぶん、できる」
「じゃあやってくれ」
ダーク翔一はおぞましい怨霊を呼び出した。
ガラスの匂いを嗅がせると、ふらふらと怨霊はどこかの方向に向かっていく。
大慌てで教師たちが駆け付けたので翔一は彼らに任せて怨霊を追った。
まだ真昼間なので怨霊の動きを追うのには、人間の姿の方が都合がよかった。
怨霊は住宅街を抜け、商店街に入る。
商店街の大通り沿いはそれなりに繁盛しているが、一歩奥に入ると廃屋が多く、人も少ない。
「警告、この辺りはテロ警戒地域です」
スマホがそのような音を出す、翔一は慌てて電源を切る。
隠密精霊を張った。
霊視をすると、幾条も魔力が走っている、
「気を付けろ、種類はわからないが、魔術の結界空間になっているぞ」
ダーク翔一が警戒している。
翔一はチビクマを出し、ジャラジャラとお守りセットを首に掛けた。
「クマクマ」
チビクマは小さな熊形の毛皮ゴーレムであり、お守りのような存在。知覚、魔術投射、魔術呪詛防御、浄化、小さな怪我の阻止などができる。尚、魔術使用はチビクマを通して精霊界からダーク翔一が行うこともできる。
大きく役に立つ存在ではないが邪悪な小技阻止には役に立つ。
「クマクマうるせぇぞ」
ダーク翔一が作ったくせに、いつもなぜか仲が悪い。
チビクマの特性として、空を飛べる。
偵察にも使えるのだ。
チビクマを飛ばして先行させつつ、こっそり怨霊を追う。
とある廃墟の雑居ビルの前で怨霊は消滅した。
「攻撃を受けたな」
「キュークマクマ」
チビクマが報告に来る。
「ビルの最上階に二人の男がいる。一人は老人。呪詛の塊。若い方はよくわからないんだね」
「油断するなよ」
敵のテリトリーに入る前に、熊に変身した。
やはり、人間形態では戦闘に不利なのだ。
ビルは雑居ビルで、五階建て。古くて外壁にひびが幾条にも走り、扉や窓枠もさび付いている。
ビルにこっそり入ろうと思うが、扉にお札が貼ってある。
「お、入れないクマ」
足が進まない。魔術的結界なのだ、かなり強力だった。
体を大型化する。身長百八十くらいにした。
そして、足元に鉄パイプが落ちていたので拾い守護精霊を纏わせる。
そして、渾身の殴り。
「クマア!」
扉は吹き飛び、結界も消え去った。
「もうバレバレだな。どうするよ、待ち構えているぞ」
ダーク翔一が心配そうに声をかける。
「あんな罪もない少年を残酷な呪詛で殺そうとするやつ。絶対許さないクマ」
翔一は全身の毛を逆立ててゆっくりと階段を登っていく。
が、ぴたっと足を止める。
毛皮にかすかな感触があったのだ。
見るとワイヤーが張られていた。
霊視するまでもなく機械の気配がある。壁の隅や天井。
普通の照明などの装置ではない。
翔一は精霊術師であり、機械との相性が悪く、そのため機械の存在には敏感だった。
「機械精霊を使え。現代的な罠はそれで全部終わりだ」
ダーク翔一が大量の機械精霊を連れてくる。
彼らは機械に取りつくと故障させるのだ。
「クマクマ」「クマクマ」
宿精がさらにチビクマをいくつか出して、精霊を機械に纏わせる。
ビル全体に精霊が満ちた。
いくつも罠があったが、全て故障する。
何本もワイヤーらしきものを引っ張り、コロコロと手りゅう弾が天井から落ちてきた。
しかし、機械精霊が物理法則を否定して何も起きなかった。
暗い階段を上り、扉の前に立つ。
翔一はこの世界に帰ってきて初めて戦いの恐怖を感じた。
これは彼にとって通常の反応だが、この世界ではもうそんなことは起きないと期待していたのだ。
しかし、邪悪な存在は現に目の前にいる。
逃げてはいけないという決意を固めると、最上階の扉を開いた。
2021/1/9~2022/5/1 修正済み。ルビなどを追加しました。