45 公認祓い屋と禍神 その2
一旦館に帰る。
「呪的逃走……初めて聞きますクマ」
翔一は拾った櫛をくるくる回す。
極彩色のかなり高価なものだ。目についたので拾ったが、騙された不快感がある。
もちろん、白姫をまんまと持って行かれたことが最大の不愉快だが。
土壁源庵がうなずいて説明する。
「呪的逃走とは、伝承でよくあるあれだ。英雄が地獄から脱出するときに三つのものを追跡者に拾わせて追跡を失敗させるという、どこにでもある物語のこと。その術の因果に巻き込まれた者は、物語の『登場人物』となり『再演』させられる。『再演』させられた者はひな形の役割をこなして同じ結果になるのだよ」
「つまり、僕は黄泉津大神の立場になるってことクマですね」
「ヨモツ? ああ、たぶんそうだ。時代が下ってから作られた神話だよなそれ」
どうやら、土壁源庵にとっては新しい神話でよくわからないらしい。
「あんた、古すぎだよ。日本神話も知らんのか」
呆れるダーク翔一。
「とにかくだ、神話の『再演』をさせる・する行為は最古で最強の魔術だ。それが神だろうが何者であろうとも、この呪力と因果には勝てない」
「見方を変えるなら、翔一殿をそれほどの脅威であると、あの若者は判断したのでござろう。侮れぬな」
球磨川風月斎が重々しく述べる。
「恐ろしい相手でした。動けない瞬間を襲われたら負傷は逃れられなかったクマです」
「禁呪だったか。最新技術だな。ハイカラな術を使いおって。これだから最近の若い者は」
源庵が腕を組む。
「おっちゃん、たぶん、相当古い技術だと思うぞ……」
ダーク翔一が呆れつつ突っ込む。
「とにかく、あの術を使われて、我らは精霊界から出られなかった。すまなかった翔一君」
謝る源庵。
木刀を出した後、あの青年が咄嗟に何かの術をかけて精霊界との通信を妨害したようだ。
「気が付かなかったクマ」
「あいつら、相当な実力者だ。翔一に術をかけて成功させるとはな」
ダーク翔一が敵を褒める。
「でも、ダーク君が精霊は出せたクマ。ちょっと変わった術ですね」
「禁呪……唐の方術や陰陽術ではないか。祖霊を訪ねて、禁呪やその他に詳しいものを探してはどうか」
風月斎の提案。
「じゃあ、俺さがしてくるわ」
ダーク翔一が深い精霊界に行ってしまう。
翔一は宿精を待つ間、師匠たちと話す。
「白姫様、助けないと」
「うむ、しかし、翔一君。あの女神は凶暴な存在ではあるぞ。いきなり贄と血を要求する。私ほどの存在なら祭祀もたやすいが、普通は扱いに苦労するだろう。あの者たちが邪神と決めつけて封印したのも、気持ちはわからんでもない」
「……しかし、あんなふうに一方的に……」
翔一は女神と気持ちが通った瞬間があったので、くやしさが消えない。
「あの者たちにも、あの者たちなりの正義があるのでござろう」
「戦いなんてのはそんなものだ。お互いに正義があって譲れないのだ」
源庵がうなずく。
「連れてきたぞ、女陰陽師だ」
ダーク翔一が帰って来た。
女の祖霊が一人、彼の背後にいる。
「ほう、子孫は熊なのか」
中年の女性、庶民の呪術者という雰囲気である。
「僕は翔一クマです」
「しゃべる熊じゃの」
「拙者は球磨川風月斎と申す」
「こちら、渋くて素敵じゃの」
何となく、頬を赤くする女。
「私は土壁源庵」
源庵が自己紹介すると、深々と頭を下げる女。
「萱津女と申します。大祖霊様。お見知りおきを」
萱津女は特に源庵には礼を尽くしている。
「かなり態度が違いすぎるぞ」
ダーク翔一が文句をいう。
「お主はこのお方のすごさがわからぬのか」
「俺も偉大な存在なのだ」
毛皮のモフ胸を張るダーク翔一。
「まず、魂の格を磨きなさいな」
「萱津女殿、ご教授賜りたい」
風月斎が重々しく告げると、
「して、聞きたいこととは?」
翔一は三人組の使った術を語る。
「ほうほう、それは方術の禁呪じゃな。特定の何かを禁止する。例えば、動くな! 例えば、喋るな! というように、特定の行為を指定をすることにより、術が効きやすくなる。小さく細かく指定すれば、相当な実力者にも効果があるのじゃ」
「息をするなとか禁じたら人を殺せるクマだね」
「そういう即死系の禁呪は難易度が上がる。本能が否定するからじゃ」
「あの若造は翔一君が異界から物を出すのを見て、それを禁じたのだな。我らは実体を持っていたから出られなかったのだ」
源庵が一人でうなずく。
「守護精霊が効かなかったクマ」
「禁呪は因果に魔力を載せるもの。直接の攻撃ではないのじゃ。だから、普通の守りは効かぬか弱くなる」
「しかし、禁止状態は呪詛だから対消滅は効いた。微妙だな」
「そうじゃ、禁呪は綱渡り。わずかなことで効果が無に帰す。上手に使うには腕前と頭の回転が必要じゃ」
そのような話をしていると、翔一のスマホに連絡が入る。
「あ、暗黒司令さんだ」
翔一は慌てて出た。
「治癒クマー君かね。宮内庁の話では、彼ら正式な魔物祓いであり、住良木一族のものだという。彼らが捕獲した魔物は太古に禍を為した。安全のためにもこの処置は致し方ないとのことだ」
「しかし……短い時間だけど仲良くやれそうだったクマ」
「彼らはあの魔物を式神にするといっている。宮内庁も特に問題視はしていない」
「魔物ではないクマです。山の神様ですよ。神様を道具にするなんて……」
「私は専門外だが、確かに、そのようなことをしていいのか疑問は残るな」
「住良木さんたちに会いたいクマ。白姫を解放してもらいたいクマだよ」
「……彼らと少し話したのだが、かなりかたくなで話し合いが通じる相手ではない。彼ら独自の倫理観で生きている。そんな雰囲気だ」
「でも会いたいクマ」
「トラブルなしで頼む。彼らもオカルト関連事案に関してヒーローと同じ仕事をしてもらっているのだ。内輪もめになっても困る」
「こちらから襲うようなことはないクマ」
「君が温厚な性格なのは私も承知している。しかし、君の兄が出たらとんでもないことになるだろう。『死骨仙』榊原を倒したことは呪術師たちの間でかなり話題になっているのだ」
「兄は本物の悪者を倒す時だけ現れるクマです」
「では、連絡だけは取ろう。ただし、向こうが断ったら諦めてくれ」
「わかりましたクマ」
数日後。
翔一は油上司と共に住良木一族の屋敷に招待される。
郊外にある巨大な館だった。
和洋折衷の美しい豪邸。
新しくはないが特別古いという様子でもない。しっかり手入れされている。
黒塗りの車から降りる二人。
油上司と治癒クマー。
「いいか、絶対、粗相はするなよ。私の将来がかかっているのだ。こんなことで汚点を残したくない」
「……」
翔一は聞こえないふりをした。
「返事がないぞ」
油上司が食い下がるが、翔一はムッとした様子で答えもしなかった。
「お客様、こちらへ」
家の門にメイド服を着た女性が待っていた。
油上司もそれ以上はいわず、二人は彼女の案内で屋敷に通される。
玄関では件の青年と男女の合計三人がいる。
「ようこそ、住良木裕一郎です」
「私は防衛会議の……」
「ご心配なく、お二人のことは存じております」
青年は満面の笑みでうなずく。
「ち」
壮年の男は翔一を睨みつけている。
「こちらが、遠野洋二氏、こちらが、二宮玲子」
裕一郎は壮年の男と秘書っぽい女を紹介する。
「お二人は我一族の関係者です。我一族は係累が多いのでね」
応接間に案内された。
ふかふかのソファーに座る。調度品などはシンプルだが、全て最高級品だ。
遠野と二宮は座らず、裕一郎の傍に立つ。
「今日は、どのようなご用件ですか」
裕一郎はゆったりと座り、長い脚を組む。
若いのに主の風格があった。
「はぁ、まあその。用件というほどのことではありませんが……」
汗をかく油上司、彼は上流階級の人間には本能的にこびへつらうのだ。
「白姫を解放してほしいクマ」
「……何をいうか、小僧が!」
遠野が怒鳴る。
「やめなさい。彼のいい分も聞くべきだ」
「あの神様のことは何も知りません、でも、僕たちが結果的に解放してしまった。責任があります。そして、祭祀は上手くいってました。時間をかければあのまま山の守り神になると思うのです」
「あの邪神がそんな都合よくいくわけがないだろう!」
「……」
「遠野さん落ち着いて。……クマ君の気持ちもわかるが、あの女神は遠くからきてあの山に住み着き、人々に多大な犠牲を強いた。そして、神代が終わる時代に我が先祖に封印されたのです」
「なぜ今まで放置していたクマ?」
「我らの言伝えでは、あのような神は無理に起こさず、自然に復活した際に再び封印すべきだと。あの者が現れるのは宿命の時が来たからであり、それ以外の時に我らが故意に起こせば封じることもできず禍になるだけだと。だから我々は監視するだけに止めて、いつでも対応できる準備をしていたのです。これは偶然ではありますが、一族の実力が高い時に運良く現れてくれた。これも天命であると私は思います」
実力が高い時といった時に、青年は男と女を見る。
この三人が一族の実力者なのだろう。
確かに、彼らは下手なヒーローより強いオーラを持っていた。
「そして、あなたを招待したのも運命が関係すると感じたからです。あなたの兄はあの『死骨仙』榊原を倒したというじゃないですか、それほどの実力者の弟ならあってみたい。あなたの兄にもね」
「兄は普通の時には来ないクマ。……運命だなんだといわれても、納得できないです。しかも、式神にして奴隷にするなんて。相手は神様ですよ」
一瞬、嫌そうな顔をする裕一郎。
神を式神にすることへの批判は翔一以外も口にしたのだろう。
「これは宮内庁も許可してくれているのです。日本防衛会議も反対はしていない。神を使役できるなら日本の防衛には非常に役立つからです。特に魔物妖魔関連への抑えとしてね。君も公認ヒーローなら立場上反対できないはず」
「そうだよ。治癒クマー。住良木様の仰ることが正しいぞ」
油上司は脂汗を拭きながら、翔一を睨む。
「神様を使役するなんて、悪者の考え方だよ。あの榊原とやってることは同じクマ」
「何をいうか、無礼者!」
「口を慎みなさい、この獣!」
遠野と二宮が激怒している。
しかし、裕一郎は二人を抑えた。
「……言葉では納得してくれそうもないのですね。では、白姫と直接対話されてみてはいかがかな」
「若、しかし……」
「裕一郎様。このような慮外者を……」
二人は止めようとするが、彼は立ち上がると翔一を促す。
翔一も無言で立った。
全員で白姫の元に向かう。
そこは道場のような場所。
大きな一室は木の床張りで、朱で魔法陣が描かれている。
旗や符が周囲にめぐらされ、かなり強固な結界であると推測される。
中央に白装束の白姫がいた。
力なくうつむき、座っている。
「白姫さん、大丈夫クマ?」
翔一に声をかけられると、顔を上げる。
気のせいか穏やかな顔だった。
「ああ、あの時の子熊か。あのおいしいものはないのか」
「今日は持ってないけど、ここから出してあげるクマ」
翔一は旗竿を手にしようとするが、慌てて、裕一郎が間に入る。
「約束を守ってもらいますよクマ君。何もしないはずです」
「いいのよ、もう。私は……」
白姫はあきらめたかのような態度だった。
「しかし」
「住良木のものよ、この子熊と二人で話したい」
じっと翔一を見る青年。
「わかったクマ、何もしない」
「信じましょう」
「若! いけません!」
「遠野さん、彼は大丈夫ですよ」
「……」
青年がさわやかな空気を残して去ると、部下の二人も不承不承部屋を去った。
「私は……あの男に諭されて、じわじわと昔を思い出している。お主から見たら、想像もできないほどの昔だ。私は巨大な何かの一部だったが、それは雷を受けてバラバラにされた。残った兄弟たちは世界に散って再起を期した」
「雷……」
「私はこの地に来て、大勢の者を殺した。人々は私を恐れ、私に贄を差し出すようになった。いつしか私はそれで満足するようになったのだ」
「……」
「だが、どこかでそんなことをする自分に疑問を感じていた。雷を受けてバラバラになった時、もう終わったというような安心感があったのだ」
「神様のお怒りみたいな感じクマ」
「そうだな、そうだったのだろう。そして、私は、ある日もう贄はいらぬと人々に申した、が、人々は私を恐れて贄を差し出し続けた。私は処分に困って近所に住む鬼の神に渡し続けた」
「あ……」
「ついに、とうとうその日が来た、白装束の男がやってきて、私を封じるという。私は受け入れた。抗わずに封じられたのだ。私の記憶はそこで止まっている」
「しかし、そうなら、またあの山に戻って……」
「あの地は私の罪も積みあがった山なのだ。離れた今、戻ることも無理があろう」
「……それなら、このままあの人たちの式神になるつもりクマ?」
「それも良いかもしれない。あの者たちは悪逆と戦い、私の力はそれにしか使わないという。……最初は不敬だと思って怒り狂ったが、徐々に昔を思い出すと罪が私を苛む。これで贖罪になるのなら……」
「白姫さん、僕はどうしたらいいのだろう」
「もう、行きなさい。私のことはもう……」
「わかったクマ……じゃあもう、行くクマだよ」
しょんぼりとして、背を向ける。
「待ちなさい。これを」
翔一が振り向くと、小さな麻の袋をくれる。
中で何か蠢く。
袋を開けると、白くて小さな蛇が入っていた。
襲ってくるようなことはない。大人しい奴だった。
「これは?」
「私の分身だ。あの山に放っておくれ」
翔一はうなずくと、首に袋をかける。
戸板を開けて、部屋を出た。
2021/4/12 5/9 6/13 微修正
2021/6/13 二宮の名前変更




