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43 女を殴る男

 ある日の午後。


 ガチャ。

 玄関の扉が開く。

「ただいま……」

 姉の御剣山みつるぎやまそのが帰ってきたようだった。

「園ちゃん、どうしたの?」

 母の詩乃しのは、園の声に元気がないことにすぐ気が付いた。

 園は何もいわず、すぐに自室に飛び込んでしまう。

「どうしたの、園ちゃん」

 心配した詩乃が園を問いただすが、園は心を閉ざしたかのように無反応。

 無理やり入った詩乃と園がいい合っている。

「どうしたの、その顔。誰に……」

「放っておいて! 勝手に部屋に入らないでよ!」

 激昂した姉。

 おろおろする母。

 翔一しょういちは心配したが、落ち着くまでは待つべきだと思って、宿題などをしていた。

 

 やがて夕食。

 姉がおずおずと現れる。

 ムッと甘い香りがした。

(何の匂いだろう。植物? 以前嗅いだことがあるような)

「いいからここに座って話しなさいな」

「僕は向こうに行っているよ」

「いいの、どうせわかることだから」

 翔一はびっくりした。姉の目が青く腫れている。

 どう見ても、殴られたのだ。

「姉さん、誰にやられたんだ」

 翔一の目が鋭くなる。

 思わず園は怖くなった。翔一が本気になった気迫は普通の人間に耐えられるものではない。

「いわなくてもいいわ。どうせあいつよね」

 詩乃には心当たりがあるのだろう。

「……」

「……ごめんなさい。それと、マスコミに写真撮られたみたい」

「何てことを」

 園は泣きながら、恋人の男の家を出たところを写真に撮られたと告白する。

「事務所の社長さんには、いったの?」

「いいえ、まだ……」

「顔を殴るなんてなんて奴なの。女が最も大事にしてる場所じゃない」

 詩乃が激怒している。

 彼女はあまり顔には出さないのだが、何となく匂いでわかった。

「……」

「私から連絡しておくわ。それと、あの男には二度と近づかないで」

 泣きながらうなずく園。

「だれなんだ、そいつ、僕が……」

「翔ちゃん、この話に関わっては駄目よ。大人で話をつけるわ。でもあなたにも知ってほしかったの」

「……」

「園ちゃん。今日は冷やしておいて、明日病院に行きましょう」

 園は母の言葉を聞いてさらに泣いた。




 翌日。

 学校の帰り。

 普段なら一切目を通さない写真週刊誌をコンビニで買う。

空山そらやま健太けんた、未成年恋人を殴るDV男の本性!』

 週刊誌にはセンセーショナルな見出しで小さな記事があった。

 園の名前も顔も伏せられてはいたが、明らかに彼女のことと思われる内容である。

 素性は事務所が手を回したのかもしれない。

「空山健太か……」

「翔一くん、凄く怖い顔してるよ……」

 親友の京市きょういち優次ゆうじがちょっと引いている。

「何でもないよ。今度どこかに遊びに行く?」

「いいけど、女装していい?」

「可愛かったからね。いいよ」

「君もやってみる?」

「僕は遠慮するよ。傷だらけの男がやっても見苦しいだけだから」

「その傷、整形外科に行ったら、多少消えると思うけど」

「うん、まあ、その内」

 京市の言葉に返事はするが、頭に入ってこない。


 その日はすぐに彼と別れて、河原に座り、スマホで情報を探る。

 何となく、家で調べる気がしなかったのだ。

「空山……ミュージシャン、俳優、ボクシング経験がある。ボクシングジムの仲間でバンド結成。人気はほとんど彼に集中している」

 動画サイトに彼のライブ映像があったので視聴する。

「うわー、下手糞すぎる……」

 ロックとラップを混ぜたような歌だが、最近どこにでもあるような心に残らない曲だった。

 反感を持っているから素直に評価できないということもあるかもしれないが。

「ひな鳥ガールズ、小学生たちの方が十倍はマシだよ」

 彼女たちの動画と比べて、レベルの低いイキッタ男の音楽をバッサリ否定する。

「空山、低評価ぽちっと。コメントも書いておこう『こんな音程外した歌手いるんだ。小学生アイドルにも劣る。最悪』」

 見ていると、高評価が付いたが、低評価が付いて反論がくる。

「なになに、『ケンタの音楽わからない奴は耳が腐ってる。ネットから出てこいよロリコンニート』うわ、むかつく!」

 翔一はなぜかここで三十分程レスバトルをしてしまった。

「ハァハァ、こんなことしてる場合じゃない! こいつの住所を調べないと」

 しかし、さすがに芸能人の住所となるとはっきりしたものは出てこなかった。

「うーん、ネットの情報はあるけど信ぴょう性が今一つだな。空山マニアみたいな人が偽情報流してる可能性もある」

「お困りのようだな」

 暇そうなダーク翔一が声をかけてくる。

「お姉ちゃん殴った奴を特定したいんだけど」

「因果のありそうなものはないのか。妖術で追跡してやるぜ」

「お姉ちゃんは車で移動してるから……術をかけながら移動とか、遠かったらかなり大変だよ」

「考えてみたら、姉から直接聞けないのか?」

「僕はこの件にタッチするなといわれている。大っぴらには動けない」

「女は友達に何でも相談する。お前のお姉ちゃんの親友に聞けばすぐ解決だ」

「お姉ちゃんはしばらく休むみたいだから、それもいいかな。学校で聞こう」




 翌日、学校。

 翔一は早速、姉のクラスに向かった。

 今は昼の休み時間。

「クンクン」

 通り過ぎる少女たちの匂いを嗅ぎ、園の匂いがする相手に話しかけるつもりだったが……。

「何というか、少女たちの匂いを嗅ぎまくる変態みたいだな」

「余計なお世話だよ、ダーク君」

「こいつら、毎日風呂入ってるから無理だろ」

 結局、この方法ではよくわからなかった。

 香水など、あまりに色々な匂いが混じりすぎているのだ。

 少女たちに直接話しかけるのは気が引けたが、そうするしかないかと決意を固めた時、

「あら、あなた、園ちゃんの弟君よね」

「はい、そうですけど、あなたは?」

「私、安達あだち美雪みゆきよ。お姉さんとは仲良くしているの」

 少女から微かに園の匂いがした。

(少なくとも接触があるのは嘘じゃない)

「姉さんのことに詳しいですか」

「ええ、まあ、それなりに」

「少し話を聞きたいんですけど。ナンパじゃないですよ」

「もしかして、空山のこと?」

「ええ、まあ」

「いいけど、あいつかなりやばい奴だから……無理をしたらだめよ」

 美雪とあまり使われていない何かの専門室に入る。

 他の生徒がちらほらいるが、あまり関心もないらしい。

 美雪は二人ほど更に友達を連れてくる。この学校らしくかなり美少女たちだが、お嬢様ではなく、概ね遊んでいる雰囲気だった。

「御剣山翔一です、姉のことで……」

「へぇ、初めて話しするけど可愛いわね」

「失踪している間どこにいたのよ。傷だらけって話だけど、本当ね」

 少女たちは嬉しそうに少年を取り囲む。

 翔一の手の甲や顔の一部など、恐ろしい刀傷やひっかき傷が見えている。

 頭の噛み痕は髪を伸ばしてごまかしているが、よく見ればわかる。

「記憶にないのです。ぽっかりと記憶が。それより姉のことですけど……」

 彼女たちと話していると、脱線が多くてかなり大変だった。

 しかし、概ねのことはわかった。

 空山は都内某所にマンション住まい。ガラの悪い仲間がいつもいる。

 芸能人の子弟が行くような場所に顔を出して、ナンパ三昧の日々を送っているらしい。

 あからさまに素行がよくない、しかし、イケメンなのでモテモテなのだ。

 そこまで聞いて、昼休みは終わるようだった。

 翔一は礼をいって去る。

「ヤクザと付き合いがあるって噂よ。危険なことはしないで」

 美雪は派手な少女だったが、心は優しいようだ。

 翔一はうなずく。




 数日後。

 翔一は帽子にサングラスという不審な姿で都内を歩いていた。

(あのマンションだな)

 隠密精霊を張って、静かにたたずむ。

 通り過ぎる人々は『石ころ』でも見たかのように翔一を無視した。

 姿を消す精霊ではなく、世界に溶け込むタイプの隠密精霊を出したのだ。

 しばらく観察していると帽子にサングラスといういでたちの男がマンションを見張っていることに気が付いた。

(姿が被るから嫌だなぁ。なんだか僕と同じような体型、小柄だし……マスコミかな? でも、カメラも何も持っていない)

 ふと、風向きが変わって彼の匂いが伝わってくる。

(? 嗅いだことがある!)

 家の中にある匂いだった。

 今は住んでいない人物。

(お父さん。だよね)

 その人物は翔一の父、天羽あもう栄二えいじだった。

 言動がよく物議をかもす人物で、アウトロー的な役柄が多い俳優だった。実際、裏の社会でも顔が効くともいわれている。

(お姉ちゃんのことできたのかな)

 マンションに動きはない。

 翔一は思い切って話しかけることにした。

「あのー」

「お、お前は」

 絶句する天羽栄二。

 近くにくると、小柄とはいえ彼の方が背は高い。

「お父さんですよね。僕は御剣山翔一です」

「翔一か、今は御剣山名乗っているんだな……」

「お母さんにそうしろと」

「……詩乃がそういうなら、俺は構わない。そんなことより、ここに何の用事なんだ」

「お姉さんが殴られたので……」

「カチコミにきたのか。ちっさいくせに。逞しくなったな」

 栄二はニヤッと笑う。

「そ、そういうわけじゃ」

「いいんだ。その気持ちだけで。しかし、無理はするな……」


 栄二は言葉をつづけようとしたが、マンションから人が出てきた。

 空山健太だ。

「お父さん、出てきましたよ」

「わかった、お前は見ていろ」

「しかし……」

 決然と、天羽栄二はその男に向かっていく。

 身長は頭一つぐらい空山の方が大きかった。手足が細長いが、胸はぶ厚い。

 戦いになれば、いかにもしぶとそうな男だった。

(大丈夫かな、お父さん……)

 どう見ても、ひ弱な感じがする。

「空山健太だな」

「何ですかあんた」

 空山も帽子にサングラスという姿。

「御剣山園の父、天羽栄二だ」

「ああ……殴ってすみませんでしたね。本当に反省しているんですよ」

 空山は思ったより素直だった。

「嘘をつけ、てめえ、何か甘いにおいするな。葉っぱやってただろ!」

 ぐっと胸ぐらをつかむ栄二。

 サングラスが落ちて、充血した瞳が見えた。

「な、なにをいうんだ。やってねぇよ!」

 動揺する空山。

「マスコミにチクられたくなかったら、二度と俺の娘に近寄るな! いいな!」

「俺は園ちゃんのことを真剣に愛しているんです。すみません。土下座でも何でもしますから、それだけは」

「愛だろうが何だろうが、葉っぱやって女の顔を拳で殴るような野郎は許せる分けねぇだろ! 二度とつら見せるな!」

 二人の声はあたりに響いている。

 近所の住人が何事かと見にきていた。

(さすが、お父さんド迫力だ……『葉っぱ』って大麻かな?)

 苦笑する翔一。

 体力では負けているだろう。しかし、気迫では負けていない。

「俺は園ちゃんに絶対認めてもらう!」

 空山はしつこい男だった。

 思わず、怒った栄二は空山のみぞおちを殴った。

 ぐっとうずくまる。

 その顔面をさらに殴った。

 空山は転がる。

(お父さん、喧嘩慣れしてる)

「娘の仇だ。このバカ野郎!」


 その時、

「空山さん、大丈夫ですか」

「何してやがんだ、この野郎!」

 二人の大柄な男が迫ってくる。

 噂のジム仲間だろう。服装はどう見てもチンピラでしかない。

 日焼けして細身で背が高かった。

 男たちはいきなり栄二に殴りかかった。

 栄二もボクシング経験があるのか、正面からの男の殴りはいなしたが、もう一人に回り込まれて、抱き着かれる。

 ボコ、ボコ、栄二の腹に拳が入った。

「う!」

 さらに顔面を殴る男。

「いきなり殴られましたから、正当防衛です」

 空山が気持ち悪い笑顔で、うずくまる栄二を見下ろす。

 カチャ。

 殴っていた男が金属製の警棒を出した。折り畳み式の小型の警棒だ。

 もう一人がブラスナックルを嵌める。

(お父さんが殺される!)

 翔一は練習用の木刀を出すと、

「チェストオオオオオオオオ!」

 いきなり彼らにとびかかった。

「白虎三段!」

 すさまじい奇声にびくっとした彼らは、何も対処できなかった。

 もちろん、対処できたとしても、翔一の木刀は早すぎて人間には見えない。熊にならずとも、常人に対応できる速度ではないのだ。

 跳躍の途中からテレポートのように消える。

 翔一が彼らの背後に立った瞬間、三人とも強打されてうずくまっていた。

(強そうな人たちだから、あまり手加減しなかったけど、死んでないよね?)

 翔一はやってから、かなり不安になった。

 しかし、微かに彼らの呼吸音が聞こえた、少し安堵する。

 遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえる。

「警察がきます」

「やばいな、すぐに逃げるぞ。お前もこい」

 天羽栄二は自分の車の方に走り出す。

 翔一は、一目、落とし物がないか確認してからその場を離れた。


 父の車に乗り込み、その場を離れる。

 しばらく走ったのち、かなり高級なマンションについた。

「俺の家だ。ちょっと休んでいけ」

 父に連れられ、重厚なマンションに入る。

「栄ちゃん、遅かったわね」

 美人が出迎えてくれる。

 栄二の恋人だろう。

朋美ともみ、息子の翔一だ。コーヒー出してくれ」

「栄ちゃん、怪我だらけじゃない!」

「初めまして」

 翔一はその女に一応頭を下げる。

 女はぶつくさいいながらも、台所に向かう。

「警察は大丈夫でしょうか」

「心配いらないよ。あいつらも武器出したからな。それに、俺は多勢に無勢状態だった」

「……そんなものでしょうか」

「それに、あいつは葉っぱやってる。匂いでわかるんだ。たぶん、警察には何もいわんよ」

「……」

 コーヒーが出てくる。

 飲むと、少し気持ちが落ち着いた。

「おまえの剣術は凄いな。示現流か?」

「ええ、似た感じの物です」

「俺も自信があったけど、あんなに速い動きの剣術なんて見たこともない。お前、本当あのひ弱な翔一なのか」

「失踪してからの記憶がないんです。失踪前も……」

「そうか、それは辛いな」

 しばらく無言になる二人。

「お前、噂に聞いているけど、体中が怪我だらけというじゃないか。父として見ておきたい」

 翔一は一瞬迷ったが、家族に嘘をつく自分に疑問も感じていた。

 するするとシャツを脱ぐ。

 凄まじい傷跡が現れた。

 切り傷、刺し傷、魔獣の噛み痕、拷問の跡……。

「なん、だ、これは……誰がやったんだ」

 声が低くなる。

 父が激怒しているのがわかった。

「お父さん、もう終わったことだと思います。僕は生きています」

「……しかし……」

「キャ! すごい……傷なの、それ」

 父の恋人が絶句していた。

「朋美、下がれ。見世物じゃないぞ」

 彼女はすぐに引っ込む。

「もし、何か思い出したら、すぐに俺に連絡しろ。そいつに思い知らせてやる」

「ありがとうお父さん。でも、もう、このことは終わったんです」

「お前何か憶えているのか?」

「……」


 小一時間、休憩してから、翔一は父に送ってもらう。

 車の中で少し話す。

「お父さん、姉さんのために戦ってくれてありがとう」

「親として当然のことをしただけだ。お前はこれに関わるな。これ以上」

「はい、でもカッコよかったです」

「そうか……」

 車が止まり翔一は家の前で降りる。

「お母さんとは……」

「いいんだ。もう終わったことだ」

 天羽栄二はそういうとそのまま去って行く。




 しばらくして、御剣山詩乃と天羽栄二の離婚は正式に成立した。

 お互いペナルティなしの離婚である。

 翔一と園の親権は詩乃がすべて持つ。


 そして、更に数カ月後、空山健太は大麻の所持で逮捕された。 




2021/4/7 8/24 2025/2/13 微修正

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