34 吸血神と英雄軍 その3
そこはどこか、暗くて荒涼とした平原だった。
地面は固く、ごつごつとした岩で構成されている。
空は暗いが、漆黒ではなく、星の光で照らされていた。
「ここはどこだろう。血膿の神は」
大熊の翔一はきょろきょろする。
しがみついていたアレクセイもどこかに消えた。
そして、ダーク翔一もいない。
彼は生贄を助けていたので、ゲートをくぐらなかったようだ。
(精霊界は閉じていないけど……)
精霊界を覗くと、ポケットの所持品は見えるが、他は遠い彼方にあるように思える。
精霊界ですら荒涼としていたのだ。
(さて、どこに行くか)
よく見ると、遠くに廃墟群のようなものが見える。
(遺跡? 古代のものかな)
他にあてもないのでそちらに向かうことにした。
風の音が強い。
翔一の鋭い聴覚でも、やや阻害されるようだ。
「うわ、やめろ!」
しかし、微かにこんな声を聞いた。
(アレクセイ?)
翔一は廃墟に向かう方角で聞いたので、少し急いで向かった。
かなりの数の存在の気配がある。
平原にくぼ地があり、そこにいるようだ。
白い剣を抜いて窪地を見下ろす場所に行く。
そこには百人以上の人間が一人の人間を取り囲んでいた。
彼らは様々な服装で武装もまちまちだったが、素人ではない。
そして、取り囲まれているのは、
「あ、アレクセイ!」
「た、助けてくれ、熊公!」
アレクセイは触手を展開して、大勢の敵と渡り合っているが、多勢に無勢。
銃で撃たれ、長いナイフで斬られ、槍で刺されている。無数の攻撃を浴びているのだ。
異常に頑強なのか、ふらふらと立ってい入るが、風前の灯。
(助ける義理は全くないけど……多少哀れかな、仕方がないクマだね)
「停戦! 停戦してください!」
翔一は言葉が思いつかなかったので、このような言葉で大声を出した。
巨大な熊の肺活量での大音量なので、全員の耳に達し、彼らはぴたりと動きを止める。
「ハァハァ」
アレクセイは攻撃がやんで思わず座り込んだ。
ひょいっと、ジャンプすると、翔一は彼らの中に入っていく。
「僕は皆さんと戦うつもりはありませんよ。皆さん人間ですよね」
彼らは翔一と、少し距離を開ける。
「貴様は何者だ、目的をいえ」
誰かが問うた。
「血膿の神をこの神器で懲らしめました。僕は倒すために追ってきたのです」
翔一は『エルベスの瞳』を皆に見せる。
清浄な力が辺りにあふれる。いまだかつて、この世界では見られなかった波動だった。
人々は隙のない視線で目配せをする、迷っている。
「大熊よ、貴様は奴の敵だというのか」
誰かが聞く。
「はい。僕は奴を倒します」
翔一は断言する。
人々は相談を始めた。
「勇者、だな。勇者。そうだ。彼は邪神を殺すものだ」
人々の一人、ハットに白髪白髭の背広の紳士が前に出ると、そう告げる。
「ようやく来たな。勇者よ」
白髭の紳士がうなずく。
十九世紀のイギリス紳士というような服装で、リボルバー拳銃を手に持っている。腰にはサーベル。
「確かに、異形。だが、彼は我らが望んでいたものだ」
杖にローブの男が答える。
中世の魔術師のような服装。
「待ったわ、長かった」
「ええ」
二人の女、巫女装束と中華風の女道士。
「勇者殿、お待ちしておりました」
びしっと居住まいを正して敬礼する、兵士たち。
戦争映画で見たような、日本軍や米軍、イギリス軍風の奴らもいる。
「あ、あなたたちは……」
翔一は絶句した。あまりに時代背景や武器武装がばらばらで、民族も全く統一がない。
ただ、共通しているのは戦いや魔術のエキスパートだろうということである。
「我らは、名もなき戦士。邪神に戦いを挑み、死し、そして、魂を奴の異界にとらわれている者たちです」
白髭の紳士が答えてくれる。
「じゃあ、皆さんは……」
「そう、時代は違えど、あの血膿の神に戦いを挑み、志半ばで人知れず斃れた仲間」
「ぼ、僕は……」
「そなたは、唯一、あの者を倒して、己の家に追い詰めた。我らが待ち望んだ勇者です」
杖の男が笑顔でうなずく。
「僕が勇者かどうかはわからないけど、あの怪物は人々を殺しているクマ。僕はあいつを倒す」
「我らも微力ですが手伝いますぞ」
道士風の老人が答える。
「そうだ、奴を倒すぞ」「今ようやくその時が来たのだ」「弾を惜しむな、魔力を出しきれ!」
人々は一度殺された者たちだったが、目は死んでいない。
宿敵との戦いに高揚している。
「僕の名前は……」
「我らは名もなき戦士、名もなき戦士の勇者は名乗らず正義を行いましょうぞ」
紳士が翔一の言葉を遮る。
「……わかりました。戦士の皆さん、一緒に悪を討ちましょう」
人々が武器や術を準備する気配が一斉に起きる。
「邪悪はあの『今は亡き種族の都』で傷をなめております。急いで向かいましょう」
杖の男がうなずいた。
「ところで、この小悪党はどうなされる」
青龍偃月刀を構えた武侠がアレクセイをつつく。
「拙者が真っ二つにして見せるでござる」
刀を構えた侍がアレクセイを睨みつけた。
「ま、待て。俺は犠牲者だ。奴と契約せねば、俺は滅せられていた。俺は心ならずもあの神に仕えていただけで、本心ではない!」
見苦しく、言い訳を始めるアレクセイ。
「全国民を自分の奴隷にするとかいってたクマ」
翔一は過去の彼の言葉を覚えていた。
「やはり、同情の余地はないようでござるな」
「俺はあの神を倒そうと考えていたんだ。ファビウスやこいつを率いれたのは、そういう思いもあったからだ!」
アレクセイは必死に弁明する。
「では、我らと協力し、率先して奴と戦うと誓え」
「わかった、俺も待っていたんだ。奴を倒す時を」
翔一はアレクセイが嘘をいっていないような気がした。
彼自身に善良さはなかったが、あの血膿の神に忠誠心があるようにも感じられない。トッドはそうでもないようだったが。
「この人は血膿の神を好きじゃないのは感じたクマ。でも善人じゃないと思いますよ」
「ならば、悪党よ。この契約書に己の血でサインするのだ。我ら名もなき戦士の一員となり、悪と戦うとな」
「断れば……ち、仕方がない」
戦士たちの厳しい視線に、アレクセイはしぶしぶ同意する。
羽ペンを持ち、自分の血をインクにして署名した。
新たな仲間たちと連れ立って廃墟の都市を目指す。
翔一は嬉しかった。
戦いにこんなに仲間がいたことは初めてなのだ。
彼らの素性を聞いてみたいとは思ったが、あまりにバラバラなので、聞き始めると切りがないようにも思う。
「邪神、血膿の神。奴は『真なる魔王』のひとかけらにして、無数の相を持つ神の一面」
白髭の紳士がつぶやく。
「すごく切りがない感じクマですね」
あれほどの凶悪な存在が、悪の一端でしかないと聞き、ややあきれる。
「それでも我らはあきらめませんぞ。悪は宇宙のかなたに消え去ればいいのです」
紳士そういってうなずく。
翔一との会話は主に彼がやっている。彼がリーダーなのだろう。
「術者が奴の玉座を包囲して、封印の魔術を施します。そして、突撃部隊が銃撃。敵がひるんだところを勇者と肉弾戦部隊がとどめを刺します」
「俺は……肉弾戦だよな。わかってるぜ」
戦士たちの冷たい視線に慌てるアレクセイ。
「神を封印できますクマ?」
「時間だけはありましたからな、我らの呪力を結集すれば……あるいは」
彼らも、そこは自信がないらしい。
「精霊界から援軍呼んでみるクマ。来ないかもしれないけど。ちょっと待って」
翔一は立ち止まると、いきなりごろっと横になる。
「なんだ、こいつ寝始めたぞ。猫じゃねえんだ、起きろ。進軍はどうするんだ」
アレクセイがあきれ顔。
「しっ。しずかに、彼は精霊界に魂を飛ばしたのだ、勇者の答えを待とう。我々は時間だけはある」
魔術師の言葉に、戦士たちは無言で待った。
「探したぞ、翔一。どこにいたんだ。というか、ここどこだよ」
宿精ことダーク翔一がやってくる。
「血膿の神の神界だと思うクマ。奴を封印するよ。力を貸してほしい」
「別にいいけど、あ、なんか来たな」
光り輝く魂の群れ。
「祖霊さんたちだけじゃないクマだね」
「わからんが、邪神に殺されたもの、間接的に被害にあった者たち。そういった因縁が引き寄せているんだろう。邪神なんてやるもんじゃねーな、それだけ恨まれてるんだ」
「皆さん、名もなき戦士たちに力を貸しほしいクマ。彼らの縁者なら、今がその時クマだと思う」
霊魂たちはうなずき、異界で待つ人々の背後に立って、呪力を増したようだった。
「ダーク君は依り代にとり憑いて、センターキャスターやってほしいクマ」
「まあいいか、やってやるぜ」
ダーク翔一はお気に入りの熊のぬいぐるみにとり憑くと、鹿の頭蓋の仮面をかぶる。
二人して、精霊界を出た。
「こちらのお方は?」
白髭の紳士が問う。
虚空から小さな熊のぬいぐるみが出てきたので人々は注目する。
「彼は僕の分身です。彼は呪力が高いので……」
「よろしくな、名前は名乗らないぜ。手伝ってやるから感謝しろよ」
翔一に名乗るのは止められている。
胸を張って上から目線の子熊。
「なるほど、彼なら邪神と対抗できそうだ。では、呪術はこれになります」
魔術師が教え始める。
「うげ、かなり厄介だな。まあいい、俺の才能なら朝飯前だ」
「お前の分身、微妙な奴だな」
アレクセイがつぶやく。
人々と廃墟に踏み込む。
ぶよぶよと気持ち悪い地面。
よく見ると、地面ではなく肉でできている。
生きたまま、知性を持ったまま、肉の素材として地面に練りこまれているのだ。
「……」「……」「……」
苦しみもだえる魂のうめきが聞こえてくる。
しかし、彼らの言葉に意味はない。すでに、存在として個ではなくなっている。
そして、彼らの魂は人間ではなく、はるか遠い過去に血膿の神の犠牲となった知的生命の成れの果てなのだ。
翔一も、人々も無言で進んだ。
都市の中央に高台があり、そこに大きな岩がある。
赤くそびえる触手の塊。
翔一は『白銀剣』と『水竜剣』を出して、意を決して進む。
「術者諸君は高台を包囲し、術を始めろ。他はゆっくり前進だ」
紳士は指示を出し慣れている、地位の高い人物だったのだろう。
「おう、任せろ」
ダーク翔一の元気な返事。
術者は小走りで高台を包囲した。
「熊殿」
「はい。みんな、行こう」
気合は十分、銃を構え、剣を抜き、銃剣や槍を掲げる。
肉の地面を踏みしめて、ゆっくり上っていく。
ブワ!
突如地面から無数の触手がわいた。
「落ち着け! 冷静に斬りおとすんだ!」
白髭の紳士が大声で指示する。
何人かが手足を取られるが、冷静に触手を斬っていく。
「白虎一剣!」
翔一は『白銀剣』で目前の触手の束を一気に斬りおとした。
連発して、自分と仲間の道を切り拓く。
「勇者に続け! 銃撃部隊は射撃開始!」
一斉に、マシンガンやライフルが火を噴く。
マスケット銃の戦士は一発撃ったら、肉弾戦に加わるが、それ以外の銃器はその場に踏みとどまって敵をけん制する。
彼らの銃弾は長年かけて呪術を施し、邪神を倒せるものに改良されていた。
肉の触手の塊は苦痛にあえぎ始めた。
地面の触手が引く。
「突撃!」
翔一先頭に、人々は高台の邪神に殺到した。
剣で斬り、槍で刺し、銃剣をひらめかせる。
邪神一体対戦士軍だが、無数の触手対戦士の戦いともいえた。
「ひるむな! 一本一本は大したことがないぞ!」「冷静に戦え!」「勇者殿を援護しろ!」
飛び散る血と肉。連射される銃弾。煙と血煙。
「ギャー!」
一人の戦士が、触手に手足を引きちぎられる。
しかし、すぐに仲間が殺到して、触手はバラバラになった。
(戦いが長引けば、みんながやられる!)
翔一は水竜のブレスを出して、一気に場を浄化した。
「ギャオオオオオオオオン!」
水竜のブレスは聖水である。血膿の神の触手群は一斉にひるむ。
翔一は触手の塊の前に立った。
担ぐように『白銀剣』を構える。
「剛刃素戔嗚! これで決める!」
「熊殿を守れ!」「おう!」
人々がまさしく肉の盾となり、翔一を守った。
危険を感じたのか、殺到する触手。命をかけて、翔一を守る名もなき戦士たち。
血で血を洗うような攻防になった。大勢の犠牲が出る。
(くそ! 集中するんだ!)
翔一は仲間を助けたい気持ちを抑え、雷気の高まりを待つ。
戦士たちを食いちぎる肉の触手。しかし、彼らは一切ひるまない。
肉の盾の中にアレクセイも立っていた。必死の形相で、他の戦士と同じ表情。すでにガスマスクはちぎれて飛んでいた。
「耐えろ! 勇者様を信じろ!」「死んでも耐えろ!」
戦士たちは叫ぶ。
「とうとう終わる。血膿野郎。俺を怪物にしやがって!」
アレクセイが吼えた。
いきなり、ザーっと雨が降り始める。
この異界の地に雨が降ったことは開闢以来ないのだ。
しかし、雨が降った。
そして、
一瞬、光に包まれる。
雷光。
人々が気が付いた時には、邪神の背後に巨大な熊が背を向けて立っていた。
真っ二つに割れる、触手の塊。
邪神はぐずぐずと崩れ落ちていく。
脈動する力はなく、腐って崩壊していくのだ。
血みどろの戦士たちは、清浄な雨に打たれて、穢れを地に落としている。
「悪は永遠にこの地に封じられ、永久に忘れ去られるのだ」
満足げな白髭紳士。
慣れた手つきで拳銃をホルスターにしまった。
解放された魂が光り輝きながら、虚空に跳んでいく。
戦士たちも笑顔のまま光となり、消えていった。
犠牲になった戦士たちも、血まみれの顔で笑顔になり光になる。
この異界に封じられた魂はすべて解放されたのだ。
(ありがとう、みなさん)
夜空を照らす無数のホタルのような魂の輝きを、翔一はいつまでもじっと見つめ続けた。
「クマクマ」
ひょいっと、虚空から小さな熊が現れる。
地面はすでに渇き、血のプールがあった形跡は、地面のくぼみだけであった。
「治癒クマちゃん、お兄さんはどうしたの」
「お兄さん?」
ヴェラに問われて、思わず、聞き返す。
ファビウスとヴェラが先ほどの洞窟の最奥で待っていた。
けがの痕はないが、血の汚れや服の破れ具合で、彼らが激闘を行ったことがうかがえる。
そして、捕まっていた人々が、意識を取り戻して、首を振って起き上がっている。
「大クマーさんのことよ、血膿の神と戦っていたわ」
(ヴェラさんは僕が大型化したのを見ていなかったクマ? まあ、それなら話は早いけど)
少し違和感を感じつつも、話を合わせる。
「お兄さんは恥ずかしがり屋さんだから、精霊界に帰ったクマです」
「あら、そうなの、少し話でもしたかったのに」
ヴェラは残念そう。
そして、背後に一人の気配が現れる。
「うわ! つ、いてて」
コートのロシア人。アレクセイだ。虚空から地面に転がり落ちる。
「チ、まだ生きていたのか。怪物め!」
ファビウスが、怒り狂って剣を抜く。
「ま、待て! 俺はもう怪物じゃない!」
「嘘おっしゃい!」
ヴェラもナイフを抜く。
「お二人とも、待ってほしいクマ。彼は混沌の力を失ったクマです」
翔一が彼らの間に立つ。
「……うむ。確かに、混沌性は消えたようだが……」
「普通の人間でもないようね。吸血鬼ではあるのかしら」
ファビウスとヴェラの目が光り、アレクセイを分析したようだ。
「この人はもう悪事はしないって、異世界で約束したクマです。これがその証文」
翔一がアレクセイ直筆サインの証文を見せると、二人は武器を収めた。
「……これがあれば、こいつは永久に悪事ができないわね」
「お二人に預けます。僕より、因縁深いと思いますので」
「わかった、私に任せてくれ」
ファビウスが受け取り、アレクセイが毒づく。
「ち、好きにしろ」
「で、結局、あの邪神はどうなったの」
「兄の話では、邪神専用の異界があって、そこには大勢の勇敢な戦士がとらわれていたのです。その人たちと協力して邪神を封印したから、もう二度とあいつは現れないですクマって」
「そうなの……ふう。よかった」
安どのため息をつくヴェラ。
ファビウスは不思議そうな顔をしたが、無言を貫く。
「じゃあ、こいつの身柄は私たちが預かるとして、生贄につかまった人たちは?」
「いつも通り、ここ一時間ほどの記憶を消して、外に出しておこう。ヴェラ君頼んだよ」
ファビウスがそういうと、ヴェラは面倒くさそうにうなずく。
「はいはい。仕方がないわ。こんな場所の記憶なんてない方が幸せだもの」
人々はファビウスの先導で、地上を目指す。
術は地上に出る直前、ヴェラが施すという。
翔一はかわいい京市少年を背負った。
「クマクマ」
洞窟を出るとき、小さな声が聞こえる。
「ありがとう、勇者」
思わず振り返ったが、誰もいなかった。
「僕、気絶していて、気が付いたら座席に座っていたんだよ」
授業の休み時間、京市が翔一と話している。
「へえ、僕はあの赤と白のヒロイン少女の活躍見てたよ。炎と氷でバッタバッタとグールをなぎ倒して、カッコよかったなぁ」
「ずるい、僕も見たかった! でも、不思議だなあ。なんで寝てたんだろう」
「怖いものでも見たんだよ、きっと」
考え込む京市。
「そして、不思議なんだけど、毛皮の熊さんにおんぶされてた記憶があるんだ。ふかふかで気持ちよかったけど……」
「さ、さあ、疲れてたんだよ。たぶん」
何となく焦ってごまかす翔一だった。
のどかな学校の一幕。
2021/3/22~2025/2/13 微修正




