2 明かされるクマの本性
巨大な炎。
燃え上がる空。
「ああ、あああ、そんな……」
御剣山翔一は驚愕の顔になって、唖然とする。
あの炎の中には、いつも一緒だった親友がいるのだ。
「そんな。そんなのいやだ……!」
迫る爆風。
翔一の声は掻き消える。
「……さん!」
名前が出ない。
「死んだらいやだ。死なないで!」
しかし、どう見ても、あの爆発の中で生きているわけがない。
「死なないで! お願いです!」
いくら叫ぼうとも状況は変わらない。
「僕は一人になる。涼子さんも、リリーちゃんもいない。ダナちゃんも帰った。僕は一人だ」
もがくように何かをつかもうとするが、なにもつかめない。
「ごめんなさい。連れて行かなかったらよかった。ごめんなさい。わかっていたのに……」
「翔一、翔一!」
はっと目が覚める。
暗い自分の部屋だった。
パジャマを着た母の詩乃が心配そうに翔一の顔を覗き込んでいる。
窓の外は暗く、まだ深夜のようだ。
「あなた、すごくうなされていたわよ」
「……」
翔一は身を起こす。
「死なないで、死なないでって。うわごとみたいにいっていたわ」
「……」
翔一はうつむく。
全てを話せたら。
一瞬口を開く。
しかし、声はでず、重く閉じてしまう。
「ごめんなさい。お母さん。僕は大丈夫」
「でも、毎晩うなされているのよ」
「……」
「何があったの?」
「……」
「その全身の傷は何? お母さんはあなたの味方。全部話していいのよ」
翔一は全てを告白したい誘惑にかられた。
しかし、首を振る。
「……何も。ありません」
ため息をつく詩乃。
翔一の頭を胸にぎゅっと抱き、すぐに身を離す。
詩乃は心配そうに翔一を見る。
「……」
うつむく翔一。
何かいいかけた詩乃。しかし、何もいわず翔一の部屋を出た。
階段を下りる足音。
姉の気配があり、母と姉は小声で話し合う。
「お母さん、翔ちゃんどうだった」
「大丈夫だって」
「嘘よ、全然大丈夫じゃないわ。毎晩すごくうなされているじゃない。……聞いたことがある。戦争に行って帰ってきた人みたい」
「……」
「昼間は普通に見えても、眠ると悪夢にうなされるって」
「あの子はとてもつらい目にあったのよ。可哀そうに……」
「つらい体験を自分からは喋らないっていうわ」
「……どうしたらいいのかしら」
「あの子が自分から話してくれるのを待つしかないわよ」
「……お父さんがいてくれたら。なんで、こんな時にいないの」
詩乃は思わず本音が出る。
少し、涙声だった。
「お父さんは逃げたのよ。あんな奴、どうでもいいわ!」
激昂する姉。
園が父に対する感情を激発させた。彼女が内心を発露させるのは珍しい。
「園ちゃん。そこまでいってはだめよ。……待ちましょう。まだ翔一は帰ってきたばかり。あの子は元気で五体満足。世の中には家族が失踪してとてもつらい目にあってる人は大勢いる。その人たちに比べたら私たちはすごく幸運なのよ」
「ええ、ごめんなさい」
「翔ちゃんはとても人にいえない目にあったのよ。でも、いつか話してくれるわ」
「……」
園は沈黙し、自室に戻る。
翔一の聴覚は鋭く、会話をすべて聞いてしまった。
彼女たちに沈黙を続けることも、重い苦しみだった。
(何か。そうだ、何か明かそう。いえることだけでもいいじゃないか)
翔一は眠れなくなり、朝方まで考え続けた。
帰還して、数日後の朝。
母と姉をリビングに呼んだ。
母は女優業を休業中。
姉は学校が休みだった。モデル業も今日は休みだという。
翔一にとって、二人の女性はまだ家族であるとは断言できない。
記憶がないのだ。
しかし、二人を家族と考えて覚悟を決めるしかない。
翔一はそう決意していた。
「お二人に大事な話があります」
ゆったりした普段着を着た二人、翔一も似たようなジャージを着ている。
詩乃と園は翔一の真剣な顔に呑まれて、静かに座る。
「何なの、あなたが失踪していたことと関係があるの?」
母には事前に話し合うことを告げていたので、お茶を用意してくれていた。
「翔ちゃん、今日、友達と約束したから、手早くお願いね」
「時間は取らせません、しかし、絶対驚かないことと誰にもいわないことを約束してください」
「なんなの、怖いわ」
母の詩乃が興味津々だった。紅茶をすする。
「実は、僕は人間じゃないんです」
「ぷっ、何それ、中二病?」
園が失笑する。
「やめなさい、園。翔ちゃんが真剣に話しているのに」
「やはり、実際を見ないとわからないと思います。驚かないでくださいね」
そういうと、翔一は怪訝な顔をした二人の女の前で変身する。
精霊界からぼんやり座っている子熊と体を入れ替えた。
「ほい、クマクマっと!」
変身はあまりに早い。
スローモーションで見ることができるなら、翔一の体は精霊界に吸い込まれ、全く同じ場所に子熊が現れたと見えるだろう。
「え、きゃ! なにこれ」
園が小さく叫ぶ。
詩乃は驚愕の顔だが、悲鳴はなかった。
「やっぱり、あのお風呂に居たのは翔ちゃんだったのね」
「クマクマ。そうですクマ」
「熊になったのに喋るのね、どんな仕組みなの。それに、語尾に『クマ』とかいわれても。現実感ないわ」
園は眼鏡を取り出して、翔一をまじまじと見る。
「どういうことなの、説明してくれないかしら」
「申し訳ないんですが、僕は失踪前後の記憶がありません。あるのはこの街の道路を歩いたところからクマです」
「え、じゃあ……」
詩乃の顔が曇る。
「僕が覚えているのは、お母さんの匂いです。僕は半分動物になってしまったので、匂いの情報は目で見た情報に近いものなんです。だから、お母さんが僕のお母さんなのは間違いないと思いますクマ」
「やっぱり、そうよ。翔ちゃんは私の子供よ。見間違うことなんてないわ」
そういうと、詩乃は子熊を抱きしめる。
「きゃー、もふもふよー」
「お母ちゃん、大好きクマ!」
「何これ、この子、最近現れた『異能者』ということなのかしら」
園が紅茶を飲みながら述べる。
「『異能者』? それはどういう人たちクマです」
翔一は初めて聞くワードに首をかしげる。
「首をかしげる姿も可愛いわ」
詩乃は翔一の頭にキスをする。
「あなたが失踪してから……直後よね。世界は様相が変わったのよ。今まで非現実と思われていた様々な存在が現実の脅威として表れているの。怪物とか妖怪とか……」
「また、その話ね」
ため息をつく詩乃。
「教えてほしいクマ」
「色々な人が現れているわ。多いのは超能力者。魔術士、妖怪、グール、吸血鬼、宇宙人。こんなところかしら。私も最初聞いたときは幼稚なデマだと思ったけど、実際、世界の幾つもの場所が彼らの領域になってしまったのよ」
「……」
「心配しないで、この街は平和よ。日本はそんなに被害がないわ。関東は千葉沖が怪魔の結界になって、そこから恐竜的な怪物が出るのと、長野県が天狗の領域になったわ。地方は色々とあるけど興味あったらネットでも見てみなさい」
「じゃあ、そういった、超常能力持った人は嫌われているクマ?」
「そうでもないわ、そういう人もいるけど。魔物ハンターとかヒーローとか、尊敬されている人もいるわ。異能者は半々ね、善悪が」
「世界の軍隊とか警察は何をしているクマ」
「自衛隊と警察は頑張ってるわよ。千葉で恐竜を倒し続けているし、ヒーローも手を貸しているわ。天狗は日本政府に協力するって宣言してるけど、今のところ正体不明ね」
「姉ちゃん、詳しいクマ」
「だれでも知ってる事よこんなの。お母さんぐらいよ、しらないの」
「わ、私だって、それぐらい知ってるわよ……」
微妙に自信のない言葉を発する詩乃。
「お母ちゃんは僕が守るクマ。心配いらないよ」
「ありがとう、翔ちゃん」
毛皮の翔一をぎゅっと抱きしめる詩乃。
「翔ちゃんあなた、僕が守るっていっても、そんな小さいクマちゃんで何ができるの?」
「僕は強いクマー」
「失踪していた間どこにいってたの、なんの記憶もないのに、自分が熊化するのはわかるとかおかしくない? それに、人間の時の傷だらけとか、全く覚えてないの?」
「えーっと、そう、多少は覚えているクマ。失踪前が凄く覚えてないけど、日本語とかトイレの使い方とかパソコンの使い方とかはわかりますクマ」
「日常生活は支障ないと、で、失踪中は何をしていたの」
園は尋問の手を緩めない。
「旅を……」
「旅?」
翔一の胸に様々な思いが去来する。
旅路の果てに起きたことも。
「な、何も思い出せないクマです」
翔一は詩乃の胸に顔をうずめる。
「ちゃんと答えなさいよ」
「園、もういいじゃない。翔ちゃんは帰って来たんだから。私はこれで十分よ」
詩乃が優しく翔一の背中を撫でる。
「お母さん甘やかし過ぎよ」
「そんなことないわよねー翔ちゃん。そうだ、シュークリーム買ってきたけど一緒に食べる?」
「食べるクマクマ」
翔一が答えると、一旦膝から降ろされて、詩乃は台所に向かう。
「お母さん、ずっと、不安定だったのよ。あなたが消えて、凄く自分を責めていたわ。仕事が忙しいからって翔ちゃんを放置していたってね。必死に探して、お金使って探偵雇ったり。警察も親身になってくれたわ」
「……ごめんなさい。でも、僕は悪者にさらわれたクマ。自分から消えたわけではないです」
「悪者? 誰なの」
「もう死にましたクマ。心配しないで」
「憶えているなら教えなさいよ」
「……知らない方がいいと思うクマ……」
失踪中にあったことは、今のこのご時世ならある程度は理解されるだろうと思う。しかし、知ればあの異世界の因果に巻き込まれるかもしれない。
「なんなの。それ」
「さあ、できたわ。コーヒー好きだったわよね、翔ちゃん」
翔一はコーヒーをすすり、シュークリームを頬張る。
「おいしいクマー」
「すごい食欲ね、この子、こんなに食べたかしら」
「あたしのあげるわ、翔ちゃん。私、ダイエットしてるから」
園がシュークリームを翔一の皿に乗せる。
「ありがとうクマクマ」
「そうだ、今度親戚の皆さん呼んでパーティしましょう。凄くご迷惑かけたから。事務所の人も呼ぶわ。事務所の社長さんにもお世話になったし」
「おばあちゃんとおじいちゃんも喜ぶわよ……お父さんの方は呼ぶの?」
「あの人は死にました。あの人の係累はいないものと思いなさい」
ニコニコ笑顔だった詩乃の顔が、スーッと能面のような冷酷な顔になる。
翔一は恐怖のあまりシュークリームを皿に落とす。
「そ、そうよね」
園が焦っている。
翔一が急いで食べ終わると、詩乃は無言で皿を片付け、台所に行ってしまう。
「そういえばお父さんは見かけないクマ」
「し、禁句よそれ」
「何があったか教えてほしいクマ。知らないとお母さんを怒らせるかもしれないです」
「……世情が混乱してたからあまり騒ぎになってないけど、お父さん、天羽栄二はね、あなたが失踪してた時、若い女とホテルに居たの」
「ホテル……」
絶句する翔一。
「あの下半身砲、週刊文秋のスクープよ。前からお父さんは色々あったけど、息子の失踪時にやらかしたから、お母さんのファン中心に激怒したわ。でも、一番怒っているのは本人よ」
「離婚したクマ?」
「まだね、お父さんがハンコ渋ってるから、弁護士立てて協議中よ。あなたのことさがしてた探偵がばっちり証拠も押さえていたから、裁判で勝てる可能性は皆無だけど」
「お父さんはそんな人だったクマー。ご先祖は立派な人が多いのに残念クマ」
「先祖? あんたなんでそんなことがわかるの?」
「あれ、なんでだろう、思い出せないクマー」
「本当に白々しいわ」
そういうと園は席を立つ。
彼女の後姿を見つめながら、いつか全てを明かせる日が来ることを願うしかなかった。
翔一はその日から子熊形態で就寝するようになる。
不思議と悪夢を見ることが少なくなった。
2021/1/30 サブタイトル修正
2021/2/20 微修正