22 神隠しの山と家族の絆 その1
快晴の山。
ここは東宮市北部の自然公園である。
ハイキングを楽しむ家族連れやカップルが散見される。
「母さん、姉さん、遅いよ」
翔一は簡単な荷物を背負って、緩い山道を歩いている。
「翔ちゃん、凄く元気ね。昔来たときはフウフウいって、私たちの後ろついてきたのに」
母の詩乃が笑顔。
「お父さんが、あの時……」
父の話題を出そうとして、無言になる姉の園。
父は現在愛人と暮らしているという。
「……」
母は一瞬、表情が凍り付く。
話題を変えるためにキョロキョロする翔一。
「あ、あれ見て、鹿がいるよ」
翔一が森の中を指さす。数頭の鹿が驚いたように一行を見ている。
人獣の匂いに気が付くと、慌てて逃走した。
(匂い抑える精霊付け忘れている。野生動物さんたちが驚き過ぎるから、次は気をつけよう)
翔一はそう思った。
「とにかく山頂を目指しましょう、そこでお昼ご飯食べるから」
「お母さんのお弁当楽しみだなぁ」
翔一は母の料理が大好きだった。本当においしいと思う。
山頂付近でも森はうっそうと生い茂っている。
日帰りハイキング向きの山なのだ。標高は低い。山より丘といった方がいい。
しかし、あまり整備はされていない。元々自然に近いことが売りであり、市の予算も少ないからだ。
「山頂付近は道もがたがたね」
園が小さく文句をいう。
あと少しで山頂という場所で、二人の男女がぼんやりと立っていた。
かなり年配の夫婦だろうか。
景色を見ているわけではないらしい、大きな岩の前に立ち。無言で突っ立っている。
異様な雰囲気に三人はなるべく離れて無言で通り過ぎた。
「あれ何なの、景色見るわけでもないし」
「関わらないでおきましょう」
母は園を促す。
少し離れたところで、彼らの声がかすかに聞こえる。
「……痕跡だけでもいいの」
老婦人の声がかすかに聞こえる。
「いつか、いつか見つかるさ」
老いた男のつぶやき。
(無くしものかな?)
翔一は少し気になったが、関わらず山頂を目指す。
山頂についた。
低い山だが、市街が一望できる雰囲気のいい場所だ。
展望をよくするために、山頂付近の木は伐採され整備されている。
しかし、現状は市の管理も不十分な雰囲気ではあった。
「市も予算がないから……」
昔来た時より、荒れている状況を少し弁護する詩乃。
翔一は特に気にもせず、荷物を背中から降ろした。
御剣山家以外にも、二三組の家族づれが、市の設置したベンチなどで食事をしている。
手頃なベンチに腰掛けると、リュックサックから弁当を取り出す。
「今日はだし巻き卵と、総菜諸々。翔ちゃんおにぎり出して」
「私ちらし寿司作ったの食べてみて」
母と園も料理を広げる。翔一はおにぎりを背負う係りだったのだ。
「おいしい、ク……おいしいですよ、お母さん」
パクパクとおにぎりを食べる。
ちらし寿司を貰って、それもパクパク食べた。
「よく食べるわねぇ、本当に」
園の呆れ顔。
「いっぱい食べてね。昔はあんまり食べてくれなかったから心配だったのよ。それに、凄くたくましくなったわよね。細身だけど」
「剣術やってるから」
「だれに教わったの?」
「そ、それは、その、漠然としか覚えてないんです。大柄な着物の人だったかなぁ。すごいなまりだった。たぶん九州の人」
翔一の師匠は遠い先祖だった。故あって、精霊界で彼から直接指導されたのだ。
最近会っていないが、会おうと思えば会えるはずだ。
尚、祖霊との会話は精神的なものなので、言葉は必要ない。
「へぇ、そういえば御剣山家は江戸時代中期までは九州だったのよ」
園も珍しくしっかり食べている。歩いて空腹だったのだろう。
「そうなんだ」
「お父さんの家も……」
父のことをいいかけて口をつぐむ詩乃。
「お父さんも九州なの」
結局、園が言葉の後を継ぐ。
「そうなんだ」
翔一はそれ以上聞かなかった。朗らかな母が塞ぎ込む唯一の話題なので。
食事も終わり、
「ねえ、翔ちゃん、いつも家では丸太を叩いているけど、剣術の技とかあるんでしょ。ちょっと見せてくれない?」
園が興味津々という顔で聞いて来る。
(まあ、ここなら広いしいいかな)
「うん、いいよ」
翔一はそういうと、手頃な枯れ枝を拾い、少し離れた。
枝を構え、一瞬、無言になって気を高める。
「キエェェェェエエエエエエエ!」
いきなり奇声を発すると、二十メートルほどを数歩で一気に跳躍した。
思いっきり、空を斬る。立て続けに三段。
「飛んだわ……すごい距離」
「……」
園と詩乃は穏やかな翔一の凄まじい気迫に驚きを隠せない顔をしていた。
(ちょっとやりすぎたかな。人間形だから力落ちてるんだけど)
何事かと見に来る人がいるので、枝を捨てると、何事もなかったかのようにベンチに座る。
お茶を飲む。
言葉が少なくなり、少し無言になった。
家族三人、遠くを眺める。
「えーん、えーん」
翔一の耳に微かに、小さな女の子の泣き声が聞こえてきた。
「二人とも、女の子の泣き声が聞こえませんか」
そういわれて顔を見合わせる詩乃と園。
「そうね、確かに聞こえるわ。こちらの方よ」
詩乃は微かに聞こえたらしい。彼女が指した先は森の中だ。
「僕は熊になって探してきます。女の子が一人で迷子になってるなんて放っておけませんよ。お二人は一時間待って帰ってこなかったら下山してください。僕はスマホ持ってますから山の中でも通じます」
「無理をしては駄目よ。女の子見つけたら連絡して、すぐに警察を呼ぶから」
「何かの気のせいかもしれないですからね。ちょっと待っていてください」
ちらっと見ると、食事を楽しんでいた家族は去っていた。
替わりに先ほどの老夫婦が弁当を広げているが、食欲もないのか食べずに遠くを眺めている。
彼らから見えない位置まで森に入り、草叢の影で子熊に変身する。
「クマクマっと。やはりこれが一番クマー」
クンクン匂いを嗅ぐ。
微かに、人間の匂い、小さな女の子の甘い匂いがした。
翔一はすぐにそちらに向かう。
渓谷を下っていく。
森を下り、抜けると、小川があり、河原に赤い振袖を着たかわいい女の子が石の上に座っていた。
子熊形だと女の子は喜ぶが、このような場所だと怖がらせてもいけない。そう思って人間に戻る。
「君、一人なの」
「……」
あどけない顔で振り向く。昔助けた小さな女の子を思い出したが、ここにいる彼女は黒髪と黒い瞳をした日本人の女の子だった。
「お父さんとお母さんは、いないの?」
うなずく少女。
「どこから来たの」
少女は指さす。ハイキングコースを外れたかなりの山の中だ。
人が入っていく場所ではない。
翔一はこの山の中で泥汚れ一つ付けず、振袖を着た少女がいることを当然怪しむ。
霊視をした。
(特に異常はないな……)
翔一は辺りに大人がいないことを確認し、大声を出して大人を呼ぶが、返事もない。
母に電話をする。
しかし、出なかった。
「おかしいなぁ。どうしたんだろ」
園にかけても出なかった、嫌な胸騒ぎがする。
しかし、この女の子のことも放っておけなかった。警察に電話をする。
「はい、東宮署です」
翔一はハイキング中に、身元不明の少女を保護したことを伝える。
「わかりました、スカイレンジャー隊を派遣します。スマホの電源を切らずにそこでお待ちください」
近年、警察は頻発するテロや犯罪に即応するため機動力を強化している。スカイレンジャーはその一端である。
ヒーローに任せて傍観しているような人たちではないのだ。
翔一はほっとした、十分以内に到着すると聞いたからだ。
待っていると、本当に中型のヘリ的なものが現れ、二人の機動警察がロープで降りてきた。
「君が通報した少年、御剣山翔一君だね、そして、その子が保護した少女」
「ええ、そうです」
翔一は学生証を見せた。
警察はスキャンする。
「了解した、君の身元もしっかりしている。子供を保護してくれてありがとう翔一君」
「当然のことをしただけです、それより、先ほどから山頂で待ってるはずの母と姉が電話に出ないんです。行ってもいいですか」
一人の隊員が、少女を抱きかかえるとヘリに乗せてしまう。
「君にも一緒に来てもらって事情を聞きたいのだが」
「僕の保護者は母です。母の了承を得てからじゃないと……」
未成年や保護者というのは警察にとって鬼門の言葉である。
「……そうだね、身元もはっきりしている。後日改めてお伺いすると思うがいいかね」
「ええ、いいですよ」
警察はうなずくと、すぐに去っていく。
翔一は熊に戻ると、かなりの高速で山頂に向かった。
山頂は無人だった。
景色を眺めてのんびり座っていた家族連れや、先ほどの老夫婦もいない。
ベンチを見ると、弁当箱などが放置されていた。
(どこか行くにしても、連絡もなく、連絡も取れず、弁当箱を放置したまま……)
翔一には二人の女性が攫われたようにしか思えなかった。
霊視する。
精霊の力に満ち溢れていた。
「人を追うなら、妖術だぞ、翔一」
嬉しそうにダーク翔一が声をかけてくる。
断りたかったが、誘拐というものは一分一秒でも早く助けないと危険が大きくなるのだ。
「因果を手繰るクマ」
「いいぜ、何かあるか」
翔一は二人の唾液が付いた割り箸を拾うと、術をかけた。
「見えたな、あの山だ」
因果の筋は真っ直ぐ一つの山を指していた。先ほどの少女が指さしていた山と同じだった。
「あそこに行くクマ」
その山はハイキングコースからは外れている。
人間形では難しい地形だろう。
しかし、翔一は熊の姿で行けば簡単に森に浸透できた。
(人の匂い!)
しばらく行くと、人が二人倒れていた。
大きな木にもたれかかっている。
微かに呼吸しているので死んでいるわけではない。
「先ほどの老夫妻クマ」
「魔術か超能力で眠らされたという雰囲気だ。殴って倒した訳じゃない」
「危険な奴が潜んでいる。そう考えるしかないと思うクマ」
翔一は彼らのバッグを枕にして置き、そっと寝かせる。そして、しずかに進む。
「おい、何か術を感じたぞ」
「僕も感じたクマ」
「キュークマクマ!」
チビクマが精霊界から飛び出してきた。
彼が邪悪な術を吸ったのだろう、かなり膨れ上がっている。
「結界があるクマ。このままでは攻撃を受けるばかりで進まないよ」
「叩き壊せよ、こんな術」
「ウフフ、熊さん」
翔一はそう思って『水竜剣』を抜いた瞬間、可愛い声が聞こえる。
振り向くと、先ほどの少女が木の影にいる。
「あれ? 君はさっき、ヘリで……」
「気を付けろ、あいつ実体がない」
「幽霊、とはちょっと違うクマ」
「幻影だ、少なくとも」
少女は笑顔で手招きする。
近づくと、少女は翔一に抱き着く。
「可愛いわ、熊さん」
実体があるように感じた。女の子の可愛い匂いがする。
「僕はお母ちゃんとお姉ちゃん探しているクマ。見ていないか?」
「……こっちに来て」
少女は身を離すと、翔一のモフ手を掴んでどこかに案内する。
「気を付けろ」
ダーク翔一の声。
「大丈夫クマ」
翔一は霊視を繰り返している。少女のオーラは純粋無垢だった。
「彼女は綺麗なオーラクマ」
「綺麗だからといって善とは限らんぞ」
「少なくとも悪意はないクマ」
「さっきから、ぶつぶついってるわよ熊さん。おかしいの、ウフフ」
彼女にはダーク翔一の存在は見えないらしい、声も聞こえない。
少女と鬱蒼とした森を歩く。
彼女はよく笑う。とても可愛らしい少女だった。
毛皮がお気に入りで、毛皮を撫でる。
彼女といると、何となく楽しい気分になる翔一だった。
気が付くと、山の頂上に続く、それなりに立派な石の階段に到着する。
「この先から入ればいいわ」
「だれが待っているクマ」
「とっても怖い奴。悪い奴よ」
「僕は悪者からは逃げないクマー」
「うん」
少女はにっこり微笑むと、ふっと消えた。
翔一は意を決すると、ゆっくり登っていく。




