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1 勇者と学校

 晴れ渡る空。 


 春の日の早朝。

 少し寒いが、爽やかな空気に満ちている。


 御剣山みつるぎやま翔一しょういちは街を見下ろす豪邸のバルコニーの上で優雅にコーヒーをすすっていた。

 デッキチェアに腰掛け、遠くを見つめる。

 忙しくなる時間にはまだ早く、空は少し暗い。

 毛皮の生えた丸短い指で、音楽専用端末の操作をする。

「ふう、やっぱり、メタルは最高クマー」

 彼の耳にはイヤホンが装着され、世界を席巻する女性メタルシンガーの歌声が響いていた。

 凶暴なドラム。

 世界を引き裂くようなギター。

「フフ、このリフが最高クマ。バックバンドたちもあえていうと神。だが、しかし、その男たちの凶暴な音に一切負けず、会場を圧する女王のクリーンボーカル……」

 彼が聴いているのはライブ音源CDのようだ。

 モフ拳を振り上げる。

「一言でいって、神。クマー!」

 などと独り言をぶつぶついいながら、さらにコーヒーをすする。

「ふぅ。最高級のブルーマウンテンに敵うものはないクマ」

 芳醇な香りが彼の鼻腔を満たす。

 昨日、母がスーパーで買ってきたコーヒー、三割引きのシールが袋に貼られている。

 遠くでは、車が行き交っていた。

 人々が朝日の中、会社や学校に向かう姿が見える。

「忙しい毎日が始まるクマ。しかし、この早朝、僕だけの贅沢なひと時……やめられないクマ、フ」

 思わず「フ」が出る翔一だった。


 どどど、

 階段を上ってくる足音。

 ガラガラと、背後の扉が開く。

「あー、また熊になってる。翔ちゃん、ダメじゃない! お母さんにいいつけるわよ」

 騒がしい女の声。

 ほっそりとして背の高い少女が立っていた。ブレザーにかなり短いスカートの学生服。

 ポニーテールの美少女、学生兼モデル。

 それが彼女の職業。

「姉ちゃん、台なしクマ。僕の優雅なひと時を邪魔しないでほしい」

 そう、翔一は子熊だった。

 手の形が丸く人間的で、短い爪が生えている。全体はデフォルメした子熊のような姿。

 丸い耳に丸い体。濃い目のベージュ色の毛皮。 

 そう、彼は、人熊。

 熊人間だった!

「優雅なひと時じゃないでしょ、のんびりやってたら遅刻するじゃない」

そのちゃん、女の子がドタバタ階段を上ったらダメよ」

 ちょっとおっとりした感じの女性の声。

 階段を上ってくる。

 ウエーブのかかったロングヘアー。三十代後半の女性。

 背の高い美女。

 女優の御剣山みつるぎやま詩乃しのという。

 彼女が翔一の母親だった。

 姉は御剣山みつるぎやまその

 どちらも、美女といえばそれまでだが、詩乃はおっとりとした性格で母性豊かなのに対し、園は勝気なところがあった。

「お母さん、翔ちゃんまたクマちゃんになってるの」

「あらあら、もう、ダメよ。人間の姿に慣れないと」

 翔一は故あって、ライカンスロープの一種、熊人間にされてしまったのだ。

 そして、なぜか基本形態が子熊だった。

 人間形態を維持するには多少努力がいる。

「この姿が一番楽クマー」

「クマーじゃないでしょ。早く人間になりなさい」

 園はいらいらしている。

「でも、五分だけ待って」

 詩乃はそういうと、子熊翔一を胸に抱いた。

「ああん、可愛いわ」

「お母ちゃん大好きクマー」

 翔一も詩乃にしがみつく。

「お母さん、翔ちゃん甘やかし過ぎよ」

「でも、この毛皮ふかふかなの。それに、人間の時は甘えてくれないのよ」

「翔ちゃん、子熊の時、ちょっと小さい子供みたいになるわよね」

「たぶん、神様の決めたことだと思うクマ」

「どこの神様?」

「き、記憶にないクマ」

「ふーん、本当かしら……」

 園は翔一を疑いのまなざしで見る。

「そ、そうだ、そろそろ、学校に行く準備しないとダメだと思うクマ」

「じゃあ、人間になりなさい、翔ちゃん」

 詩乃は子熊をすりすりしてから、床に置く。

 翔一は一瞬で人間になった。

 ブレザーの制服を着た小柄な少年が現れる。

 人間になると思った以上に鋭い目と精悍な顔。よく見るとあちこちに傷跡があった。

 制服は姉と同じ学校なのだろう、ブラウンとグレーで色彩が同じ。

「ちょっと襟が曲がってるわ」

 詩乃がかいがいしく少年の服装を整える。

 これは翔一の学校、東宮聖霊学園の制服である。

 女性二人の前に立つと、翔一は明らかに二人の家族より小さい。

 翔一は失踪して一年経ってから戻ったのだが、上方向への肉体の成長はほとんどなかった。筋肉は相当ついたが、細い鞭のような筋肉であり、服を着るとわからない。

 顔つきはかなり鋭くなったが。

 女性二人は現役のモデルと、元モデルである、背は高い。

「翔ちゃん、小さいわよね。お父さんに似たのよ」

 園が翔一を背後から軽く抱く。

「お父さんは死んだの、あの人のことは話題にしたくないわ。さあ、もうご飯ができているから、食べてから行きなさい」

 すっと冷たい目になり、詩乃は階下に降りていく。

 翔一の父は天羽あもう英二えいじという。彼も有名な俳優だったが、翔一が失踪している間に、若手のモデルと不倫三昧をしてしまい、詩乃から緑色の紙を突きつけられている。

 家族の不幸中での不倫だったので世間から猛バッシングを浴び、土下座会見までしたのだ。

 彼は男性アイドル上がりであまり大きな男ではなかった。

 翔一が小柄なのはこれが原因だろう。

 尚、元から女性関係の絶えない人物だったので、これでもファンが途切れてはいない。少年が帰ってきてから、涙の謝罪インタビューなどを行い世間から多少許され始めている。

 しかし、もちろん、詩乃は彼の話題を出すとこれ以上ない冷酷な目になるのだった。

(お父さんの話題が出ると、怖いクマー)

 翔一はいつもそう思う。




 学校にはバスでいく。

 翔一は両親が芸能人という恵まれた家。

 はっきりいえばかなりの金持ちである。

 彼の通う東宮聖霊学園は高級住宅街から通える位置にあり、生徒たちもそれ相応の家庭の子供であった。

 バスに乗っている子供たちも、気品のある人間が多い。礼儀正しく大声を上げたりしない。

 このような、街の雰囲気、人々の姿、街の景色……これが彼の生活だったはずだ。

 しかし、翔一には全く記憶がない。

 一年間失踪していた期間、とある異世界に連れ去られていたのだ。

 なぜか、その世界では三年近く経過している。三年間の記憶は欠落していないが、それ以前の自分の世界に居た記憶はほとんど消えていた。

 ただ一つ覚えていたのが、母の匂い。

 それだけである。

 だから、翔一にはすべてが新鮮で驚きだった。

 一年前、正確には十一ヵ月前、翔一は一ヵ月程学生として過ごしていた、が、その時の記憶はほとんどない。学業も最初からやり直した方がいいという自己判断もあったので、改めて一年生として編入されることになった。

 そのため、先日、入学式を終えて学校に通い始めている。

 翔一は学校の記憶がほとんどなかったが、切り取った場面だけ覚えている。

 それは、ほとんどがいじめを受けていた暗い記憶で、自分の世界を荒んだ世界であるかのように感じていたのだ。

 唯一、良い記憶として残っていたのが、咲き誇る桜。

 バスから見える桜を眺める。

 非常に美しい景色だった。

(あの世界の人たちに見せたいなぁ、この花のこと)

 異世界の三年間で出会った人たちのことを思い出す。楽しくもあり、悲しくもある思い出だった。

 ふと涙がこぼれる。


 バスが止まり、学園の前に到着した。

 少年少女たちはぞろぞろと降りる。

 学校は自家用車による送り迎えを基本的に禁止しているので、バスが来た直後には、校門はごった返す。上品な挨拶や会話が繰り広げられる場所なのだ。

 姉の園は友人が多く、楽しくおしゃべりしながらどこかに行ってしまった。

「おい、あいつだぜ」

「ああ」

 翔一は人間の姿でも知覚はかなり高くなっている。

 特に聴覚と嗅覚は人間のレベルを超えていた。

 だから、聞こうと思えば、人々のつぶやきでも遠くから聞こえる。

 人の心を読むような下品な行為でもあるので、あまり故意にはやらないが、不穏な声は聞こえてしまうのだ。

 その小声の会話は二人の少年が行っていた。

 ブレザーを着崩し、派手な髪型をしている。ネックレスや高級腕時計を嵌めていた。

 この私学は芸能関係も多い。

 仕事でファッションセンスを磨く必要もあり、うるさくいわれないのだ。

 しかし、彼らの服装は背伸びしたアウトロー的な着崩しだった。

 教師たちもあまりいい顔はしないが、校則も緩いのでいいたくてもいえないというもどかしい雰囲気である。


 教室に入り、席につく。

 コンピューターを立ち上げて、ログインした。

 今日のカリキュラムやイベント、世間のニュースなどが薄い画面に流れる。

 この世界のコンピューター技術は異世界で出会った親友の技術よりは劣るが、着実に迫っているように思う。

 尚、その親友は翔一が行っていた異世界とはまた別の未来技術のある異世界から召喚されていたのだ。

(いつか、あの装置を復活させてやるんだ)

 ちらっと、精霊界を覗く。

 翔一はライカンスロープのバリエーション、熊人獣であり、自然の精霊的な存在だった、それ故精霊界と親和性が高い。そして、それだけではなく、異世界で精霊を扱う技術も学んでいる。

 その結果、精霊界といつでも接触ができた。

 見ると、黒い毛皮の存在が暇そうにしている。

 荷物を置く場所には何らかの電子機器がプラスチックのケースに入れて置いてあった。

(時間がない精霊界だから、機械は劣化しないだろう)

 そう考えている。

 実際、精霊界のポケットに置いてある食品はあまり腐敗しなかった。

(これは友達が生きた証、大事にしないと)

 少年はそれを優しく哀しく見つめる。 


 毛皮の存在がゴロッと仰向けになって居眠りを始めたので、翔一は意識を現世に戻した。

 生徒たちが全員着席し、ホームルームが始まる。

 翔一のことを学校の生徒は全員知っているだろう。

 失踪して、帰ってきて、再び一年に編入したのだ。

 特別な家庭の子供が多い中でも翔一の経歴は変わっていた。

 やはり、誰もが注目しているので新しいクラスですぐに打ち解けるという感じではなかったが、毛嫌いされているような雰囲気もないようだ。

 しかし、好奇心旺盛な子供たちである、翔一に話しかける人間はいた。

「おはよう、翔一君。ねぇ、昨日のテレビ見た?」

 京市きょういち優次ゆうじという少年である。

 小柄で活発な美少年。

 最初は女の子だと思った。

 彼は関西のお笑い番組が大好きでよく、その話をしてくれる。

 翔一はあまりテレビは見ないのだが、そのギャグを教えてくれるのだ。

「京市君、静かにしなさい」 

 担任の中岡なかおか淑子しゅくこが注意する。

 黒ぶち眼鏡と大きな胸が特徴のかなりの美人教師だ。

 教師が注意すれば、まじめに従う子供が多く静まり返る。

 クラスの不良系の生徒もあえて騒いだりしない。この学校の不良たちはかなり大人しく、背伸びしている子供でしかないのだ。

 この学校は親が大金持ちだったり、権力者、有名人、そういう人間の子弟ばかりなので、表向きは躾されている場合が多い。

 しかし、この学校で不良を気取っている者は、世間を小ばかにして内心は腐っているような子供たちだった。

「今日もテロ情報には注意してください。警報が出た地区には近寄らないこと。帰宅できないときは学校に避難してください。学生証の掲示を忘れないで」

 学生証にはチップが内蔵されて、かなり強力な身分証となっている。

 テロ。

 そう、翔一が一番驚いたのはそれだった。

 平和な日本にテロが頻発しているのだ。

 政府の発表では無政府主義やカルト宗教の人間が組織的に行っているというが、明らかに、人間とは違う何かが暴れている。

 ネットには証拠写真などがあふれているが、どう見ても、特撮の怪人のような存在だった。

 世間は正常バイアスが働いて、見てみぬふりを決め込んでいるが、戦は実際起きているのだ。

 ネット中心に、その現象を『浸食』と呼んでいる。

 じわじわとその呼称は誰もが使う言葉になりつつあるというのが現状のようだ。

 警察が常にパトロールをしている。

 街の各所には自衛隊が銃を持って待機している。

 ひしひしと、世相が変わりつつあった。

 

 しかし、ホームルーム、退屈な授業、そういったものは変わらず続く。

 翔一が教科書をしまっていると、二人の荒んだ顔をした少年が近寄ってきた。

「おい、翔一、俺たちのこと覚えているよな」

 へらへらしながら痩せて背の高い少年が肩を叩く。

 彼らは左右に立ち、周りからの視線を遮る。

「さあ、どちら様ですか」

 顔色一つ変えず、翔一は答えた。

 本能的に彼らの隙を探す。

「なんだと、おい、舐めてんのか」

 やや小柄で下品な顔をした少年が、脅すような声を出した。

「……」

「おい、答えろよ!」

 肩を掴まれる。少年たちの細い腕が見える。

小倉おぐら、ここじゃまずいぜ」

 背の高い少年が周りの視線を感じて、つぶやく。

「そうだな、おい、翔一、放課後裏庭に来い。話がある」

 小倉と呼ばれた少年はそういうと、二人は去っていった。

 京市優次がやってくる。

「駄目だよ、あいつらかなり荒れてるから。前のクラスメイトなんだろ? 先生にいいつけるだけにして、相手したら駄目だよ翔一君」

 駄目を二回いって強調する京市。

 行くといえば、更に説得されるだろう。

「うんわかったクマ」

「クマ?」

「あわわ、い、いかないよ。怖いから」

「先生にいうんだよ。いいね」

 京市はそう念を押すが『自分が先生にいってくる』とはいわない。

 彼も不良生徒が怖いのだろう。

 翔一には何となくだがわかっている。

 彼らは異世界に行く前に彼をいじめていた少年たち。

 微かに見た記憶の中に似たような顔立ちの少年が残っていた。


 翔一は教科書を纏めると、次の授業、自習室に向かう。

 本来は体育だが、彼は免除されている。

 翔一の体には凄まじい傷跡が全身を走っていた。これを見せると動揺する生徒が出るという判断である。

 大人の教師たちですら翔一の傷を見て恐怖に震える者がいた始末だった。拷問の跡、無数の小傷、胸に巨大な切り傷、心臓を貫く形の傷跡。

 自習室は色々な理由で体育を休んでいる生徒がいる。

「翔一君」

 小柄で痩せた非常に可愛らしい少女がほほ笑む。

 ひじりりんそれが彼女の名前だった。隣のクラスの少女だ。

「倫ちゃん」

 何とはなしに、彼女の横に座る。

 倫は翔一に昨日あったことや、花が綺麗というような他愛もないようなことで話しかけてきた。

「うん、いい季節だね」

 少し悩みながら無難に答える。

(たしか、京市君がいってた。倫ちゃんはお姉さんが生徒会長で取り巻きもいっぱいいるって、倫ちゃんはいつも一人だな……)

「あいつ、小倉達にまた目をつけられたらしいぜ」

「またカツアゲされんじゃねーの」

 部屋の後ろで座ってる少年たちが、ひそひそ喋って笑っている。

 仮病で授業をさぼっている奴らだった。

「それに美沙さんの妹と仲良くなったらどうなるかわかってんのかね」

 笑う少年たち。三人居る。

 翔一はどうでもよかった。

 三年間に味わった悲しみを思うと、学校で起きることなんて小さいこと。

「静かにしなさい!」

 禿中年デブ教師が怒鳴り声を上げる。

 このデブは怒鳴るだけで無能であると生徒からもばかにされていた。

 大人しい生徒は静かになるが、サボリの不良たちは平気で無視している。

(うるさいから出て行ってくれないかなぁ)

 翔一は耳が鋭いので、雑談雑音があまり好きではない。

 そう思っていると、

「翔一、あいつら追い出してやろうか」

 翔一のもう一人の自分、ダーク翔一ともいえる存在が精霊界から話しかけてきた。

 高位の精霊術師、祈祷師が開眼する『宿精』という存在である。

 翔一と彼とはつながっているが人格は全く違う。宿精は祈祷師の精霊界における本性である。祖霊との橋渡し役でもあった。

 ダーク翔一の姿は翔一の本来の姿、子熊の姿と同じだが、彼は黒い毛皮だった。

「いいよ、気にしなくて」

「観相精霊をぶつけてやれば、ビビって逃げるだろ」

 彼は翔一よりかなり俗っぽくていたずら小僧のような性格を持つ。

 尚、観相精霊というのは、何かの思念を受け取ったり、ビジョンを誰かに送りつける呪力があるのだ。

「だからよー。ガハハハッ!」

 大声で笑い始める少年たち。

 あまりにうるさい。

「ダーク君、なるべく優しい奴で頼むよ」

 思わず、宿精に頼んでしまう翔一だった。

 宿精は精霊を呼ぶと、少年たちの頭にぶつける。

 突然静かになる少年たち。そして、

「え? うわ!」「ヒイイイイイ!」

 何を見せたのか、少年たちは恐怖のあまり椅子から転げ落ちた。

 おしっこの臭いがする。失禁した少年もいた様だ。

 教室から走って逃げだす少年たち。

「おい、勝手に抜け出すな」

 禿中年が大声を出すが、彼は声だけで椅子から動かない。

「とどめだ、こいつらがお漏らししながら逃げる姿を通りすがりの奴らにビジョンとして送る」

「やりすぎだよ」

 思わず苦笑する翔一。

「あの餓鬼ども世間舐め切ってるからな、多少は天罰受けないと真人間にならない。これは俺の愛だ」

「愛というのは嘘臭いよ」

 しかし、翔一は止めなかった。ダーク翔一の意見も一理あると思うからだ。

 異世界で行ききった悪人の姿を嫌というほど見た。

 少年のうちにその芽が摘めるなら、その方がいいと思う。

「翔一君、さっきから誰と喋っているの」

 倫が不思議そうに尋ねる。

 小声でも隣にいたら聞こえるのは当たり前だった。

「ああ、宿精がいるんだよ、精霊だよ」

「精霊? ウフフ。冗談なの」

「そんなことないよ。精霊は世界に充満しているんだ。特に日本はいっぱいいる」

「へぇ、お姉ちゃんなら知ってそう……」

「お姉ちゃんって、生徒会長のひじり美沙みささん、だよね。オカルトに詳しいの?」

「詳しいどころか……」

 慌てて細い指で自分の口をふさぐ倫。

「?」

「ごめんなさい、何もいえないの。それより、ここの問題わかる?」

 倫は話を逸らすと、自習組に渡されるプリントの問題を指す。

 二人は仲良く自習を終えた。

 

「それで、放課後はどうするんだ」

 暇そうなダーク翔一が精霊界で寝転がっている。

「行くよ、呼ばれたんだからね」

「でも、どうするんだ。俺が脳天でも勝ち割ってやろうか。あの餓鬼ども」

「前の世界じゃないんだから、殺すとか怪我とか絶対駄目だよ。本当は異世界でもよくないけどね、あの世界の悪は桁違いだったから……」

「吸血鬼やら人狼やら魔王、そんな奴らなんか殺すしかないわな」

「……まあ、僕もやりたかった訳じゃないけどね。とにかく、ここの彼らはちょっと道にそれだけの人間だよ。ビジョン送って恥をかかせるだけでいいんじゃないか。ところで、さっき送った観相精霊は何を見せたの?」

「死霊」

「ハハハ、やりすぎだよ」

 苦笑する翔一だった。あんなものを現実感もって見たらお漏らしぐらいするだろう。




 放課後。

 裏庭に来る。

 花壇と林。身を隠す場所はたくさんあった。

「じゃあ、クマクマっと。変身」

 翔一は草叢に隠れると、子熊に戻る。

「ああ、やっぱりこの姿が一番楽クマー」

 翔一は隠密精霊を纏って灌木の陰に潜む。

 やがてやってくる三人の少年。

「あ、数が多いな、卑怯者め」

 ダーク翔一が毒づく。

「おい伊瀬いせ、あんなチビあいてに内田まで呼ばなくてもいいだろう」

 若干、背の低い小倉おぐらが背の高い痩せた少年、伊瀬に声をかける。

 大柄な内田は初めて見る少年だったが、太い大男で喧嘩は強そうだった。

「三人でぼこぼこにしてやればいいんだよ。あいつには恨みがあるからな」

「ああ、あいつが失踪した所為で、俺たち警察に滅茶苦茶聞かれたよな」

 失踪した少年となればいじめを疑うのが普通だろう。

 彼らが警察に事情を聞かれたのはありそうなことだった。

 小倉が唾を吐きながら、

「俺、親爺に何発も殴られたんだぜ。あのクソ」

「ネットでも顔晒されかけてたからな。俺の親が弁護士でよかったぜ」

 伊瀬の親は弁護士だった。

 コネで何とかもみ消したのだ。

「おい、いいのか、あいつ有名人だし、あいつの親は芸能人だぜ」 

 内田は不良の仲間をやっているようだが、気は小さい。

「あいつやっつけたら葉っぱやろうぜ。ヤクザから買ってきたんだ」

 小倉が自慢げに何かを見せる。

 微かに薬のような甘い香りがした、大麻的な何かなのだろう。

「スゲー。小倉、さすがだぜ、どこのヤクザが売ってるんだ」

「それは秘密だ、金をくれたら教えてやる」

「おせーな翔一の奴。逃げやがったらただじゃおかねぇ」

 伊瀬が凶暴な目をする。

 そこまで観察したが、彼らはかなり近い距離にいる翔一に全く気が付かなかった。


「翔一、どうするよ」

 ダーク翔一の声。

「うーん、怪我させない程度に懲らしめる方法が思いつかないクマ」

「眠らせて、裸で校庭に放置しておくとか」

「さすが、ダーク君、それなら誰も傷つかないクマ」

「俺って賢いだろ」 

 毛皮の胸を張るダーク翔一。

 小さな睡眠精霊を三体呼ぼうとしたとき。

「そこまでだ! 翔一君に手出しはさせない!」

 見ると、小柄な少年が三人の前に立っていた。

 京市優次だった。

「!」

 思わず声が出そうになるくらいびっくりした翔一だった。

「あー、何、このチビ。女の子じゃないよな」

 小倉が声を出して、顔を少年の真ん前に寄せる。

「女装させて、玩具にしようぜ、こいつ」

 内田は特殊な趣味があるらしい。

「き、きみたちが、翔一君に手出ししないように……」

 大柄な少年に囲まれて、最初の勢いがすぐに消えてなくなる京市だった。

 内田が鼻息荒く、京市を背後から抱きしめる。

 白いシャツをビリビリと破り、細くて白い上半身がむき出しになる。

 少年の体をまさぐる内田。

「やめろ! 僕は話し合いにきただけだ!」

「はぁはぁ、最高だな、こいつ」

「内田、てめー変態だろ」

 小倉が笑いながらスマホを出して撮影する。

 伊瀬も笑いながら京市の足を押さえつけていた。

「おい、どうするよ、あいつ弱いなぁ」

 ダーク翔一が呆れている。

「もう我慢の限界クマ!」

 翔一はツキノワグマサイズになると、練習用の木刀を精霊界のポケット、荷物の置き場から出す。傍目からは虚空からものを出したように見えただろう。

 のっしのっしと灌木の陰から姿を現す熊。

「キエエエエエ! チェストオオオオオオオ!」

「!?」

 少年たちすさまじい奇声にぎょっとする。

 振り向いた時には彼らは何も見なかった。

 見たのは黒くて大きな何か。

 そして、次の瞬間、大きな影が彼らを掠める。

 小倉は踏みつぶされ、伊瀬と内田は体を一撃された。

 苦痛とショックで気絶する少年たち。

「悪、即、成敗クマ!」

 呆然とする京市。

 振り向くと目が合う。

「うわ、熊! 大熊だ!」

 ぱた。

 そういうと、京市も気絶してしまった。


「うーん、今はそこまで大きな熊じゃないと思うクマ」

 実際、翔一が変身したサイズは人間より小さい。ただ、恐怖心で見る目には巨大に見えたかもしれない。

 京市をそっと抱いて背負う。 

 少年たちの怪我は大したことはなかった。

 目が覚めると面倒なので睡眠精霊を深く取りつかせる。

「僕は彼を保健室に連れて行くよ。まだ先生はいたと思うクマ」

「こいつらの始末は俺が付けておくぜ」

 ダーク翔一がにやりと笑う。

「実体もないのにどうやるクマ?」

「エレメンタルにやらせる」

「なるほど、怪我をさせたらダメクマだよ」

「わかってるって」

 翔一はぎりぎりまで熊の姿で少年を運ぶ。

 力が強いので動きが軽いという単純な理由だった。

 あまり人間の姿になるのが好きではないのかもしれない。

 放課後、校舎にほとんど人はいないのでモフモフさせながら少年を運んだ。

 保健室に入る前、ようやく人間になる。

「失礼します。先生、京市君が外で倒れていたんです」

 保健の先生はびっくりして、すぐにベッドに横たえる。

「服が破れているわね、誰がやったの」 

 保健の先生は学校で最も色気のある女教師として生徒のあこがれの的、綾瀬あやせ先生だった。

「わかりません、僕は人に呼ばれていたので行ったら彼が倒れていたんです」

「暴行、それも性的な……わかったわ、すぐに救急車を呼ぶから」

 結局、かなり大事になったようだ。

 綾瀬は警察にも連絡し、しばらく翔一は帰宅できなかった。




 不良三人組は翌朝発見される。

 朝早く登校してきた部活の生徒たちが興味津々で取り囲んだ。

「なんだ、これ!」「気持ち悪い、変態じゃん」「こいつら小倉とその仲間じゃん」

 パンツ一枚にされ、縛り上げられて校庭に放置されていた。

 紙が貼りつけられている。

「なになに、『僕たち特殊趣味です、邪魔しないでください。ヤクザから買った葉っぱでキメてます♡』だって」

 縛り上げられた少年たちの前にビニール袋が置かれている。中には乾燥した葉っぱが入っているようだ。彼らの服やスマホと一緒に置いてあった。

 面白がって、写真を撮りまくる生徒たち。

 慌てて教師が走ってくる。

「君たち、やめなさい! うわ、何なんだこれ!」

 すぐにパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 誰かが通報したのだろう。

 教師は違法な植物の存在に気が付いたが、生徒が撮影した事実と警察が迫っていること、この二つの理由でもみ消すことを諦めた。

 少年たちはすぐに解放され意識を取り戻したが、薬物購入の疑いで補導される。

 警察が彼らのスマホ、特に小倉のスマホを調べると、売人との取引がしっかり残っており逃げる余地がなかった。

 三人の少年は親が工作したため罪には問われなかったが、学校に来ればさんざん馬鹿にされる。

 ネットに彼らの姿がばらまかれたのだ。

 彼らはその後、ほとんど姿を現すこともなく退学する。




 尚、京市への暴行は未遂でもあったので不問になった。





お読みいただき、感謝申し上げます。

『勇者の帰還 熊になった少年の物語』は、前作『異世界に来たら子熊!? 熊人間になった少年の物語』の続編となります。

あまり人気のない前作ですが、今作は無謀にもその続編を書こうという愚かな試みです。

舞台はほんの少し近未来の日本。

主人公は学生であり、学生と正義の味方を両立させるために苦労するというやや青春物のジャンルになるでしょうか。

尚、作者は現代の学生のこと、ハイソサエティ、芸能界など、全く知らないので、全て妄想で書いております。ご了承ください。ついでに申しますと、舞台は北関東ですが、中の人は関西人であり、関東のこともほとんど妄想で書いております。言葉遣いなど、間違っているでしょう。誠に申し訳ありません。事前に謝罪申し上げます。


2021/1/20~2025/3/23 微修正

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