キミとボクのミライ
地下からフェブラリーラボの本社へ入館したボク達は、何故か温泉に浸かっていた。
何が起きているのかわからない、一つだけ分かる事があるとすれば──
「効くぅ〜〜〜〜…………!」
「でっっっっっしょぉ〜〜〜〜………………!?」
「あ、八子さん! コーラとかありますよヘッヘッヘ……」
出撃で疲れた身体に暖かい風呂がよく沁みるという事だけだった。
●
時は少しばかり遡る。
「えー、まずは八子くんのフェブラリーラボ入社を祝って……」
「乾杯どころか書類もまだですよ!」
本社ビルのラウンジに着くや否や、ボケ始める三月社長にツッコミを入れつつ勧められるままにソファへと座る。
「いいじゃないか、もう決まったようなものだろう? ハイ八子くん入社希望、ハイ私採用ォー!」
「社会人をなんだと思ってるんですか……」
もしやフェブラリーラボというのはこうして漫才に付き合わされるのだろうか、それともマジで言っているのだろうか。
どちらにしても勘弁願いたいな……などと考えていると、ふと一つひっかかる事が脳裏をよぎる。
「……そういえば、ここって三月さんが社長なんですよね?」
「ん? そうだけど……なんだい、もしかして私の社長としての能力を疑っているのかい! それには断固として抗議させてもらうよ!」
「いや……それもそうなんですけど」
「否定してよお!」
そんな事よりももっと重要な事を聞かなければならない。
意を決して口を開いた。
「社長は三月さんですけど……フェブラリーって、二月ですよね?」
「あ、えっとね……それはそうなんだけど、一月間違えたとかじゃなくて……」
「フェブラリーという名はローマ神話における浄化、あるいは贖罪の神フェブルウスを語源としています。 つまり社長はバリアントを人類の業として捉え、それを浄化する事こそがメイデンの使命と仰っているんですよ」
急に現れた第三者、幼い体躯の銀髪の少女が唐突に、長文で、しかも若干上から目線で語り出す。
埒外ムーブのハットトリックで呆気に取られていると、三月社長が肩を抱いて紹介する。
「ああ、彼女は我が社が誇る天才メイデン……氷柱玲花くんさ。 そして由来も彼女の語る通りだよ」
「フフン、新人さんが来たと聞いて急いで来ましたが……まぁ私が先輩として厳しく指導しましょうか」
紹介されて上機嫌なのか、上から目線の説明が出来て満足なのか、小さな胸を張りながら先輩風をびゅうびゅうと吹かせる。
だが、それよりも彼女……玲花の登場によって気になる事が一つ出来た。
「あの、質問いいですか」
「ええどうぞ、先輩になんでも聞く素直な姿勢には好感が持てますね!」
「玲花さんにではないです」
「生意気! この新人生意気ですよ!?」
地団駄を踏む先輩をスルーし、質問を続行する。
「フェブラリーラボが誇る天才である玲花さんがいたなら、ボクが出撃しなきゃいけない理由ありました?」
質問と同時、それぞれ逆方向に顔を背ける2人。
気まずい沈黙が走る。
何かあったのは明白だ、そしてそれを問いただす権利がボクにはあるだろう。
「あー……端的に言うと"あった"よ。 彼女も出撃できなかった」
踏み込もうとしたその時、三月社長が言葉で機先を制する。
「また歯切れの悪い……その事情、お伺いしても?」
「いーやー、今日もいい天気ですねえ! ほら新人さん! 絶好の案内日和ですよ!」
明らかなごまかしが入り、いよいよ猜疑心は危険な領域に突入する。
と、そこに諸々の処理を済ませた美樹が入室し──
「おっ大将、やってんねえ!」
状況を察すると、加虐者の笑みを浮かべて玲花の肩を抱く。
当の玲花は美樹の声がした瞬間から身を硬直させていたが、やがて震えながらも声を絞り出す。
「あの……例の件は……どうか内密に……」
「あァ〜ん? 例の件ってなあに? 玲花ちゃんの口から言ってくれないと美樹わっかんない☆」
「ド外道がァ……!」
脅すような声色から気持ち悪いくらいの猫撫で声を使い分けるあたり、相当な芸達者らしい。
その芸が後輩イジメにしか使われていないのはどうかと思うが、ここで口を出せばヘイトがこちらへ移るのは確実なので黙って見守る事にする。
「あー、やっちゃん? れいれいはね……」
「わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
なりふり構わず大声を上げる玲花を、ついには無理矢理口を塞ぐ事で無力化する。
「んな必死に誤魔化しても、どうせまだメイデン免許受かってないのはすぐバレるって……」
口の中に入れられた袖によってむぐむぐと声を上げていた玲花であったが、事実を告発されると観念したように全身から力が抜ける。
「ま、まぁ……あの試験って結構面倒ですしね……」
「玲花くんの名誉の為に付け加えさせていただくと、今は2回目の合否発表を待っているところだ」
「その情報、援護射撃と見せかけて実は背中から撃ってるかんね?」
同情すると共に拘束を緩めると、するりと抜けてそのままへたり込む。
なんなら部屋を暗くして玲花にスポットライトを当てたほうがいい気がしてくる塩梅だ。
「ぐすん……ひっく……初めての後輩の前でくらい、せめて尊敬できる先輩でいたかったのに……」
「あはは……なんというか、よろしくお願いしますね?」
「あー……れいれい、ちょいこっち」
悲劇のヒロインもかくや、という悲嘆に暮れっぷりを見せる玲花を引っ張るとラウンジの一角にある雑誌コーナーから何冊か引っ張り出す美樹。
いくつかページを開き、写真らしきページを指差し、そしてこちらを指差す。
何をされているのかなんとなくわかってしまったが、こちらこそ誤魔化してもすぐにバレる話だ。
しばらくすると玲花がやたらと機敏な動きでこちらへ戻ってきて、足をきっちりと揃えつつ爪先はやや開き、腕は体側に真っ直ぐ付けながら中指がちょうど中心に合うように、そして腰から上体を45度折り曲げる。
敬礼、それも挙手でないそれの中では最も深い敬意を表すとされるものだ。
「ナマ言ってすみませんでしたァーッ! まさかあのエトワールが誇る"雹雪の騎士"の八子さんだとはつゆ知らず!」
「何を見たの────!?」
見事なまでの掌返しへの驚愕、そして昔の恥ずかしい異名やらを掘り起こされる羞恥、犯人であろう半笑いを浮かべる美樹への怒りなど、とにかく混乱する要素だらけだった。
●
「ここで残念なニュースだ、なんと書類は今日中には出来ないらしい」
そんなこんなでラウンジで暫く駄弁ったり玲花が美樹にイジられる様を眺めていると、いつのまにかその場を離れていたらしい三月社長がため息モノの報せを寄越す。
「えー、なんのためにここに来たんですかボク」
「まあ明日以降郵送するから、適当に書いて持って来てね」
「了解しました……」
ならばこれ以上ここにいる意味はないか、と重くなっていた腰を上げる。
と、そこで玲花が何か思いついたようにこちらの手を取る。
「八子さん八子さん! 全体の案内はまた今度しますけど……それよりいいとこあるんですよ!」
「いいとこ?」
「ははーん、アレは確かにいい。 やっちゃん、正直汗かいたままでしょ?」
「ま、まぁタオルで拭いた程度ですけど……」
汗の話題が出るという事はシャワー室か何かだろうか。
正直浴びられるならかなりありがたい、言葉に甘えて案内を受ける事にしたのだった。
●
そして今、温泉に浸かるに至るのだった。
「そういえば……なんで、本社にこんな温泉があるんですか……?」
我ながら気の抜け切った声で、華奢な体躯を温泉のフチに預けながら問う。
「アー……みっちゃん社長の趣味」
血の気が引くと同時に、身体を腕で庇い周囲を見回す。
カメラらしきものはないがどこから見られているかわからない。
「あはは、私と同じ反応してますね」
「フツーそう思うよねぇ……大丈夫、アレはただ日本被れしてるだけだから」
日本人なのに? とツッコミを入れたくなるが、まず覗きの心配が無いことに安心し再び身体の力を抜く。
会ったばかりの人間の前で思い切り油断しているが、不思議と嫌な感じはしない。
というよりエトワールにいた頃が油断ならなかっただけだ……と思い返すと、今の状況に疑問が湧き上がる。
「そういえば、社長はいいって言ってくれましたけど……皆さんはボクが入る事をどう思ってます?」
「激務から解放される」
「頼れる即戦力」
「せ、切実……っ!」
軽率な質問だったか、若干目からハイライトが消える2人を宥めすかし本題に入る。
「つってもさー、仲間殺しとか言われてもどうせあのエトワールでしょ? みっちゃん社長も言ってたけど何か裏あるっしょって感じなんだよねー」
「私、八子さんがそんな事するわけないって私信じてますから……ええ、信じてますから!」
「やたら視点偏ってない?」
ありがたい話であるが、どうやら正気でも少しばかり変なようだ。
変な社長の元に集うのだから仕方ないのだろうか……
せめて自分は変にならないように気をつけるとしよう。
「それよりだよ、まさかエトワール時代は"雹雪の騎士"なんて名乗ってたなんてねぇ……アタシとしてはそっちのがビックリ」
「そうそう、"爆炎の女帝"である匣さんと合わせてエトワールのダブルエースでしたもんね!」
「やーめーてー、広報の人が勝手に考えたやつなんだってば」
「ボクがキミ達を護ってみせるよ……だっけ?」
「やたらとカッコつけたキャッチコピぃぃぃぃ!」
恥ずかしさでばしゃばしゃと水を跳ね上げながら悶えているのをいいことに、美樹は次々に黒歴史を発掘していく。
あの時の任務は本当に楽しかったからいいのだが、それにしたって本当に容赦がない。
美樹もそうだが、こんな事をやらせた広報もだ。
いくらアイドル的な推し方をする事でメイデン自体の人気を上げ、志願者を増やすという方針だとしても恥ずかしいものは恥ずかしい。
「そういや、匣さんってまだ目覚めないんでしたっけ?」
「そうなんだよね……いや、仮に目覚めたとしてもボクにはもう関係ないって事で情報くれないのかもしれないけど」
「あー……まぁ、生きてるんでしょ?」
「うん……せめてお見舞いに行くくらいはしたいんだけどね……事情が事情だし」
匣の話になってからは努めて明るく取り繕っていたつもりだったが、初めての親友の現状につい表情が曇っていたらしい。
それを察したのか、玲花は身体を隠す事もなく立ち上がる。
「よーし! なら私達が八子さんと任務をこなしていって、その雄姿を見せる事で仲間殺しだなんて世間の誤解を解きますよ!」
「おっ、それアリ……だけどまずは、れいれいは免許取る所からだな〜?」
「ひゃああああ!?」
美樹も同じく立ち上がると、玲花の子供と見紛うような身体を両手で左右から鷲掴みにする。
そのまま上下に振られると甲高い悲鳴が玲花の口から漏れ出る。
「あはは……ええ、ありがとうございます……」
「いいって事よ」
「ぜぇ……ぜぇ……当然の事です……」
なんと良い仲間に恵まれたのだろうか。
熱くなった目頭から溢れる涙は、温泉に溶けて消えて行くのだった。
温泉回なので初投稿です