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世界を売る者

作者: 扉園

 出張帰りに駅を出ると、右隅で一人の男が出店(でみせ)をしていた。いや、地面に布を敷いて商品を置いているだけなので、出店と呼ぶにはお粗末かもしれない。

 看板は付いておらず、白布の上に大小様々な瓶が並んでいる。瓶を売っている店なのだろうか。僕は足を止めて遠巻きに眺めた。

 物品は几帳面に並んでいて、手前は小さめに、奥につれて大きめに配列してある。瓶にコルク栓はしてあっても中身は入っていないようだ。下に値札が付いているようだが、よく見えない。

 癖毛の髪が顎辺りまで伸びた出店の主は手足が長く、年代物の黒いソフトハットを被り、灰色のジャケットを羽織っている。まるで一世代前の英国雑誌を切り取ったかのような服装だ。彼は客の呼び込みをする様子は無く、俯いて何やら熱心に手元を覗き込んでいる。

 夕暮れ時の帰宅ラッシュで多くの人が駅を利用していたものの、人々は無視か不審の一瞥を向けてそこを素通りしていく。近付こうとする者はいない。

 僕もその群れの一部になろうかと考えた時、男は此方の視線に気付き、にこやかな笑顔を浮かべた。


「――お客様。世界はいかがでしょうか?」


 目尻が下がった柔和な視線とぶつかる。僕の心臓は一瞬跳ね上がった。鞄を持つ手が汗ばみ、行くか過ぎるかの葛藤が起こる。結局、僕は不可解な問い掛けが気になったので、意を決めて店の前に歩み寄ることにした。

 やはり間近で見ても普通の瓶だ。僕は値段を確認してぎょっとなった。空瓶にしては恐ろしく高い。中には優に五桁を超えているものもあった。この変哲も無い瓶が、どう世界に結びつくのだろう。

 僕は慎重に「どういうことですか?」と問うてみた。彼は勿体ぶった態度で左横に置いてあった掌大の透明な小瓶を取り、軽く振った。

「此処には虚無が入っております。熱と寒冷、光と闇から抽出した源を入れるだけで、この中で世界は育っていき、貴方だけの世界が手に入ります」

 僕は訝しげ全開の表情を浮かべた。突然そう言われても意味不明だ。彼は熱心に言葉を続けた。

「私は世界創りが趣味でしてね。地球から虚無と源を取り出して、飼育を試しているのです。内部で様々な世界、異生物が生まれて面白いんですよ。例えば――純アルカリ性の海、綿のような繊維状の大地、二足で動くシダ植物、正方形の桃色の両生類、金属を纏う軟体動物、吸盤と翅を持った哺乳類――環境や育て方によって全く違った世界や生物が立ち現れてくる。実に奥が深い」

 男の目尻に深く皺が寄る。僕より少し年上くらいかと思ったのに、想像より年嵩なのかもしれない。僕の脳裏に胡散臭いという単語が過ぎった。もしくは狂人。だが、心の中でむくむくと興味が沸いてくるのを僕は感じた。もう少し話を聞くだけなら害は無いだろう。僕は瓶をしげしげと眺めながら「どうやって育てるの?」と聞いた。彼は我が意を得たと言った感じで饒舌に説明を始めた。


「飼育は難しくありません。始めに付属の世界の源を瓶の中に入れてください。虚無に源を入れることによって、世界の基礎が生まれます。できる限り素早く処置をお願いします。虚無が漏れてしまうかもしれないので。それから十二時間光に当て、同じ時間暗闇に置いてください。二日目はその中に塩水を一滴垂らします。ここから変化が現れる筈です。三日目はそこに土と植物をひとつまみ落として。四日目は火花を入れるのですが――これは小型の手持ち花火が最良です。マッチでも構いませんが、世界の温暖に差異が生じてしまいますね。五日目は何でも構いませんので生物の一部を入れてください。虫の脚でも犬の毛でも結構。何種類でも問題ありません。ただし、此処で生態系が大きく決定づけられます。私の経験ですと多めはよくありませんね。五種以内が適切でしょう。そして六日目は貴方の――いえ、他人でも大丈夫です――の身体の一部を入れてください。髪でも爪でも。ええ、これで終了です。七日目は何もしないでください。降ったり動かしたりは厳禁です。此処まで来れば素晴らしい世界が立ち表れている筈です。七日が過ぎたら栓を抜いて観察しても構いません。目視では確認できないかもしれませんが、良く見れば面白い世界がご覧になれます。説明書も付随してあるのでご心配なく」


 彼はポケットを一度叩き、右手前にあった瓶を手に取った。もう少し大きめのものだ。


「これは虚無を平均より多めに入れてあります。世界が育ちにくい代わりに、特有の顔を見せてくれます。そうです。組み合わせは星の数程あります。無限の可能性を秘めている。容器の大小、原料、分量、時間、材料、質、気温、湿度。微細な変化が多大な影響を及ぼし、思わぬ結果に結びつく。同環境で同育成をしたにも関わらず、世界は全く異なる様相を示す。だから興味が尽きず、止められないのです」


 如何にも善人のような笑顔を浮かべて語る男は、玩具を手にして笑う無邪気な子供のように見えた。男の話は荒唐無稽だ。唯物主義の人だったら嘘と断定し、鼻で笑い飛ばしていたに違いない。詐欺師の予感もしたが、自分だけの世界が形作れるなんて深く興味をそそられた。

 本当であるのなら、なんと面白い発想だろう。僕は丁度遊ぶものが欲しかったし、未知のものに飛びつく癖があった。皆と違う物を持ちたかった。瓶が宝石のように煌き、魅力的に思えてくる。

 数分悩んだ末、僕は仕事一日分くらいの金額を払い、中間のサイズの瓶を買うことにした。騙されたとしてもまだ笑い飛ばせるだろう。小瓶と一緒に、即席麺の付属に付いてくるような銀色の小袋を手渡された。彼は微笑みを湛えて「世界の源が入っています」と言い沿え、紙切れをポケットの中から出しながら口をまた開いた。


「私はこの楽しみをもっと多くの人に知ってもらいたい。世界を育てることの楽しみを。奥ゆかしさを。ゆくゆくは水槽やホールで大規模な飼育がしたいですね。この興味深く美しい世界を大画面で眺め、立ち現れる過程を見たいものです。ええ――扱いには充分に注意するよう。地殻変動により大地が高熱になる場合があります。火傷に気を付けて。手をかけなくても余程育つと思いますが、もし大地に変化がみられないようなら、再度生物の一部を入れてみてください。この中でしか世界は成長できませんので、どうか大切になさってください。はい、これが説明書になります」


 僕は了承の意を表して瓶を鞄に入れ、そこを後にした。帰宅するとすっかり夜になっていた。安売りの弁当で少し腹拵えをして、シャワーを浴びる。林檎味のサワーを持ちながら僕は机の真ん中に小瓶を置いた。

 ()めつ(すが)めつ見ても普通の瓶。コルクをいじってみたら楽に回転した。思ったより簡単に抜けるだろう。中には(もや)一つない。虚無が入っているって、結局は何も入っていないのではないか。

 僕は葉書くらいの説明書を広げてみた。細かい字がびっしりと印字してある。げんなりしながら飛ばし読みをしてみると、先程男が言ったことと同じ内容だった。目新しい情報は無い。

 次に、世界の源が入っている銀の袋を蛍光灯で照らしてみた。透けないのでよく分からない。指で軽く揉んでみる。柔らかく、液体というより綿のようだ。

 僕は思い切って手で銀の袋を割いてみた。すると蛍の光のような、深海魚の光のような淡い緑色をした光源が中から滲み出てきた。僕は慌ててコルクを抜き、小袋の中身を瓶内にひっくり返した。光は尾を引いて長く底に落ちる。光源が全部下に落ちたのを見計らって、しっかりと栓をする。緑の淡い光は底に渦巻いていたが、やがて消えてしまった。瓶内は再び静まりかえる。これでいいのだろうか。僅かに不安が残ったものの、僕はこのまま進むことにした。

 これが終われば、十二時間光に当て、同時間暗闇に置かなければならない。僕は欠伸をしながら黒に塗られた外を見た。今から昼間にするのには無理がある。まぁ、結局は同じことだから逆でも構わないだろう。明日の昼に窓際にでも置けばいい。多分何かしら変化が生じる筈だ。僕は瓶を戸棚の奥に入れ、サワーを飲み干してさっさと寝てしまった。


 次の日の夜、僕は瓶を睨みつけることになった。

 二四時間経っても変化は見られなかった。空っぽの瓶があるだけ。僕の自信は急速に萎んでいった。順序を間違えたからいけないのだろうか。もしかしたら騙されたのかもしれない。分からない。

 とにかく次の手順を踏んでみよう。文句を言うのはそれからでも遅くはない。僕は水に少量の塩を加えてかき混ぜ、コルクを抜いて慎重に食塩水を内部に一滴垂らした。へばり付くように水が底に落ちる。直ぐに栓を閉めて、僕は水滴を眺め続けた。何も起こらない。水はぴくりとも動かず、虚無と源やらの存在はこれっぽっちも無い。化合も変異も変質も期待していたことは何も起こらない。

 僕は自分のお人好しさに笑ってしまった。男の猿芝居に乗ってしまうなんて。きっとこれはただの空の瓶。一日分の給料を掠め取られ、有りもしないことを真剣に行っている自分。男は騙された馬鹿を内心嘲笑っているに違いない。明日変化が見られなかったら、燃えないごみに出してしまおう。僕は盛大に溜息を付いて、机の右隅に瓶を追いやった。


 翌朝、僕は内部を見て愕然とした。水が増えている。

 確かに僕は塩水を一滴だけ垂らした。だが、小瓶の中には数センチの水分がある。ゆっくりと持ち上げ、僕は内容物に目を凝らした。何やら微細な物が混ざっている。軽く降ると、ちゃぷんと音がして水が跳ねた。誰かが僕の部屋に侵入し、瓶に水を入れることなんて考えられない。確実に塩水は容積を増やした。

 僕は胸が高鳴るのを感じた。男は嘘付きでもペテン師でもなかった。彼は魔法をやってのけた。これは本物なのだ! 早くこの先が見たくて堪らないが、仕事を休むわけにはいかない。僕は嫌々職場へ向かった。ふと僕はこのことを同僚に話そうと思ったが、止めることにした。信じてくれないし、変人だと思われる。今話題のミニアクアリウムでもやっているのか、と笑いながら言われるのがオチだ。僕は無言を貫き通し、仕事が終わると速攻で帰宅して作業に取り掛かった。

 アパートの階下にある花壇の赤土と草と葉を少量拝借し、それらを瓶に入れる。濁った水は暫くすると透明になり、土が沈殿した。緑の端切れと砂が水の縁側に浮かんでいる。一見するとごく自然な現象であるものの、僕はそれを凝視した。昨日は三分程で諦めてしまったが、今回はしつこく十分以上眺めた。

 すると、僕は変化に気付いた。見落としてしまいそうな緩慢な変異。目を付けていた手前の土が微かに盛り上がった。ヒドラが発芽をするように、単細胞生物が分裂をするように、土が容量を増やしている。僕の心臓は気違いみたいに高鳴り、呼吸が早くなった。今、非現実的なことが起こっている。創造の奇跡が起こっているのだ。僕は無我夢中でそれを夜の間中眺めていた。


 土はひとりでに盛り上がりを続け、翌日には起伏ある大陸を形成していた。岩盤がそそり立つ粘土質の赤い大地。グランドキャニオンやエアーズロック、もしくは火星の地表を思い出させた。地面は右寄りに隆起しており、左部分の窪みは海となっていた。よく見ると複雑で狭い入江も作られている。小川のようなものもあり、その付近には苔と見られる物が茂っていた。針に似た幹に細かく葉が付いた木々も所々並んでいた。たったひとつまみの物体が、増幅して山谷を形成している。奇跡以外に考えられなかった。造形のプロが一ヶ月掛けて作ったって此処まで見事にはならないだろう。

 その日の夕方、僕は鮭の骨と鶏肉ひと切れ、牛乳数滴、ブヨの死骸を入れてみた。それらは海にぷかぷか浮かんでいたが、いつの間にか溶けて消えていた。幾ら目を凝らしても跡形も無くなっていたので、これらを材料にして進化を始めたのだろう。


 翌日になって僕は手順を一つ飛ばしたことに気付いた。だからなのか、瓶内は代わり映えなかった。花火を買うのが面倒だったから、僕は紙を細く巻いてをプラモデル用のシンナーに浸し、火を付けてみた。想像以上にそれは燃え上がり、内部を煌々と照らした。慌てて蓋をして消火させる。植物が焦げて一部が焼け野原になってしまった。まずい気はしたものの、やり直しは効かない。僕は開き直ることにした。多少消し炭になり、順番が違っていてもどうにかなるだろう。


 六日目になって、僕は自分の毛髪を入れてみた。はさみで三つに切り分け、三角形になるように置いておく。他人の一部にしようかとも思ったけれど、僕は一人暮らしだし、友人のも癪に触る。結局自分で試すことにした。三時間後、髪の毛は溶けて消え、睨み付けるように見ると何かが蠢いているのが分かった。なんらかの生物が生じたのだ。失敗があっても上手くいったようだ。瓶越しではよく見えない。確認したくて堪らなかったものの、七日目は言い付け通り触らないでいた。一度机を足に引っ掛けて瓶を揺らしたような気がしたが、それくらいはご愛嬌だろう。


 早朝、僕はコルク栓を抜いて土の一部をこそげとってみた。ざらざらしている。見た目はれっきとした赤土だ。匂いを嗅いでみても土の香りしかしない。熱い気候になっているようで、むっとした熱気が皮膚に触れる。海も指を突っ込んで舐めてみたが塩辛かった。木も極小ということを除けば木に違いない。

 此処まで調べて、僕は戸棚に虫眼鏡がしまってあることを思い出した。早速引っ張り出して観察してみる。土の上で矮小な虫のようなものが動いているのは見えるものの、形体までは分からない。僕は散々目を凝らし、渋々諦めた。折角生物が生じたのに、見られないなんて最悪だ。なので、僕は思い切って顕微鏡を買うことにした。通信販売で一番安い物を購入する。到着する間は肉眼で見える範囲の変化を探した。待ち望んだ顕微鏡が届くと、早速僕は慣れない操作でシャーレに海水を一滴乗せた。学校以来の使用だったので、幾らかの海水を机に零してしまった。

 顕微鏡を覗くといくつかの影がシャーレの上で動いているのが分かった。僕は倍率を合わせようと四苦八苦した。


 最初に目にしたのは、極めて変わった生物だった。


 魚の身体に透明な翅が生え、下腹部に斑模様の腕が突き出ている。尻の部分には長い尾が付いていた。こいつらが尾をくねらせて右往左往している。個体によっては腕の本数や接続部分が違っていた。映画や小説の中に出てくる怪物よりも奇怪で未知なる生物が、僕の前に立ち表れている。僕は飛び上がって喜びたい衝動に駆られた。僕が生んだ僕だけの生物。これなら証明ができるので友人に嘲笑されることも無いだろう。

 だが、僕はそうする気が無かった。そこまで手間をかけて信じさせようとも思わないし、これに興味を持って分けてくれと言われたら大変だ。他人に話されて話題になっても困ってしまう。これは僕だけの秘密にしよう。不思議な男が僕に与えた謎。不気味で刺激的な世界だ。


 こうして僕の日課は仕事帰りに瓶を眺めることとなった。一日では大層な変化は無いものの、確実に小さな世界は育っていた。中の生物は基本投入した生物の様相を反映するようで魚、鶏、牛、虫、人間の特徴が見られた。それらのパーツがまぜこぜになり、新しい生物を創り出していた。場所によって生息している生物は異なり、顕微鏡で見るとその分布が分かった。

 赤土の白い粒々を観察してみると、顔が人間、尾が魚、鶏冠を持ち、六本の節足を持った生物が見られた。そいつは群体となって行動するようだった。その俊敏で滑稽な動きが可笑しくて僕は吹き出した。

 また、林を調査してみると複眼と牙があり、身体は羽毛に覆われ、腹に幾つもの乳房がぶら下がっている生物がいた。細い足には鱗が付いている。そいつは三度跳ね、此方を見上げて首を傾げた。生物によっては醜くて不快感を覚えたものの、同時に愛着も湧いた。

 僕は猫を飼っている友人から猫の毛を、庭から蟻を採取し、瓶に追加した。するとまた変化が起こった。蟻塚のような盛り上がりが大地に表れ、掘り返した土を顕微鏡で見てみると、蟻の顔に二本の角を持ち、人間の後ろ足に似た足とヒレで立つ生物がいた。黒光りした皮膚はぬめぬめしており、毛に覆われた尻尾は長い。どうやらこいつらが巣を作っていたようだ。その一体が死んだ魚もどきを掴んでいたので、食料にするのだろう。僕は立ち現れる生物を見続けた。


 一度小さな火事があった。僕が海水を掛けて消火した。生じた焦げは三日もすればなくなっていた。今では赤い大地の殆どに生物が住み着いていると思われた。食物連鎖網はあったとしても、瓶の生物達は繁栄を謳歌しているようだった。勝手に育つ微細な生物は、幼い頃に飼ったシーモンキーをなんとなく思い出させた。ふわふわ動く透明な生物は子供時代は異様に映ったものだ。


 小瓶を購入して半年も経った頃、仕事が転勤となった。僕は引越しを余儀なくされ、慌ただしく荷物をダンボールへ放り投げ、新しいアパートに移り住んだ。慣れない仕事に忙しくなり、残業から帰宅してそのまま寝てしまうという生活が続いた。

 やっと要領が掴めて時間が取れてきた頃に新作のパソコンが発売され、思わず購入してしまった。ネットサーフィンをしている内にビジュアルが綺麗なオンラインゲームにはまり、貴重なアイテムを入手しようと躍起になった。興味はそちらへ向かい、瓶に対する熱意は下がってきた。瓶を覗く回数は着実に減り、放置するようになり、いつしか存在を忘れてしまった。そんな折、職場の同僚にこのようなことを問いかけられた。


「なぁ知っていたか? 世界を育てるのがブームになっているらしい」


 僕は「えっ!」と大声を出してしまい、慌てて「何ですか、それ……」と付け加えた。同僚は瓶で育成する世界の話を得意満面で口にし出した。僕は曖昧に返事をしながら、瓶を売る男の姿を思い出した。同僚が話したことは僕が行った内容そのままだった。世界育成は数ヵ月前に話題となり、瞬く間に全国に広まった。現在では予約が殺到しており、数年先まで一杯なのだという。僕は話しを聞いていて残念な気持ちになった。

 僕は家に帰るとパソコンの電源を付け『世界を育てる』と検索してみた。そうしたら多数ヒットし、画像が表示される部分にあの男が載っていた。妙に老獪な面相を持った青年。茶色のコートを着て、同色のハット帽を被って特有の笑みを湛えている。古めかしい英国調の服装は相変わらずだった。僕は上部に載っていた記事を読んだ。男はインタビューにこう語っていた。


『――小瓶の世界は地球とは異なる魅力的な景観や生態系を生じさせます。私達は新しい世界を切り開いた。神や自然のみが世界を生み出し得るという概念はお捨てなさい。この中の生物にとって、私達が創造主となるのです』


 僕は世界の育成について色々と調べてみた。

 あの出店から世界を育てる小瓶は販売を続け、そのビジネスは成功し、同僚が言ったように話題は沸騰して予約は混雑を極めた。社会は世界を内包する小瓶のことで色めき立ち、様々な見解が飛び交った。学者の間でも真偽は二つに割れ、真だとした者でも生成に付いては酷く頭を悩ませた。進化を無視した新生物の創造に、生物学者は発狂せんばかりの狼狽をみせた。

 彼はその秘匿を決して漏らそうとしなかった。虚無と源の抽出方法は彼のみが握っており、誰も知り得なかった。科学的アプローチを試みて生成の秘密を暴こうとしたり、内容物の半分を違う瓶に移し替え培養を試みたりした者がいたが、いずれも失敗した。最初に根付けした場所から移動すると生物は死滅し、陸や海でさえも変調を来たし、二度と再起できないようだった。原因は解明されていない。生物保護や宗教の観点から反対意見を出す者や男を詐欺師扱いする者、新興宗教を作る者などが現れ、世界は瓶の話題で湧いていた。新興宗教の一派にこんなキャッチフレーズがあった。


『我々の世界は瓶の中にある。しょせん創造主の気紛れで消えてしまう。だから我々は今を生きなければならない』


 僕は馬鹿馬鹿しさに思わず笑ってしまった。宇宙は無限なのに何を言っているのだろうか。ガラスの壁なんて宇宙にはあるはずがない。他にも異世界の神秘さを崇めたり、新生物の生成に神を見出そうとしたりする宗派もあった。

 男はまた、こう言っていた。


『まだ異世界は多くの可能性を秘めています。私達は氷山の一角を見ているに過ぎません。一種の魔術だと錯覚されるかもしれませんが、これはれっきとした科学に基づいております。そう、この者達にも科学は通用します。地球と同じく巧妙なバランスによって成り立ち、僅かな重みで揺れ動く天秤。しかし、私はその秤に錘を乗せ、思いのままの数値を出してみせます。現在、私は無知故の不規則性に悩まされております。それはそれで魅力的で美しい景観を立ち表せてくれますが、秩序の光を浴びてはおりません。明確な項目を設け、順守すれば調節は可能なのです。莫大なデータを元にし、将来は世界を意のままに生じさせられることを約束致します。また、異なる瓶から生じた新生物の交配も研究しております。地球の生物を元にせず生成できるようになるかもしれません。どうです、素晴らしいことではないですか』


 形成した世界の展覧会やコンテストが開催され、いかに芸術的な世界と生物を創造できるかが競われた。裕福層では瓶を所有することが一種のステータスとなった。

 三年後には大手アミューズメントパークと手を結び、世界館も開館される予定である。場所は検討中であるものの、十三ヘクタールの敷地を利用した巨大な施設には幾つもの容器が設置される。様々なコンセプトによって吟味された世界を作り、展示する。興味深い異世界を誰もが眺められることは、未来には水族館と同じように普遍的なこととなると彼は言っている。

 また、明日の夜に『私だけの小さな世界』という題名で特集がテレビ放送されるようだ。彼が直々に瓶の素晴らしさについて語るようで、高視聴率が予想されるという。

 僕はこの熱狂さに呆れ返った。正直どうでも良かった。僕は小さな世界に対する興味をすっかり失っていた。別に世界といってもメダカやカブトムシを育てているのとそこまで大差無かったし、育成ゲームだってごまんとある。僕は流行が嫌いであり、皆が持っているものを持ちたくないという捻くれた感情があったのだ。


 僕はふと小瓶の世界を売ることを思い付いた。一から育成は不可能だが、観察は充分にできる。きっと中古でも購入した値段より高く売れるだろう。

 僕はダンボールの奥底から瓶を取り出し、眺めてみた。様相がだいぶ変化している。赤い表面が灰に変わり表面が平らになっており、緑色が減っている。中央には銀色の塔のようなものが立ち並んでいた。海にも毛細血管状に陸が走っているようにみえる。川には何個かの灰色の線が横切って走っている。微細な細長いものが空を飛んでおり、四角い粒が陸を動いている。

 僕が無頓着であった間にどれかが知能を高めて、随分繁栄したのかもしれない。

「ふーん。僕がいじくらなくても元気に育っているんだ」

 折角なので顕微鏡で見ようかと考えたものの、それを何処にしまったのかを覚えていない。懸命に思い出しながら瓶を机に置こうとすると手が滑り、瓶はフロントの床に叩きつけられてしまった。瓶は二つに割れ、中身が床にぶちまけられた。

「あーあ、落としちゃった」

 ティッシュで水分を拭き取り、土を瓶の片割れに集めて乗せる。丁度いい小瓶を探したが、見つからない。取り敢えずトレイに乗せ、棚の奥を引っ掻き回していたが、段々と探すのが面倒になってきた。

 僕はふとネットでは偽物が多く出回っていると記事に書いてあったことを思い出した。新しい瓶に入れたとしても説明書を無くしてしまったし、ぐちゃぐちゃの状態では贋物と思われるだろう。それに、瓶を変えると生物は生きられないことも思い出した。瓶を接着剤で付けてみたら復活するのだろうか。無理な気がする。これでは手間と利益が割に合わない。

 僕は机上にあったトレイを持ち、しばらく眺めていたものの、深く溜息を付いた。

「まぁいいか」

 僕は中身をごみ箱に放り込んだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませていただきました。 発想が面白くて文章が丁寧で良かったと思いました。
2018/01/07 12:57 退会済み
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