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湖に落とされた少年は、薄れ行く意識の中、鈍い思考を巡らせた。
苦しい。冷たい。でも、綺麗。ああ、ここは・・・青く澄んだ水の中。
どのくらいの深さだろう―――わからない。底が見えなかったから。
見えたのは、初めて見る自分の姿だった。
体は動かない。力が入らない。
沈んでいるのか?浮いているのか?―――光が遠ざかっていく。つまり、沈んでいるのだ。
このまま、死ぬのだ。
―死ぬのか―
うん
―死にたいか―
わからない
―生きたいか―
わからない
―どうしたい―
わからない
―私はお前を知っている―
どうして
―教えて欲しいか―
うん
―どうしたい―
知りたい
―生きたいか―
うん
―死にたいか―
死にたくない
―死ぬのか―
死にたくない
遠くから、近くから、声が聞こえた。水の中でハッキリと。凛とした澄んだ声が。
声に導かれて出た答え。
死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない!
そう意識した瞬間、急に息苦しさが戻ってきた。
「ぐぷっ!ぐぐ・・・ゴボッ」
苦しい苦しい苦しい!!
少年は必死に両手両足をバタつかせる。
光が上で暗闇が下。ならば光に向かって手を伸ばす。
そうして伸ばした手に突然強い力が働き、全身が勢いよく上に引っ張られた。
「ぷはああっ!!がはっ・・ごほ・・はぁ、はっ・・ゼエゼエ・・・」
「っは!ハアハア・・・陛下、大丈夫ですか・・・息をっ・・・してください」
そこには水面から顔を出したラウの姿があった。水を十分に含んだブラウン色の髪の毛がラウの表情を隠す。深くまで潜ったのか、ラウも息が乱れていた。
息。
そう、息をしなければ!吸って吸って・・・苦しい!
「息・・・吐いて!吸って、ぷはっ・・・吐いて!」
空気を求めるあまり、吐くのを忘れてしまっていた。
「すぅ・・はっはっ・・・すー・・・はぁっ・・ごぽ」
息ができたことを認識したら、途端に次にどうすればいいのかわからなくなってしまった。怖くなって手足をバタつかせると、体がまた沈みだす。
「はっ・・ぐぐぽ・・たす・・たすけ・・・」
記憶を何も持たないこの体は、泳ぐことを知らないのだ。
その様子にすぐに気づいたラウが近づく。
「俺の肩に、手を!」
ラウは自身の肩に手を回すよう少年に指示する。しかしパニック状態に陥った状態では、その声は届かない。ラウの判断は早く、次に両腕を少年の膝裏と腰に回す。少年の細い腕が動き回りそれを妨害するが、成人男性の力には敵わない。
「大丈夫です!大丈夫。動いちゃダメですよ。そう、そのまま・・・」
ラウは落ち着いた声色で話しかける。
体を支えられ、少年の顔が完全に水面から浮く。水の障害なく呼吸ができる。
「人の身体は、動かずに力を抜けば浮くようにできているんですよ」
窮地を脱したことによる安堵、そして無事を確認したことによる安心から、ラウの顔には再び優しい表情が戻っていた。
「さ、俺の肩に手を。掴まっててくださいね。あがりましょう」
そう言ってラウは少年を抱えたまま岸まで泳ぎ、少年は無事に湖を脱する。
湖はまた静かに水面を煌かせていた。
湖を上がると、見知らぬ大男が倒れていた。これはどういうことなのか。少年はここで初めて大木のような大男を認知した。
先ほどまで世界がぐるぐるしていたため、まわりの状況など何もわかっていなかったのだ。
その男に近づくと、その体の下に赤黒い液体が溜まっているのに気づく。少年はそれが血だと理解した。
「近づかないでください。深手を負わせました。意識が戻るまでしばらく動けないはずです。放っておけば死にます」
「死んじゃうの?」
「ええ、残念ながら・・・」
そう聞く間に、ラウに先ほどの布で体を拭かれ、そのまま体に巻かれた。
「たすけなきゃ・・・」
ポツリと静かに呟くと、少年はその大男の元へ駆け寄った。
「なっ・・・何言ってるんですか!この男は貴方を殺そうとしたんですよ!」
ラウが荒い声をあげたことに驚き、少年の体が小さく跳ねる。ラウの言葉から苛立ちが感じられ、彼を怒らせてしまったように感じ、困惑する。だが目の前の大男のことを、少年はよく覚えていない。
「でも、死んじゃうんでしょう?」
「今は貴方の身が優先です。早くキャンプ地へ戻りましょう」
そう言われた時、少年はあの気分の悪さが嘘のように無くなっていることに気づく。自分でも信じられないが、不思議と混乱も治まっているのだ。誰かが自分を知っていてくれていた、そう感じたから。
「もう、大丈夫みたい・・・苦しくないよ」
「な・・・!?」
ラウは驚き、再び少年の額に手を当てる。
「・・・熱が引いている」
先ほどまであれほど体調を崩していたのに、確かに今はしっかりと立ち、それに歩けている。
だが、それも今だけかもしれない。
「とりあえずキャンプ地へ行きましょう」
「この人は・・・?」
依然と食い下がらない様子の少年に、ラウは呆気にとられるも、その表情から子供の純粋で無垢な要求だと感じた。
「わかりました。貴方がそこまで言うのなら・・・」
ラウはそう言うと馬に乗せている荷物から銀色の小さな丸い缶を取り出した。
「俺たちの国に伝わる秘伝の塗り薬です。止血作用と鎮痛作用のある傷薬。こいつなら、コレがなんなのかわかるでしょう。あとは、こいつの仲間が助けるかどうかですがね」
大男のそばに缶を置き、ラウはその場を去る。
その意味が、後は運命に任せることなのだと理解した。
少年は大男の前にしゃがみこみ、頭を撫でた。
「生きてね」
そう一言告げ、ラウの元に駆け寄る。
その行動に、ラウは不思議と嫌悪感は抱かなかった。自分にはできないことを代わりにしてくれたのではないか、と感じずにはいられなかった。自分も、元部下であった彼に少なからず情はあったのだから。
「さぁ、行きますよ。今度はちゃんと馬に乗りましょうか。酔わない乗り方を教えます」
二人は馬に跨り、キャンプ地を目指す。