喫茶店にて
まあ、いつも以上に拙い文ですよ。
「私ね、売春していたの」
女はそう言うと、手元のコーヒーを少し飲んだ。苦くはない。砂糖はそれなりに入れていたから。
「親の借金の代わりにね。そうしないと酷い目に遭わされそうだったから。でも、私にとってはこっちの方が酷いことだった」
話と対照的に声は明るい。でも、目はしっかりと彼の方を向いていた。底の見えない目をした彼に。
「まあ、女の子にとってはそうだろうね。僕も沢山見てきたし」
わかっている風に、聞こえる。実際はどうなのだろうか。
しかし、女は構わず話を続けた。
「私の他にも、売春している人はいたの。それも沢山。でも友達という関係にはなれなかった。私達は、そんなヒマなかったから」
女はコーヒーをさらに飲んだ。あまり、上品とは言えない飲み方だった。
「中々、随分な生い立ちだ」
彼女は彼のその言葉に哀れや同情という気持ちは一切なかった気がした。よくあることだから同情しても仕様がないと思っているのかもしれない。
だが逆にそれが嬉しかった。女も同情してもらうために話しているのではない。寧ろ、その方がありがたいとさえ思っている。
「そんなある日にね、男の子が一人連れてこられたんだ。私たちと同じ様にされるのかなって思ったんだけど違ったの。そうね……見せるために連れてこられたって感じ。でも、まさかその男の子が私を救って……、いやそうでもないかも……」
女は少し考えた。自らの記憶を辿っていた。"あの事"を自分なりに納得させようとしていた。随分昔に納得させたはずなのに。けれど、人に話す上で、もう一度だけ考えた。
そして結論付けた。
「あの男の子は、あそこにいたただ一人以外、殺そうとしていたのね」
女の手元のカップに、コーヒーは無かった。
「実際、沢山の人が殺されて、生き残ったのは男の子が連れて行った女の子と、隠れていた私含めて数人だけだった。その後は色々あったんだけど……」
女はポケットの中から、財布を出す。とても厚い。どれほどの金が入っているかはわからない。
しかし、それを男に向かって投げてしまった。
男は軽くそれを受け止める。そして、中身を確認してそっと言った。
「スリ師……とでも言うのかな? 君の生業は」
「そうね……。たまには詐欺もやるし、泥棒もするわよ」
「成る程」
「でも……」
「僕の財布をスレなかったのは残念だったね」
「まったくよ」
溜息をついて、女テーブルに頭を打ち付けた。
女は、男の財布をスロうとした。しかし、男は簡単にその女をとり捕まえてしまった。ここで女は運の尽きかと思ったが、どういうわけか男は喫茶店に連れ込み、彼の奢りでとこうしてコーヒーを飲みながら会話をしていた。
女も別に身の上話するつもりもなかった。けれど、男と話しているうちに自然と口から出てしまっていた。彼女自身不思議に思っているのかもしれない。自分が裏稼業だとバレてるから、というのも多少なりともあるかもしれない。
「でもまあ、こんなことしないと生きていけないようになってしまったのは情けないわ」
まるで自分で自分を嘲笑うかのように言った。だが対して男はニコニコと笑いながら、
「さあね。僕はいいと思うよ。生きることに真摯で」
とさもそうであれと肯定する。
「あなたって変な人ね」
「それはよく言われるよ」
「へぇ……」
ジトリとした目で彼を見るが、対して気にもとめられなかった。
「そうだ」
男は、胸のポケットから名刺を出し、女に手渡す。そこには、ヒビトという名前と電話番号が書かれていた。そして、肩書きは詐欺師兼……なにかおっかない職業ばかり書いてある。
「フッ、なによこれ」
あまりにも堂々と詐欺師を名乗っているものだから、女はつい可笑しくなった。でも、ヒビトと名乗る男は結構真面目にやっている……こともなさそうだ。
「おもしろくて、いいでしょう?」
「確かに面白いけど……」
呆れ半分だった。けれど、ここまでくるとそんなヒビトという"人間"のことを、好意的に思えた。
「私も……名乗った方がいいかしら?」
「いや、その必要はないさ」
「なんで?」
「知りたいことは自分で調べる主義だからね」
そう言うと彼はその場を立った。
「もう、行くの?」
「そろそろ帰らないと、娘がうるさいからね」
清々しいほど憎らしい笑顔だった。
「君の話はとても興味深かったよ。また逢えると、僕は嬉しいね」
そう言って、男は喫茶店を後にした。
残された彼女は、その男の背をいつまでも見送るしかなかった。雰囲気は穏やかなのに、どこか近寄れない雰囲気が、彼にはあったから。それでも今までの会話を思い出すと、あんな話をできる人なんてそういないんだろうなと感慨にふけった。
また逢えるといいな。
冷めてしまった甘ったるいコーヒーをくくっと飲み干した。
「生き残りがいたんだねえ……」
ニヤリと彼は笑みを浮かべる。曇天の下には、彼一人しかいなかった。