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白鳥と女王様

 シャワーを浴びながら、小雨は今日の事を思い出していた。


 ほとんどが移動時間だったけれど、海は綺麗だし、部屋は広いし、料理はほっぺたが落ちるかと思うほど美味しかった。天国ってこんな感じかな。早く死にたくなった。嘘だけど。袴田先輩についてはあまり評判が良くなかったので不安もあったのだが、来てよかったと思う。

 浴室を出てリビングに戻ると、真紀が水着姿で一人ファッションショーをやっていた。肌白っ!脚細っ!真紀は美人だし、私ぐらい身長があったらきっとスーパーモデルになっていただろう。チラシじゃない方のスーパーモデルに。真紀の身長は160センチ弱で、私より頭ひとつぐらい小さい。ダークブラウンの縦ロールなんて私がやってもコスプレにしか見えないだろうけど、真紀はとても様になっている。さすが、本物のお嬢様。

 私の視線に気付くと、


「どう?この水着……似合うかな?」


と、いくつかポーズを作って見せた。


「うん、よく似合ってるよ」


白いビキニで、腰に長いパレオを巻いている。清楚な感じで、本当によく似合っている。


「ふふふん♪」


真紀はご満悦といった表情で、浴室に向かった。


 真紀の風呂は長い。どこをそんなに洗うのだろうと、真紀の部屋に遊びに行くたびに思った。海を眺めながら、昔の事を思い出す。


 子供の頃、まだ瞬の家の向かいに引っ越してくる前の事だ。隣の家はとても大きなお屋敷で、瀟洒な建物の周りに広い庭があり、たくさんの花が植えてあった。花園のバラの茂みを縫うように、いつも小さくてふわふわした白い犬が走り回っていた。ホワイトテリアという犬種だと知ったのは、最近のことだ。

 その庭に時々、お人形さんのようにきれいな女の子が、物憂げな表情で座り込んで、花や犬を眺めていた。その女の子が、真紀だった。お互いの親が世間話をしている間に何度か話す機会があった程度で、それほど親しく遊んでいたわけではない。どちらかというと、話しかけにくい雰囲気があったし、何より真紀は無口だったからだ。

 やがて、父親が転勤になって瞬の近所に引っ越すことになった。私の記憶の中にあった真紀は、いつも憂鬱そうな女の子だったし、その記憶さえも薄れていた。だから、大学で向こうから声を掛けられるまでほとんど忘れていたし、思い出すのに時間がかかった。昔とは似ても似つかない、明るくてかわいい女の子だったからだ。真紀はなかなか女子に好かれないタイプだけれど、私が真紀に反感を覚えないのは、昔の真紀を知っているからかもしれない。


 回想をやめて、バッグから太宰治の「斜陽」を取り出し、ページをめくって、読み終えた頃に真紀が浴室から帰還した。黒いネグリジェだ。ネグリジェなんて、私は持ってねえよ。そして、勿論すっぴんになっていた。


 真紀は化粧を落とすと人格が変わる。どういう仕組みになっているのかわからなかったが、とにかく別人に切り替わるのだ。真紀はすっぴんでも美人である。化粧を落とすとクリーチャー、という意味ではない。私が子供の頃に見かけた、あの物憂げな真紀に近い、無口で無表情、そしてクールな真紀になる。しかし、昔の真紀とは違って、陰鬱な雰囲気はなく、むしろ威厳を感じるクールさだ。メイク後の真紀がお姫様だとすれば、すっぴんの真紀は女王様、とでも言えば伝わるだろうか。


「なに?」


まじまじと見つめてしまっていたようだ。


「何度見ても、不思議だなぁと思ってさ」

「そんな、見世物じゃないんだから……」


そう言うと、真紀はスタスタとベッドに向かい、荷物から本を取り出して読み始めた。


 お姫様の真紀は雑誌を読んでいる事が多いが、女王様の真紀はミステリを好んで読む。本の背には、「黒猫の三角」と記されていた。二つの人格で全く趣味が違うから、荷物が多くなるのだろう。私は、「斜陽」をバッグに仕舞って、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」を取り出し、また読み始めた。

 波の音をBGMにしながら、お互い黙々と読み耽る。時々、ペラリとページをめくる音。私のような人間にとって、ずっと話し続けなければ間が持たないような女友達は苦行でしかない。その点、真紀はやはり得難い親友なのだ。

 話が「笑い男」に差しかかったところで睡魔さんがいらっしゃった。


「寝るね」

「うん。おやすみ」

「明日何時起きだっけ?」

「たしか、朝食は八時だったよ」

「了解~。おやすみぃ」


ベッドに入ると、すぐに眠りについた。


 気付けば朝になっていた。涎を拭いて体を起こし、時計を見る。七時十分……。もうちょっと寝てもいいかな……。

 ふと、化粧台を見た。真紀が座っている。

 職人の朝は早い。真紀のためにあるような言葉だと思った。


 朝食はトーストとスープとサラダ、そしてベーコンと目玉焼き。意外とシンプルだった。今日は結局本当にビーチバレーをすることになったらしい。マジで気が滅入る。真紀は一旦離れに戻り、水着に着替えることになった。私も離れに戻り、多少汚れてもいいTシャツとショートパンツに着替えた。昨日は暗くてよく見えなかったが、離れも別荘と同様白一色で統一されている。そんな法律でもあるのだろうか。


 別荘から砂浜までは歩いて五分ほどの距離だ。着替えを終えた私たちは、そのまま砂浜まで歩いて行った。砂浜には、瞬が一人佇んでいた。一足先に着いていたようだ。瞬の姿を認めると、真紀はまっすぐ瞬の方へ歩いて行った。

 瞬の目の前まで辿りつくと、その場で一度、くるりと回ってみせる。


「どう?」


瞬は首をポリポリと掻いて、


「うん……すごく綺麗だよ。なんだろう……白鳥みたいだね」


これはお世辞ではないな、と思った。瞬とは付き合いが長いから、嘘をついているかどうかは何となくわかるのだ。


「……ありがとう」


真紀もほんのり頬を赤らめて、両手で顔を覆う仕草をして、体を軽く左右に揺らした。ぶりっ子め。


「先輩達はまだかな……もうちょっと待ってみようか」


瞬が目を細めながら別荘の方を眺める。


「うん」


真紀は満面の笑みをたたえている。かわいいなあ。かわいいよ、真紀は。

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