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波の音

 玄関を入りホールを抜けると、広いリビングに大きなテーブル、それを囲むように何脚かのソファが並んでいた。

 真紀は、自分の別荘よりは狭いな、とは思ったけれど、それなりに素敵な雰囲気の別荘に感じられた。リビングの、海に面した南側の壁がほぼガラス張りになっており、海を広く見渡すことができた。その海を見渡すような格好で、ソファに腰掛けて新聞を読んでいる老紳士がいた。袴田家の当主、繁幸氏のようだ。袴田先輩が声をかけると、繁幸氏もこちらを振り向いた。ロマンスグレーで、銀縁眼鏡をかけた、長身で知的な雰囲気の男性だ。私たちが一通りの自己紹介を済ませると、


「へえ、来るのは男の子だと聞いていたんだが、随分かわいらしい女の子を連れてきたんだね」


と言って私をしげしげと眺めながら、相好を崩した。鼻の下を伸ばした、という表現の方が的確だろうか。なるほど、見た目には正反対だが、こういうところが袴田先輩に受け継がれたのだな、と理解した。

 繁幸氏と世間話をしているうちに、奥のダイニングからお淑やかなご夫人が現れた。


「妻の良子(よしこ)です。」


繁幸氏に紹介され、私たちも会釈をする。


「吉雄が友達を連れてくるなんて初めての事なんですよ」


と、初めは和やかな雰囲気だったのだが、繁幸氏の鼻を伸ばした顔を見ると、


「あら……来るのは男の子だと聞いていたのに、女の子も一緒なのね……」


見る見るうちに表情が曇った。


 険悪になりかけた空気を破ったのは瞬だった。


「先輩にはいつもお世話になっております。サークルのメンバーはみんな、先輩の事を頼りにしているんですよ」


その一言で、またご両親の表情が明るくなった。息子を褒められて悪い気がする親はいないだろう。

 それから、使用人の吉川夫妻を紹介された。髪を短く刈った職人気質の中年男性が忠司氏で、普段はこの別荘の管理人を任されており、一家が滞在する際には住み込みでお世話をしてくれるそうだ。若い頃は有名なフランス料理店で修業していた一流のシェフで、料理には期待できそうだった。景子さんは忠司氏と同年代だろうか、控えめで大人しいご婦人という印象を受けた。


 それから、リビングで大学生活の事などを話しているうちにディナーの時間となった。

 花壇の裏側が菜園になっており、そこで採れた新鮮な野菜を使っていると、食前に説明を受けた。素材を活かしたシンプルな料理で、それなりに美味しいとは思えたけれど、盛り付けのセンスが今一つのように感じられた。だが、招待されたディナーでそんな事を考えてはいけない、と思い直した。都会から離れた場所で食べられるものとしては、格別に美味しい料理だ。

 ディナーの最中も大学生活の話に花が咲き、瞬が十八番(おはこ)の作り話で先輩の顔を立てる形となった。私と小雨はサークルも違うし、先輩とは普段接点がないので、適当に相槌をうつだけだった。


 ディナーが終わると、私たちは来客用の離れに移動した。いつの間にかすっかり夜が更けており、空を見上げると、金粉を吹き散らしたような満天の星空が広がっている。今宵は三日月。見慣れた月でさえも、いつもより一層明るく輝いて見える。辺り一帯、そこら中から虫や蛙の大合唱が聴こえてくる。

 別荘の北側、芝生の間に引かれた畦道のような道を歩いて二、三分のところに離れがあった。

 玄関をくぐると、そのまま廊下が続いており、廊下に面して左右に三部屋ずつ、計六部屋があるようだ。そのうち奥の二つは使われておらず、左側の中央の部屋を袴田先輩、右側の中央の部屋を心美ちゃんが使っている。瞬は左側の手前の部屋、私と小雨には右側の手前の部屋が割り当てられた。両親と一緒だとゆっくり羽根を伸ばせないため、先輩と心美ちゃんもこちらの離れで過ごす事が多いそうだ。


 部屋に入ると、十二畳ぐらいのリビングの中央に丸いテーブル、それを挟んで、寝そべっても気持ちよさそうなソファが二脚。正面にはやはり大きな窓があり、海と星空がよく見渡せる。リビングから寝室、バス、トイレがそれぞれ独立して繋がっており、寝室には二台のベッドと小さな冷蔵庫。浴室も広く、バスタブで足を伸ばしてゆったり寛ぐのが楽しみになった。小雨は、荷物を解くといそいそとシャワーを浴びに行った。私の方が荷物が多い分、出遅れてしまった。先を越されたか……。


 仕方がないので、海を眺めることにした。波がゆっくりと満ちては引いていく。窓は閉めたままだったが、かすかに波の音が聞こえた。明日は何をするのだろう。まさか、大学生にもなってビーチバレーがやりたいわけでもなかったが、この日のために悩みぬいて選んできた水着姿を瞬に見てもらいたかった。褒めるたびに、毎回違った表現を選んでくれることが瞬の美点の一つだと思っている。明日は、何と言うだろう……。


 小雨と再会し、再び友達になって、初めは瞬のことを小雨の幼馴染としてしか見ていなかった。自惚れるわけではないが、私に言い寄って来ない男性がいる事には多少驚いた。私のために険悪になった空気を上手く和ませてくれる、便利な男……。最初の印象はその程度だった。それがいつの間にか、何を考えているのか、何を見ているのか、視線を追うようになり……今ではもう、ただの友達としては見られなくなっている。自分でも不思議な感情だった。


 そもそも私は、より多くの人に愛されるために、もう一人の私の、無意識の海の中から生まれてきたはずだった。それが、たった一人の青年に心を奪われ、独占されたいとさえ思っている。

 これが、所謂恋というものだろうか。恋愛感情というものの概念は理解しているつもりだが、今の私に芽生えた感情は、恋と定義できるだろうか。彼女……もう一人の私は、どう捉えているのだろう。胸に手を当てて呼び掛けてみたが、答えは返ってこなかった。

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