麦わら帽子
いつの間にか皆無言になり、車のエンジン音と、静かな波の音だけが車内に響いている。もう眠ってしまったのだろうか、と気になって、真紀は瞬の横顔を横目でそっと盗み見た。
瞬は眠っていなかった。海なのか、空なのか、瞳に青く映り込んでいる。どこか遠くを眺めている。
いつものように。
その表情が、太宰治に少し似ている、と真紀は思う。太宰を少し幼くした感じ。
瞬は大体いつも、こんな風にぼんやりと遠くを眺めている。何か、物思いに耽っているように見える事もあるし、本当は眠っているんじゃないかと思ってしまうほど、ぼうっとしている事もある。
今はどうだろうか。
前者のような気がする。
瞬の場合は、何か煩わしいものから逃避したい場合にぼうっとする事が多いようだ。しかし、今は、彼を遮るものは何もない。
相変わらず表情には出さないけれど、内心では楽しんでいるように見えた。
空がやや翳り、風がひんやりと感じられるようになったところで、袴田家の別荘が見えてきた。右手に広がる浜辺を見下ろす形で緩やかな緑の丘になっている。その頂上付近、道路から見て左側に、浮かび上がるように白い建物が見えた。
いつの間にか舗装は途切れ、一面に広がる芝生の中に一本だけ通っている、左に緩やかにカーブした土の道路を登っていく。別荘の周囲に花壇が広がっていて、たくさんの花が植えられているのが見えた。もっと明るいうちに見られたら、おそらくもっと綺麗だっただろう。
別荘の前で車が停まった。改めて、じっくりと別荘を眺める。木造のシンプルな造りで、壁からテラスまで白く統一された外観が緑の丘によく映えている。遠目に見た印象よりは幾分小さいようだ。
車を降りて外観と風景のバランスを鑑賞していると、ふと、別荘の前の花壇にしゃがみ込んでいる人影が目に留まった。
「お~い、心美!着いたぞ!」
袴田先輩がそう呼びかけた。心美と呼ばれたその少女は、長い黒髪を靡かせながら、すっ、と立ち上がった。青いワンピース。白いリボンの巻かれた、つばの広い麦わら帽子を被っていて、顔はよく見えない。
「兄さん?」
その少女がこちらを振り向いた。視線がまず袴田先輩を捉え、次に、私の隣に立っている瞬に移動する。
「紹介するよ、俺の妹の心美。まだ高校生。JKなんだぜ」
「心美です。よろしくお願いします」
心美は麦わら帽子を脱いで胸にあて、爽やかに微笑んでお辞儀をした。
茶髪にロン毛で、スラングだらけの英語の書かれたTシャツにハーフパンツという出で立ちの袴田先輩とは似ても似つかない、清楚な女の子だ。表情にまだあどけなさが残るが、くりっとした目が印象的な、かわいい女の子だな、と思った。
「先輩にこんなに可愛らしい妹さんがいるなんて、初耳ですよ。瀬名瞬です。よろしく」
瞬も微笑み返す。
「きれいな髪だね」
きっ、と、反射的に瞬の背中を睨み付ける。こういうところは抜け目のない奴だ。
「あ、ありがとうございます……」
心美はふっと目を伏せて、恥じらっている。
「おいおい瀬名、心美はずっと女子校の箱入り娘なんだから、変にちょっかい出すんじゃないぞ?」
袴田先輩が瞬の側頭部を小突いた。
「わかってますよ、ちょっかいなんて、そんなつもりは……」
そんな二人を笑いながら眺めていた心美が、ちら、とこちらを見た。視線に気付かれただろうか。慌てて笑顔を作る。
「ああ、こっちは、瞬と同級生の、真紀ちゃんと小雨ちゃん」
心美の視線がまっすぐに真紀を見据える。
「初めまして、西野園真紀です。よろしくね」
「京谷小雨です。小雨って呼んでね」
数秒間、視線がぶつかったような気がしたが、おそらく一瞬の事だったはずだ。心美は、またすぐに朗らかな笑顔で小雨を見た。
「こちらこそ、よろしくお願いします……お二人とも、お綺麗ですね」
「お綺麗なんて、そんな……言われたことないよぉ」
お世辞のような気がしたが、小雨はまんざらでもないといった風に笑っている。
「心美ちゃんも、とってもかわいいよ!」
私も精一杯の笑顔で牽制球を送る。
「自己紹介は終わったかな?じゃあちょっと両親を紹介するからさ、皆上がって上がって!」
袴田先輩が別荘の玄関へと歩きながら手招きする。心美がその後に続き、瞬がそれを追うようについていく。
「真紀?どうした?疲れた?」
小雨が振り返ってこちらを見た。
「ううん、全然」