瞬の推理
『当たり前じゃん、家族がどうして先輩を殺すの?』
小雨のその一言が、真紀の心に小さな染みを作っていた。そんな風に、何の疑いもなく人の心を信じることができる小雨の事を、とても素敵だと思う。しかし……果たして、そうだろうか。私も、もう一人の私も、そこまで純粋に人を信じることはできない。例えそれが家族であっても……。
横目でちらりと瞬を見る。
こんなに嘘吐きな人間は、そうはいない。
きっと、信じられない事が心地いいのだ。
人は皆、多かれ少なかれ、人を信じたい、信じなければいけない、信じるべきだ、でも信じられない、信じてもらえない……そうした、『信じる』という呪縛に囚われている。
瞬といる間は、『信じる』という重荷から解放される。『信じなくてもいいよ』と、彼の瞳が語っている……そんな気がするのだ。
ずっと卓袱台を見つめていた瞬が突然、こちらを見た。
「ん、何?次は俺の番かな?」
慌てて話を合わせる。
「え、う、うん……何か、思いついた?」
瞬は、卓袱台の上に視線を戻し、そのまま、ぼんやりと考え込んでいる。
「う~ん……俺は、ちょっと難しく考えすぎなんじゃないかと思うな……」
「難しく……というと?」
「マスターキーが存在する以上、先輩の部屋は厳密には密室とは言えないと思うんだ」
なるほど、そちらのアプローチか。
「という事は、つまり、吉川さんが持っていたマスターキーが犯行に使われた、と考えているのね?」
「ああ。もし、そのマスターキーを吉川さんが肌身離さず持っていたのなら、犯人は吉川さんでしか有り得ない事になる」
「マスターキーを基点に考えれば、そうなるわね……」
瞬は卓袱台に両肘をついた。
「袴田夫妻がその姿を見かけたといっても、ずっと監視していたわけじゃないから、完全なアリバイとはならないし、袴田夫妻以外の証人は妻の景子さんしかいないのだから、証拠として考えることはできない。急いで離れに向かって、先輩を殺害し、また別荘に戻るぐらいの時間はあったんじゃないかな」
「別荘から離れまでは、歩いて二、三分だったかしら?」
「雨でぬかるんでいたから、もう少し時間はかかったかもしれない。でも、吉川さんなら、勝手知ったる通り道だろうから、それほど苦労はしなかったかもな」
真紀は、往復と殺害にかかる時間をざっと計算した。
「じゃあ……10分もあれば、別荘から離れまで歩いていって、先輩を殺害して再び別荘に戻っても、時間的には余裕がありそうね」
「ああ。まあ、先輩を殺してすぐに部屋を出て、鍵をかけて、俺達が様子を見に行く前に離れを出なくちゃいけないわけだから、結構ハードスケジュールだとは思うけどな」
「なるほどね。それで、内側の密室は説明できる。じゃあ、外側の密室はどう?吉川さんの足跡は一つだけ、別荘から離れへ向かった時のものしか残っていなかったわ。これはどう説明する?」
瞬は小さく頷いた。
「うん。一応、アイディアはある。すべて、自分の足跡の上を歩いたんだよ」
小雨が、はっ、と驚きの表情を見せた。その手があったか、と目が語っている。
「つまり、別荘からやってきて、先輩を殺害する。帰る時は、後ろ向きに足跡をなぞって別荘に戻り、次に離れにやってくる時には、またさっきの足跡をなぞって歩いていく。これなら、足跡は一つしか残らない」
「なるほどね……確かに、それが可能なら、外側の密室も崩れるわね」
「うん……どうかな?」
瞬が私の顔を覗き込む。なんだか、おやつを待っている子供のような純粋さを感じて、胸がきゅん、とした。そうだね、えらいね、と言ってしまいそうになるのを、どうにか抑える。
「確かに、有力な仮説だとは思うけれど……でも、現実的に、あの真っ暗な中で、自分の足跡を探して、後ろ向きで急いで別荘まで戻る、という事が可能かしら?」
瞬の表情が曇る。罪悪感という甘い毒が一滴、心の水面に染みわたっていく。
「それに、別荘から離れへと戻ってきた時には、瞬と繁幸氏も一緒だったわ。そんな状況で、誤らずに自分の足跡を辿っていけるかしら……一緒に歩いてきて、瞬は何か不審な印象を持った?」
瞬はゆるゆると左右に首を振った。
「いや……まっすぐ、離れを目指して歩いていたよ」
「うん……とても、いいアイディアだと思うけれど、現実的には難しいかな……」
「う~ん、いい線いってると思ったんだけどなぁ」
苦笑いしながら、顎をさすっている。いつも、何に対してもはぐらかすような事ばかり言う瞬が、こんなに真剣に物事を考えている姿を、初めて見たような気がした。それだけでも、この場で話題を提供した意義はあったと思えた。
さて……。ここまで二人の推理を否定しておきながら、私が何のアイディアも出さない、というわけにはいかないだろう。しかし、自分である程度有力だと思えていたアイディアは既に二人が話してしまったし、二人の話を聞きながら考えているうちに、それが誤りである事も証明してしまった。あとの選択肢は、もうかなり突飛なものしか残されていない。ちょっと、苦しいなあ……と、真紀は心の中でぼやいた。




