密室
なんだろう、今の悲鳴は。男の声だ。先輩の声のようにも聞こえた。尋常な叫び声ではなかった。
「兄さん……?」
心美ちゃんも体を起こす。
「やっぱり、今のは先輩の声か……?」
「はい、恐らくは……何かあったんでしょうか?」
「ちょっと様子を見てこようか」
心美ちゃんが持ってきたランタンのスイッチを入れ、二人で先輩の部屋の前までやってきた。
「先輩、どうしたんですか~!」
「兄さん、大丈夫?」
呼び掛けてみても、返事はなかった。思い切ってドアノブを回してみたが、動かない。どうやら鍵がかかっているようだ。心美ちゃんも同じようにドアノブを捻ったが、やはり扉は開かなかった。
「どうしたんだろう……ちょっと、窓から様子を見てきてみるよ」
「はい……お願いします」
俺は玄関を出て、離れの壁を伝いながら袴田先輩の部屋のリビングの窓を目指した。雨はすっかり小降りになっていたが、地面がひどくぬかるんでいて、足をとられる状態だった。それでもどうにか先輩の部屋のあたりまで辿りつき、リビングの窓から部屋の中を覗き込んだ。
幸いカーテンは閉まっていなかったが、部屋の中は真っ暗で、中の様子はよくわからない。ランタンの明かりで照らせる範囲はごく限られていて、窓の近くにはこれといった異常は見当たらなかったが、奥の方までは全く見えなかった。寝室の窓にはカーテンが引かれており、やはり真っ暗で、全く様子が窺えなかった。どちらの窓も、もしや、と思って開けようとしてみたが、どちらも鍵がかかっていて開けることはできなかった。
諦めて、再び先輩の部屋の前へと戻ってきた。相変わらず、心美ちゃんがドアを叩きながら先輩に呼び掛けている。
「どうでした?中の様子は……」
「だめだ、真っ暗でよく見えなかったよ……ここの鍵は、誰が管理しているの?」
「兄さんが持っているもの以外には、吉川さんが持っているマスターキーしかないはずです」
吉川さん……管理人兼使用人の夫婦の事だったか。
「その吉川さんは、今どこにいるのかな?」
「今の時間なら、まだ明日の仕込みをしているかも……私たちが滞在している間は別荘で寝泊まりしているはずなので、別荘にいると思います」
「よし、じゃあ、事情を話して開けてもらおうか。ちょっと、行ってくるよ」
俺は再び離れの玄関を出て、今度は別荘へと歩いた。別荘への道もやはりぬかるんでいて、歩きづらい。一応ランタンを持っているものの、周囲は真っ暗なので道がわかりづらく、足元を照らしながら慎重に歩かなければならなかった。別荘の2階の窓から明かりが漏れており、それを目印にどうにか別荘に着いた。
別荘には着いたものの、別荘の出入り口も全て既に戸締りがしてあった。深夜なので当然の事だった。ここまで来て、どうしようかと途方に暮れていると、別荘の玄関の中から鍵を開ける音がした。扉が開き、出てきたのは袴田繁幸氏。先輩の父親だ。
「さっき、窓から君がこちらへ歩いてくるのが見えてね。どうしたんだろうと思って……」
「実は、先輩の部屋から悲鳴がして……呼んでも応答がないんです。鍵がかかっているので、マスターキーで開けてもらえないかと思いまして」
「なるほど、そういう事か……よし、今、吉川に話してくる。すぐに来るはずだから、一緒に行こう」
吉川氏はすぐにやってきた。俺達は三人で離れへと歩いた。帰りも地面に相当足を取られたが、吉川氏が大きめの懐中電灯を持ってきてくれたので、先程よりは少し歩きやすかった。
離れに戻ると、相変わらず心美ちゃんが部屋の前で先輩に呼び掛けている。
「あ、父さん、吉川さん……」
「心美、吉雄はまだ全く返事をしないのか?」
「うん、ずっと呼んでるんだけど……」
吉川氏が、持ってきたマスターキーで、素早く鍵を開けた。
部屋の中はやはり真っ暗だ。吉川氏が部屋の電気をつけたが、俺がいた時から特に変化はなかった。俺と吉川氏と袴田繁幸氏が、慎重に部屋の中を探索する。窓は相変わらず閉まっていた。浴室とトイレも探してみたが、やはり先輩の姿はなかった。あとは、寝室だけか……。吉川氏を先頭に、三人で寝室へ入っていく。後ろから、心美ちゃんが忍び足で部屋に入ってくるのが見えた。
寝室に入り、周囲を照らす。荒らされたような形跡はない。懐中電灯の明かりがベッドを照らし出した。仰向けに寝ている先輩の顔がある。微動だにしていない。三人とも、懐中電灯の光線の先を注視する。やがて光は顔から下へ移動し、先輩の左胸を照らした。そこには何か、キラリと光るものがあった。光の上には黒い柄が付いており、先輩のシャツには血が付いていた。ナイフが刺されているのだ、と認識するまでに数秒の時間を要した。
「吉雄……吉雄!」
繁幸氏が駆け寄る。俺と吉川氏も、後に続いた。繁幸氏が先輩の名前を叫びながら体を揺すったが、応答はない。俺も先輩の腕に触れた。まだ温かかった。
「兄さん……?」
心美ちゃんが、寝室のドアからこちらを見ている。その視線が、先輩の姿を捉えた。
キャァァァァァアアアアア!!




