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金曜日のノア。

 今日もノアの尾行を開始した。ノアはいつもと同じ午前十時に家を出て来た。

 昨日までのノアの行動は、昼飯をもらう場所こそ毎日違っているが、全体の行動は同じだった。今日も同じような行動をとるのだろうと思っていた。

 しかし、今日のノアは昨日までと違って、なかなか目的の場所に行かない。ノアの動きを見ていると、目的地が有るのかさえ疑問だ。どう見てもただ彷徨さまよっている様にしか見えない。思いつくままに角を曲がっている様で、同じ場所を何度も通過している。


 この場所を通るのは何度目だろうか? そう考えていると、一軒の家の前でノアが立ち止まった。生垣に囲まれた木造平屋建てだが、昔の洋風住宅といった感じの建物だった。

「今日の昼飯はこの家なのか?」

 そう思って家を見たが、窓の雨戸は全て閉じられている。玄関前にも雑草が生え始めていた。留守というよりも、誰も住んでいない感じだ。

 ノアは家の前で、雨戸の閉じられたテラスをじっと見つめている。時が止まっているかの様に三十分ほどテラスを見つめ続けた後、ノアは生垣のすき間から庭へと入って行った。

 俺は場所を移動して、庭に居るノアを観察した。ノアは雨戸の締まったテラスにうずくまっている。

 俺は、ノアと初めて会った夜を思い出していた。

 あの日も確か金曜日だった。シャッターの締まった酒屋の前でうずくまっているノアを発見したとき、捨てられた子猫の様に俺を見上げていた。

 テラスにうずくまっているノアの肩が小刻みに震えている様に見える。もしかしたら泣いているのか? 俺はどうしたものかと思案したが、泣いているノアを放ってはおけない。通行人に見られない様に注意しながら、生垣のすき間を通って庭へ入った。


 俺はテラスでうずくまっているノアに声をかけた。

「ノア、どうしたの?」

 ノアは振り返って俺を見上げた。ノアの目には涙が光っている。

「ツトム……、どうしてここに居るの?」

 突然現れた俺に驚いているようだ。

「ゴメン、ノアのことを尾行していた。ノアがどんな生活をしているのか知りたくって……」

 俺はノアの隣に座って、雨戸の締まったテラスの窓を見つめた。ノアもテラスの窓を見つめている。俺はノアの肩に腕をまわし引き寄せた。ノアは抗うこと無く、俺の肩に体重を預けた。

「ノア、何があったの? 俺に話してくれないかな?」

 ノアは自分の過去について話したことは無かった。一緒に暮らすうえで、この娘が今までどの様な人生を送って来たのか? どんな考え方をする娘なのか? それは聞いておきたいと思うのは当然のことだろう。そういった事を俺が聞いても、ノアは話をはぐらかしたり黙ってしまったりした。今も話してはくれないかもしれないと思いながら、聞かずにはいられなかった。


 数秒間の沈黙の後、ノアが話し始めた。

「うん、ノアはね、一年くらい前に家を出てきたの。嫌な事が重なって、家に居る事が出来なくなっちゃたからだけれどもね。そして、たまたまこの街に来たんだ。お金も無いのに家を出てきちゃったから、ご飯も食べられなくて困っていたんだ。お腹がすいて公園のベンチに倒れ込んでいたら、ここに住んでいたおじいちゃんが声を掛けてくれたの。『お嬢ちゃん、どうかしたのかね?』って。ノアは正直に言ったの、お腹がすいて動けないって。そうしたら、おじいちゃんがお蕎麦屋さんに連れて行ってくれて、おそばをご馳走してくれたの。おそばを食べながらおじいちゃんは自分の話をしてくれたの。おばあちゃんは数年前に無くなっていて、娘さんはお嫁に行っていて、今は遠くに住んでいるんだって。だから、おじいちゃんは独り暮らしをしているんだけれども、一人きりの生活は寂しいって言っていた。そして、行くところが無いなら家に来ないかって言ってくれたの。ノアはお金も住むところも無かったから、喜んでおじいちゃんと暮らすことにしたの。おじいちゃんはとても優しくて、ノアにいろいろな事を教えてくれたの。ノアもおじいちゃんが大好きになって、いつも一緒にいたの。おじいちゃんは年寄りだったけれどパンが好きで、よく駅前のパン屋さんでパンを買っていたの。おじいちゃんは、パン屋さんのおじさんとお話をするのを楽しみにしていたみたい。床屋さんに行くときも、おじいちゃんはノアを連れて行ってくれた。おじいちゃんの髪を切っている間、ノアはマンガの本を読んでいたの。そしたら、床屋さんのおばちゃんがお菓子やジュースをくれたのよ。きっとノアが子供に見えたんでしょうね。『おじいちゃんのお供で来たの? 偉いわね』なんて言って、とても優しくしてくれたの」


 俺はこんなに自分の話をするノアを見たことが無かった。今まで話したがらなかった事を話し始めたノアに戸惑っていた。

「それで、ベーカリーショップや理容店に行っていたの?」

「なんで知っているの? あっ、ノアの後をつけていたのね!」

「ゴ、ゴメン。ノアのこと……知りたかったから」

「まあ良いわ。パン屋のおじさんや床屋のおばちゃんとおじいちゃんの思い出話をしていたのよ」

「八百屋にも行っていたよね? あと、移動ハンバーガー屋」

「もしかして、毎日ノアをつけていたの?」

「うん、今週は会社が休みだから……」

「なによ、それ! 休みなら休みって言えばいいのに。毎日会社に行くふりをするのも大変だったでしょう?」

 俺は恐縮していた、どう考えても俺の人生より、ノアの人生の方が大変そうなのに、そんなノアに心配してもらっているなんて、俺はなんて情けない男なんだ。

「八百屋さん御夫婦はね。おじいちゃんと亡くなったおばあちゃんが仲人をしたんだって。おばあちゃんの知り合いの娘さんと、八百屋さんの息子さんをお見合いさせてね。だから八百屋さんのご夫婦はおじいちゃんに感謝しているんだって。だから、おじいちゃんと一緒に暮らしていたノアにも優しくしてくれるの。ハンバーガー屋さんはおじいちゃんとは無関係なんだけれどもね。ノアが公園でぼんやりしていたら、ハンバーガー屋さんに声を掛けられたの。『ちょっと、そこの子。悪いんだけれど、ちょっとだけ手伝ってくれないかなぁ。お駄賃あげるから』だって、やっぱりノアが子供に見えたみたい。後で聞いたら、不登校の小学生かと思ったから、変なヤツに誘われる前になんとかしないとって思ったんだって。毎週木曜日には公園の入り口で営業しているって言うから、木曜日だけ手伝う様にしたの」


 なるほど、これで月曜日から木曜日までのノアの行動の意味がわかった。木曜はともかく、おじいさんの思い出を語り合うためだったんだな。

 でも、この家は? おじいさんは今どうしているんだろう?

「それで、おじいさんは今、どうしているの?」

 ノアは急に足元を睨むように見つめた。俺はしばらく続いた沈黙に耐えられなくなった。

「話したくない事は無理に話さなくても良いよ」

 ノアは目をあげて俺を見つめた。そして話し始めた。

「ツトムは優しいね。初めてツトムに会った日、覚えている?」

「ああ、覚えているよ。一ヶ月くらい前だったよね。ノアは酒屋の前で捨て猫みたいにうずくまっていた」

「捨て猫ねぇ。そんなだった? あの日の朝、おじいちゃんの具合があまり良くなかったから、朝ごはんにしようと思って、ノアが一人でパン屋さんまで行って来たの……。おじいちゃん、パンが好きだったから……。帰って来て、おじいちゃんの様子を見に行ったら、おじいちゃん……息をしていなくって……、ノア怖くって、どうしていいかわからなくって……。八百屋さんまで走ったの。八百屋さんがあわてて来てくれて、お医者さんに連絡したり、おじいちゃんの娘さんに連絡したりしてくれたの。ノアは何も出来なくって……、おじいちゃんの手を握りながら泣いていただけだった……。しばらくすると、おじいちゃんの娘さんが来て、ノアを見て『アンタだれ? 関係無い人は出て行って!』って言って、ノアを追いだそうとしたの。八百屋さんがノアのことを話してくれたけれど、娘さんは『だからって、所詮は他人じゃ無い! なんか魂胆が有るんでしょう。年寄りに近付いて何をしようとしていたのよ! 早く出て行きなさい!』と言ってノアを追いだしたの。ノアは悲しくって、涙が止まらなかった。公園に行ってベンチで泣いた。いっぱい、いっぱい泣いたの。その後、フラフラと歩いていたら、あの酒屋さんの前にいたの。そう言えばおじいちゃん、お酒も好きだったなって思い出して……。健康のため少ししか飲まなかったけれど、本当は、大好きだったんだよ。そんな事を思い出したら、また涙が止まらなくなっちゃって、そしたらツトムが現れたんだよ」

「ノアはおじいさんのこと、大好きだったんだね」

「うん、大好きだったよ」

「公園で池を見つめていたのも、おじいさんのことを思い出していたんだね」

「うん、あの公園はノアがおじいちゃんに拾われた場所だから……。あの時のノアも、きっと捨て猫みたいだったんだろうね。おじいちゃんが拾ってくれて、今度はツトムが拾ってくれた。ノアは幸せ者なのかもね」

 ノアは俺の顔を見上げながら笑った。俺はノアの肩を抱き寄せた。






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