異世界で人権を主張してみたよ
「ほほう。つまり人間の祖先は猿だというのだな」
「えぇ。ざっくり簡単に言えばそうなんですが。正確にはですね…」
異世界にやってきた日本人の中年が大きな犬のような顔と毛深い四肢に尻尾が生えた複数の男女と話していた。彼らはいわゆる獣人と呼ばれる種族だった。
彼らのいる場所は大きな酒場だ。酒場といっても道端に椅子とテーブルを並べてあるだけで屋根や壁は無い。それ故彼らの大きい話し声は通行人にもよく聞こえている。
「ふむ。なるほど。よくわからんことはわかった」
「あららら」
「だが人間も言ってみれば獣人なのだな。猿の」
「まぁそうなりますね。乱暴な言い方ですが」
「おいおい。俺らを狼の獣人と言うのは乱暴じゃないのか?」
「それは…その…」
中年の男は答えに窮してしまった。その様子に周りの獣人と呼ばれる人達は破顔した。
「ワハハハ! 意地悪が過ぎたな」
「ハハハッ。だが面白い話だったぜ。さぁ飲め、喉が渇いたろう」
その日、中年の男のグラスが空になることはなかった。それどころか満杯のグラスの中に酒を注がれてしまったり、口に直接注がれてしまったりと大騒ぎだった。
その中年の男の話は瞬く間に広がっていった。
村から街へ。街から大都市へ。国境を越え他の国々へ。
行商人や冒険者。様々な人間が他所から他所へ伝えていき、あっというまに奴隷から貴族、王族までその話を聞いていない人間は居なくなってしまっていた。
その話を聞いた聖職者は怒り心頭だった。
中年の男の世界でも進化論を聞いた聖職者は血管がブチ切れたらしいが、この異世界でも同様だった。
さらに人間の貴族や王族もキレた。むしろ人間全員が怒った。
怒らずに楽しそうに聞いていたのは人間たちから獣人や亜人と呼ばれる人達だけだった。
中年の男は人間達に捕まって、殴る蹴るの暴行を加えられ、食事も睡眠もろくに与えられずに人間達の街へと連行された。獣人達が一生懸命庇ってくれたが怒り狂った人間達の人海戦術に圧倒されてしまい、とうとう捕まってしまったのだ。
中年の男は人間達の街で人間達だけで宗教裁判にかけられることになった。無論弁護人も形の上だけで中年の男の敵だった。
「我ら人間は神にその御姿に似せて作っていただいたのだ! 断じて猿などの仲間ではない! 下等な獣共と一緒にするでないわ!」
「私の話が気にいらないのでしたら謝ります。ですが彼らを獣人や亜人と呼び、差別されるのはお止め下さい」
「何を見当違いの話をしておる。獣人である奴らの姿はケダモノと人間が混じったで見た目であるから獣人と呼んでおる。エルフやドワーフは人間の姿をいびつに歪めた姿をしておるから亜人と呼ぶのだ。なんら不思議なことではないではないか」
裁判に出席している人間は皆うんうんと頷いている。何を当たり前のことを、とかまた馬鹿な話を始めたなとか、ヒソヒソ話している。
「私は前々から体の一部が犬や猫に似ているというだけで彼らを獣人と呼ぶのに抵抗がありました。それでは猿に似ている我々は自分たちのことを猿人と呼ぶのが当たり前というか筋ではないでしょうか」
周りの人間達は中年の男を頭のおかしい狂人であるという確信に至った。
「ダメだこいつ。早く何とかしないと」
「もうどうにもならんだろう。殺してしまえ」
「それがいい。こいつと話していると頭が痛い」
中年の男は首を刎ねられ、死体は魔物の住む地域に放り捨てられた。
これで人間達はいくらか機嫌が直ったが、傲慢な人間の貴族達は『ろくでもない話を流布させ、世間を無用の混乱に貶めた』として獣人や亜人達を無実の罪でいたぶり殺し始めた。あるいは奴隷にして乱暴をふるったり辱めもした。
当然獣人や亜人は怒った。
中年の男が残した『人権』の言葉の元に彼らは団結した。
中年の男の世界で国際連合が発した世界人権宣言を、彼らはこの世界でも根付かせようとしたのだ。
「よろしい。ならば戦争だ」
結局獣人や亜人達は戦争に負けた。
だから未だに獣人や亜人の呼称は変わっていない。
だが中年の男が残した言葉や話はどこかの異世界で今も色々な人の心に楔となり光となり残っていた。