かごめ歌
かごめ かごめ
かごの中のトリは
いついつ 出やる
夜明けの 晩に
鶴と亀が すべった
後ろの正面 誰だ……
高い塀のその向こうから、どこかの子供らが遊び歌で戯れているのが聞こえてくる。サキはそれを歯がゆい思いで聞いていた。
まだ七つになったばかりのサキが、外の子供ら同じようにそれで戯れていたのはいつのことだったろうか。サキは箒を持った手を休ませて、じっとその歌を聞き込んだ。
つい最近までは、サキもよく近所の子供とそれで戯れていたというのに、もうすることもないのだろう。そう思うとやるせなかった。
サキも昔はあの歌が好きだった。母がよく歌ってくれた歌だったから。
母のことを思い出した途端に胸が切なくなって、サキは歯を食いしばった。ここで泣いてはいけないと、自分で決めたからだ。泣けばその分苦しくなって、まともに何もできなくなってしまう。
ここでは何かに失敗すると、途端に平手打ちが飛んでくる。お飯もろくに食べさせてもらえない。ここで生きていくためには、家が恋しい里が恋しいと泣いてばかりいるわけにはいかなかった。
サキは休めていた手をまた動かしだした。サキはもう、どんなに辛くても働かなければならないことをよく知っていた。
だから、自分がこれからどんな人生さきを送るのかを悟った時も、それしか道は無いのだと自分を納得させる他なかった。もとより、それより他には為す術もなかったのだが。
サキは花街にある、松の屋という女郎屋で働いていた。今はまだ下働きだが、来年の春には店の看板太夫の秀になることが決まっている。秀とは姐女郎の雑用係兼、女郎見習いのことである。
サキはそれを思い、ぐっと歯を噛み締めた。
秀になれば、男に花を売るための手練手管を姐女郎からみっちりと学ばねばならない。
サキは自分を弄ぶためにわざわざそれを学ばねばならならいのかと思うと、吐き気がした。
松の屋に来てまだ日の浅いサキには、たとえ安女郎であってもそれなりに誇りを持ってその仕事をしていると言うことが理解できていない。
なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。そんなことばかり考えていた。
元はといえば、騙されてしまったからに他ならない。田舎もので世間知らずなサキの父と母は、人買いの甘言にあっさりと乗せられてしまった。
簡単な仕事をするだけじゃ。そんだけで、綺麗な着物が着られてお飯もたんと食べられる。こげんとこにおるよりも、その方がこん子の為にはええんじゃなかろうかと思うての。
父母からすれば、それはサキを思えばこその苦しい決断だったのだろう。おまけに金まで手に入ると言われれば、食うものに困っていた家族全員を救うためと、サキが自ら決めた覚悟を諦めさせることもできなかった。
両親は、まさか女郎屋に売られるとは思いもせずに、高額の銭と引き替えにサキを行かせた。もっとも、貧乏だったサキたちからすれば高額だったその銭も、相場からいえば二束三文以下のもでしかなかったのだが。
松の屋に来てからのサキに対する待遇は、聞いていたものとは全く違っていた。朝から晩まで徹底的に働かされ、下働きであるサキの飯は日に一度だけ、それも欠けた茶碗半分も食わせてはもらえなかった。
女郎たちはみな、何かといえばサキに当たり散らした。ひどく機嫌の悪い時などは格好の標的にされ、ひっぱたいては笑い、蔑んだ。
女郎たちからすれば、他に当たり散らせる者もろくにいなかったのだから、何かに憤る醜い思いをサキにぶつかる他なかった。そんな彼女らもまた、相手にされるサキと同じく哀れであった。
だが標的にされるサキの方からすれば、なぜ自分だけが虐められるのかと不満と憎悪しか浮かばない。
ふと、サキのそばに放し飼いにされた鶏が二・三羽寄ってきた。この鶏の世話もまたサキの仕事であったけれど、サキはこの仕事が一番嫌いだった。
「しっ、あっち行き。邪魔や」
サキは鶏を一瞥し、苛立たしげに箒で払った。鶏らは機嫌悪そうにカッカと鳴いて、サキのそばを離れた。
「サキ、いつまでそこ掃除しとんねん。さっさと終わらせや」
裏口から顔を出して叫んだのは松の屋の女将で、またずいぶんと機嫌が悪そうだった。
「へぇ、女将はん。もうすぐ」
そう言うと、女将は片眉をキッと持ち上げて、厳しい目でサキを睨んだ。
「女将はんやない、お母はんや。なんぼ言うたったら分かんねやろね。ほんまに愚図なんやから」
「へぇ、すんません。お母はん……」
サキが秀に入ることが決まってから、女将のことはそう呼ぶように言い渡された。けれど、一体いつからこの意地の悪い婆が自分の母になったのだと、サキは内で毒づいた。
「それからもう遅いねんから鶏も忘れんと篭に入れときや」
「へぇ……」
女将はサキに向かってふんと鼻を鳴らしはしたけれど、そのまま何も言わずに奥に入っていった。
かごめ かごめ……
内側に暗い影を落とした高い塀の向こうから、まだ子供らの歌うかごめ歌が聞こえてくる。
松の屋に来てから、サキはかごめ歌が大嫌いになった。
ある日、仕事の合間にサキが何気なくかごめ歌を口ずさんでいると、女郎の一人がサキの頬を思い切り引っぱたいた。
「そんなん歌わんといて。ウチはその歌がいっちゃん嫌いなんや。ほんまに嫌な子やね、あんたは」
一体何が悪かったのか分からなくて、サキはただうわ言のように言った。
「……かごめ、嫌いなん」
花房という名のその女郎は、サキが松の屋に来る五年ほど前からここで働いているらしかった。
「嫌いやて言うてるやろ。何べんも言わさんといて」
「なんで」
サキがそう尋くと、花房は眉を寄せて意地悪く笑った。
「なんでて……、あんた、知らへんの。ほんまに阿呆な子やで」
いきなり引っぱたかれた上に、なぜそこまで馬鹿にされねばならないのか。その理不尽さに憤り、サキは花房を思い切り睨み付けた。
「なんやのん、その目。憎たらしゅうてかなんわ」
花房は目がつり上がる程サキを睨み付けて、かごめ歌が元は何を歌った歌であるのか話して聞かせた。
それはサキに失望を与え、サキは二度とかごめ歌を歌うまいと思った。
サキは裏口周りの砂埃をざっと掃き終えると、戸口に竹箒を立てかけて戸をいっぱいまで開いた。中は台所になっていて、年のいった炊事係の女が一人、釜を炊いていた。
「サキか、早うそこ終いにしてこっちゃ手伝っとくれや」
サキに気づくと、その女は首だけを振り向けて言った。フクというその女は、松の屋でサキに意地悪をしたことのない、たった一人の女だった。
「後は鶏だけ中に入れたったら終いや。すぐに終わらすさけ、待っとってや」
サキはフクだけにきく軽い口調でそう言って、鶏の餌の用意だけを手早く済ませると、またすぐに外に出て行った。その頃には外はもう、紅から藍染めの濃い色に変わりつつあった。
サキは立てかけた竹箒をまた手にとって、二・三羽の鶏を追いやった。そして鶏が全部戸口から中に入ってしまうときっちりと戸を閉めた。こうして中に入れておかないと、夜になって庭に忍び入った猫に食われてしまうからだ。
中に追いやられた鶏は、サキの用意した餌の周りに集まって、我先にとそれを必死でついばんでいる。
サキは戸口の横に置いてあった竹篭を持ち上げて、黙ってそれを見ていた。竹で編んだその篭は、背の低いサキの肩程も高さがあって、重さはさほどでもないが持ち上げると少しふらふらした。
ふと見渡すと、厠にでも行ったのか、フクの姿は台所のどこにも見えず、残された釜の吹き出す音と薪の燃えるぱちぱちという音が聞こえるだけだった。
サキが篭を鶏の上にかぶせても、餌を必死になってついばんでいる彼らはそれに気づく様子もない。
そのことになぜか無性に腹が立って、サキは篭を思い切り蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた篭の中の鶏は、サキに向かってケッケと腹立たしげに鳴きはしたが、またすぐに餌をついばむことに心を移した。
でもその餌もすぐに無くなって、鶏は篭の編み目から首だけ出してサキに餌をせがんだ。
サキはそれを冷たい目で睨んだ。
「そんなんしたて、もう無いもんは無いんや」
サキは冷たくそう言うと、また軽く篭を蹴飛ばした。
「サキ、終わったんか。そしたら早う手伝っとくれや」
フクが戻ってきてサキがいるのを見つけると、薄くそう笑んで言った。女将よりも長く松の屋にいるフクのその笑みは、いかにも幸薄そうなものだった。
「野菜これ洗うたらええの」
サキは床に転がった、まだ土の残る芋や大根やらを指して言った。
「綺麗に土を残さへんように洗うんやで」
フクはそう言って、サキに任せられない自分の分の仕事に戻った。
サキは着物の袖をたくし上げ、芋やら大根やらを桶に放り入れて外へ出た。外はすっかり暗くなっており、町に浮かぶ提灯にもちゃんと火が入っていた。
サキは裏戸のそばにある井戸の脇に桶の中身を転がし、空になった桶に水を張った。
井戸から汲んだ水に手をつけると、指先にぴりっとした痛みがした。冬の近い時期の水は冷たく、それで芋や大根を洗っていると、サキの手は見る間に赤くなった。
サキの指はまだかろうじて子供らしい柔らかさを残しているが、それもいつまで持つのだろうか。親指の方はもう少しずつひび割れてきている。
サキは少しだけ手を休めて、真っ赤になった手に息を吹きかけた。頼りない暖かさがじんわりと伝わったが、そんな余韻を残す間もなく指先はみるみる冷えていく。
別に文句をたれようと言うのではないけれど、この漠然としたやるせない思いはどうしたらいいのだろうか。
サキはいらだつ思いを抱えながら、目の前にそびえ立つ高い壁を見上げた。サキは松の屋に来てから一度として、この高い壁を超えたことがない。松の屋のほんの少し外にさえ、出してはもらえなかった。
だがたとえ、松の屋の狭い庭の壁をまたぎ超えることができたとしても、その外にはもっと高い廓街の門と壁がそびえ立っている。
ここから逃げ出すこともできないのだ。せめて、サキの稼ぎを頼りにしている家族もいなければ少しは楽だったろうか。
体を拘束されているわけではなかったけれど、廓の女たちには自由などなかった。それは、まだ今は下働きでしかないサキであっても同じだった。
サキの耳に、花房の語ったかごめ歌の話が、ふと甦った。
「サキ、野菜洗えたんか。早う持ってきてや」
台所から、忙しそうなフクの声がした。気鬱に少しぼうっとなっていたサキは、それではっとして仕事に戻った。
「もうすぐや」
フクにそっけなくそれだけ言って、サキはもう何も考えずに仕事に没頭した。とりあえず仕事さえしていれば報われるような気がして、それが少しだけ虚しくもあった。
いつの間にか、サキは鶏になっていた。見た目だけ、嫌に派手に着飾った雌鶏だった。
サキの周りには、サキと同じように見た目だけ派手な雌鶏がたくさん群がっていて、被せられた竹篭の隙間からいくつもいくつも首を出していた。
どの雌鶏も、鳴くでも騒ぐでもなく、ただ濁ったどろんとした目で外を見ているだけで、それがすごく不気味だった。
ふと気づくと、サキのそばに花房にそっくりな雌鶏がいて、意地悪な目でサキの方をじっと睨んでいた。
それでよくよく周りを見渡すと、どの雌鶏も松の屋で顔見知りの女郎おんなたちによく似ている。炊事係のフクに似た雌鶏までが、何も見ていないような濁った目でそこにいた。
サキは怖くなって、そこから逃げようとした。けれど、被せられている竹篭は重たくて、サキがどんなに暴れても一寸たりとも動かなかった。
「サキ、よう見てみい」
恐怖で泣き出しそうになっていた時に、花房によく似た鶏が言った。それが嘴で指す方を見てみると、篭の外には松の屋の女将がいた。女将はサキたちを見下ろす位置に立っていて、値踏みするような目でサキたちを見ていた。
サキはすがる思いでお母はん、お母はん、助けてと叫んだ。けれど、ここから出して、ここから出してと鳴くサキの声は鶏の声そのままで、女将はサキの方に顔を向けたまま、しわ一つ動かさなかった。
「出られるわけないやんか、阿呆やね」
花房によく似た鶏は、そう言いながら引きつった笑みでサキを見下ろした。
「逃げられへんように、ああして見張ってはんねや」
ついでにあんたが高う売れるかどうかも見てんねんで、そう口にする花房の口調は、サキの恐怖を煽るようにどこまでも意地が悪かった。
「あんたもずっとここにおんねんで。出られへんねん」
花房によく似た鶏は、そう言って狂ったように笑い出した。けらけらけらけら笑うその声が耳について、サキは少しでも聞こえなくなるように目を堅く瞑って首を振った。
「こっから逃げようとした奴もおんねんで。あんたみたいな阿呆な子やって、ほんまに逃げられる思たんやろね。惚れた男と連れ添うて、夜も暗い内からここ抜け出しはって」
サキは段々、その鶏が本物の花房であるように思えてきてならなかった。
「ほんでも結局捕もうて、逃げた女郎おんなは店戻されてえらい責められて。おまけに相手の阿呆な男は次の日川に浮いとったわ」
けらけらけらけら、花房は笑う。
「ええか、逃げられへんねんで。ウチらはもう、ここにおるしかないねん。他に道は無いんやで」
花房の最後の声が、奇妙に歪んだ。
サキ、サキと呼ぶフクの声に起こされて、サキがやっと目を覚ましたのは、もうすぐ夜も明けようかという頃だった。
「サキ、どないしてん。えらい唸されて……」
「……何なんもない。平気や」
サキは強気な口調でそう言いはしたが、声が震えていた。
フクは心配そうにサキの顔をのぞき込みはしたが、敢えて何も聞かないでいてくれた。
「……無理せんときや。明日も早いんやから、早う寝や」
「うん……」
サキはそう言いはしたが、それから寝られるとはとても思わなかった。
最後に聞いた花房の声が、耳について離れなかったからだ。最後に聞いたその声が、泣き声に聞こえてならなかった。
サキはその夜、ずっと眠れなかった。
悲しい悲しいかごめ歌を、誰かがずっと、頭の隅で歌っていたから。
かごめ かごめ
かごの中のトリは
いついつ 出やる
夜明けの 晩に
鶴と亀が すべった
後ろの正面 誰だ……
篭の中に閉じこめられた女郎たちは、篭の中から出られるを、今か今かと待っている。