鳥篭
掌編です。
厚い雲のせいで低く感じる空が天井で、僕を取り囲むように張り巡らされた電線が鉄格子だ。まるで鳥篭だ、と思う。そんな錯覚を感じてしまうぐらいに閉ざされた世界だった。
それはきっと、友達と別れて一人っきりになってしまった喪失感のせいなのだろう。厄介なもので、この気持ちは不快感を伴っているけれど、決して居心地の悪いものではなく、むしろ心地よさを感じてしまえるものだった。
電車を降りたばかりで、無音に違和感を感じた。ウォークマンを取り出す。
田舎だからか、未発達のまま成熟してしまった町並みが目に映る。僕はこの風景が、特にトタンで作られた家の風貌が嫌いだった。風雨に晒されたために錆びれている色合いが、もともと茶色がかった壁色と相まってなんとも言えない気分になった。
イアホンを耳にはめ、再生ボタンを押す。プレイリストに登録された楽曲が、ランダムに再生されるように設定しているため、どの曲が流れるかは聞こえるまで分からない。僕と世界を隔てる壁が出来たような気がした。
最近知ったロックバンドの、『ソラニン』という曲のイントロが流れる。どうやら、同名の漫画が映画化した際に、作中の歌詞を元に作曲された曲らしい。この曲は別れの曲だ。緩い幸せとの別れ、日常との決別。そんな印象がする曲だった。
それにしても、と思う。それにしても、道々見る全員が笑顔を浮かべている。老夫婦らしい二人組、三輪車に跨る小さい女の子とそれを見守る父親らしい男、目に入る人々は笑顔を忘れない。
僕だけが、一人孤独で帰路についている。そう考えると更に孤独感が増した。その孤独をかき消すように音量を上げようとすると、後方から自転車を漕ぐ音が、塞がれたはずの僕の耳に届いた。
振り向いて、その姿から懐かしさを感じた。柏木だ、と気付く。柏木とは、中学校の卒業式以来一切の接触が無かったが、中学校のときは同じクラスで、結構仲が良かった。一年ぶりの再会だ。
イアホンを大雑把に耳から外す。また、世界と繋がった。
「よお、タイキじゃん」幼さと大人っぽさが伴っているような、無邪気な笑顔を柏木が浮かべた。
「久しぶり、カシマシ」負けず、笑顔を浮かべてみるが、それが自然なものかどうかは釈然としない。
「だから、柏木だっつってんだろ」口調とは裏腹に、彼の笑顔は激化した。
このやり取りも懐かしい、と感傷を感じた。中学生時代、毎日のようにこの『ノリ』のようなことをした。カシマシは僕らの僕らだけに通じる鉄板ネタの一つだった。
「いやあ、でも、本当に懐かしいな」柏木が言った。
「本当に、懐かしすぎる」同意した。懐かしいにすぎることがあるのだろうか。自分で発した言葉に違和感を感じた。しかし、目の前の柏木は気にしていないようだ。
「そういえば、あのときのこと、覚えているか」
唐突に柏木が切り出した。あのときのこと、さて、なんのことだろう、と考えてみるが、思い当たる事象が多すぎてはっきりしなかった。
「どのときのことだよ」
「ほら、修学旅行での」
「修学旅行でのって、もしかして」
「そう、それだよ」互いになんのことか、言い出してはいないはずなのだが、何故だか繋がって届いている。この意思疎通が気持ちよかった。
「あんときは面白かったよな」僕が言った。
「タナカが言い出したんだよな、確か」記憶を引っ張り出すように、柏木は言った。
「タナカが急に、女子の部屋にスパイ行くぞ、って」思い出した。その言葉で完全にエピソードが甦り、僕らは爆笑した。後に続いて喋れない。
僕らはそのまま何気ない、くだらない歓談を楽しみながら二人で歩いた。僕と世界を隔てていた壁はズボンの右ポケットに収まった。
思いついたことを、時間を惜しむように話し尽くし、語り尽くしたところで、三叉路にぶつかった。この三叉路は、僕と柏木が中学生時代にいつも分離していた分かれ道だった。 惜しむような表情を柏木が見せ、きっと僕も同じような表情を浮かべていたのだろう。なんとなく、名残惜しい気分になった。
「ここで、お別れだな」
「そうだな、カシマシ」
「だから柏木だっつの」
「じゃあな、カシワギ」
「まるで最後みたいだ」
「確かに」今度は、自然な笑みがこぼれた。
「とりあえず、またな」
そう言って、柏木は三叉路を右に折れた。僕は小さな声で「またな」と言った。またなカシマシ。柏木だっつの、と柏木の声が聞こえた気がした。そして、二人で歩いてきた道を振り返る。やはり、そこには笑顔があった。老夫婦も、親子も、笑顔を忘れない。
ウォークマンを取り出し、イアホンをはめた。しかし、僕は世界と未だ繋がっているような気配を感じた。再生ボタンを押す。丁度『ソラニン』のサビが流れた。別れの曲だ、と思う。過去の自分との別れ、決別の曲だ。今はそんな感じがする。
トタンが並ぶ路地の隙間に、空き地があった。見上げると、空が見えた。どうやら、僕の知らない間に世界は晴れていたようだった。ここには、鉄格子のような電線も無い。吹き抜けのように空が高く感じた。この空き地は、まるで出口のようだ、と思う。
鳥篭の扉が開け放たれた。
そんな錯覚を感じてしまうぐらい、突き抜けた世界だった。(了)