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盤上ノ箱庭ヨリ -Are you ready to exist?-  作者: 安崎依代
3rd.

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7/17

1

 夜がここまで長いなんて、知らなかった。


 その夜に終止符を打つ朝日が、ここまで救いをもたらすということも。


 ──結局、寝れなかったし、眠くもならなかったな……


 私室としてあてがわれた部屋のベッドの上にボンヤリと座り込んだまま、疾太(はやた)はゆっくりと昇っていく朝日を見つめていた。


 昨日の夜、車が一台も通らないあの道路の傍らで、(ゆい)は疾太が自分で踏ん切りをつけるまで、ずっと無言で傍にいた。


【……もう、いいです】


 疾太がそう言って自ら膝を上げた時には、一体どれだけの時が経っていたのだろうか。


 疾太が結について歩き始めても、二人が酔っ払いでひしめく喧騒の中に呑まれても、結は疾太が(そう)(げつ)を抜け出したことに対しても、駄々をこねて帰ろうとしなかったことに対しても、文句のひとつも言わなかった。そのことに、逆に疾太から何かを口にすることも、なかった。


【みぃくんの部屋は、ここの三階ね】


 蒼月まで帰り着き、まるで時を巻き戻すかのように疾太が飛び出した裏口から中に入った。


 結は店に続くドアから見て正面にある扉を開くと、その奥に続いていた急な階段を上った。目が回りそうなほど傾斜が急で奥行きも狭い階段を上ると、途中から廊下が伸びていた。その奥には扉が向かい合ってふたつ設置されている。


【四階を祥来(さらい)(りん)、五階を私と(ひめ)が使ってる】


 結は一度見えた廊下へは足を伸ばさず、もう一回り階段を上る。


 次に現れた廊下も、通り過ぎた下の階の廊下と同じような造りをしていた。普段は誰もここを通らないのだろう。空気の流れが滞っているのが疾太でも分かった。


 その廊下を、結は軽やかに進んでいく。


 結が手をかけたのは、階段から廊下に入って左側にある扉だった。いつの間に作ったのか、その扉には『Mi』と書かれた小さな掛け看板が取り付けられている。


 扉は施錠されていなかったようで、結がドアノブをひねると簡単に開いた。


 入ってすぐの壁に取り付けられているスイッチを押すと、すぐに暖色を帯びた照明がつく。ワンルームマンションのようにドアの前に小さな玄関スペースがあって、そこから奥へ真っすぐに廊下が伸びている構造だった。突き当たりに大きな窓があり、居室になっているらしい。


【部屋の中の物は、自由に使って。とりあえず家電も家具も置いただけだから、配置は自分の好みに合わせて変えてね。大きな物を動かしたい時には、呼んでくれていいから】


 結はそう言うと、疾太を残して部屋から出ていった。おやすみ、と言われたような気がするが、記憶は定かではない。


 とにかく、眠りたかった。この現実を、少しでも忘れたかった。


 だからシャワーを浴びることも家具を移動させることもなく、とりあえずベッドにもぐりこんだ。


 それでも結局疾太は一睡もできずに、朝日が昇る様を見つめている。


生屍(いかばね)は眠れないって、本当だったんだな……」


 眠れていなくても、徹夜明け特有の気だるさはどこにもなかった。それどころか、体はかつてないほどに軽やかだ。睡魔とも疲労とも無縁な体は、体調面だけで見れば過去一調子がいい。


「僕は本当に、人間をやめちゃったんだな」


 でも、だからと言って、どうすればいいのだろうか。


 これが現実であるということは、無理やり理解させられた。逃げられないということも、嫌々ながら理解した。


 それでも『ならば言われた通りに戦おう』とも思えない。


 ──そもそも、だ。


 すでに死んでいる自分が戦って何になるというのだろう。


 戦い続けてトップに立てばいつか『カミサマ』という存在に何でも願いを叶えてもらえるらしいが、その『カミサマ』とやらは人間の生死をどうこうできるほどの存在なのだろうか。そうであったとしても、そこに辿り着くまでに一体どれだけの時間がかかるのだろう。


 ──1年? 10年? それ以上の時間を費やさなければならないならば、結局は人生をぶん取られることに変わりはない。


 結達がいつからこのゲームに関わっているのかは分からないが、短時間でクリアできるものならば、とうの昔に結達は『カミサマ』に対面しているはずだ。


 そのことからも、この『ゲーム』が一朝一夕でどうこうできる代物でないことはよく分かる。


「外の世界での僕は、行方不明扱いなのかな? それとも、ラノベなんかによくあるみたいに『最初から存在していなかったもの』とかにされてんのかな?」


 徐々に勢いを増していく朝日を眺めながら、疾太はぼんやりと『自分が初めから存在しなかった世界』を想像してみた。


 自宅の自分の部屋は、物置になっていて。自分が通っていた学校の教室では、不自然な形に穴を空けて机が並んでいる。


 きっと友人達は、疾太がいなくなったとしても何ひとつ変わらずに日々を過ごしていくのだろう。家族くらいは、もしかしたら違和感を覚えるかもしれない。


 でもきっと世界は、疾太一人を失ったくらいで、止まったりしない。多少の不自然をはみながらも、それでもゆったりと流れていく。


 そしていずれ、その不自然も綺麗に埋まってしまって、最初から不自然なんてありませんでした、みたいな顔で世界は回ることになるのだろう。


「……僕は」


 ベッドの上で膝を抱えてそんなことを考えながら、ポツリと言葉を落とす。


「何のために、存在していたんだろう」


 昨日の夜の記憶は、ところどころ欠けている。きっとショックが大きかったのだろう。


 自分が蒼月を飛び出していって、環七を超えることができず、絶望に打ちひしがれているところに結が迎えに来た。


 その流れは覚えているのだが、細かいやり取りは記憶の中からすり抜けて、かなりあやふやになっている。その間に他の誰かに会ったような気もするし、会っていないような気もする。


 そんなあいまいな記憶の中で、リフレインしている言葉があった。


【キミは、自分という存在の意味を知るべきだ】


 誰が言った言葉なのかは分からない。


 だがなぜかその言葉がずっと、疾太の頭の片隅に引っ掛かっている。


「……でも、それを知って、何になるっていうんだろう」


 太陽が昇りきると雲が動き始め、街はにわかにざわめきだす。


 疾太の目にも馴染みのある景色が動き始めた。


「僕が死んでいるというのならば、……僕の存在理由は、終わってしまっているだろうに」


 風を通すために、誰かが開けておいてくれたのだろう。細く開かれていた掃き出し窓から静かに風が流れ込んでくる。純白のカーテンが揺らめく様は、まるで天使の寝息を可視化したかのようだ。


「……。」


 そんなことを思いながら黄昏れていた瞬間、妙に馴染みのある振動が疾太の腹を震わせた。その振動を擬音で表すならば『グー』で間違いない。


「……死んでても腹が減るって、理不尽じゃないか?」


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