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 その部屋は、常に静寂で満たされている。


 採光が絞られた部屋に照明らしい照明はなく、所狭しと並べられた機材が放つ光だけがこの部屋の中を薄明るく照らしている。画面からこぼれる光は青白く揺らめいていて、さながらそこは水の底であるかのようだった。


「……おかしい」


 三台あるモニターのひとつに見入っていた部屋の主は、秒単位で切り替わる表示を見つめたまま小さく呟いた。聴かせる者のない独白は、青白い光に溶けて消えていく。


「確実に、磁場が狂ってる。……最近の戦盤は、何かがおかしい」


 地図上に磁場をモニタリングした3Dグラフを重ね、部屋の主は眉間のシワを深くする。解析結果のグラフが意味するところを理解できる人間は、今画面を見ている当人しかいない。


 誰にも読み解けないグラフを眺め、部屋の主は思考にふける。


 何かがおかしいということだけは分かっている。だが現状ではその何か(・・)が何なのかが分からない。


 それが正直に現状を言い表した状態だった。要するに『何も分からない』と言っているに等しい。


 部屋の主は、その現実がどこまでも気に入らなかった。己の前に『理解不能』『解析不能』という状況が転がっていることを、部屋の主はどこまでも受け入れられない。


「チッ! 誰なんだよ、ア? こんなクソムカツク状況を作り出してやがんのは」


 自分に理解できない事象など存在しない。存在してはいけない。だからこそ、『理解不能(アンノウン)』な事象は自分を不快にさせる。


 ──ならばその『理解不能(アンノウン)』を『状況把握(ノウン)』に変えてしまうまで。


 その考えの下、部屋の主はキーボードに指を滑らせる。


(こう)


 だがその指は、不意に響いた穏やかな声に止められた。


 反射的に視線が隣の画面に飛ぶ。その画面の中で、馴染みの顔が声と同じくらい穏やかな表情を浮かべてこちらを見上げていた。設置してあるカメラに的確に顔を向けているにもかかわらず、その(まぶた)は今も穏やかに閉じられたままだ。


【そろそろ休憩したらどうかな? 今なら店に、僕以外誰もいないよ】


 ヘッドセットから聞こえてくる声は、確かに彼を呼んでいた。


 向こう側からこちらは見えていないはずなのに、画面の向こうにいる人物は彼が今こうしてパソコンに向かっていて、さらに言えば根を詰め過ぎていて、そろそろ休憩しようかと考えていることまで読んでいる。


【歓迎会の様子も、どうせ見て(・・)いて知ってるんでしょ? 皇の感想を聞かせてくれないかな? ついでに、前に言っていた戦盤の不具合についても】


 部屋の主……皇は、思わず舌打ちを放った。


 無視を決め込んでいれば、こちらの様子は向こうには伝わらない。だが画面の向こうにいる人物はきっと、皇が呼び出しを無視しているということまで気付いてしまうのだろう。


【そろそろお腹もすいたんじゃないかな? 料理、皇の分も取り分けておいたんだ】


 その一言が決定打となった。


 まるで彼に返事をするかのように、皇の腹の虫が鳴る。


「……っ!!」


 皇はヘッドセットのマイクを口元まで下ろすと、画面の向こう側にあるスピーカーの電源を入れた。


「本っ当に、誰もいないんだな? (りん)もだな?」

【うん。鈴は今、お風呂に行ってるよ】

「……分かった。食べに行ってやる」


 皇はスピーカーを叩き切ると、もうひとつ舌打ちを放ちながらヘッドセットを外した。


 久しぶりに椅子から立ち上がり、閉め切られた扉へ向かう。上着代わりに羽織ったサイズの大きな白衣が足にまとわりついて不快だった。


 階段を降り、正面にある扉を開く。狭い廊下の向こうに現れた三つの扉のうち正面にある扉を開くと、爽やかな抹茶の香りが皇の鼻先をくすぐった。


「やぁ、久しぶりだね、皇。相変わらず不機嫌そうだ」

「あんたが毎回、俺を無理やり呼びつけるからだろうが」


 皇の意志を唯一翻し、あの部屋の静寂を破ることができる相手。


 茶房・蒼月(そうげつ)の主は、瞼を閉じたまま穏やかに笑った。


「さて、聞かせてくれないかな?」


 だが皇は、その柔和な笑みの下に仕込まれた刃の鋭さを知っている。


三五(みいつ)疾太(はやた)。彼は一体、何者なのか」


 その鋭さを垣間見せながら、祥来(さらい)はあくまで穏やかなまま本題を切り出してきた。


「……」


 皇は無言でカウンター席に座ると、態度で『先に飯を寄越せ』と要求する。皇がそう振る舞うことさえ読めていたのか、祥来は温和な空気を揺らすことさえせずに、料理が盛られた小皿を次々と皇の前に並べていった。


 さらには笑顔で言葉まで添えてくる。


「はい、どうぞ」


 その声には答えず、だが丁寧に手を合わせてから、皇は箸を取った。


 相変わらず、祥来が作る料理は美味い。初手で頬張った唐揚げも、冷めているのに『美味い』という感想しか出てこなかった。


 だがそんな絶品料理も、今だけは皇の不機嫌を(なご)ませてはくれない。


「三五疾太。あいつの正体は……」


 口にした唐揚げをしっかり飲み込んでから、皇は先程投げかけられた祥来の問いに答える。


 その言葉に、普段は決して開かれない茶房の主の瞼が、ゆっくりと開かれた。


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