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瞬きをするよりも速く前へ踏み込んだ結は、その踏み込み以上に素早く大鎌を振り抜いていた。
鎌の軌跡には朱色の線が走り、さらにその後を追従するかのように青い燐光が舞う。一瞬で間合いを消された相手は、何か動きを取るよりも速く大鎌に斬り裂かれ、ただの肉塊に成り下がっていった。
『能力者であっても重力に縛られている』と言っていたのは、一体誰だったのだろうか。
──まるで、踊っているみたいだ。
コンクリートを焦がす勢いで踏み込み、重力から解放されたかのように舞う結の『死の舞踏』は、やはり今見ても目を奪われる。
自分が置かれた状況を忘れて、疾太が思わず見入ってしまうくらいには。
「ちょっと! 見とれてんじゃないわよっ!!」
正午を回って、まだ十秒も経っていない。
だが戦局はすでに大きく動きつつある。
「結はあんたのためにこんな無茶な攻撃仕掛けてんのよっ!? 普段はいきなりこんなにかっ飛ばすような真似しないんだからっ!!」
姫は手にした柳葉刀で目の前の敵から繰り出される刃を弾きながら疾太を怒鳴りつけた。
疾太の前を守るように構えた姫はそれ以上に前へ踏み込む気配を見せない。だがスカートのスリットを割って繰り出される足捌きは、決して防戦だけのものではなかった。
「とっとと自分のことに集中なさいっ!!」
姫の言葉に叩かれたかのように、疾太の足は無意識のうちに一歩後ろへ下がる。
それをチラリと視界の端で捉えた姫は、逆に一歩前へ踏み込んだ。今まで防戦一方だった柳葉刀が鮮やかに翻り、相手の腕が宙を舞う。
「あがぁぁぁぁああああああああっ!!」
空気を焦がす深紅。
鼓膜を揺るがす絶叫。
ヒュッと喉が音を立てた。生屍は普通の人間とは逆で息をしなければ苦しくないはずなのに、理性の統制下から離れた肺は乱れた呼吸を乱発する。それが疾太の体の中に金気臭い空気を充満させて、余計に思考を乱していく。
震える足が、もう一歩後ろへ下がった。
──なんで……何でみんな、そんな楽しそうにしてるんだよ?
目の前で繰り広げられているのは、殺戮の宴だ。
誰もが、目の前にいる姫さえもが、どこか笑みをはらんだ表情を浮かべている。手にした凶器を振るうことに躊躇いなど一切なく、そこかしこで深紅の霧が上がっている。
「っ、……ぁ」
──……なんなんだよ。
干上がった喉は、悲鳴さえまともに上げてはくれなかった。
──なんでそんな笑ってられるんだよっ!? おかしいだろっ!!
ズボンのポケットに入れたカッターナイフが、ベルトに挟んだ短刀が、さあ自分を抜けと言わんばかりに冷たい体を疾太に押し付けてくる。全身がガタガタと震えているのに、その冷たさだけは嫌になるほど鮮明だった。
──イヤダ
もう何度胸の中で叫んだか分からない言葉が、また疾太の中で暴れはじめる。
──やっぱり嫌だ、こんなのっ!! 間違ってるんだっ!! 僕はこんなのイヤダ……っ!!
結の鎌が翻り、屋上の縁から外へ向かって何かが落ちた。それを見届けることなく踏み込んだ結はまた別の刃と切り結ぶ。腕を飛ばされた男は、倒れそうになりながらも姫に喰らいついていた。
繰り出される凶器を払い、踏み込み、止め、打ち込み、切り結び、斬撃。
上がる悲鳴に、浮かぶ笑み。
深紅と深紅と黒と深紅。
「っ……ぁ……あ……っ!!」
もはや自分が何を叫んでいるのかも疾太には分からない。
だが喉からこぼれた声は、確かに悲鳴だった。
その悲鳴に呼ばれたかのように、一瞬、空が曇る。
真っ先にその異変に気付いたのは結だった。
交戦中の相手を弾いて距離を取った結は、チラリと宙へ視線を走らせる。遠く離れていたのに、疾太には結の青い瞳孔がキュッと縮まったのがなぜか分かった。
「壱・壱・壱っ!!」
叫んだ結が再びコンクリートを焦がす勢いで前へ踏み込む。
だがその踏み込みは攻撃を繰り出すためのものではなかった。屋上にいる敵の全てを無視して、結は最短距離で姫と疾太の元に突っ込んでくる。
結の叫びは『-B/M』で使われている符丁だったのか、姫は相対していた敵を力技で押しやると自身も後ろへ下がった。疾太が稼いだわずかな距離は、二人の踏み込みを前にあっという間に詰められる。
「っ!? 何よあれっ!?」
宙へ視線を投げた姫がヒステリックな叫び声を上げる。同時に敵陣を突破しきった結は、足を止めることなく姫の傍らをすり抜けながら疾太の襟に手をかけた。
「そんなことはどうでもいいっ! ここはマズい。移動するっ!」
結は疾太の襟首をつかんだままコンクリートを蹴った。
華奢な腕からは想像もできない力と早すぎる体捌きに疾太は反応することさえできない。もつれた足は引っ張られる力を受けて宙を舞い、コンクリートとの接地点を失った体はビル風に巻き上げられた。そのまま疾太の体は振り回されるように宙を舞う。
疾太が状況を認識した時には、疾太の体は結に引っ張られるがまま、元いた屋上から隣のビルに向かって跳んでいた。
「なっ!?」
上向いた視界。その中をさっきまで自分も立っていたマンションの屋上が遠ざかっていく。
そこにうごめいていたのは、生理的嫌悪を抱かせる、肉の塊だった。
もはや『虫』だの『亀』だのと生物的に見た目を表現することさえできなくなった肉塊。それが先程まで疾太が立っていた屋上に何体も、青みを帯びた緑の体液を撒き散らしながらうごめいている。
『バグ』
結と出会った時も、結とここに初めて立った日も現れたモノ。
それがまた、疾太の前に現れていた。
「何であんなもんが今ここに現れるのよっ!? こんなにプレイヤーが招盤されてんのよっ!? バグなんていらないじゃないっ!!」
膝を深く曲げて着地の衝撃を殺した姫がヒステリックに叫ぶ。
「やっぱり祥来が言うように、戦盤が歪んでるんだ」
静かに呟く結は、落下の途中に疾太の襟から手を離していた。
疾太が無様に転がる中、新たな屋上を滑りながら着地した結は、間髪を容れずに大鎌を構えて背後を振り返る。疾太が何とか顔を上げた時には、すでに後ろを追ってきたプレイヤー達との第二ラウンドが始まっていた。
「っ!? ちょっとあれっ!!」
結の動きに視線を引きつけられていた疾太は、姫のヒステリックな叫びに振り返る。
柳葉刀を構え直そうとしていた姫が、反対側の角を指差しながら体を震わせていた。その指をたどるように視線を投じた疾太も、姫が見ているものに気付いた瞬間、体を強張らせる。
醜い肉塊が、べシャリと屋上の縁からあふれるようにして現れたところだった。さらに虫のような頭がヌッと現れ、屋上を舐め回すように視線を巡らせたそいつはガチガチと顎を鳴らす。
壁をよじ登るようにして姿を現したバグは、明らかにこの場にいる人間達を認識し、『エサ』との邂逅に歓喜していた。
──挟まれた……!
「ふざっけんじゃなわいよっ!! プレイヤーと交戦しながらこんな数のバグを倒すなんて無理よっ!! 無理に決まってんじゃないっ!!」
「この戦盤では今、異常事態が発生している。プレイヤー同士の交戦を一旦取りやめてバグの対処に回らないと、ここにいる全員が食われることになる」
姫がヒステリーを爆発させる中、結は競り合いに持ち込んだ相手へ停戦を持ちかけているようだった。固まることしかできない疾太を間に挟んで、温度の異なる声が重なるように聞こえてくる。
「あー? だからそれが何だって言うんだよ?」
そこに加わった第三者の声は、あまりにも無粋だった。
無粋な上に、愚かな熱まで帯びている。
「全員殺して、全部消せばいいだけの話だろうよ。ここは戦盤の中だ。殺れば殺っただけ序列が上がる。戦盤の中にいて争いをやめろだなんて、何バカなこと言ってんだよ? なぁ、『-B/M』よぉっ!?」
「……っ」
結の鎌が押し込まれるキリッという耳障りな音が、疾太の耳の奥まで突き刺さる。
その間にも最初の一体の後を追うように、バグは次々と屋上へ姿を現していた。疾太が見ている間にゾロゾロと屋上に現れたバグは、全部で五体。全てが揃ってこちらへ向かってきたら、この屋上もすぐに埋まってしまう。
「あ、あ……あ……」
もはや疾太の口から意味のある言葉は出ていなかった。その声を聞きつけたのか、ヒステリー状態を脱した姫が低く舌打ちを放つ。
その音を合図にしたかのように、バグの体から突き出すムカデのような足がゾロリと動いた。
「結、『壱・弐・弐』でいくわよ」
バグに向かって刃を構えた姫が、ひそやかに立ち方を変える。
最初はゾロリ、ゾロリと鈍足で動き出したバグの足は、その短い時間の間であっという間に回転数を上げていた。重い体をコンクリートに打ち付ける音が、衝撃となって疾太の体を叩く。
「自分と僕の身は、自分でどうにかなさいっ!!」
一体が動き始めると、他のバグもその動きに倣うかのように動き始めた。雪崩となったバグの動きは、人間一人で止められるものではない。
叫んだ姫が柳葉刀を片手に持ったまま強くコンクリートを蹴りつける。ガッという鈍い音とともに風が吹き荒れ、姫の姿が視界から消えた。
それと前後する形で再び疾太の喉元に鈍い痛みが走る。先程と同じように結が疾太の襟首を掴み、振り回すように遠心力を使って疾太を無理やり移動させているのだということは、急激にブレた視界の揺れで分かった。
目がまともに世界を認識した瞬間、疾太の足先をバグが大量に通過していた。結と相対していた敵がバグの影に押し潰されて消える。濁流となったバグの動きは、それだけでは止まらない。
視線を、上げる。
のけぞるように見上げると、疾太の襟首を掴むカーディガンに包まれた腕が見えた。そこから華奢な肩の線を撫で、白い首筋をたどったところで、疾太の視線は動きを止める。
──殺して、しまえば。
巻き起こる風圧と遠心力を利用して疾太の体を移動させた結は、疾太の襟から手を離し、背後を振り返って大鎌を構える。
──もうこんな思い、しなくて、いいのだろうか。
そんなことを無意識に考えた瞬間。
疾太の中で、何かがプチリと弾けた。




