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見覚えのある場所へ予告なく連れてこられた疾太は、思わず体を強張らせる。だがそんな疾太に構うことなく、結と姫はマンションのエントランスへ足を踏み入れた。
「戦盤の中には生屍と生身のプレイヤーがいる」
二人が足を止めてくれない以上、疾太は何を思っても二人についていくしかない。一瞬の遅れを取り戻すために慌てて地面を蹴ると、説明を続ける姫がまたチラリと疾太に視線を寄越した。
「生屍は、生身の人間が即死するような怪我を負っても、まだ戦える。元々戦闘をこなすために創り出された存在だから、戦闘能力も身体能力も高い」
『ただ、さすがに頭と体をちょん切られたり、頭を潰されたりしたら死ぬわね』と、姫は気のない声で続けた。その言葉に自分がそんな状況に陥った姿をリアルに想像してしまった疾太は、思わずブルリと体を震わせる。
「痛みに鈍感ということは、致命傷にも気付きにくいということ。お前は特に鈍感そうだから、気をつけなさいね」
姫と結は迷いなくオートロックのない玄関を抜けると、エレベーターに乗り込んだ。疾太の到着を待って扉が閉まったエレベーターは、あの日と同じようにガタガタと不安定に揺れながら最上階へ向かっていく。
「生屍はプレイヤーにとっては財貨と同じ。だから権力者になればなるほど、多くの生屍と契約を交わす」
姫は階数表示を見上げていて、疾太の方へは一瞥もくれない。そんな素っ気ない態度を見せていながらも、姫の言葉は変わることなく疾太のために紡がれていた。
「この街の中には、生屍を売買して富を築き上げている者もいる。そういうプレイヤーが同じ戦盤に招盤されていると厄介ね」
「さっき店で、『主と生屍はセットで招盤される』みたいなこと言ってましたけど……」
そんな姫をチラリと見てから、疾太は問いを口にする。今度の姫は先程のようにあからさまに棘を纏うようなことはなかった。
「生屍を多く抱えている人の招盤って、どうなるんですか? 全員一緒に招盤されるんですか?」
「馬鹿ね、そんなことにはならないわよ。ウジャウジャいても、鬱陶しいだけだもの」
『そういう時は、自分が使い勝手のいい人数だけを選抜して連れていくの』と、姫はまるで自身が経験してきたことであるかのように、至極当然のこととして疾太に答える。
「招盤紙によっては、生身のプレイヤーを呼び出す時のようにどの生屍を連れてこいって指名されることもあるし、随伴させる人数を制限してくることもあるけれど……。援護を入れてもルール違反にはならないのだから、あまり意味はないわね」
──やけに詳しいけど、姫さんって生屍と契約してるのかな?
今日まで疾太は自分以外の生屍と会ったこともなければ、紹介されていないメンバーと顔を合わせたこともない。姫が誰かと連れ立って行動する姿を想像することもできなかった。
だが疾太はふと胸中に芽生えた疑問よりも、先程からずっと胸中に抱えてきた疑問を優先的に口にする。
「あの……。どうしてこの建物を、登ってるんですか?」
「この建物が、第五区の中で一番高い建物だからだよ」
その問いに答えたのは、姫ではなく結だった。
久しぶりに口を開いた結は、安っぽい階数表示を見上げながらコツコツとローファーの爪先で床を叩く。
「いくら生屍の身体能力が生身の人間より優れていても。いくらプレイヤーが特殊な能力を持っていても。結局は重力に縛られているっていうことに、変わりはないから。戦略上、上を取った人間の方が、やっぱり有利なんだよね」
結の言葉が終わると同時に、安っぽい電子音が最上階に着いたことを教えてくれた。開いた扉の先へ足を踏み入れた結は、やはりあの時と同じように非常階段を上がって屋上へ向かっていく。
「まぁ、そんなことは、誰もが考えることなんだけどね」
結が無気力に言葉を締めた瞬間、疾太達は屋上の床を踏んでいた。
初めて訪れた時と変わらない、打ちっぱなしのコンクリート。遠目に見える電光掲示板。地上では中々感じることがない強い風に、結の青いスカートと姫の黒い女優帽が揺れる。
大して広い場所ではない。だが今その『大して広くはない場所』は、前回訪れた時とは打って変わって見知らぬ人間であふれていた。何人かで固まり一定の間隔を空けて立っていた人物達は、新たに現れた疾太達に視線を向けてくる。
その瞬間、場の空気がわずかに変わった。
「知ってる顔、いる?」
「……第二区の猿、第十区のアホ、第十二区の天龍はいない」
「ふーん」
最初のふたつは明らかに正式名ではないはずなのに、二人の間ではそれで話が通じるらしい。
自分から話を振ったくせに関心のなさそうな声で答えた結は、カーディガンのポケットに両手をつっこみながらギャラリーを眺めている。
「みぃくん、お店で渡した護身用の短刀、失くしてないよね?」
「……っ」
その上で投げられた言葉に、疾太はとっさに答えることができなかった。答えようと口を開いたのに、いつの間にか口内はカラカラに干上がっていてまともな声が出てこない。
結と姫の姿を視界に収めた瞬間、明らかに場にいる人間達の表情が変わった。そのことが、ズブの素人である疾太でも分かった。
自分が戦盤に巻き込まれた時、誰とも知らない男に絡まれた時とは訳が違う。
結と姫は確実に彼らに素性を知られている。その上で注目されるような、……警戒し、狙われるような、実力者なのだ。
──そんな二人と、一緒にいる僕は。
確実に狙われる。
自分は、ただの、一般人なのに。戦う技力も覚悟も、自分には一切ないというのに。
「あのね、みぃくん」
全身が強張って、指先が細かく震え始める。
そんな疾太の様子が、視線を向けなくても分かったのだろう。
不意に結が、普段よりも柔らかく聞こえる声を上げた。
「この建物をみんなが選ぶのは、確かにここが一番高いからっていうのもあるんだけども。それ以上に、周囲の建物の立地条件がいいっていうのも、選ばれる理由のひとつなんだよね」
声が聞こえる方向へ視線を流すよりも、目の前に結の背中があることに気付く方が早かった。
一体、いつの間に前へ出ていたのだろうか。疾太を背後に庇うように立ちはだかった結と姫は、前を見据えたまま決して疾太の方に視線を向けることはない。
その背中が、疾太には妙に大きく見えた。実際の結は疾太よりも小柄で、線も細いただの少女であるはずなのに。
「両隣も後ろも、建物の間隔が1メートル以下しかないし、段差も一階分……大体3メートルくらいしかない。何の能力も発現していないみぃくんでも、生屍としての身体能力っていうリーチを生かせば、この場から逃げ切れる立地になってる」
姫がジャケットからのぞく刀の柄に手を添える。その動きを受けてなのか、屋上に散る面々も次々と己の得物に手をかけた。
対する結は、相手の動きに一拍遅れる形で左手をユルリとポケットから抜き出す。そのまま何かを呼び付けるかのように振り抜かれた左手は、次の瞬間諸刃の大鎌を握りしめていた。
「なるべくここで防ぎきるつもりだから。だからみぃくんも、頑張って逃げてね」
遠くに見える電光掲示板が表示を変える。
ゲーム状況を速報するものから、カウントダウンへ。『10』と表示された数字が、見ている間に刻々と減っていく。
「歩みを止めちゃ、ダメだよ」
──ゲームに巻き込まれる前は、この表示がどんな風に見えていたんだろう。
疾太はふと、そんなことを思った。
その瞬間、電光掲示板の数字がゼロへ落ちる。
同時に疾太の視界から結の背中が掻き消えた。




