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盤上ノ箱庭ヨリ -Are you ready to exist?-  作者: 安崎依代
3rd.

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12/17

6

 疾太(はやた)の腕を取ったモノは、そのままグイグイと疾太を引っ張りながら走り続ける。


 考えるよりも早くその動きに従った疾太は、腕を引かれるがままT字路を左へ折れた。冷えた空気がいきなり流れ込んできて、(せき)(のど)の奥からあふれ出る。


「息を止めて。君は生屍(いかばね)だ。呼吸しなくても苦しくならない」


 その言葉に、疾太は自分でも驚くほど素直に従っていた。


 呼吸が止まると同時に、喉は落ち着きを取り戻す。足の動きもスムーズになった。それでもまだ先導者の方が速いのか、疾太の体は前のめりの体勢から元に戻らない。


 ──誰、なんだ?


 疾太は地面ばかり見つめていた顔を上げて、先導者を見つめた。


 第一印象は、『黒い』だった。


 黒い大きな野球帽に漆黒の髪。後ろ姿でほとんど顔が見えていないのに白いと分かる肌。極薄く青色が入った、限りなく黒に近いダブダブのパーカー。黒のカーゴパンツと、一本だけ白いラインの入った黒いスニーカー。


 左手で疾太の腕を取り、右手に電子辞書のような物を抱えた少年は、裏道を右に左に縦横無尽に走り抜ける。


「あそこを越えるよ」


 そんな少年の目の前に、金色の帯が現れる。


 ──あれって……!


 コンビニを出た時に周囲を舞っていたあの光だと、疾太は直感的に理解した。それがカーテンかオーロラのように、道の先で揺らめいている。


 少年は走る足を緩めないまま、一瞬だけ疾太から手を離した。そのまま少年は左手の指を右手に握っていた機械に這わせる。


 その瞬間、まるでその機械から発された信号を受信したかのように、金色のカーテンがスルリと割れた。それを確かめるよりも早く再び疾太の腕を掴んだ少年は、開いた隙間へ躊躇(ためら)うことなく突っ込んでいく。少年に腕を取られている疾太も、気付いた時にはその隙間を駆け抜けていた。


「ここまで来たら、もういいよ」


 さらに惰性で数メートルほど進んでから、少年は緩やかに足を止める。


「これが戦盤(せんばん)の境界なんだ。戦盤の中と外なら、中で(しょう)(ばん)された人間を相手に戦っていた方が序列に反映されやすい。あいつも中にウジャウジャ獲物がいるのに、わざわざ外まで出て君を狩ろうとはしないよ。意味がないからね」


 息を乱すことなく説明の言葉を紡ぎながら、少年は疾太を振り返った。同時に、疾太を捕えていた少年の冷たい指が、疾太の腕から離れていく。


「君は……」


 ようやく落ち着いて少年と真正面から向かい合ったはいいものの、疾太は少年に見覚えがなかった。見知らぬ少年に助けられた上に何やら親切に目の前の事象について説明されているという状況に、疾太は何と言うべきなのかも分からず、一言困惑の声を上げただけで言葉を詰まらせる。


「俺? うーん……?」


 疾太の問いに少年は微かに首を傾げた。


『何者なのか』と(たず)ねたかったのだが、やはり通じていなかったのだろうかと、疾太は唇をもごつかせる。


 そんな疾太の内心に気付いたのか否か。


 不意に少年は、ニヤリと含みのある笑みを浮かべて疾太を見上げた。


「俺は君にとっての神様のようなもの、かな?」

「っ!?」

「ドーモ、ハジメマシテ」


 軽薄な言葉とともに少年はヒラリと片手を振ってみせる。


 神様。


『カミサマ』


 その呼称は、この盤上において『対面すればどんな願いでも叶えてくれる』という、ゲーム盤の創造主の名前として使われていなかっただろうか。


 ──でも、何だか違和感もあるような……


 期待と違和感に揺れる疾太は、言葉と言わず息を丸ごと詰まらせたまま、凍りついたかのように少年を凝視する。


 そんな疾太の反応を(うかが)うかのようにニヤニヤと疾太を見上げていた少年は、ヒラリと両手を上げながら言葉を継いだ。


「おっと。細かいことは()かないでくれよ。『ルール』ってものがあるからさ」

「っ、じゃあ、何で……!?」

「いやぁ、ずっと探していたのさ」


『細かいことを訊くなと言うならば、なぜこんな風に接触してきたのか』という思いは、どうやら問いの形にさえなっていない短い言葉で察してもらえたらしい。少年は右手に載せた機械に指を這わせながら、跳ねるような語調で陽気に答える。


「君が戦盤に組み込まれてから、結局一度も会ってなかったからさ。セッティングはどんなもんかと思って」


 少年の視線は疾太ではなく、右手に載せられた機械に注がれていた。よく見ればそれは電子辞書ではなく、超小型のノートパソコンであるらしい。


 カチャカチャという陽気な音に続いてタンッという小気味いい音を響かせてから、少年はようやく疾太を見上げる。


「うん、セッティングは、問題ないみたいだね」

「……っ、何が問題ないだよ大アリだろっ!!」


 そんな少年の言葉と態度に、一度混乱に押しやられて消えていた怒りが爆発した。


 思わず衝動的に吐き出した言葉は、予想以上に強く裏路地の空気を揺らす。


「なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだよっ!? あんたが僕を巻き込んだ張本人なのかっ!? 責任持って、僕を生き返らせて、この街から出してくれっ!!」

「巻き込む? 生き返らせる?」


 その言葉に、少年はキョトンと首を傾げた。


 野球帽と髪で隠れて、顔はほとんど見えない。だが少年が心底純粋な疑問で首を傾げていることは雰囲気で分かる。


 ──ふざけるな……っ!!


 疾太は、この『ゲーム』で言うところのNPCであったはずだ。本来ならば巻き込まれることはなかったはずの存在だ。


 だというのに疾太は『ゲーム』に巻き込まれた上にたくさんのモノを奪われ、強制的に『ゲーム』に参加しなければならなくなっている。そうなった責任は、『ゲーム』の全てを司っている『カミサマ』とやらにあるはずだ。


「ああ、そう設定してあるんだっけ」


 怒りが強すぎて、上手く言葉が出てこない。言ってやりたいことは山程あるのに上手く次の言葉を継げない疾太の前で、不意に少年が呟いた。


 その言葉を上手く拾えなかった疾太は、精一杯の怒りと虚勢を込めた凄みを上げる。


「は? 何て?」

「事の張本人は俺だね。認めるよ」


 そんな疾太に、少年は『降参』と示すかのように両手を上げてヒラヒラと振ってみせる。


 そのふざけた態度に、疾太の内を焦がす怒りがさらに温度を上げたような気がした。


「だったら!」

「つまり君は、人間になりたいと?」

「なりた……? っ、元の生活に戻せって言ってんだよっ!!」


 少年の物言いに引っかかりを覚えながらも、疾太は威勢を落とさないように声を張り上げる。


 相変わらず会話が成立しているようですれ違っているような気がするが、黙っているわけにはいかない。相手に言葉が刺さることはなくても、怒声を張り上げ続けた方が黙り続けるよりはマシだ。


「そうだよ。だっておかしいだろ? 僕は昨日まで普通の人間だったのに、それをいきなり……」

「『普通』をどう定義するかは置いといて」


 だが少年はこれ以上疾太の言葉を聞く気はないようだった。


 パチンと片手でノートパソコンを閉じた少年は、疾太の言葉を遮って自分の言葉を流し入れる。


「人間になれる方法なら、あるよ」


 その態度は、相変わらず気に食わない。


 だが少年が発した言葉は、そんなことをはるか彼方に吹き飛ばすくらい、疾太には衝撃的だった。


「ほ、本当かっ!?」


 思わず、考えるよりも早く、食いつくかのように少年の言葉に反応していた。


 そんな疾太をどう見て取ったのか、少年はキューッと唇の端を吊り上げるようにして笑う。


「あぁ、とっても簡単だ」


 少年の目元は、相変わらず髪に隠れていて見えない。唯一見えている唇は三日月のように弧を描いていた。無知な人間に取引を持ちかける悪魔は、きっとこんな風に(わら)うのだろう。


 そんなことを思いながらも、疾太はこの街に巻き込まれてから初めて耳にした吉報に胸を躍らせていた。暗闇しか見えなかった中に、一条の光が差したような心地がしていた。


 弾む胸の内を誤魔化せず、疾太は思わず一歩、少年へ詰め寄る。


 そんな疾太に、悪魔のような少年は告げた。


「君が、自分の契約主である(にい)(ざき)(ゆい)()、……あぁ、君にはプレイヤーコードの『(ゆい)』って言った方が通じるかな? とにかく、彼女を殺せばいい」

「……え?」


 一瞬、何を言われたのか、分からなかった。


 いや、しばらく時をかけても、疾太にはその言葉の意味を理解することができなかった。


「え? どういう……」

「知らない? 戦盤の繰上りシステム」


 呆然と固まる疾太に、少年は無邪気に首を傾げる。


 その目元は相変わらず疾太からは見えず、唇も三日月を描いたままだ。


 先程と何も変わっていない。


 だというのに疾太には、先程よりもこの少年が()()()()()()()()()に思えて仕方がなかった。


「生屍は契約主を殺すことで、人間として復活することができるんだ。契約主が持っていた寿命が、そのまま生屍へスライドするんだよ」


 そんな話は聞いていない。いや、そういう話ではない。


 ──結さんを、殺す? 僕が?


「で……できないよ、そんなこと……」


 震える唇は、頭が回り始めるよりも先に答えを口にしていた。


 だが少年の笑みは、そんな言葉だけでは崩れない。


「どうして? 君はこんな世界は嫌なんだろう? 巻き込まれたことを恨んでいるんだろう?」


 天使のように無邪気なまま、悪魔のような笑みを浮かべた唇が、甘い甘い毒を疾太の耳に注ぎ込む。


「その根本を作り出したのは、結じゃないか。つまり、自分をこんなことに巻き込んだ結を恨んでいるんだろう?」


 その言葉ひとつひとつに、疾太の中にいる誰かが『そうだ』と首を縦に振った。


 ジワリ、ジワリと、思考が毒に侵されていく。いけないと分かっているのに振りほどけない。鈍くも回っていたはずである思考が、徐々に動きを止めていく。


 甘い甘い酩酊の中に、堕ちていく。


「で、でも……」


 そんな中でも、フラッシュバックする光景があった。


 暗闇の中、いつまでも何も言わずに、傍らにたたずんでいた姿。


『帰ろう』という優しい声。


 財布に込められた懺悔の心。


「僕は、結さん自体を、恨んでなんか……」


 わずかに残った理性が、少年の言葉に抗う。


「ああ! もしかして君は『新咲結奈の寿命を奪う』ことに罪悪感を覚えるのかな?」


 だがその儚い抵抗は、少年の一言に噛み潰された。


「それなら問題ないよ。新咲結奈の寿命だって、彼女の主から奪ったものなんだから」

「っ、ぇ?」


 ──奪った? 主、から?


 奪う、ということは、元は持っていなかったということ。


 ……寿命を持っていなかったということは、すなわち。


 何より、生者に『主』なんてものは、存在しない。


「君、本当に何も知らされていないんだね。それで新咲結奈は、君に誠意を尽くしているって言えるの?」


 疾太の表情から、疾太が何も知らなかったことを覚ったのだろう。


 少年は雰囲気にわずかに哀れみを漂わせながらも、満面の笑みを崩さない。


「新咲結奈が主を殺して人間になったのは三年前。彼女は元々、第一区領主家当主・(わた)(らい)()()を主とする生屍だったんだ」


 スコンッと落とされた言葉は、疾太の思考回路を完全に止めた。


 知らされていなかった事実が、よみがえった光景をかき消して、全てノイズに還していく。わずかに感じていた優しさを、握り潰していく。


「ねぇ。今の彼女は、『人間』だろ?」


 ──どう、して。


 元々生屍だったというのならば、なぜ彼女はそのことを教えてくれなったのだろう。戦盤の繰上りシステムについて、なぜ『-B/M(バー・ブルームーン)』のメンバーは誰も教えてくれなかったのだろう。


 ──全部、己の身を守るためなのだとしたら。


 元々生屍であった彼女が、生屍の利便性を知り尽くしていた上で、己の利のために活用したいと、前々から考えていたとしたら。


 偶然とはいえ都合よく生まれた、何も事情を知らない生屍。()()を便利に使うために、詳しい事情をあえて教えていなかったのだとしたら。


「人を殺すのに、何も大仰な道具なんていらない」


 流し込まれた言葉は、小さな疑念を生む。その疑念はあっと言う間に疾太の思考を黒く染め上げた。


「そうだな、……百均のカッターナイフ。あれで頸動脈をスパッといけば、人間なんて、簡単に死ぬよ。包丁やナイフは敷居が高くても、カッターナイフだったら簡単に買えるだろう?」


 抗う声は、もうどこからも聞こえない。


 思考回路が止まって、がらんどうになってしまった疾太の中に、少年から注がれる言葉はやたら大きく響く。


「新咲結奈は高い戦闘能力を誇るプレイヤーだ。序列も高いし、真正面からは当たりたくない相手って有名なんだけども」


 空っぽの(かめ)の中に物を放り込めば、カツンカツンと高く大きな音が響き渡るように。


 殺せ、殺せという声が、疾太という甕の中に高らかに響き渡る。


「そんな『結』が相手でも、彼女と契約という名の『信頼』がある君なら、必殺の間合いにだって簡単に入れるだろ? 新咲結奈は、君にそこそこ目をかけているみたいだし」


 そう、人間は簡単に殺せてしまう。さっき、ショーウィンドウへ叩き付けられた女性のように。


 能力を持ち、巨大な鎌を自在に操る結だって、そこは変わらないはずだ。


「結さんを、殺せば……」


 そうだ。だって、自分を殺したのは、結なのだ。疾太が戦盤に巻き込まれる原因を作り出したのは、結なのだ。


 ならば責任を取って、結が疾太を人間に戻してくれればいい。


「そんな君に、プレゼントだ」


 自分の顔に、どんな表情が浮いているのか分からない。


 だが目の前の少年はそんな疾太に満足そうに笑うと、一度疾太の肩を叩いてから手を取った。


「君の鞄は、警察に届けられている。でも財布は抜かれていて、鞄には入っていなかった。()()()()()()()


 疾太の手のひらに置かれたのは、スマホだった。


 一瞬それが何であるのか理解できなかった疾太は、しばらく()()を見つめてから、ようやく『ああ自分のスマホだ』と認識する。まるで今その情報を脳にインプットされたかのように、ジワリとかなり遅れて理解がやってくる。


「ここの道をまっすぐに進むと表通りに出る。道沿いに右へ行って、ふたつ目の信号を左。そこまで行けば、君も知っている景色に出るはずだ」


 少年はそれだけ言い置くと、フラリと歩き始めた。


 疾太に示した方向とは真逆へ。戦盤の境界を示す黄金の帯へ向かって、少年は進んでいく。


「じゃあ、期待しているからね。三五(みいつ)疾太君」


 その言葉が消えてから、どれだけそこにたたずんでいたのだろう。


 疾太が夢から覚めた心地で顔を上げた時には、少年も黄金の帯も姿を消していた。


「……ぁ」


 スマホは、手元に戻ってきた。落とした鞄は、警察に行けば取り戻せる。帰り道の百均に寄って、カッターナイフを買わないといけない。


 結を殺せば、生き返ることができる。


「人間に、戻れれば……」


 疾太の指は、無意識のうちにスマホの画面の上を滑っていた。


 ロックが設定されていないスマホは、フリックひとつで簡単にホーム画面を表示する。


「こんなふざけたゲームから、解放される……?」


 ぎこちない動作で連絡アプリを開く。誰に連絡を取ろうとしたのかは、自分でも分からない。


 だが結局疾太は、誰にも連絡を取ることができなかった。


『登録されているデータがありません』


 誰の連絡先も入っていない初期状態のスマホは、裏路地が作り出す薄闇に、ぼんやりとその文字を映し出していた。


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