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「らっしゃいま~」
表通りに面しているためか、狭い店内の割に客の入りは多かった。
レジにはやる気のなさそうな店員が二人並んでいる。疾太が賑やかな入店音とともに足を踏み入れると、どちらも似たような声で、似たようにやる気のない声を上げた。
雑誌を立ち読みするサラリーマンと、化粧品を物色する女性の後ろをすり抜け、疾太は飲料が並んだ冷ケースへ歩み寄る。
──脱水症状には、麦茶がいいんだっけ? いや、深刻な時はスポドリの方がいいか。
そんなことを考えながら全体を少し眺めて、結局一番安い銘柄の麦茶をケースから引き抜く。そのまま冷気で涼むようにボンヤリと立ち尽くしていたが、後から入店してきた大柄な男性が疾太に邪険な視線を向けてきた瞬間、疾太はそそくさとその場から撤退した。
「らっしゃいま~……」
仕方がなくレジへ向かえば、バーコードリーダーを手に待ち構えていた店員が首だけを前に倒して一応の礼を見せる。
だが店員の動きは、疾太から麦茶のペットボトルを受け取った瞬間、ピタリと止まった。
まるでその瞬間を見計らったかのようにシャリンッと、小鈴をすり合わせるような音が、場違いなほどに力強く店内に響き渡る。
「?」
──何の音だ?
BGMにしては、不自然な音だった。だが疾太は内心で首を傾げながらも、財布の中を覗き込んで小銭を取り出す手を止めない。
疾太が異変に気付いたのは、最後の硬貨をトレーに置き、顔を上げた瞬間だった。
「っ!?」
まるで店の中の時が止まっているかのようだった。
麦茶のボトルを手にした店員も、その隣のレジであくびをかみ殺していた店員も、まるで一時停止のボタンを押されたかのように動きを止めている。
思わず振り返って店内を確かめると、全員同じ状態だった。化粧品を物色していた女性なんて、棚からマニキュアを引き抜こういう中途半端な姿勢のまま止まっている。
「何、が……っ!?」
前と後ろを交互に見ることしかできない疾太の耳に、またシャリンッシャリンッシャリンッと小鈴の音が響いた。
まるで、それを合図にしたかのように。
次の瞬間、店内にいた人間は全員、フラフラと出入口へ向かって歩き始める。
その瞳は虚ろで、意志の光はない。まるで大人しいゾンビが何かに操られているかのように、ヨロヨロと、フラフラと、全員が無言のまま、どこかを目指して動き出した。
「ちょっ、ちょっとっ!!」
状況を理解できない疾太は、とっさに麦茶のボトルを手にしたまま歩き出した店員の後を追いかける。
だがその足は、店の外へ出て三歩も行かないうちに止まってしまった。
「なっ、んだ、これっ!?」
キラキラと、黄金の光が舞っていた。まるで、街の中に境界線を引くかのように。
ゾンビのように歩き出したのは、コンビニの中にいた人間だけではなかった。他の建物から出てきた人間達も、徐々に大きくなっていく人波に交じり、どこかへ向かって歩いていく。
事務仕事をしていたのであろう制服姿の女性。休日を楽しんでいたのであろう恋人達。厨房に立っていたのであろうコック。
人波に統一感はない。だが全員が全員、何も口にすることなく、無言のままどこかへ向かって移動していく。
「え、……な、これって。もしかして……っ!?」
こんな状況に遭遇したのは初めてだ。だが『もしかしたらこうなるのかもしれない』という現象にならば心当たりがある。
【NPCは戦盤の外へ誘導される】
疾太の勘が正しいならば、疾太はこの場所にいるべきではない。
「ヒャァァッハァッ!!」
疾太は慌てて人波に続こうとする。
だが疾太が動き出すには、何もかもが遅すぎた。
「祭の時間だぜっ!! ヒャッフーッ!!」
奇声を上げながらどこからともなく現れた男が、金属バットを振り上げる。うつろに歩く人波は、そんな彼に一瞥もくれない。
そんな男にくってかかったのは、いきなり空から降ってきたチャイナドレスを纏った女だった。細腕に似つかない無骨な柳葉刀を振り上げた女は、躊躇うことなく男に向かって刃を振り下ろす。
柳葉刀と金属バットがかち合う鈍い音が疾太の耳を叩いた。
「天龍が相手かよっ!? 楽しめそうだなぁっ!! アァッ!?」
「下品な猿が相手とは、我らが天主様がお嘆きになられる」
一度刃を押した女が軽やかに後ろへ下がる。だが男は自らその間合いを詰めた。男の目が禍々しい赤色に染まると同時に、金属バットが熱されたかのように赤く染まる。
「なっ……!?」
男は躊躇いなくバットを振り抜いた。女はかろうじて柳葉刀でそれを受けるが、華奢な体はバットの勢いに耐えきれず吹き飛ばされ、背後のショーウィンドウへ叩き付けられる。
ガラスが割れ、女の姿が消えた。何かが焦げるようなにおいが、疾太が立っている場所まで漂ってくる。
「あっ、ぁ……」
戦盤。
容赦も倫理も一切ない戦闘区域に、疾太は呑み込まれてしまっていた。
──な、何で……何で、こんな、いきなり……っ!!
逃げ出したいのに、足がすくんで動くことができない。目をそらしたいのに、割れたショーウィンドウから垂れる深紅から目を背けることができない。
「ヒャァッハァッ! ……あん? 逃げねぇってことは、あんたもプレイヤーなんだよな?」
そんな風にただただ固まっている間に、奇声を上げていた男がグリンッと疾太を振り返る。
目が、あった。
そう認識した時には、全てが遅かった。
「ぼっ、僕、は……っ!」
「あん? 構えがなってねぇな? もしかして、呼ばれた人間じゃねぇのか? まぁ、関係ねぇけどな」
ゆっくりと歩み寄ってきた男が、赤熱した金属バットを振り上げる。
まだ五歩以上の間合いがあるのに、金属バットが放つ熱が空気を介して疾太の肌を焼く。
「プレイヤーは全員殺す。殺して殺して殺しまくる!」
恐怖で喉が引き攣る。
そんな疾太の反応を手で握りしめて確かめるかのように、男はバットを手にしていない手をゆっくりと握り込みながら、下卑た笑みを顔一杯に広げた。
「殺した分だけ俺の序列が上がるんだからよぉ。戦盤が設定されていようがいまいが、招盤されていようがいまいが、関係ねぇのよっ!!」
「……っ!!」
腕を伸ばせば服が掴める位置まで近付いた男が、疾太の脳天目がけて勢いよく金属バットを振り下ろす。
その時になってようやく、疾太の体はわずかに動いた。
かろうじて体を横へ振った疾太の傍らを、金属バットが落ちていく。振り下ろされた勢いのままアスファルトに叩き付けられた金属バットは、瞬く間にアスファルトをマグマに変えた。
「っ!?」
──こんなのと戦って、勝ち目があるわけない……!
波打つ路面に揺られて、疾太の足がよろめくように後ろへ下がる。
その瞬間を、今度こそ疾太は逃がさない。
疾太はとっさに脇道へ飛び込むと、先程歩いてきた裏道を今度は逆向きになぞるように奥へ奥へと駆けていく。まだまだ体の動きはギクシャクとぎこちないが、それでも無理やり足を動かした。
「おいおい! さっさと殺されろよ、アァンッ!?」
男はそんな疾太を全力では追ってこない。
だが確実に仕留めようとしていることは分かる。
男の歩みは緩やかなのに、疾太と男の間の距離は開いていかない。逆に追い詰められているような気までする。
──あんなの、勝てるはずがない……っ!!
プレイヤーには能力が付与されると結は言っていた。あの赤熱した金属バットは、男の能力によって生み出されたものなのだろう。
あんなものに勝てるはずがない。疾太には、まだ何の能力も付与されていないのだから。
──嫌だっ!! こんなの嫌だ……っ!!
息を乱しながら必死に走る。もう自分がどこにいるかなんて、まったく分からなかった。
背後に迫る足音は、ずっと遠ざからない。高らかな足音が、疾太の精神を追い詰めていく。
その気配が、気だるそうに舌打ちを放った。
「そろそろめんどくなってきたし……。終わらせるか」
「……っ!!」
──何で僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだっ!!
終わりを告げる宣告に、もう見切りをつけたはずの問いがまた鎌首をもたげてきた。
──なんでなんでなんでっ!? 僕はこんな世界、望んでないのに……っ!!
自分は必死に走っているはずなのに。相手の姿はまだはるか後ろにあるはずなのに。
あのバットが放つ熱が、疾太の体にまとわりつく。熱が気道をふさいで、服を焦がして、嫌なにおいを立てていく。
──イヤダ…………ッ!!
「こっちだよ」
思いが悲鳴になって飛び出しそうになった瞬間。
不意に響いた声とともに、冷たいものに腕を取られる。
「っ!?」
「ついてきて」
声と、腕を取った冷気は、問答無用で疾太を熱世界から引きずり出す。
それを意識の端で理解するよりも早く。
疾太の体は、また操られているかのように、その言葉に従っていた。




