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それは、唐突に、疾太の前に落ちてきた。
「……っ!! ひっ……!!」
肉と肉を無理やり繋ぎ合わせたかのような醜い塊。それが体のいたるところから青い体液を振り撒きながら、ガチガチとムカデのような牙を鳴らす。
空から降ってきたそれは、しばらくもがき続けるといきなり、……本当にいきなり、バインッと跳ね上がって体勢を整えると着地した。そして『あ、美味しそうなエモノ、見ぃつけた』と言わんばかりに疾太の方を振り返る。
その途端にバケモノが振り撒く臭気が疾太の鼻を突いた。腐臭とも刺激臭ともつかない悪臭に一瞬、疾太の意識が飛かける。
──いやいやいやいや、なんだよこれっ!! どこのラノベの世界だよ、おいっ!!
疾太は無我夢中で後ずさりながら、心の中で必死に叫んだ。
──ここは現代日本であって、SFファンタジーの世界じゃないんだぞっ!! こんなことあってたまるかっ!!
高校からの帰り道。普段と同じように通り抜けようとした、なんの変哲もない繁華街の路地の裏。
なぜこんな場所で自分はこんな未曾有の危機に瀕しているのか。なぜ普通に学校に行って、普通に授業を受けて、普通に帰宅しようとしただけでこんな目に遭っているのか。
──何でだよっ!? 俺が何したっつーんだよっ!!
疾太は胸の中で必死に文句を叫び続ける。
だが実際に言葉が音になることはない。ガチガチと震える口元はヒッ、ヒッ、と引きつった悲鳴を上げるだけで精一杯だ。
そんな疾太を嘲笑うかのように肉の塊にムカデの顎とカマキリの眼をくっつけたそれは、ジリジリと疾太の方に近付いてくる。距離が詰まったせいなのか、耐え難い臭気がよりいっそう疾太を包み込んだ。
「………っ!! ……? っ!!」
もういっそ、気絶できた方が幸せだったかもしれない。
抜けた腰の代わりに疾太の体を運んでくれていた腕が背後の壁にぶつかる。右にも左にも逃げ場はない。ムカデカマキリ肉が撒き散らした肉片によって疾太の逃げ道は塞がれている。
──こういう時は、あれだろ? お約束だろ? ギリギリのタイミングで僕を助けるヒーローが現れるってやつだろ?
もしくは、あっさりバケモノの餌食になってジ・エンド。本編の冒頭部分で主人公が手にしている書類の一枚に疾太の写真がさりげなく添付されているパターンだ。
どちらになってもオープニングとしては盛り上がるだろうが、自分がこの立場に置かれるとその分岐が天と地ほど違うものなのだということを思い知らされる。
──というか! お約束ならさっさと助けにこいよヒーローっ!!
「見つけた」
ヤケっぱちで叫んだ、その瞬間だった。
「さっさと消えて」
一瞬で目の前を通り過ぎていったそれをしっかりと目に焼き付けられたのは、『火事場の馬鹿力』に通じる奇跡的な何かだったのかもしれない。
……大鎌、だった。
全ての光を吸い込むような、漆黒の大鎌。それがムカデカマキリ肉ごと、疾太の喉を切り裂いていく。
──は?
朱色の霧が立ち込める向こうで、ムカデカマキリ肉がゆっくりと崩れ落ち、最後にはノイズのようにブレて掻き消える。さらにその向こうには誰かが立っていたような気がしたが、急速に霞み始めた疾太の目はその誰かを捉えてはくれない。
「……あれ?」
だが逆に聴覚は澄み渡っていて、いつも以上に鋭敏になっていた。
だからこそ、その誰かがこぼした微かな呟きも、疾太の耳に届いたのだろう。
「やっば……殺っちゃった………?」
ただ、その呟きが聞こえたことが、救いになるか否かは別問題だったが。
──……間違いなのか、僕の死は。
つまり疾太の役どころは、オープニングを盛り上げる死体役、いわゆる『モブ』と呼ばれるものだったのだろうか。いや、役どころ云々の話は抜きにして、そもそも誰かの間違いで自分が殺されているという状況の意味が理解できない。
──ふざけんなよっ!! そんな理由で殺されてたまるかっ!!
疾太は全力で抗議の声を上げようとするが、肉体は生体の限界に抗えない。
疾太の意識はゆっくりと、為す術もなく深い闇に呑まれていった。