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翌日、火災のあった日のアドリアナの侍女と馭者を呼び、サリナス侯爵と共に事情を聴いた。馭者はアゴスト伯の別荘にアドリアナを送った時の馭者と同じだった。
「あの日は一旦アゴスト伯爵様のお屋敷に行った後、ご子息、ご令嬢も当家の馬車に同乗され、ドッケン伯爵様のお屋敷に向かいました」
「侯爵家の馬車で。…伯爵家の馬車は使っていないんだな」
クラウディオは落ち着いた口調で侍女に聞き返した。
「はい」
続いてサリナス侯爵が侍女に問いかけた。
「おまえは馬車で待機していたんだったな」
「はい。すぐに終わるから馬車で待っていてほしいと。お嬢様はアゴスト伯爵令息、令嬢と共に裏口からお屋敷の中に入っていかれました」
事件のあった時、サリナス侯爵が侍女に確認していたのはアゴスト邸に行った後、ドッケン邸に向かったのがアドリアナの指示だったかということと、侍女はどうしていたかということくらいだった。
「イルダ・アゴスト様が、お嬢様もこのままパーティに参加するから先に帰るようにとおっしゃいました。お嬢様の意思を確認したいと申しましたが、自分を信じられないのかとひどく叱られ、しばらく待ってもお嬢様はお越しになりませんでしたので、後ほど迎えに上がることにしました」
「セブリアン殿とイルダ嬢は、パーティ用の服を着ていたのでは?」
クラウディオの問いに、侍女はゆっくりと頷き、
「…はい」
と答えた。つまり、セブリアンとイルダはパーティの参加者だった。しかし、あの事件に二人の名はなかった。パーティの日にアドリアナを呼び出し、侯爵家の馬車に相乗りして会場に向かわせた。それは自分たちがそのパーティに参加した痕跡を消すためではないのか。
「アドリアナ様は、あの日はパーティ用のドレスは召されていなかったはずだが」
「はい。アゴスト邸をご訪問した時のままのお姿で、ただ忘れ物を取りに行くだけだと…。まさかお嬢様が参加されたのがあのようなパーティで、あんなことになるなんて…」
サリナス侯爵はそのほかいくつかの質問をすると、侍女と馭者を下がらせた。そして
「いくら動じていたとはいえ、…私までもがずいぶん安直な罠に引っかかってしまったようだ」
と奥歯をかみしめた。
クラウディオは何があっても決して動じないなら、と条件を付けて、サリナス侯爵に自分が事情を知るに至った理由を教えると告げた。侯爵は迷わず頷いた。
その夜、日付が変わろうとするくらいの遅い時間にクラウディオはサリナス侯爵をアドリアナの部屋に案内した。侍女を引かせ、そうしないうちに突然むくりと上半身を起こしたアドリアナに、侯爵は無事目覚めたことを喜んだ。しかし、その様子が普通でないことはすぐにわかった。
侯爵の方を向いたアドリアナは、体から黒い瘴気が立ち込め、目は赤く、明らかに自分の知る娘ではなかった。あの忌まわしい事件の後でさえ、これほどまでの違和感を感じなかった。
「オハヨ」
アドリアナが挨拶をし、クラウディオに笑みを向けたが、直情的でいつものアドリアナの笑みではない。
「おはよう、アドリアナ」
クラウディオが話しかけ、コップの水を差し出すと、ごくごくと飲み干した。続けてスープの入ったコップを渡すと、少し頭を傾け、クンクンと香りを確かめた後一口味わい、気に入ったのか一気に飲み干した。アドリアナらしくない品のない飲み方だ。
「おいしいか?」
「オイシイ」
アドリアナの目はクラウディオだけを見ていて、すぐそばにいる侯爵は目に入っていないようだ。
「アドリアナの父上、サリナス侯爵だ。侯爵にも、昨日の話を聞かせてもらえるか?」
クラウディオに紹介され、アドリアナは侯爵をじっと見ると、昨日クラウディオに話したドッケン伯爵邸に行った経緯をサリナス侯爵の前でもう一度語った。侯爵は時にこぶしを握り締め、短く声を漏らすことはあったが、懸命に耐えていた。
「パーティには参加していないわ。お父様、信じて」
アドリアナはそう言っていた。それなのに、嘘をつくなと、初めから信じもせず、怒鳴りつけた。娘がかわいいからこそ、その娘の取り返しのつかない失態に怒りを抑えきれなかったのだ。
「アゴスト伯の別荘に行ったのは、…なぜだ?」
侯爵の問いかけに、アドリアナは問われるまま答えた。
「ヤカイ、セブイアン、アッタ。コンヤクシャ、タダノキシ、ワラッタ。ドッケンノイエ、オソッタオトコ、シッテル。ハンニン、ツカマエル。ホント、ハナス。メイヨ、ダイジ。イヤリング、モッテル。イケバ、カエス。ベッソウ、イッタ」
サリナス侯爵は、あの夜会で娘がセブリアンと話をしているのを知っていた。ただの挨拶だと思っていたが、まさかそんな話をしていたとは。
「王の呼び出しとはいえ…、夜会に行かせなければ…」
悔やむようにつぶやいたところで、時間は巻き戻せない。
アドリアナに薬を盛り、凌辱したのはセブリアンだろう。いろいろと悪い噂のある男だ。アゴスト伯の別荘で魔物に襲われていなくても、セブリアンに襲われていたに違いない。
箱入りに育てたのは侯爵自身だ。だが、自分を貶めた男の言葉を信じ、再び会いに行くとは。そしてこんな大怪我を負わされてしまうとは。しかしそれ以上に、アドリアナを誰にも相談できないように追い込んでしまった自分を悔いた。
「おまえは、昼間は、話せないのか」
侯爵の問いに、アドリアナは答えなかった。
「昼間は、目覚めているのを見たことがありません」
代わりにクラウディオが答えると、それを補うようにアドリアナは続けた。
「ヒル、アドイアナ。デモ、オキル、イヤ。コワイ。キエル。…セブイアン、オシタ。マモノ、ツメ、コワイ、シヌ、コワイ、シヌ、シネル…、シンダホー、イイ」
その言葉を聞き、侯爵はアドリアナから目を逸らし、小さく嗚咽を漏らした。
アドリアナ周辺の瘴気が高く立ち上がり、それが喜んでいるように見えた。
「ヒル、アドイアナ、モラウ」
にやりと笑ったアドリアナ。
これは魔物なのだ。本当なら既に死んでいるだろうアドリアナの命を延ばし、隠し続けた心を暴いていく魔物。アドリアナが一人で悩み、苦しんできたことも、魔物だからこそ惑わされず、心に秘めない。
「アドイアナ、モウスグ、キエル。アドイアナ、メイヨ、ダイジ。タスケル?」
その魔物の問いは、アドリアナからの依頼のように思えた。
クラウディオは
「頼む」
と答えた。