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アドリアナに買収されていた侍女、馭者からは、ただ屋敷から出る手引きをするよう頼まれたとしか聞けなかった。その時のアドリアナは高飛車ではあったが、どうしても行かなければいけないと話し、切羽詰まったような様子で、引き受けないわけにはいかないと思ったようだ。侍女はアドリアナに同行しながら四阿まで付き添わず、言われるまま屋敷の中で待機し、守るべきアドリアナの安全を確保できなかった。
当然ながら、二人は職を失うことになるだろう。
その日の夜も、同じくらいの時間にアドリアナはむくりと起き上がり、開いた眼は赤く光っていた。
部屋をゆっくりと見まわし、クラウディオと目が合うと、
「オハヨ」
と言った。こんな夜中にあまりに普通に言うので、クラウディオはつい頬を緩め、
「おはよう」
と返した。
アドリアナの体調はあまり芳しくなく、持ってあと数日と言われていた。魔物の傷は依然としてふさがることはなく、闇色の瘴気はむしろ増えていた。その瘴気が起き上がった時のアドリアナの全身に纏っている。魔物が取り憑いている証拠だ。だが、クラウディオは、この魔物が取り憑いているアドリアナが嫌いではなかった。
「何か飲むか?」
「ノム」
水のはいったグラスを渡すと、アドリアナはあっという間に飲み切った。
「食べ物は」
本当は栄養を取るべきなのだが、首を横に振るアドリアナにクラウディオは無理強いはしなかった。
「セブリアンとは、いつから知り合いだったんだ?」
昨日の続きを聞けるかと話を振ると、アドリアナは嫌な顔をすることなく、
「イルダ、シリアイ。セブリアン、アニ」
と答えた。
「イルダ、カエサナイ。ダマス、ナゼ? セブイアン、ホントハナス、ユッタ。ウソ。ダキツイタ。イヤ、ユッタ。マモノ、デテキタ。セブイアン、アドイアナ、オシタ。マモノ、アドイアナ、オソッタ。セブイアン、ニゲタ」
アドリアナは、あの魔物に襲われた状況を語っていた。
「押した? …盾にして逃げたのか、あの男は」
語られたその状況に、クラウディオは怒りを抱いた。アドリアナの一方的な告白だ。真実かどうか確認する必要はあるが、二人の傷を見ても魔物に対してセブリアンの前にアドリアナがいたことは間違いない。アドリアナの話が本当なら、あの男は女を守ろうという気は全くなかった訳だ。例え悪名高き悪女だからと言って、侯爵令嬢を盾に自分の身を守るなど許されないことだ。
クラウディオは今までアドリアナ個人に興味を持たないようにしていた。婚約者になったとはいえ、本来自分などにあてがわれるような相手ではなく、そんな相手があてがわれたということは、それなりの難あり物件。難を具体的に知るより、噂は噂と聞き流し、何も知らないでいる方がこの先共に生きていくには支障が少ないと思っていた。向こうもまた隠したがっている。それをほじくり返しても反感を買うだけだ。それなのに、聞いたことに素直に答える今のアドリアナと話しているうちに、真実を知りたいと思うようになっていた。
「イルダ嬢と何があった?」
「イヤリング、ナクシタ。オカアサマノ、ダイジ。ミツケタ、カエス、イワレタ。ココニナイ。トリニイッタ。ドッケン、パーティシテタ。ヨバレタヘヤ、イルダ、セブイアン、ドッケン、イタ。イヤリング、ウケトッタ。カエル。タテナイ。ネムイ。クラクラ。ノンダオチャ? ワカラナイ。オキタ。イエニイタ。カラダ、イタイ。ミンナ、オコル。アドイアナ、ワルイ。ワルイ? ナニガ? ワカラナイ。アドイアナ、コワイ。コワイ、イヤ。ミンナ、キライ。ミンナモ、キライ」
それは、アドリアナが頑なに口を閉ざしていた事件の顛末。
あの日、アドリアナは訪問用のドレスを着て、アゴスト邸に向かった。それなのに火災のあったドッケン邸の二階で見つかった。着ていた服は出かけた時と同じだったが、ほとんど脱がされた状態だった。あんなパーティに参加するなんて、と家の誰もがアドリアナを責めた。参加していない、と言っていたのは初めだけ。ウソと決めつけられ、責め立てられ、やがて何も言わなくなった。
赤い目は何も怖がっていなかった。むしろ少し笑みを見せながら、繰り返した。
「ミンナ、コワイ。ミンナ、キライ。ミンナモ、キライ。アドイアナ、キライ」