ラジオと戦場と怨念
中学生くらいにテレビがあると勉強をしなくなるという理由で、家には一台もなかった。
まあ、それでも勉強はしなかったが、成績が悪いわけでもないので勉強しなくても特に何か言われるわけではなかった。
テレビがない代わりに情報を手に入れる手段はラジオと新聞しかなかったわけだが、特に不便だったわけではなかった。
当時、深夜になると、年齢的に気になるほんのりとエロい内容を放送する番組が放送されていた。
さすがに、親のいる前で聞くほど肝が据わっているわけではない私は、外で聞くためにラジオを手に夜中に散歩することが週2の日課となっていた。
その日もいつもと同じようにラジオを片手に田舎道の夜道を歩いていると、ラジオに雑音が混じり始めた。
田舎道の夜道というといまいち想像できない方もいるとは思いますが、この日は月がなく雲がうっすらとかかっていたため100mおきに設置されている該当以外光がない状態です。
当時持っていた携帯ラジオは起動している間、液晶が緑色に光っていましたからそんなラジオをもって、真っ暗な夜道を明かりを持たずに中学生が歩いているわけですから他の方からすればそちらの方がホラーだったのかもしれません。
話を戻します。
今までにも雑音が入ることが全くなかったわけではないので特に気には留めなかったが、今回はいつもと違った。
ラジオから聞こえてきたのは、幾数の火薬の破裂音と何かが刺さるような音、そしてその音に混ざるように轟音も聞こえてくる。
最初は新しい声劇でも始まったのかと思い立ち止まり聞き入っていたがいつまでたっても、誰も話始めない。
そのうえ、聞こえてくる音には怒声や罵声が多く放送事故かと思い、帰路に就こうと踵を返した。
当時、携帯電話が普及し始めで、中学生で持っている人の方が稀であったために、実際に放送事故かの確認は後日、謝罪の放送がなければ確認が出来なかった。
そのため、この時もしょうがないなという感覚であったが、
「〇〇〇〇許すまじ」
一歩を踏み出した瞬間に怨念のこもった声で紡がれたこの言葉だけはしっかり聞き取ることができた。
その声に一気に鳥肌が全身に立ち、怖くなり走って逃げ帰った。
家に帰りつき、ついたままのラジオから流れているのは、いつものパーソナリティがいつもの調子で話している声と音楽だった。
それに安堵して眠ったのだが、翌日起きても気になったのは最後に聞こえた名前のこと。
当時ネットも今ほど普及してなく、調べたとしてもマイナーな名前はヒットすることはなかったため、他に調べようがなくそれ以降同じことがなかったため忘れようとしていた。
それが夏休みの一コマであったが、後日あることが判明する。
昔、この地域では数え年で14歳になると元服していたということで、14歳になると仮成人式を行う風習が残っている。
とはいっても、世間一般で行われる成人式とは違い、旧正月になると学校にある祠にこれから成人になるまでの心構えを意思表明するだけで特別なことをするというわけではないのだが、私の住んでいた地区にだけ、ある風習が残っていた。
それは、鎮魂祭だった。
鎮魂祭と聞いて、思い浮かべるのは石上神宮や、彌彦神社などの神社が行うような大きな催しだと思う。
だが、この地区で行われるのは慰霊碑の前にて、数え年で14歳となった少年少女が伝承されている踊りを正装して踊り、ちょうど咲き始める梅の花で花見をするだけの簡素な催しである。
慰霊碑には死者数とここで行われた戦いの経緯、そして両軍の総大将と、その他の主要な人物の名前が刻印されている。
そして、ここに刻印された、総大将の名前はラジオから怨念の籠った声で紡がれた名前と同じであった。
ただ、それが分かったところで、ラジオから聞こえてきた音の正体が分かったわけではなく、当時はこれ以降にラジオから聞こえることも、鎮魂祭に係ることもなかったために慰霊碑には近づくことはなかった。
今回この話を書いてて思ってしまう。
『戦いの中で倒れた者はいまだにあの場所で戦い続けてるから、いまだに鎮魂祭を行い御霊を鎮めている』
かもしれないと。
武将の名前はこの場所が分かるため伏せさせていただきますが、信じるか信じないかはあなた次第です。