シュレーディンガーの休日
他の会社では、創立記念日を祝うことなんてあるのだろうか。確かに十年ごとの節目だったらそういうイベントがあるのは理解出来るのだが、わざわざ毎年同じ日付に集まって、ホールを借りて立食パーティーを行うのはウチぐらいだと思われる。
今年に関しては記念日が土曜日となった。そこで思ったのだが、たとえ他の会社が創立記念のパーティーを毎年行っていたとしても、流石にわざわざ土曜日に社員を集めたりするのだろうか。たとえば同じ週の金曜日とかの午後から始めるとか、記念月に給与が加算されるとか、単にその日を休みに設定しているとか、他の案はいくらでもある。なにも創立記念を祝うのに反対しているわけではないのだが、土曜日にほとんどの社員を集めているのが、どうしても不思議なのだ。
そして更に不思議なのが、このパーティーで土曜日出勤した場合、平日に代休を取る事が出来るのだ。我々のような独身営業社員はほぼ強制参加だったのだが、これに文句を言うやつはあまりいなかった。私含めほとんどの営業社員は、土曜の休みを月曜にずらし、日月と連続の休みを取得する予定だ。この手の強制参加イベントを開催するような別の会社に勤めている友人は、「仕事はしてないから代休にならない」と言っていた。
土曜日は久々に会った同期とはしゃぎすぎてしまい、ベロベロになってしまった。翌日の日曜日は昼過ぎに目をさます。しかし問題は無い。月曜日の代休がある。世間の皆は普通に働いているというのに、自分だけ仕事を休めているという優越感はたまらない。特に予定は無いのだが、若干楽しみな休日である。出来るだけ休日だと混み合いそうなところに行こう。預金通帳記入もわざわざ、銀行の窓口でやってやろう。他にも温水プールで無駄に入念なストレッチをしてから入水し、犬かきで泳ごう。
形式ばかりの昼食を食べ終えた皿と共に、シンクに置いてしまっていた他のものも一緒に洗う。また、洗濯などもしていると、なんだかんだ一日が終わっていた。だが大丈夫。月曜日の代休がある。
翌日。朝8時に起床した。これが習慣というものだろうか、平日にとる休みは少しだけ早めに起床してしまう。折角だから、昨日食べられなかった分多めに朝ごはんを用意した。トーストを2枚焼く。片方はチーズを乗せて、片方はいちごジャムをぬる。コーヒーは多めに淹れた。ご機嫌な朝食である。
このような差し込みむ朝日と共にゆったりとした時間を過ごしていた私に、その平穏を打ち砕く妄想、いや推測、いや仮説、それとも想像か、なんとも形容し難いことを考えてしまった。
………今日本当に会社休みでいいんだよな?
唐突に不安になってきた。確かに会社としては休みかもしれないが、世間は平日。たとえば代休の日付は既に別だてて会社が決めていたとか、そしてその通知を私が見落としていたとか。いや、可能性としてはゼロではない。実際、土曜日のパーティーに出ていなかった数名の社員は今日出勤している。しかしそれでも、仕事を前もって調整して、今日は休んでも業務上問題は無いようにした。大丈夫なはずである。
とはいえ、何故か確信を持てないでいる。勤怠システム上休みの申請が取れていなかったとか、今回のような特別なイベント用の申請も必要だったりするのかもしれない。しかしそれを此方から確認する方法はない。…いや、逆に今日普通の出勤日なら、9時になっても出てこない私の遅刻を案じて連絡してくる人が一人ぐらいいるはずだ。もう少しだけ待とう。
不安と焦燥により、塩気と甘味を加えたトーストを楽しむはずだったのだが、それどころではなくなった。
朝、部屋の掃除やゴミ出しなど色々やってしまいたいのに、全然物事が手につかなかった。
そして暫く待って朝9時。携帯電話を見ると、誰からも連絡はなかった。今日は出勤日ではなかったのだ。
私は満を辞して銀行の窓口に向かった。受付番号表をとり、銀行特有の固めのソファーに座る。そこでまた、形容し難いことを考えてしまった。
………他の人たちに、営業先に直行してると思われているんじゃないか?
そうなると、わざわざ朝9時に連絡を入れたりしない。下手をすれば客先で打ち合わせ中だ。そう思われている可能性はゼロではないし、実際、「あの先輩、遅刻なのかな」と思ったら単に直行だった時もある。今度は私がそう思われているパターンなのではないだろうか。そうなると昼休みあたりのタイミングで「あいつ実は、今日休みって勘違いしてるんじゃないか」と気付かれてしまう。そして私に連絡してくる人がいる可能性がある。
そう思うと、ゆったり待ってられなくなった。案内の人に受付番号の札を返し、ATMに向かい、そして即座に通帳に記入した。長期間記入していなかったので、今入れた一冊では足りなくなり、結局窓口で二冊目を発行する形になった。
そして暫く待って昼休み。携帯電話を見ると、誰からも連絡はなかった。今日は出勤日ではなかったのだ。
私は満を辞して温水プールに向かった。入場券を購入し、着替えていると。するとまた、形容し難いことを考えてしまった。
………朝は自分以外が営業先に直行しており、自分は午後から外出して、その後に他の人たちが戻ってきている状態になっているんじゃないか?
そうなると、わざわざ朝9時に連絡を入れたりしない。他の人たちは客先で打ち合わせだったり、移動中だったりする。午後は私が打ち合わせをしている。実際、私の営業所から出るタイミングと、先輩の戻りのタイミングで他の人と殆ど顔を合わせない日があったりする。今回もそう思われているパターンなのだろうか。そうなると終業時刻前に、「あいつ実は、今日休みって勘違いしてるんじゃないか」と気付かれてしまう。仕事が終わるタイミングで、私に連絡してくる人がいる可能性がある。
そう思うとゆったり準備運動なんてしてられなかった。早めにプールから上がるのを考慮して、とりあえず金額分を取り返せるぐらいの量を泳いでおいた。
そして暫く待って終業時刻。携帯電話を見ると、誰からも連絡はなかった。今日は出勤日ではなかったのだ。
家に帰り、晩御飯を用意する。そしてまた形容し難いことを考えてしまった。
………自分は今日直行直帰していたと、思われているんじゃないか?
そうなると、わざわざ朝9時に連絡を入れたりしない。それに、これは明日の朝出勤したのち「昨日何処のお客さん回ってたの?」と聞かれるまでわからない。こればっかりは今日結果はわからない。仕方なく、寝た。恐る恐る、寝た。
翌朝出勤すると、特に変化はなかった。何も問われなかったし、何も詰められたりしなかった。よかった、昨日は休みで間違いなかったのだ。
昼休み、久々に先輩からご飯に誘われた。近場の定食屋に入る。オフィスと同じように仕事の会話をする。
そして先輩が、唐突に聞いてきた。
「そういや、なんでお前昨日会社来なかったの?」