リングレントの王女
現リングレント国王のディオニシス王は、文武両道で全てを卒なくこなす王であった。
この王には大事な家族がいる。王妃はアリシアといい、美しく心の穏やかな人だ。子供は三人おり、王子が二人と末に王女が生まれた。
第一王子のアルカスはアリシア王妃に似て美しく聡明な人だった。
第二王子のカイルはディオニシス王に似て爽やかで精悍な、剣の腕が立ち機転の利く人だった。
末っ子のソル王女はアリシア王妃に似て大らかでディオニシス王のように勇敢な資質を持っていた。
ある時、隣国のルガリアードのラディウス王から使者が来た。
隣国ルガリアードの『すずらん祭り』の舞踏会に参加した王一家がリングレントに戻った後、ラディウス王は嫡子との縁談を持ち掛けてきた。もちろん相手は王女である。
リングレントと隣国ルガリアードは、強い絆で結ばれている。それというのもディオニシス王の妃であるアリシア王妃はルガリアードの貴族の出身なのだ。
この二つの国の関係は良好で商業や工業の発展も共同で成される事が多く、商人達は両国を頻繁に行き来していた。他の国のような戦がないという事は、心だけでなく経済的にも豊かにした。
その豊かな経済力は、国の人々に惜しみなく使われ、両国の人々は幸せに過ごす事が出来ていたのである。
ディオニシス王は、ルガリアードのラディウス王の申し出を快く承諾した。隣国に嫁げば、末娘の幸せは保証されたも同然だった。
王女は父のディオニシス王からこの話を告げられた時、湧き上がってくる喜びに心を震わせた。
(ジークリフト様の妻になる……)
そう思うだけで、幸福感でいっぱいになった。
ここに至るまで、王女がジークリフト王子と面と向かって顔を合わせたのはそう多くない。それでも恋をするには十分であった。
王女が初めてジークリフトに会ったのは、五歳の時、建国二百年の盛大な祝宴の席である。
祝宴の席と言っても、上の兄アルカスと下の兄カイルの二人の王子だけが祝いの席に出席する事を許され、王女はまだ幼いために許されなかった。少し不満はあったものの王女には決まったことを覆す力はなく、父の側近の息子であるエリスロットと帳の裏に隠れ、その晩餐会の様子を見ることにした。
大きくて長いテーブルの手前側に父ディオニシス王と母アリシア王妃、そして、アルカスとカイルが並んで座っており、向こう側には隣国のラディウス王と息子のジークリフトが座っている。
その他にも各国へ嫁や婿に行った血縁関係の者達、国内の各貴族に母の実家である隣国の辺境伯のパルスト公、貿易上の取引している国の代表者など、ザッと数えても百人余りが列席していた。
王女がカーテンをそっと捲って会場を覗き込むと、会場は何千もの蝋燭に火を灯し、いつもは薄暗い部屋の中も比較的遠くまで見えた。その中でも近くにいるゲストのラディウス王とジークリフト王子の顔がよく見えている。
隣国のラディウス王は、端正な顔立ちの目元の涼しげな背の高い人だった。その隣に座っているジークリフトは、落ち着き払っているがカイルと同じ位の年齢だろうか、ラディウス王によく似ている。
しかし、彼はラディウス王のように周りの人と談笑するわけではなく、かと言って機嫌悪そうにするわけでもなく、楽しいのかそうでないのか、感情の読めない表情をしていた。
王女は、何故かそれが気になった。
自分の兄達とは違う。隣国のジークリフトの人柄は温かいのか冷たいのか、そこからは何も伝わってこない。
広間を見ている王女の後ろでエリスロットが声をかけた。
「姫、もうすぐ街の明かりが一斉に点くらしいですよ、そろそろ行きましょう」
街では建国を祝うために、街中の建物や通りに松明が灯され、夜通し踊り明かすのだという。城の塔から眼下を望み、その松明が一斉に着火されるのを王女は楽しみにしていた。でもジークリフトの様子も気になる。
お目付役に抜擢されたエリスロットに促され、王女がその場を離れようとしたその時、ジークリフトがこちらを見た。何気なしの仕草に映ったが、ジークリフトを見ていた王女とは確実に目があってしまった。
「あ……」
(見つかった……)
王女はとっさに帳のヒダを握りしめた。身動きが取れなくなる。
ジークリフトは意外なものを見つけた時のように少し目を見開き、何度か瞬きをした。それからジークリフトの目元が少し揺らぐ。
「姫、何をしてるのですか、早く行かないと始まってしまいますよ」
エリスロットが席立てるように声をかける。でも王女は固まったまま身動きが取れない。その王女に気付かずエリスロットは王女の腕を引っ張った。
「あー……」
思わず驚いて声が漏れる。そのまま後ろへ仰け反る王女が、カーテンの影に隠れる一瞬に、ジークリフトが王女に笑いかけるのが見えた。
涼しげで優しげで何とも言えない眼差しが、幼い王女の脳裏にこびり付いた。
王女が恋に落ちた瞬間の出来事は、そんな些細な事だった。