ミランダ叔母さん
階下に降りると、母さんはリビングでクッキーのラッピングをしていた。
「父さんは?」
「少し寝るって、部屋へ行ったわ」
母は手を止めてオルガを見るとにっこりと笑う。
「……本当にとても似合うわ、オルガ」
オルガは少し照れくさくなった。少しだけ大人になったような、こそばゆい感じが胸にある。
「じゃあ、父さんが寝ている間に、ミランダ叔母さんの所へ行って来る。叔母さんにもこのワンピースを見せたいから、このまま行っても良い?」
「良いわよ。チェックしてもらってらっしゃい。遅くならないように帰って来なさい。そのコートは寒くない?」
「大丈夫」
母さんは、用意していた料理とクッキーをバスケット入れてオルガに渡した。
「じゃあ、お願いね。ミランダによろしく言ってね。気を付けて行くのよ」
「はい、行ってきます」
オルガは、店を出て通りに出た。
外は良い天気だった。さすがに、今日の空は、いつもに増して綺麗な青をしている。
「空も頑張ってるんだ……」
呟きながら、オルガは歩きだした。
ミランダの家はサーカステントのある中央広場を突っ切った旧市街側にある。
中央広場は人でいっぱいかも知れない。オルガは広場を通らずに少し迂回しようかとも思ったが、準備中の広場を見てみたい気持ちも捨てられない。
祭りは明日から始まるのだが、出店の準備や催し物の準備はまだ終わってはいないだろう。でも、露天の建物は出来ているかもしれない。オルガは中央広場への道の前で少し考えたが、好奇心には勝てなかった。
オルガの住むリーデン通りから中央広場への道を曲がると、広場に近くなるにつれて賑やかになって来る。
街灯の近くに、部屋の窓から見えていたリボンが沢山飾られている。その間に父さんの作ったガラスの竜がぶら下がり、揺れる度に鈴のような柔らかな音を響かせていた。
「あら、オルガ! おめかししたわね!」
右手の花屋の奥さんがオルガに声をかけた。
「とっても可愛いわよ」
「ありがとう!」
オルガは手を振って答えながら、先を急いだ。自然と頰が緩むほど嬉しい。
中央広場に入ると、真ん中に大きな青いサーカステントがある。そのサーカステントをぐるりと取り囲むように、色々な出店が並んでいた。この時間、準備をしている店も多くある。
オルガは入ってきた出入口とは別の出入り口に向かって歩いていた。歩いている横の奥にもたくさんの露店がある。露天を覗きながら、ふと誰かに見られているような気がして後を見た。中央広場は結構広く、その中にいる人達も思った以上に多い。何だかいろんな所から視線を感じるようにも思う。視線を逸らすと、出店の準備をしている人達が忙しそうにしている姿が見える。でも、誰かが見ているような感じも拭えない。
(やだなぁ、みんなに見られているような気がするなんて、自意識過剰だ……)
きっと、さっき花屋の奥さんに声をかけられたからだろう。オルガは思いなおして、中央に立っているサーカステントの裏側に目をやった。
張られたテントが少し捲れていて、中が見えている。眼鏡を掛けた小さな男の子が、ボールを四つ持って、ジャグリングの練習をしているのが見える。上手いもんだなぁと思いながら、暫くその様子を眺め、名残惜しげに離れた。
(明日、みんなと一緒にじっくりと見せてもらうしね)
そう思いながら、サーカステントを振り返ると、入口の所にピエロが一人立っていた。
ピエロはこちらを向いている。軽く化粧をしているから本当の表情は解らないが、何となく口をポカンと開けているようにも見えた。オルガはその様子が可笑しくて、笑いながらお辞儀をし、広場から出ようとした。
その時『オルガ!』と呼ばれた様な気がして、もう一度振り向いた。が、さっきのピエロが居るだけで、周りには知り合いは居ない様だった。オルガはそのまま広場を出た。
ミランダの家は、広場を抜けて大通りを横切り、さらに一本抜けて細い路地を入った所にある。
ミランダは血縁では無いが母の妹のような人で、オルガにとっては親戚の叔母と同じような存在だった。
彼女はとても勉強家で頭が良く、大学で考古学を学んだ後、博物館で働きながら、この街の古い歴史をずっと研究している。
オルガがまだ幼稚園へ行く前の幼い頃、両親が忙しい時によくオルガを預かってくれた。だから、御伽噺はよく聞いたものだ。
古い木の扉の真ん中より少し上に、ノックが付いている。オルガはそれを叩きながら声を掛けた。
「ミランダ叔母さん! オルガです!」
少し経つと鍵を開ける音がして扉が開いた。そこにミランダがニコニコと笑って立っていた。ミランダの笑顔はいつもオルガをホッとさせてくれる。そして、ミランダはオルガの姿を見て声をあげた。
「まぁ! オルガ! 今日はまた一段と可愛いわ! さぁ、お入りなさいよ!」
オルガはフフッと笑った。それからゆっくりと家の中に入った。
「お料理とクッキー。今日は『青の祭り』前夜だから、母さんが叔母さんにって」
オルガは持っていたバスケットを持ち上げて、中を見せた。ミランダは感激して「まぁ、ありがとう!」と言いながら、もう一度オルガを見る。
「素敵よ、オルガ。コートを脱いで貴女の姿をよく見せて頂戴」
オルガはハーフコートを脱ぐと手を広げてくるりと回った。ミランダは二、三歩後ろに下がると嬉しそうに、頭の上から足の先まで眺める。
「髪はどうするのかしら? 靴はそのままではないでしょう?」
「髪は出かける前にセットするの。靴は……これじゃ駄目?」
オルガは自分の履いてきたベージュの靴を見せた。
ミランダはとても綺麗な人でセンスが良い。薄い金茶の波打つ髪を後ろに流し、年齢は三十代に入っているというのに白い肌は滑らかで、容姿も端麗なだけではなく、どことなく品がある。今日の装いも色、形ともに上品に似合っている。服装の事はミランダに相談するのが一番良いのだ。
ミランダは首を傾げてオルガの履いている靴を見た。
「もう少し……そうねぇ。鮮やかな色の靴を履くと良いわ。ヒールはそんなになくてもいいから、首元のリボンに合わせて青の鮮やかな色が良いわね」
それを聞いたオルガは、溜息をついた。
「そんな靴、持っていないの」
オルガの表情を見たミランダはウィンクをする。
「あら、買う必要はないわ。鮮やかなリボンを花の形にして、付ければいいのよ。後で、私の道具箱を探しましょう。きっと、何かあるわよ」
オルガは嬉しくなって、ミランダの手を取った。
「さあ、室内履きに履き替えて、その靴は脱いでしまいなさい。お茶の後、細工をしてあげるわ」
ミランダに言われた通り、オルガは自分の靴を脱ぎ室内ばきに履き替えると、揃えて部屋の隅に置いた。それからハーフコートを玄関近くのハンガーラックに掛け、キッチンへ行くとテーブルの上にバスケットをのせ、お茶の準備をするミランダの後ろ姿に声をかけた。
「叔母さん、体の調子はどう? 手は痛む?」
「まだ少しね。でももう大分いいの。動かすのも無理をしなければ痛みは無いわ。今日の様な天気のいい日はとても楽になるのよ。お茶飲んで行きなさいね、オルガ」
二週間前、ミランダは探したい植物があると言って、この街の北側にある山へ入った。その山は森が深く危険な所だと言われている場所で、街の人は案内人なしにはあまり入らない場所だった。
ミランダが予定していた日程に合う案内人が見つからず、結局ミランダは一人で山に入り、怪我をして戻ってきたのだ。
「じゃあ、紅茶は私が入れるから、あっ珈琲の方がいい?」
オルガはミトンを片手に、やかんを火の上に置いた。
「紅茶がいいわ」
「良かった! この間ね、母さんに美味しい紅茶の入れ方を習ったばかりなの。とびきり美味しいのを入れてあげる。叔母さん座ってて」
「ありがとう。本当に、私がバカな事をしたせいで、何もかもレイチェルにお世話になってしまったわ」
ミランダは申し訳そうに、でもニコニコ笑った。
「そうそう、そこの棚の中にいただいたケーキがあるから、出して頂戴ね」
棚を開けると、綺麗なケーキの箱が入っている。途端にオルガは目を輝かせた。
「嬉しい! これ、新しく出来たケーキ屋さんの箱でしょう?」
「そうよ。お隣さんが持ってきてくださったの」
「友達のハズがね、ここのは美味しいって言ってたの! 食べたかったんだ」
「そう、良かったわ」
ミランダは、紅茶を入れる作業はいかにも大事な事であるように オルガに声をかける。
「それなら、そのケーキに合うようなとびきり美味しい紅茶を入れてくださるかしら?」
「かしこまりました、奥様」
オルガは、前に映画で見た中世のドレスを着た貴族の娘が王族の人に挨拶をする仕草で、少しスカートを持ち膝を折って屈んだ。
ミランダが一瞬驚いたようにオルガを見たが、直ぐに笑い出す。
「まぁ、中世の挨拶が上手よ」
「では私はこれからお茶の準備を致しますので、一度下がらせて頂きます」
気を良くしたオルガが王族に仕える侍女のように重々しく返事をすると 、ミランダは感心したように笑った。
「今の挨拶は城に勤める貴族の娘のようだわ……」
オルガはキッチンに戻り熱いお湯を紅茶ポットに入れ、一旦ポットを温めた後、紅茶の葉を茶さじに三杯入れて、沸騰寸前の熱いお湯を注いだ。この時、沸騰させてはいけない。沸騰する前に葉を入れたポットに注ぎ入れる。この方がお湯がまろやかなのだと、母さんが教えてくれた。
紅茶ポットとカップをトレイに載せ、ケーキを切ってお皿に盛り、オルガはそのままテーブルに運んだ。
「本当に……もうすっかり一人前ね、オルガ」
ミランダは嬉しそうにオルガに言うと、蒸らし終わったポットの紅茶をゆっくりとカップに注いだ。
「叔母さん、『青の祭り』には行かないの?」
「そうねぇ……今の私は人が沢山いる所へ行くと疲れてしまうのよ。オルガは楽しんでいらっしゃい。私はその話を聞いて楽しむ事にするわ」
「うん」
オルガはカップの紅茶を少し飲み、ケーキを口に入れた。そして笑顔になる。
「美味しい!」
そんなオルガの様子を嬉しそうに見ていたミランダは、ゆっくりと紅茶を一口飲み、朗らかに笑った。
「あら、紅茶も本当に美味しいわ」
オルガは、ミランダの嬉しそうな声にホッとした。そんなオルガの姿をミランダは微笑んで見ている。
「オルガ、実は今日、オルガを寄こして欲しいと頼んだのは、私の方なのよ。少し貴女に話さなければならない事があるの。聞いてくれるかしら?」
ミランダは、ケーキを頬張るオルガに優しく言った。
ミランダの顔を見ると、オルガは ( まただ……)と思った。また、心の中でコトンと音がする。
ミランダの表情には決意のようなものがあった。両親と同じだと直感的に思う。思わずオルガは、紅茶碗に視線を落とした。
「絵本の『竜の伝説』と私の話した竜の話を覚えている?」
ミランダがオルガに尋ねる。オルガは何も言わず頷いた。
「遥か昔、この街に優しい二匹の竜と王女が住んでいた。隣国の王子と知り合った王女は二人で旅をした。大人になった二人は結ばれて、竜達は二人を祝福した。竜の寿命は長いけれど、いつか竜は死んでしまった。その竜の魂の鎮魂のために、この街では『青の祭り』が執り行われるようになった。簡単に言うと、そんな話だったわね」
オルガは頷く。あの絵本はよく見ているし、叔母さんに聞いた竜の話も覚えている。
「実を言うとね、オルガ。その話は本当は違うのよ。本当の竜の話を……貴女に話さなくてはならないの。本当の竜の話はとても悲しい話なのだけど、伝えておかなくてはいけなくて……」
ミランダが自分を見ているのを感じながら、オルガは紅茶カップから目を上げることが出来なかった。
「聞いてくれるかしら?」
ミランダは、そう言うと深く息を吸いゆっくりと話し始めた。
「これは、とてもとても古い話なの……この街がまだ小さな王国だった頃の話よ……」
語り始めたミランダの声を聴きながらオルガは顔を上げた。ミランダは優しい表情でオルガを見ている。
物語を紡ぐミランダの声は静かなトーンで、心地良く耳に残った。
次回からミランダ叔母さんの『竜の伝説』が暫く続きます。
この『竜の伝説』が物語の起点となっています。
プロローグの絵本の内容と違う本当の『竜の伝説』です。
大分長い話になりますが、出てくる人々との関係性を知っていただけると後々良くわかるのでよろしくお願いします。