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再会


 空はもうすっかり暗くなっていた。オルガの顔にあたる冷たい風には、濃い潮の香りが含まれている。しばらく吹かれていると肌がベトッとして塩辛くなりそうなくらいだ。

 中央広場から離れた場所にも『青の祭り』の飾り付けはされていて、港の方でも中央広場と同様に賑わっていた。


 オルガはひたすらにミランダ叔母さんの家を目指して走った。遠回りにはなるが、港側から向かう方が絶対に人混みを避けて行ける。


 ミランダは旧市街の一角に住んでいる。質素な生活をしていたミランダが、住む場所を簡単に変えるとは考えにくい。きっとあの場所に住んでいるはずだ。


 ミランダの住む家の間取りを思い出し、オルガは少し懐かしい気持ちになった。

 オルガの感覚では三ヶ月前にミランダの家を訪れたのだが、今の状況では何と言えば良いのかわからない。美味しい紅茶とケーキを食べたのは、いつだと言えば良いのだろう。そんな事を思いながら走る。


 旧市街に入ると建物に使われている石の色が黒ずんで見えた。元は大理石のような石灰石だというが、今はその面影はない。石畳も少しデコボコしているが車道の側面に向けて少しだけ傾斜がついている。オルガは一段上がった歩道を、旧市街の奥へ向けて走った。


 石畳を走る自分の靴の音が必要以上に大きく聞こえているが、人通りがいつもより多いために目立ちはしない。一階部分を工房にしている職人の家が所々にあり、中の明かりが漏れている。そのおかげで街灯の数は少ないものの、あまり暗くは感じなかった。


 角を曲がって通りを進んでいると見覚えのある建物と扉が見えた。


——あった! ミランダ叔母さんの家!


 扉の前にある小さな三段の階段をふらふらになりながら上がり、ノックをしようと握り拳を作りながらも、息を整えようと大きく息を吸う。今更だがここまで走って来たせいで立っているのも辛い。オルガは扉に手をついて、前屈みになると少しだけ扉にもたれかかり、息を整えた。

 ずっと走って来たからなかなか荒い息は(おさま)らないが、大きく深呼吸を繰り返していると徐々に上がった息が治ってくる。ミランダ叔母さんに会ったら、まずは何と言えば良いだろう。


 息を整え終えると、オルガは改めて扉の前に背筋を伸ばして立ち、三回扉をノックした。


——ミランダが出て来たら、名前を名乗って……それから……。


 いろんな気持ちが心の中で渦巻いていて気持ちが定まらない。突然知らない女の子が訪ねて来て、男の子を知らないかと聞いても不審に思うだけだ。でももうノックはしてしまった。それに、なぜか顔を見れたら何もかもがうまく行くような気もしている。


 ノックをしてじっと扉の前で待ったが中からの反応はなかった。オルガはもう一度、今度はもう少し強く扉を叩いた。でも反応はない。


——居ない?


 途端に虚脱感が起こった。ミランダも居ないとしたら、もうどうして良いのかわからない。


『困った時には、私を探しなさい……』


 あの言葉を魔法の言葉のように信じていた自分を少し情けなく思った。そうだ、現実は思った事全てが、必ず上手く行くわけではないのだ。

 オルガはエントランスの階段に座り込んだ。後はどうすれば良いだろう。クリスを探し出して、アルトの事を話して……それよりも警察に話すのが先だろうか?

 このまま誰かにアルトが連れ去られたりしたら……そう思うとまた心臓がギュッと締め付けられるような気がした。


 オルガは地面を見つめたまま座り込んでいたが、とにかく動かなくてはいけないと立ち上がり階段を降りかけた時、叫ぶような声が聞こえた。


「オルガ! オルガー!!」


 声のする方を見ると、アルトがこちらにかけてくる姿が見えた。


「アルト?!」


 オルガもアルトに向けて駆け出したが、足が(もつ)れてうまく動かず、オルガは転んでしまった。絵本が通りの石畳に叩きつけられる。


「オルガ!!」


 立ち上がるより先にアルトがオルガの胸に飛び込んできた。胸にしがみつき大声で泣き出すアルトを、オルガは力一杯ギュッと抱きしめた。


——良かった!


 アルトは無事にここに居る。あの人混みの中では見つけられなかったアルトは今ここにいる。その姿が涙が出て来てよく見えない。でもアルトを二度と逃すまいとオルガは感触を確かめるように抱きしめた。


「ごめんね……アルト。迷子にさせて、不安にさせて、ごめんね!」


 今は何を言っても謝る言葉しか出ない。それでもオルガはアルトを抱きしめたまま、「ごめんね」を繰り返した。


「アルト君、お姉ちゃんが見つかって、良かったわね」


 すぐ側でゴトッという重い音がして、それと同時に若い女の人の声がした。涙でよく見えないが瞳をそちらに動かすと、影が見えている。オルガはアルトを抱いたまま何度か瞬きをした。

 涙の粒が落ちていくと視界が広がり、その瞳に女性の姿が映された。


「あ……」


 それは若いミランダの姿だった。十代後半から二十代前半の頃の若くて美しいミランダが、大きな荷物と共にオルガの横に座り込んでいる。


——ミランダ叔母さん!


 そう思ったものの、その美しい姿からは叔母さんなどとはもう言えない。今ミランダの名前を言うわけにもいかず、オルガは何と言えば良いのかを迷った。


「あの……」

「私はミランダ。このアルト君が、通りの外れた場所で泣いていたの。家まで送り届けようと思ったんだけど、自分の荷物が重くて……一度家に戻って荷物を置いてからアルト君の家へ向かおうと思っていたのよ。そうしたら、お姉さんのあなたがここにいるなんて、これはもう奇跡ね」


 ミランダはニッコリと笑い、アルトの頭を撫でた。


「あ、ありがとうございました! アルトを保護してくださって、何とお礼を言って良いのか……」

「あら、良いのよ。ひとりぼっちは寂しいもの……それより、少しだけ手伝ってくれないかしら? えぇっと……オルガさんだったかしら?」

「あ……はい、オルガです」

「あなたの名前はアルト君から聞いてたの。ではオルガさん、よろしくお願いします」


 ミランダは腕を少し振りながら立ち上がると、大きく重そうな紙袋の一つを持ち上げた。紙袋は二つあり、もう一つはまだ石畳の上だ。


「これを中に入れたいの。鍵を開けなきゃいけないから、もう一つを持ってくださらない?」

「あ、えっと……はい」


 オルガはアルトから身体を離した。アルトを覗き込むと涙でぐちゃぐちゃの顔に笑顔が戻っている。


「アルト、立てる?」

「うん」


 アルトは立ち上がっても一時(いっとき)もオルガとは離れたくはないのか、ずっとコートの後の緩んだ部分を掴んでいる。


「アルト、私がこれを持つから手を握れないけどついて来てね」

「うん」


 紙袋を持つと、結構な重量で硬くガチャガチャしたものがたくさん中に入っていた。触った限りでは、何だか缶詰だろうか。

 そうしている内に、ミランダが鍵を開け扉を開いた。


「中に入って。待っててね、今電気をつけるわ」


 先に入ったミランダが扉に消えていくと、しばらくして暖かいオレンジ色の電気がつき、部屋の外にも漏れて来た。


 オルガの足は一瞬すくんで動かなかった。ミランダとここで出会えた。これはオルガにとって大きな鍵になるはずだ。ここからまた何かが始まるのだとオルガは身がすくむ思いがしたのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 良かったねぇ、アルトを拾ったのはミランダおばさんだった。 というか、まだおばさんじゃないし……笑 またここで、今度はミランダさんとフィオナが出会ってしまうのですね。フィオナがどんどんこの時…
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