二度目の『青の祭り』
それから数日が経ち、オルガは変わらず修道院へと通っていた。
その日もバスに乗るために通りへ向かって丘を下っていると、見える範囲の街の雰囲気が変わっているのに気づいた。街のあちこちに青い太めのリボンがぶら下がり始めている。
——あぁ……『青の祭り』が始まるんだ。
そのリボンを見つめながら少しだけ胸が痛んだ。オルガは十二歳になってからの二度目の『青の祭り』を経験する事になるのだ。
自分の知る家族や友達はこの十数年先の未来に居る。このままここで歳を取れば、自分は幼いハズやテッドに会う事になるのだろうか? それを思うと気が滅入った。そしてハタと気づく。
——ここへ来る前のこの街に大人の私が居たのかな?……。
それに対しての答えは、きっと今ここに住む誰にも答えられないだろう。
通りに青いリボンが揺れるのを見ながら、オルガは小さく溜息をついた。
『青の祭り』が始まると、冬の山には入れなくなる。その頃に山の中腹あたりにも雪が降り始めるのだ。そうなると登山客も減り街を訪れる観光客も減るだろう。
バスを待ちながらオルガはぼんやりとそんなことを考えていた。
* * * * *
「二人とも、もう直ぐ『青の祭り』が始まるだろう? アルトももう直ぐ五歳になる。だからさ、今回はサーカスを解禁しようと思うんだ」
一週間が過ぎ、休日を迎えた時、クリスがオルガとアルトに提案してきた。
「解禁ってなぁに?」
「簡単に言えば、サーカスを見ても良いよって事だよ」
「サーカスってなぁに?」
「あ〜アルトは判らないか……面白いんだ。きっとアルトは驚くと思う」
意味がわからないアルトはキョトンとしている。オルガは助け舟を出した。
「あのね、丸くて大きな部屋の中でね、人が人の上に乗って逆立ちしたり、動く自転車の上で逆立ちしたり、ピエロが出てきたり、後……空中の高い所でブランコをしたりするの。とても面白いんだよ」
アルトは途端に顔を輝かせた。
「高い所でブランコ?」
「そう、高い所でブランコに乗って、人が別なブランコに飛び移ったりするの」
「僕それ見たい!」
「祭りの最中にそのサーカスを観に行こうと思っているんだ。行きたい人?」
「はいはいはい! 僕見たいよ!」
クリスの問いにアルトは直ぐに手を上げた。オルガも小さく手を上げるとクリスは楽しそうに笑う。
「よし! じゃあ三人で行こう」
アルトは顔を輝かせ、飛び跳ねるとキッチンからリビングまでをぐるりと駆け足で回り戻ってきた。
「レイチェルは? レイチェルも一緒に行かないの?」
「レイチェルは仕事だよ。『ジョナサンのパン』でも何か露店を出すって言ってたからね。多分休めないんじゃないかな?」
「そうか〜、残念だね」
「でも、露店に行けば会えると思うよ」
「うん、その時はクッキー買ってね」
クルスとアルトの話を聞きながら、オルガは母がクッキー作る姿を思い出した。この時期になるとリビング中がクッキーでいっぱいになっていたのを思い出す。
——そうか……この頃にはもう母さんがクッキーを作っていたんだ。
この前作っていたのは蜂蜜シロップ入りだった。今回はそれまで作っていたものと同じだろう。そう思いつつ、この前と今回と、と考えている自分に苦笑した。この前は違う……実際は今から十数年後の事になるのだから。
——何だかこんがらがってしまう。
そう思いつつもクリスとアルトの三人で『青の祭り』に行ける事に幸せを感じてもいた。
それからまた時は過ぎ、『青の祭り』が始まる日になった。
サーカスのチケットは、初日の午後の部が取れたようでお昼を食べて中に入れば良いと、早めに出かけることにした。
ハンガーラックにはここへきた時にきていたワンピースがかけられている。父が買ってくれて、母が持ってきてくれたものだ。ガラスの破片だらけになってしまったワンピースはクリーニングに出され綺麗になっている。
でも、オルガはそのワンピースを着ていく気にはなれなかった。あの時は友達達と一緒にお洒落をしていこうと決めたからだ。今日はお洒落をしなくても普通の格好でいいだろう。
普段のデニムのパンツに、胸のところにプリントされた絵のついた長袖のTシャツを合わせ、レイチェルのお下がりのナス紺色の薄手のコートを羽織る。夜は少し寒くなるだろうからこれくらいは必要だろう。
そう思いつつリビングへ行くとお洒落をしたクリスとアルトがいた。
クリスは白のハイネックの薄手のセーターに薄いグレーのパンツと黒の長めのジャケットを合わせさっぱりとした装いで、細身だからか貴公子然としてよく似合っている。アルトはベージュ色のパンツと鮮やかなチェックのシャツに黒色のブルゾンとこれまた小洒落た装いでカッコよく決めている。
「え〜オルガ〜、あのワンピースは? あれを着なよ〜」
アルトは至極残念そうに不満の声をあげた。
「……みんな綺麗な格好をするの?」
「うん、海岸の近くの広場ではダンス会場があるんだよ。どうせならそちらまで見学するのもいいだろう?」
クリスが笑うのを見ながらオルガは悩んだ。あのワンピースを着ていいものだろうか? あれを着たから時間を飛んでしまったわけではないと思うけど、なんとなく袖を通すのが怖いのだ。
「あのワンピースとっても可愛いのに……」
「アルト、オルガの気持ちもあるんだからそんな事を言ってはいけないよ」
オルガの気持ちを知らないアルトはやっぱり残念そうだが、クリスの言葉が優しい。きっとオルガの様子に何かを感じたのだろう。
「だって博士、せっかくオルガのために準備したのに……」
アルトはテーブルの上を見た。そこには何かの箱が置いてある。クリスがその箱を持つとオルガに差し出した。
「あ〜オルガ、これ、遅れてしまったけど誕生日のプレゼントなんだ。今日は使わなくてもいつか使ってほしくてね」
「……私に?」
「うん、開けてみて」
渡された箱を開けるとベージュ色に鮮やかな青の花飾りのある靴が出てきた。まるでミランダが造ってくれたあのリボンの飾りのようで、見た瞬間驚いたが目頭が熱くなる。
「これ……」
「もともと履いていた靴は小さくなってしまっただろう?」
クリスが用意してくれた靴は、もちろんワンピースに合わせたものだ。
「私……」
オルガはそれ以上の言葉が出てこなかった。彼ら二人は優しい。突然現れた自分を受け入れるだけでも大変だっただろうに、生活できるよう援助してくれるだけでなく、こうして家族のように接してくれる。
オルガは顔を上げた。
「私、着替えてきます。ちょっと待ってて……」
「いや、オルガ無理しなくても……」
クリスが何かを言ったけれどオルガは踵を返して部屋に駆け込んだ。
せっかくの厚意を無駄にはしたくない。また目頭が熱くなる。オルガは二人が自分の事を考えてくれている事実が素直に嬉しかった。自分の気持ちより彼らの気持ちを大事にしたい。
ワンピースを目の前にすると一瞬武者震いのような震えが起こった。でも、このままではトラウマになってしまう。せっかく可愛い靴を貰ったのだから、これを機に気持ちを抑えられるのなら抑えたほうがいい。
ハンガーに掛けてあったワンピースを取り、今着ていた服を脱ぐ。それからワンピースに袖を通した。柔らかな生地はたっぷりと使われていて、それだけでも暖かい。整えて鏡を見ると少し大人になったような自分の姿が目の前にあった。あの時よりまた大人びて見えている。
もしもの時のためとレイチェルがストッキングを準備してくれていたのを思い出し、チェストの引き出しから取り出すと、破らないように丁寧にゆっくりと履いた。
それから箱の中から靴を取り出し足の裏を滑らせながら履くと、鏡に映る自分に少しだけ頬が赤くなった。髪は……前は母がまとめてくれたけど、自分ではどうにもできない。急いでヘアブラシですいてベッドに投げていたナス紺のコートを手に取ると部屋を出た。
リビングに戻るとクリスとアルトが待っていた。二人はオルガの姿を見て嬉しそうに笑う。そしてアルトがすかさずオルガを褒めた。
「オルガとっても可愛いよ!」
「うん、とてもよく似合っている」
「あ……ありがとう」
目の前で笑うクリスとアルトに、オルガは少しはにかんで笑って見せた。
「うん、靴のサイズも大丈夫そうだね。良かった」
クリスはホッとしたと笑う。その笑顔にまたオルガの心が揺れた。
今はここでお世話になりながら、勉強してちゃんと生きていけるようにしなくてはいけない。十二歳の今の自分にできる事は勉強くらいしかないけど、それでもちゃんと生きなければいけない。そしてクリスを救うんだ。
——何故、人が消える現象が起きるのかわからないけれど……。
そう思った時、ふとオルガは青い薔薇を見た時の大学生の言葉を思い出した。
『現実に起こっている現象に対しての原因というものは絶対にあるんだ』
消えてしまう現象に対しての原因……それが何なのか今はわからないけれど、それを見つけなければいけない。
自分がここにきた理由はきっとそれなんだとオルガは思った。もちろん根拠があるわけではない。でも、自分もその人達と同じなのだからきっと何かがあるはずなのだ。
この彼らの幸せを壊すような事は絶対にさせはしない。人知れずオルガは自分自身に誓いを立てた。
第三部の方をある程度進めてからこちらに取り掛かろうと思っています。
でも、待ってくださっている皆さんに申し訳なく思っているのも事実。
少しだけ進めますね♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
こんなに待たせてしまい、ブックマークはガンガン剥がれたけど、それでも待ってくださっている皆さん、本当にみんなのおかげで書けるんだと今実感しています。
心からの感謝を、あなたに!