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レストラン『ドルク』


 オルガの事情を知る者は少数に留める方が良いとのパメラの助言もあり、クリスとオルガはこの事を誰にも話さない約束をした。人の噂はどこまで広がるのか見当がつかない。厄介な事になるのは避けるのが良い。


 修道院を出るとクリスとオルガは中心街に戻り、そのままレイチェルの家へ向かった。


 レイチェルの家は繁華街から少し外れた海側にある。実家は学校の近くにあるのだが、働くようになってレイチェルは独立した。部屋を借りる時、海が見える場所が良いとわざわざ遠くに借りたのだ。毎日の自転車での通勤は体力作りに良いと言う。


 歩けば二十分ほど掛かる距離をクリスはバスに乗った。普段クリスは歩いて行くらしいが、久し振りの外にオルガの疲れが心配だからとバスにしたのだ。


 オルガは黙って街並みを眺めていた。新市街の街並みはオルガが知っているものと少しだけ違っていた。町の一角に出来た大きな現代美術館がここではまだ建てられていない。その場所は整地されてはいたが工事には入ってなかった。所々街の雰囲気が違うが、違わない所も多くありオルガは飽きずに外を見ていた。


「大丈夫? 疲れてない?」

「はい、大丈夫です」


 クリスが声を掛けて来たがオルガはそう答え笑った。久し振りの外はとても気持ちが良い。


「次で降りるよ」


 またクリスが声を掛け、バスのブザーを押した。バスはしばらく直線に進み、大通りを曲がった所で海が見えた。その場所に停留場があった。停留場にバスが止まり降りると潮の香りが強く匂った。丘の上で感じるより、遥かに磯の香が強い。


 オルガはその空気を大きく吸い目の前の海岸を見た。こぢんまりとした港には小さな船やヨットが並び、空にはかもめが飛んでいる。散歩中の老夫がベンチに座り海を見ている。日の光は斜めに差し掛かり影が少し長くなっていた。

 不意にオルガの脳裏にミランダとジークリフトが竜の背に乗り空を飛ぶ風景が浮かんだ。


(あぁ、そうだ。二人はこの空を飛んで海へ出たんだ……)


 ミランダ叔母さんから聞いてなければ思い浮かぶことのない風景にオルガは少し口元が緩んだ。実際に見たわけではない。だがそれは鮮明さを持ってオルガの脳裏に浮かんでいた。

 そしてオルガは辺りを見廻した。今この街の何処かにミランダ叔母さんも居る。そう思うと直ぐに探しに行きたいような気分になった。


「潮の香りが強いね」


 オルガの様子を見ていたクリスが笑ってそう言い「こっちだよ」と先に歩き出した。オルガはその後をついて行く。


 オルガは母さんが若い頃一人暮らしをしていた場所を聞いてはいなかった。素直にクリスについて行きながらこの辺りなら『青の祭り』の花火が良く見えそうだと思った。


 クリスは先に立ち大通りから路地に入って行った。その路地を抜け更に歩いて行く。オルガはこの辺りに来た事はあっても路地に入った事はない。


 この辺りは住宅地で店は少ない。たまに何かの工房があったりするが、ほぼ友達でもいない限り歩き回る事はないだろう。オルガは上を見た。建物と建物の幅はあまり空いておらず、空が狭く見えている。ミランダ叔母さんの家は旧市街にあったが、この辺りも十分に旧市街と同じように古い建物ばかりだった。


「オルガ、この三階がレイチェルの部屋だよ」


 不意にクリスが立ち止まり、指差した建物の三階の窓は空いていた。その窓に向けてクリスがレイチェルの名を呼んだ。


「レイチェル!」


 すると窓からレイチェルとアルトが顔を見せた。


「あら、お帰り〜」

「お帰り! 待ってたよ!」


 レイチェルはすぐに引っ込んだが、アルトは嬉しそうに小さな手を振っている。思わずオルガも笑いながら手を振り返した。クリスは軽く手を振った後、建物のエントランスに入った。慌ててオルガもその後を追う。


 エントランス内には壁に各部屋のブザーが取り付けてある。レイチェルの部屋のブザーを押すとカチリという微かな音がしてロックが外れ、取手に手をかけると扉が開いた。クリスとオルガがそのまま三階へ上がるとレイチェルが扉を開けて待っていた。


「いらっしゃい。結構早かったのね」

「あぁ、係の人はさっぱりとした人だった」


 クリスとレイチェルの話を聞きながら、オルガは促されるまま中に入った。


「お邪魔します」


 レイチェルの部屋は外から見るよりずっと広かった。部屋の空気の中に微かに焼き菓子の香りが混じっている。小さなキッチンとバスルームとは別に部屋が二つ、居間と寝室として使っているようだ。オルガは好奇心に駆られ部屋のあちらこちらに目線を送った。


 居間にはテーブルとソファーが置いてあり、角に小さめのダイニングテーブルがある。小さめのチェストの上にはノートパソコンと料理の本がたくさん置いてあった。テレビは見当たらず、小さいラジオがひとつある。


 オルガは少し笑った。前に父さんと母さんが話していたのを思い出したのだ。あの時はクリスはテレビを持っていないと言っていた。でも、母さんだって持っていない時期があったわけだ。


「オルガ、ここに座って」


 アルトが窓側の席を指差した。


「久し振りの外は疲れたでしょう? お茶を入れるわ。暖かいのと冷たいのはどちらが良い?」


 レイチェルがキッチンに入りながらそう声を掛けた。オルガは表情を緩ませながら、やっぱり母さんらしい……と少し安心し返事を返した。


「冷たいお茶が良いです」

「お菓子も焼いたんだけど食べる?」

「はい」

「そのケーキはね、僕が混ぜたの。美味しく作ったんだよね! レイチェル!」

「そうね、間違いなく美味しいわよ」


 クリスとオルガはテーブルに着いた。レイチェルがお茶とケーキを切ってきた。アルトもお手伝いでケーキの皿を二つ持ってきた。


「はい、どうぞ」


 オルガはアルトからケーキ皿を受け取り、レイチェルから氷入りのお茶を受け取った。手に触れたガラスのコップは程よく冷たく、表面に水滴がついていた。それを一口飲むと冷たい液体が食道を通るのが分かった。


(美味しい……生き返る)


「修道院はどうだったの?」


 レイチェルの質問に、ケーキを頬張っていたオルガは声が出せず、クリスを見た。クリスはクスッと笑いレイチェルに説明を始めた。


「うん、オルガの勉強を修道院で面倒を見てもらえる事になった。進み具合では飛び級も出来るそうだ。安心したよなオルガ」


 オルガはコクッと頷く。


「僕も行く!」

「アルトは街の学校の初等科に行くんだろう? 修道院に行くのはオルガだけだよ」


 クリスとアルトの会話を無視しレイチェルはオルガを見た。


「オルガは教会に入ってるの?」

「いいえ……」

「そう、それでも教えてくれるのね。なんだかんだ学校は大事だと思うもの。

『学ぶ事で見えてくるものがある。それは世界を変える可能性だってあるんだ』

って、昔ある天才少年が言ってた名言なんだけどね……」


 レイチェルがそういうと、クリスがむせた。


「あら、どうしたのクリス?」


 意味深めに笑いレイチェルがクリスを見た。


「……」


 クリスは顔を赤らめ吹き出したお茶を手で拭った。そうして少し小さな声でレイチェルに言う。


「そう言う事をいうの辞めろよ。その少年は今は何者にもなってないんだから……」

「何言ってるの? 世界を変えるのは、これからでしょう? ねぇオルガ、アルト」


 クリスはレイチェルを無視してケーキを頬張った。アルトは二人の顔を交互に見ている。その様子を見てオルガは小さく吹き出した。


「誰が言ったのか分かりました」

「何だよオルガまで……」


 オルガは久し振りに声を立てて笑った。クリスは少し眉間に皺を寄せ、レイチェルは涼しい顔で、アルトはニコニコと、オルガはクスクス笑いながらお茶の時間は過ぎて行った。


 楽しい時間は過ぎるのが早い。


「じゃあ、そろそろ行こうか? 少し早めの夕食になるけどいいだろ?」


 クリスがオルガとアルトに声を掛け立ち上がると、レイチェルも頷いて立ち上がった。


「どこのレストランに予約したの?」

「中央広場の近くにある『ドルク』ってレストランだよ。そこのシェフがフランスで修行をして戻って来たらしいんだ。数日前の新聞に書いてあった。予約はなかなか取れないらしいんだけど、たまたま連絡したらキャンセルが出たんだ。だから入れといた。ラッキー以外の何ものでも無いけどね」

「あぁ、その記事私も見たわ。そうか、嬉しいね! みんな! 今、流行のレストランよ!」


 オルガはクリスとレイチェルを見た。『ドルク』はハズのお父さんのレストランだ。自分は行かない方がいいのでは無いか? そう思ったが言い出す事は出来なかった。ハズのお父さんもキッチンから出てくる事はないだろう。でもお母さんは? ずっとホールの手伝いをしていた筈だ。オルガの知り合いの所へ行くのは気が引ける。


「オルガ? 行くよ」


 アルトがオルガの手を引っ張った。みんなはもう玄関へ向かっている。


「あ……ごめんね。行こう」


 歩きながらも胸の鼓動の音が聞こえる気がした。



 中央広場に着いた時、オルガは周りを見回した。この辺りは未来のこの場所とも何も変わってはいない。端に時計台のある古い役所の建物があり、真ん中はサーカステントのスペースを含めて広く開いている。その広場を囲うようにぐるりと店が並んでいて、普段でも人の出入りが多い。


 その中を四人は進み、路地を入った。

 そこに『ドルク』はあった。クリスが店に入ると一言二言言葉を交わし、こちらを振り向き手招きをした。中に入ると……やはり案内したのはハズのお母さんのエルザだった。まだ若く小柄だがスラリと痩せている。

 案内されたテーブルは壁際で、キッチンが少しだけ見えた。ハズのお父さんはピシッと料理人の白衣を着て忙しそうにキッチンに立っていた。


 そこはオルガのよく知る『ドルク』とは少し違い、外観は変わらないが内装が真新しかった。壁にはスッキリとした絵がかけられており、窓辺は鉄で作った装飾的な縁に綺麗なガラスがはめられている。微妙な角度から見るとそのガラスは青く光って見える。天井から下がるライトはそのテーブルの物を際立たせて照らし、部屋全体は柔らかい灯で統一されている。


 そこは少し壁紙が新しいだけの、オルガがよく知る場所だった。


 エルザがメニューを持って来た。そして今日のおすすめを説明し、一度テーブルを離れた。オルガはその後ろ姿を見ていた。懐かしさが込み上げる。ハズはいないのに尋ねたくなる。今日あったことをハズに話し、二人で笑い合い、「また明日ね」と挨拶し……もう出来ないのだと思うとオルガは目元が熱くなる気がした。


「オルガどうかしたの?」


 アルトが声をかけて来た。


「目にゴミが入っちゃったみたい……痛いけど、涙で流れるから大丈夫だよ」


 オルガはそう言うと目を(まばた)かせた。クリスがそんなオルガを見ていた。心配させてはならない。咄嗟にオルガは笑った。


「取れた。もう大丈夫!」


 レイチェルがメニューをオルガに見せた。オルガの食べる物は大体決まっている。ハズのレストランに行くといつも頼む物、ミートボールのトマト煮込みだ。それからサラダ、これはあの特製ドレッシングがかけてある。


「私はこれとこれをお願いします」


 オルガはメニューを指差した。


「あら……どんな料理なのか聞かなくても良いの?」


 簡単に見ただけで決めたオルガに驚いてレイチェルはそう言い、オルガを覗き込んだ。


「はい、ここにミートボールって書いてあるので……」


 オルガの指差す位置には確かにミートボールのトマト煮込みと書いてあった。


「僕もそれにする!」


 アルトがオルガに(なら)い、嬉しそうにニコッと笑った。クリスは鴨のコンフィとオニオンスープ、レイチェルはジャガイモとレンズ豆の鶏肉のソテーと野菜のジュレを頼んだ。レイチェルはこの頃からすでに野菜のジュレが好きだったのかもしれない。オルガが知る限り、この『ドルク』へ来るといつも頼んでいた。


「どんなものが出てくるのか、楽しみね……」

「あぁ、僕はフランス料理らしいものにしたけど、レイチェルのはこの辺りの郷土料理との混合のようだね」

「そうね。店の雰囲気もいいし、ここの接客の女性、なかなか素敵よ」

「あぁ、そうだね」


 クリスとレイチェルは店の中を見渡した。

 オルガがキッチンのカウンターの方へ目を向けると、もう一人、ハズのお父さんでは無い人がいるのが見えた。ハズのお父さんと同じくらいに若く見えるその人は、オルガの記憶の中には居なかった。知らない人のようだ。


 オルガが見ているうちに彼が何かの皿をカウンターに乗せた。ハズのお母さんのエリザがその皿を持って来てテーブルの真ん中に置いた。そこに載っていたのは揚げた小さなパンのようなものだった。大凡フランス料理らしくは無い。


「あ〜……これは僕たちは頼んでいません。違うテーブルのものではありませんか?」


 お皿の中を確認したクリスがエリザにそう言った。だがエリザは柔らかく笑うと口を開いた。


「いいえ、初めて来てくださったお客様にサービスしているんです。揚げた肉饅頭ですが、料理が届くまでにどうぞ召し上がってください……」

「ありがとうございます」


 サービスなのだとは驚いた。まだ熱々だがクリスが一つ取り半分に割ってみると、中からいい肉の香りと湯気が立ち上がった。


「美味しそうそうだね」


 クリスは一口食べて顔を綻ばせた。


「これはイケる! みんなも食べてごらんよ」


 オルガはおずおずと手をだしその丸い肉饅頭を一つ取った。


「肉饅頭はもっと北の地域の郷土料理だったんじゃ無いかしら?」


 レイチェルがそう言いながら肉饅頭をかじった。


「本当、美味しいわ」


 中には肉と野菜を炒めた物が入っていた。一口食べてオルガも納得した。とても美味しいのだ。肉と野菜の甘味がうまい具合に合わさっている。

 レイチェルによるとこの国の北にある地域の郷土料理なのだと言う。フォイナはペロリと肉まんじゅうを食べ終えた。


 キッチンを見ると若い料理人がこちらを伺っていた。レイチェルがそれに気付き手をあげて指で丸を作り美味しかった事を示すと彼は満面の笑みを浮かべ、満足そうに頷いた。


 料理が運ばれてくるとどれもとても美味しそうで、いくつかはシェアして食べた。アルトはミートボールの煮込みがいたく気に入ったようで小さな体で全部食べてしまった。ドレッシングもいつもの味だった。当初から料理は完成されていたのだ。


 実際に食事はどれも美味しかった。


「さあ、レイチェルを送ってから帰ろうか?」


 クリスの言葉にみんなは立ち上がった。クリスがキャッシュカウンターへ向かうとエルザがすぐにやって来た。


「とても美味しかったです」

「ありがとうございます。またいらして下さいね」


 エルザは優しげに微笑み、オルガ一行を店の外まで送ってくれた。


「本当にいい店だったわね」


 そう言いながらレイチェルはまだ早い時間だし、自分の部屋の方がここからは近いからと店の前で解散することとなった。


「今日はありがとう」


 立ち去るレイチェルにクリスが声を掛けると、レイチェルは振り向いて手を振った。そして三人は丘の上の家へ帰って行った。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 肉饅頭! まさかそれは…。 フィオナの知らない料理人は、ジークリフトと何か関係があるのでしょうか? [一言] ハズのお家は昔から人気だったんですね。 自分の知る場所が人気だとわかるのは…
[一言] もしかして、あの肉饅頭は、800年前からある肉饅頭かしら? 自分の母親の若い頃の生活を見るのってどんな気分なんでしょうね? まさに、映画のバックトーザフューチャーの雰囲気でしょうね。 古く…
[良い点] 日常の中で、フィオナが自分が暮らしていた時につながる欠片を丁寧にひろっていっている感じが、とても丁寧に描写されています。ミランダ伯母さんを見つけたら、物語が一気に急展開を迎える、そんなわく…
2020/04/17 08:12 退会済み
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