サーカス団の子供達
中央広場の真ん中にあるサーカステントには、間口の広い出入り口がある。その広い出入り口だけは白い天幕で覆われていて、その他の部分は深い青い色の天幕だ。だから横から見ても出入口が何処なのかすぐに分かるのだが……関係者が出入りする場所は反対側にあり、三人はそちらに向かって歩いて行った。
三人が連れ立って裏側へ行くと、青地の天幕を張った狭い間口があった。中が見えないように黄色い布が下がっている。ハズはそれを捲り中へ入った。オルガとテッドもドキドキしながらそれに倣う。
一歩中に入ると綺麗な衣装を着た者や大きな荷物を持った者達が、騒々しい程に入り乱れていた。その中をハズは当たり前のように進んで行く。慌ててテッドがハズの後ろ姿に声をかけた。
「おい! このまま行っても良いのか?!」
ハズは少し振り向いてニコッと笑った。
「早くおいでよ。こっちだよ」
これはもう着いて行くしかない。二人は色々と避けながら人や物が入り乱れる中をハズに着いて行った。奥に行くと更に大きな荷物やライトのセットなどがあり、そこを抜けるとまた幕があった。
「ハズです! 入ります!」
その幕の前で大きな声を上げるとハズは中に入り、幕を持ち上げ二人に手招きをした。中に入ると、そこはサーカスの舞台に出る者達の準備室だった。カウンター式のテーブルに幾つかの鏡と椅子があり、その前で化粧をする男の人と女の人がいた。奥には沢山の衣装が掛けてあり、その反対側にはテーブルがある。テーブルの上には持って来た箱と同じ箱が八つ置いてあった。
「あら〜ハズ、来たのね。今日の差し入れは貴女が作ったんですって?」
鏡の前で化粧を施している女の人が声を出した。
「はい、食べ易いようにサンドイッチにしたんですけど……」
「そういう心配りが嬉しいわ」
「俺もさっき食べたよ。美味かったぞ!」
鏡の前の男の人も声をかけた。ハズはニッコリ笑ってテーブルの上に持って来た箱を置いた。オルガとテッドもそれに習う。
「見学はその二人?」
「はい、すみません忙しいのに……」
「構わないわよ、やる事は毎日同じだもの。ただ、今日は初日で、殺気立ってる人も居るから気を付けてね。私はカロリーヌ、ここで曲芸をしているの。隣の男はガリシャ、ガリシャは本名は違うけど、良いわよね通り名で……」
彼女はそう言うと鏡越しにウインクをした。綺麗な人なのだろうけれど、化粧が濃すぎて元の顔がわからない。
「あ……よろしくお願いします。私はオルガです」
「俺はエドワード……あ、テッドって呼んでください」
二人は慌てて自己紹介をした。もうあと四、五時間で本番が始まるのに見学させてくれるだけでもありがたい事だ。
「オルガにテッドね、よろしく。あぁ……ハズ、リコとマーシャは奥に居るわよ。それ一箱持って行ってあげてくれる?」
「はい」
ハズの返事と共にオルガは自分の持って来たお菓子を掲げた。
「あの……私の母の作ったお菓子も持って来たんです」
「あら、嬉しい! じゃあ幾つかは子供達に持って行って。大小五人の子が居るから……」
「わかりました、残りはここに置いておきます」
オルガは紙袋の中からクッキーの小さな袋だけを五つ取り、残りはテーブルの上に乗せた。
「じゃぁ行きますね」
ハズが声を掛け、奥の幕を捲った。捲った先は客席の後ろ側のようで広いスペースになっていた。段々に造られた客席の裏側は鉄骨が剥き出しになっている。その客席が大きく途切れた場所があり、その向こうは円形のサーカスの広い舞台になっていた。そこでは舞台設定の最終確認のために沢山のスタッフが動き回っていた。皆忙しく集中しているのか、誰一人訪れた少年と少女を咎める者はいない。
見上げるとテントの天井は高く、数多くのライトが取り付けられていて、客席は多くの人が座った状態で左右に動くようになっている。出し物によってはこれが動き、セットされた出し物の土台が見えるようになっているのだ。それを証明するように、空中ブランコの土台が客席の奥の隅にある。
「うわぁ〜〜!」
オルガとテッドは円形の舞台の袖で、口をポカンと開けたまま天井を見上げた。客席からは何度も円形舞台を見ていたが、舞台側から見たのは初めてで、天井は遥かに高く遠く、円形の舞台自体はとても広く感じる。
「こんなの見たら、やっぱり興奮しちゃうよな」
テッドがそう言いながら目を輝かせてオルガを見た。オルガも頷いて答えもう一度天井を見上げた。その時……
「おいおい、退けよ! このクソ忙しい時に、そんな所で突っ立ってもらっちゃあ迷惑なんだよ!」
どこからともなく怒鳴り声がした。
「おい! お前らの事だよ、ガキども!」
キョロキョロと見まわしながら横を見ると、客席のレールの点検をしていたらしい青年が、頭にタオルを巻き汗だくで四つん這いになり、作業をしながら怒り顔でこっちを見ていた。
「すみません!」
ハズがそう言いながら慌てて下がると、青年は舌打ちしながら立ち上がった。
「何だってまぁこんな死ぬほど忙しい時間に見学なんかするんだよ。迷惑だ!」
「……ごめんなさい……」
三人は小さくなりながら誤った。オルガがチラリと青年の顔を見ると、目が合った。しまったと思った瞬間、その青年が驚いた顔でオルガに近付いた。
「え? お前、え? いや待て……いや、え?」
近付いてオルガを確認し、彼は挙動不審になった。頭を掻いたり口元に手をやったり、オルガを見ながらブツブツ言ったり……。
「いや……あんたさ、姉貴いる?」
そうして仕舞いには、姉が居るかと聞いて来た。それに対しオルガは首を振った。
「いいえ、姉も兄も……兄弟は居ません……」
「え〜〜!……あんた、めちゃめちゃ似てるんだけど……いや本当、昔世話になった人に余りにも似ていて驚いた」
そう言われても「それはどうも」としか言葉が返せない。
「他人の空似でもここまで来りゃ血が繋がってる可能性もあるよな」
「はぁ……」
彼は一人で納得し頷き、尚もマジマジと不躾な程にオルガを見ている。居心地が悪いと思い始めた時、もう一人ピエロの格好をした青年がやって来た。
「おい! ベルク! 何サボってんだ。親方に怒鳴られるぞ!」
ベルクと呼ばれた青年はそのピエロに手招きした。
「おいルネ来てみろよ! お前も驚くぞ〜!」
ピエロの格好をしたルネと呼ばれた青年は傍まで来てオルガの顔を確認すると、慌てた様子でベルクに近寄った。
「な? あの時の……」
そしてルネは、ベルクが何かを言おうとするのを無理矢理手で塞ぎ、体を押さえつけると、見学に来た三人に愛想笑いをした。
「やぁ……今日は見学なんだろう? リコとマーシャは向こうの方の奥の休憩室に居るよ。ここは作業で忙しいからさ、君達三人はあっちへ行った方が良いよ」
ベルクがジタバタするのを押さえ付け、ルネはその愛想笑いのまま彼を引きずって行ってしまった。残された三人は黙って視界からピエロの姿が消えるまで見ていた。
「……何だろうな、あれ……」
テッドがボソッと呟いた。
「さぁ、わからない」
オルガが答えながら二人の顔を交互に見た。オルガが誰かに似ていて、余りにもそっくりで、ベルクと言われていたあの青年が何かをやらかそうとした、としか思えない。でもあのピエロの様子もさっぱりわからない。
「ここに居たらまた叱られちゃうから行こうか?」
「そうだな」
「うん」
考えてもわからない事はどうにも仕様が無い。ハズの言葉に二人はすぐに反応し、その場を離れた。
でも本当はオルガには感じる物があった。あの大学生のお兄さんにしても、ミランダ叔母さんにしても、父さんと母さんにしても、今の彼等にしても……何かあるのだろう。
だが追求はしない。何かがあるなら、それはその時だ。
奥には大きな何かの装置や大きな荷物が所狭しと置かれていた。このサーカス団には動物はいない。これまでも人間のパフォーマンスだけでやって来たサーカス団である。だから何かの装置や出し物が多く、三人はバックヤードに並ぶそれを見るだけでもワクワクした。
だが足を止める事なく、装置を横目で見ながら更に奥へ行くと、また天幕が張られた場所があった。三人はその中に入った。
「あっ! ハズ! やっと来た!」
入った途端、五、六歳の女の子が走ってやって来た、と思いながら見ていると彼女はハズに飛び付いた。小さな彼女は栗色の癖のある柔らかい髪に茶色の好奇心に溢れた瞳を持っている。
「マーシャ、ごめんね〜。でもほら、美味しいの作って来たよ」
「ずっと煩かったんだよ、いつ来るの? いつ来るの? ってさ」
マーシャの背後にオルガ達と同じ位の歳の男の子が居た。彼は黒髪に茶色の目で精悍な顔つきをした細身の少年だった。
(あぁ、見た事がある)
そう思ったのはオルガだけではなかった。
「あ、俺テッド、よろしくな」
テッドが顔を輝かせて自己紹介をした。
彼は学校の運動の時間に人一倍目立っていたのだ。跳躍力が半端なく、身長は普通なのにバスケットの時は、もう少しでバスケットゴールに手が届くのではないかと思わせる程の跳躍力だったのである。
それを見たテッドはヒーローとして彼に夢中になった。
「あぁ、お前学校で見た事ある。俺はヒューゴ、こいつはマーシャで、後ろの同い年の女子がリコ。リコの事も知ってるだろう? で、リコの足元にしがみ付いてるのが、ルーシィ。あっちのメガネのチビがセドリック。ほらみんな挨拶は?」
ヒューゴの掛け声でみんなは並んだ。そして一斉に「よろしく」と声を上げた。何とまぁ統率の取れた小さな部隊だ。
「私はオルガ。ハズの友達です」
オルガがそう言うとマーシャがムッとしたように顔を向けた。
「ハズの一番の友達は私よ」
「あ〜……そうなんだ。じゃあ私は二番目か三番目だね」
みんなが苦笑する中、オルガはその小さな嫉妬心をやんわりと受け入れ、そう言って笑って見せた。するとマーシャは満足そうに笑い、少し高飛車な態度でオルガに言った。
「そうよ。でも……あなたも私の二番目の友達にしてあげても良いわ」
「……どうもありがとう」
「ねぇ、自己紹介はこの辺にして、ハズの持って来たランチ食べない? 私達食べずに待ってたからお腹がペコペコなの」
リコはそう言いお腹を抑えた。
「あぁごめんね、遅くなって! ほらこれ、食べてよ」
ハズがテーブルの上に箱を乗せると、みんなは集まって来た。蓋を開けた中を見せると、期待度が最高潮に上がった。
「美味しそう! ちょっとお手拭き取って。マーシャ! 手を拭いてから食べなさい!」
「ねぇねぇクッキーもあるよ!」
リコの言葉を無視して、みんなは箱に手を突っ込み始めた。そのままマーシャは食べ始めていて、セドリックは両手にサンドイッチを掴んでいる。
「もう! これだから大人に躾がなってないって怒られるんだよ!」
既にリコの事は誰も気にしない。ヒューゴすら食べ始めていた。
「もう良いじゃない。お腹空いていたんだし、食べてくれた方が私は嬉しいよ」
ハズの声で彼らは全員食べ始めた。小さなルーシィはきちんと椅子に座って、モギュモギュと口を動かしている。オルガとテッドはハズが作った物をただ詰めただけだが、美味しそうに食べる彼等の姿は何だか嬉しかった。
暫くすると彼等はランチを食べ終え、ランチの箱の中も空っぽになった。
「ハズ、ご馳走さま! 美味しかった」
満足そうにリコがそう言った後、ヒューゴがオルガとテッドを見た。
「で? サーカスの見学って言ってもあんたら何を見たいんだよ」
改めてそう言われるとどう返事をして良いのかわからない。オルガは日頃思っていた事を素直に口にした。
「本当はね、ハズが羨ましくて……毎年学校でヒューゴとリコの事見てるけど、友達になれたらなぁって……」
彼等は顔を見合わせた。
「えっと……ただそんな事だけ?」
「そんな事じゃないよ。二人が運動の時間に、飛んだり跳ねたりして凄いのを私見てるもん」
顔を赤くして言う素直なオルガの反応にヒューゴもリコも笑顔になった。
「そんなの、凄いねって一言言ってくれたらそれで良かったのに。友達になるのはそう難しい事じゃないよ」
リコが笑った。オルガは少し気恥ずかしくなったが、その言葉が嬉しくもある。
「オルガの友達は私が二番だから、ハズが一番でリコは三番だよ。ヒューゴは四番ね」
見ていたマーシャがそう声を上げると、みんな笑い出した。
「どうして笑うの? だってそうでしょう!」
「はいはい、全く、マーシャは順番に対する執着がすごいんだから……順番性はわかったよ。でも友達は友達なんだから、本当は順番なんていらないんだよ」
リコが笑いながらそう言うが、マーシャは納得していない。少し頬を膨らませ妙な表情をしていた。だからと言って誰も咎める事はしない。彼女の性格を受け入れているのだろう。
「じゃあ、見学はもう良いのか?」
ヒューゴが座っている椅子を少し後ろに傾けながら三人に声をかけた。オルガは素直に頷いた。
「うん、ここへ来るまでにあちこち見たし、今は準備の邪魔だしね」
「そっか……じゃあお互いに知ってる事を話そうぜ」
それからの時間はいろんな話をした。今まで彼等と話したいと思っていた事、好きな事から興味のある面白い事、嫌いな事も嫌いな食べ物も、ありとあらゆる話をした。それは本当に楽しい時間で、オルガの知らない事も沢山あった。
何より面白かったのが、この街以外の街の話だった。この街は決して大都会ではない。昔からの建物が建ち並び街の人は慎ましく生きている。オルガもハズも他の国の事はテレビや雑誌でしか見た事はないが、彼等はあらゆる国を訪れていて、その話は何より面白かった。
楽しい時間は過ぎて行き、オルガは時計の針が四時半を回っているのに気付いた。
「あ……もうすぐ五時になるね。私両親と五時にサーカステントの前で待ち合わせしているの。サーカスは五時半から始まるんでしょう?」
「開場が五時半で、開演は六時だよ」
オルガの問いにリコが答えた。そして笑い合う。
「今回の出し物はね、ちょっと驚くよ」
「何? なんかあるのか?」
テッドが身を乗り出した。
「言える訳ないじゃない、それは見てのお楽しみよ。セドリックはサーカスの演出家になりたいんだよね? 実は今回はセドリックの一言を団長が面白がって考えたの。だから準備が大変だったんだけど……面白いと思うよ」
リコが意味深顔でセドリックを見た。セドリックはみんなの視線が一気に自分を向いたのにちょっと気恥ずかしそうにモジモジしている。
「昔ながらの空中ブランコや綱渡りもあるけどさ、今回はちょっと笑えるよな」
ヒューゴはセドリックの頭をモシャモシャと撫でた。セドリックは認めてもらえた事で嬉しそうだ。楽しみだと思う。こうしてサーカスの裏側を見せてもらい、彼らと話し、その彼等の気持ちもサーカスの中に含まれる事を学び、オルガは充実した時間を過ごした。
「なぁ、サーカスが終わったら花火が上がるだろう?」
不意にテッドが言った。みんなはテッドを見る。
「俺の叔父さんがさ、イグナーツセントス教会の牧師をしてるんだよ。でさ、教会の塔から花火を見れないかと思って打診したら、今回は八百年祭だから特別に許してくれてさ……みんなで教会の塔から花火を見ないか?」
それは素敵な提案だった。みんなの顔がまた一気に輝いた。
「良いね! それ良いよ!」
「塔の上から見る事出来るの?」
「僕も? 僕も見れる?」
「テッド、凄いじゃない!」
みんなが沸き立つ。テッドは嬉しそうに笑った。
「賛成してくれて嬉しいよ。じゃあさ、サーカスが終わってからだから……八時にイグナーツセントス教会の前で待ち合わせな。チビ達も許してもらえたら連れて来いよ」
「あぁそうする! ありがとうなテッド!」
ヒューゴとテッドはもう大の仲良しになってしまった。肩を突き合う二人は楽しそうだ。
この日は最高の夜に成る、サーカスが始まるまでの時間、その場に居る誰もがそう思った。




