ゼファールとの初見
砦の中が俄かに慌ただしくなった。
外の様子が砦の中の王女の部屋にも伝わっていた。
砦の敷地内に入城したルーディアの軍隊は思うより少なかった。しかし一人一人の身体は大きく、屈強な精鋭部隊然としている。
王女は窓の隙間からその様子を見ていた。
その身体の大きな男達の中に少し華奢に見える男が数人居た。細身の男達は身に着けている甲冑が屈強な男達と同じ物だったが、中の一人は装飾された物を身に着けている。彼がゼファールなのではないだろうか。兜を被っているせいで顔は分からない。年齢も髪の色も……。
「姫様、到着なされた様ですね……」
王女が窓の隙間から彼等の様子を見下ろしていると、リリーが声をかけた。
「そうですね、あの一際甲冑の輝きが強い方がゼファール様ではないかしら」
王女の言葉にリリーは身を潜めながら窓の外を覗いた。男たちの動きを確認し、リリーは頷いた。
「恐らくそうでしょう……じきに知らせがあるかと思います」
「えぇ」
ゼファールと思われる彼は馬を降り、部下らしい数人の細身の男達に付き添われ砦の中に入って行った。それを見届け、王女は窓を離れた。平静を保ちながらも緊張感が押し寄せる。
そうしている内に王女の部屋の扉が叩かれた。イリスが扉を開くと見張りの伝令係のロルカがいた。
「現在ゼファール様は広間に入られました。騎士は数人ゼファール様と共に居りますが、大半は兵舎として開放した部屋に行きました」
「そうか。報告ご苦労」
エリスロットが声を掛けると、ロルカはそのまま背筋を伸ばして礼をし下がって行った。
「彼も緊張していますね」
「それは仕方ないでしょう」
王女自身もここへ来てずっと緊張感に耐えている。
敵だと思う相手が来たのだ、緊張をしない筈はない。
リングレントは大きな戦さをしていない。騎士達は稽古を怠けている訳ではないが実戦はした事がない。実戦の経験がある者とない者の差は歴然としているだろう。
元々砦に常駐していた者達は山賊とのいざこざで全く経験がない訳ではなかった。だが城にいた者達は模擬戦以外、経験はない。緊張するなと言うのが無理なのだ。
「今すぐ何がある訳ではありません。ゼファール殿をここへ留め置く事。それだけは成功させましょう」
イリスが王女に声を掛けた。リリーが直ぐにそれに反応した。
「えぇ、私達に任された事をやりましょう」
王女は頷いて彼らを見る。
「そこからリングレントの成功の道が開けるかも知れません。王都にゼファール軍が雪崩れ込む事だけは阻止せねばなりません」
皆で意思の確認をした所で再び扉が叩かれた。
「ゼファール様が王女の会見を望んでおります」
「わかりました。行きましょう」
王女は側近を従え階下へ降りた。
砦の広間はそう広くはない。普段は見張りの騎士達の交流の場になっている。
だが今回は違う。絨毯が敷かれ、装飾された美しい椅子が二脚置かれ、テーブルが置かれている。この他の部屋は兵舎として開放しているため、会合も食事もここでする事となる。
広間の扉の前にはそこを守るルーディアの騎士が二人立っていた。王女の姿を確認し一人が中へ入り、王女の到着を知らせた。時間を待たず、騎士が扉を開ける。
「中へどうぞ……」
王女の前にエリスロットとイリスが立ち、王女は広間へ入った。
中にはゼファール軍の騎士と同じくらいの数のリングレントの騎士が互いに顔を見合わせる形で並んで立って居た。その総数は四、五十人と言った所か。
部屋へ入ると、エリスロットとイリスは王女の背後へ着いた。
一番奥の玉座替わりの立派な椅子にゼファールは座ってこちらを向いていた。
プラチナブロンドの肩までの髪、厳しさを湛えた薄い水色の瞳、白い肌、細身だが均整の取れた体格。男性を形容するには憚れるが、彼は美しいと言える容姿をしていた。
ゼファール王(ミカスケさん作)
歳の頃はアルカスより少し上だろうか。この状況でなければ、優雅に舞うのではないかと思わせるような雰囲気を持っている。
ゼファールは既に甲冑は脱ぎ、今はラフな格好で椅子に座っていた。
それを見た王女は少し驚いた。敵方の陣地に入って甲冑を脱ぐなど考えられなかった。彼の両方の傍には細身の側近が付いている。この二人は兜は脱いでいるが甲冑は着たままだ。これが普通なのだと思うがゼファールは違う。成程、彼は全てが規格外なのだ。
王女は心の内を見せず、皆の前でゼファール王の前に立ち、跪いて優雅な挨拶をした。
「ほぅ……其方が我妻となるリングレントの王女か」
その一言で、王女はまた少なからず驚いた。こちらの言葉を流暢に話している。だがそれは表情には出さない。
王女がゼファールの様子を観察するのと同じように、ゼファールもまた王女を見ていた。王女を観察し、彼は口の端を少し上げた。
その表情は何かを測るようだ。彼に印象付けるにはどうする……。
「はい……私が貴方の妻となるリングレントの王女です」
王女は物怖じせずにゼファールの言葉を拾い答え、王女の返事を聞きながらゼファールは目を細めた。
「噂通りの美しい娘だ……」
「お褒めに与り光栄に存じます。私の耳にはゼファール様の事は殆ど入ってはおりませんので……正直、とても驚いております」
「ほぅ……何を驚いているのか、申してみよ」
初対面の空気の流れをこちらにつける事が出来れば、何かと都合が良い。王女はニコリと笑った。
「私が驚いたのは三つございます。男性にしてはゼファール様は美し過ぎる事、それが一つ。次にはこちらの言葉を何不自由なく使い熟しておられる事、それが二つ目。この砦は寒いのにそのような薄着でいらっしゃる事、それが三つ目にございます」
王女がスルスルと水を流すように答えると、構えていたゼファールが笑い出した。暫く笑った後、ゼファールは満面の笑みで王女を見た。
それに対峙し王女もゼファールを見つめ微笑んだ。大丈夫、この方は物怖じせずに明確に物を言う方を好んでいる。王女はそう思った。
「私はお前が気に入った! 直ぐにでも妻にしたい」
ゼファールの言葉が意味するものは初夜の事であろう。それに対し王女は毅然とした態度で臨んだ。取り込まれてはならない。
「それはいけません、未来の旦那様。ものには順序というものがあります。私はすぐにここで貴方の妻になるわけには参りません。教会の司教にて神の祝福を受けなければ何としますか?」
それを聞いたゼファールはフンッと鼻を鳴らした。
「面倒なものだ……」
「神との取り決めをおざなりにされる方は、そのうち綻びが出ると存じます。対処なさいませ」
少し言い過ぎではないかとゼファールの側近達は顔を見合わせた後、何も言わずゼファールの反応を見ていた。ゼファールは王女のその言葉にまた笑い始めた。
「これはこれは未来の花嫁殿。私は私の神との取り決めをおざなりにはしておらぬ。だからこそルーディアはここまで勝利して来た。違うか?」
一瞬王女は怯んだ。ルーディアが悉く戦に勝ったのは神の意志であると言っているようなものだ。
「……そうであるなら尚の事、神の取り決めに従う事は苦ではないのではありませんか?」
王女の言葉に、いかにも素直に受け入れたような様相でゼファールはまたニヤリと笑った。
「うむ……そうだな、妻になればいくらでも愛でてやれるのだからな」
ゼファールの言葉に王女はゾワリと鳥肌が立つ思いがした。この騎士達の並ぶ場で品のない事を言うとは……。一瞬の事ではあるが王女は平静を保った。怯んではならない。今この時を乗り越えれば暫くは手出しは出来ない筈だ。
「はい、その時が来たら存分に愛でてくださいませ」
全く心にもない事を口にするのは苦労する。心臓がキュッと縮む思いを感じたが、王女は優雅に笑って見せた。
ゼファールの美しさとは裏腹に、彼は酷く残忍な印象を持つ。いや違う、残忍なのではなく得体が知れないのだ。会話は成り立つが本当の所は何を考えているのか分からない。それが有り有りと感じられ、薄ら寒さを覚える。
このリングレントを手中に収めるための形だけのものとは違うように思う。ゼファールは危険だ。王女はそれを強く感じた。
じき夕刻になる。そろそろお暇しよう。王女はそう思い言葉を発した。
「本日は到着されたばかり、ルーディアの騎士達も緩りとされては如何でしょう。宴の準備をしております、皆々様、美味しい料理とお酒で愉しんでくださいませ」
王女は立ち上がり踵を返そうとしたがゼファールがそれを制止した。
「待て、宴にはお前も出るが良い」
「殿方の宴ですから……私は遠慮したく存じます」
「構わぬ、私の横にいろ」
ゼファールの薄い水色の瞳と王女の青い瞳がぶつかった。王女はユックリと息を吐いた。
「……承知致しました。しかしこのままの格好という訳にはいきませんので、一度部屋へ引かせていただきます」
「うむ、良いだろう」
今度こそ踵を返し、王女は広間を出た。
「姫、良く耐えました」
エリスロットが声を掛けてきた。だが王女は一抹の気持ち悪さを拭えずにいた。ゼファールは一筋縄ではいかないとカイルが言っていた。こちらの思う通りには決して動かない。それはゼファールの持つ経験が物を言うのかもしれない。彼は王女の行動を読んでいる気がする。年長の者からすれば、所詮自分は小娘なのだ。だがここで諦めるわけにはいかない。
「取り敢えずはこれで良いと思います」
イリスの静かな声がする。王女達は部屋へ戻った。
部屋に戻ると緊張が緩みどっと疲れが出た。大きく息を吐いて一息つく。
「着替える前に、一度お茶を頂きませんか?」
リリーが声を掛けた。今、物が喉を通る気はしないが王女は頷いた。夕食の宴までの時間に心を落ち着けなければならない。その時エリスロットが口を開いた。
「姫様、騎士戦の話ですが、こちらから申し出るのではなく、あちらから提案させるようにした方がいいかもしれません」
「何故ですか?」
「先程の会見の様子もそうですが……あちらの提案をこちらが受け入れたように形を整えると事はスムーズに運ぶように思うのです。先程の宴の事を言う時、こちら側が用意した物に対して、警戒したのではないでしょうか?」
それはそうかも知れない。だから王女を横に置き、同じ物を食べさせる……。
「それは理解出来ますね」
「ですから騎士戦はあちらからの提案の形を取りましょう」
「そのような事ができるのですか?」
「お任せください」
エリスロットはニヤリと笑った。
* * * * *
その日の宴は、えも言われぬドンチャン騒ぎだった。
王女は目の前に繰り広げられる男達の酔い痴れ騒ぐ姿を見て、初めての経験に辟易していた。皆地べたに座り目の前の大皿を抱え込み、酒を酌み交わし大声を張り上げる。一国の騎士たるものがなんと言う様子なのか。
隣に座るゼファールはと言えば彼等の様子を気にもせず、歌えや踊れの様子を笑って見ている。王女は大きな溜息が出た。
「このような宴は嫌いか?」
声がしてそちらを見るとゼファールが王女を見ていた。
「はい、騒がしくて嫌になります……何故あのように大きな声を出すのでしょうか?」
率直な王女の言葉にゼファールは顎に手をやりジックリと王女を観察した。撫でられるように見るその視線を王女は受け止めた。
「ふむ、お前は実に面白い。そのように率直に物を述べて私が怖くはないのか?」
またあの眼だ。ゼファールは王女を測るように見ている。
「……旦那様になるお方を怖がる方が良いのでしょうか?」
王女の答えにゼファールは声を上げて笑った。
「はっはっは! 私は知らぬ、怖がるも怖がらぬもお前の好きにすれば良い」
一頻り笑った後、ゼファールは王女に杯を差し出した。
「お前も呑むがいい」
「私は葡萄酒しか呑めません。このお酒は強いと存じます。ご容赦下さいませ」
王女は断ったがゼファールはその杯に酒を注いだ。
「良いから呑め」
差し出された杯にはなみなみと透明の液体が注がれている。王女はゼファールを見た。彼は杯を差し出し薄らと笑っている。それはまるで小動物を甚振る獣を思わせた。
王女の中に反抗心が芽生える。
王女は杯を受け取った。ツンとしたアルコールの度数の高い酒の匂いが鼻に付く。意を決し王女はそれを一気に口に流し込んだ。熱いものが喉を落ちて行く。喉が痛い。それを感じた途端に咳が出た。咳き込みながらも杯をゼファールに返すと、涙目になるのを感じ顔を顰めた。
「このような物……どこが美味しいのですか?」
尚も咳き込む王女にリリーが飛んで来た。
「大丈夫で御座いますか?」
背中を摩るリリーの優しさを感じながら、王女の咳は止まらない。それをゼファールは涼しい顔で見ている。
「お前には無理であったか……その心意気だけは褒めてやろう」
「申し訳ありませんが、下がらせていただいても宜しいでしょうか?」
王女の背中を摩りながらリリーがゼファールにお伺いを立てた。
「好きにしろ」
ゼファールはそれ以上は興味が失せ王女から目線を逸らせた。王女はリリーに付き添われ広間を出た。
体がまだ熱く気分が悪い。
「姫様、部屋に戻ってから水をお持ちします。部屋まで歩けますか?」
「えぇ……大丈夫」
背後からエリスロットとイリスが付いた。上階へ上がる手前で王女は立ち止まった。吐きそうになるのを必死に堪える。
「何処か空いている部屋はありませんか? このままでは姫様が倒れてしまうかも知れません」
リリーがエリスロットに尋ねた。エリスロットとイリスは慌てて部屋を探しに行った。
「ごめんなさいリリー……ゼファール様の挑発に乗った私の落ち度です……」
「大丈夫ですよ。それよりも姫様はお話しにならない方が良いかと思います」
壁にもたれリリーに支えられながら頭がぐるぐると回るような感覚に陥り、王女は立っていられなくなった。崩れるように座り込んだ所でエリスロットが走って来た。
「姫、失礼致します」
そのまま王女を横向きに抱え上げエリスロットは足早に歩き、階段を上って行った。そしてひとつの部屋に飛び込む。そこではイリスが寝具を整えていた。
エリスロットがそのベッドに王女を横向きに寝かせ、リリーに声を掛けた。
「リリー、急いで水と桶を持って来て欲しい」
「何をなさるのですか?」
「胃の中の物を吐き出させる」
「……わかりました」
リリーは部屋を出て行った。王女の耳は聞こえていたが、彼らが何を言っているのか理解出来なくなってきた。ぐるぐると部屋が回っている。その感覚が悩ましい。
暫くするとリリーが戻ってきた。桶と水差しを持ってきている。
「姫様、むさ苦しい場所ですがここは私の部屋です。一度ここで胃の中の物を出した方が宜しいと思います。苦しいとは思いますが、我慢してください」
イリスはそう言うと、自分の服の袖を捲り上げ王女を少し抱き上げた。リリーがカップに水を注ぎそれを王女に飲ませた。全部飲んだ所でイリスが容赦無く口の中に手を突っ込む。すぐに王女はウゥッと唸り、そのまま胃の内容物を吐き出した。イリスは王女に水を飲ませ、再度口の中に手を突っ込む。また吐き出す。それを繰り返し、胃の中から出て来るものが綺麗な水になるとイリスはやっと王女を解放した。
余りの苦しさに王女は涙が出ていた。だがそれよりこんな醜態を晒す事が酷く恥ずかしい。
「どうですか? 少し楽になったのでは無いですか?」
王女はイリスの声に無言で頷いた。それから強烈な眠気が襲って来る。その眠気に抗いながら王女はイリスの顔を見た。
「……ありがとう……イリス」
だがもう限界だった、王女はそのまま眠りに落ちて行った。