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ハボニア山の砦


 それから数日の後、ルーディアの使者はゼファールの元へ返事を携え旅立って行った。

 ここからの運命は相手の出方に懸かっている。ゼファールは何と言ってくるのか、先はわからない。だからこそ、どう転んでも対応できるようにしておく必要があるのだと王女は思った。


 ディオニシス王と王子二人はそれぞれの役割を分担し、何か策略を練っているのだと言う。それがどのようなものでも、王女がゼファールの元へ行く事に変わりはないだろう。


 ジークリフトへの手紙はどうなったのだろう。あれから数日が経つ。間違いなく王女の手紙はジークリフトの元へ届いている筈だ。彼は返事をくれるのだろうか、それとも……。色々な事が頭を過った。彼からのリアクションがないのは仕方のない事だと思う。そして王女はジークリフトに想いを残したままここを出て行くのだ。


 ゼファールからの返事があればじきにここを発つ……。


 全ての準備は終わり、出発の時を待つだけとなった。

 シリルは王女がここを出て行くまではなんとしても側に居ると新しく王女付きの侍女になった者達を鍛えていた。新しい侍女達は確かに身の軽さが今までの者達とは違った。優雅さだけでなく機敏性も持ち合わせている。それはすぐに気付いた。


 それからまた時が経った。だがゼファールからの返事は来ない。

 王女はこの国を出るまでにやりたい事を着々と済ませていった。

 勇気を出してシャリファに会いに行った事で、兄夫婦の関係も良くなっていた。時間の問題ではあったのだろうが、あの日の夕食にシャリファを伴ったアルカスが嬉しそうにしていた姿を見て、その場に居た者全てがホッと胸を撫で下ろした。王女はこれからずっと仲良く生きて欲しいと強く願った。


 シャリファ自身にも変化があったようで、出発までの期限付きだったが、シャリファが王女の元を訪れる事もあった。その度に少し女性としての言葉を教えてあげると、彼女はとても喜んだ。


 王女はアナベルにも会いにいった。アナベルも朗らかで素敵な娘に変貌を遂げていた。王女である事は隠したままではあるが、近々嫁ぐ事になると告げた時、アナベルは泣いた。それでも王女は変わらぬアナベルの友情が嬉しかった。


 気が付くと、ゼファールの使者が出発して二十日が経っていた。


「まだ返事は無いのでしょうか?」


 シリルが不安げに呟いた。確かに、すぐに返事が来ると思っていたがどういう事なのだろう。もしかするとこのまま行かずに済む事もあるのでは……と王女は少し楽観的な事を思った。


「行かずに済めばと考えてしまいますが……そんな甘い事はないですね」


 シリルも同じ事を考えていたようで、王女は苦笑した。

 そう、行かずに済むのならどんなに良いだろう。ジークリフトからの返事もまだ無い。彼は怒っているのかも知れない。

 小さな溜息が王女の口から出た。自分にはどうする事も出来ないのだとジークリフトに言い訳をしたくなる。


 その時、部屋の扉が慌ただしく叩かれた。開けると兄のカイルだった。


「ソル! 悪いが至急来てくれるか?」

「……はい」

「ゼファールより返事が来た……」


 王女はいよいよ時が来たのだと思った。

 足早に廊下を進むカイルに付いて行きながら、この慌ただしさは何なのだろうと思う。


「カイル兄様、何か問題があったのですか?」

「大有りだ! あらゆる事に対処出来るよう、策を練っていたが……ゼファールの返事は想定を超えていた。改めて、対処法を考えねばならぬ……ゼファールという男は一筋縄では行かぬ。それが良くわかった」


 カイルはギリリと奥歯を噛み締めた。

 王女の中に不安が起こる。横に付くエリスロットの顔を見上げるとエリスロットは大丈夫だと言うようにニコッと笑った。


「ご案じなさるな。ゼファールは貴女を嫁に欲しいと言って来ているのだから。貴女に危害は及びませんよ」


 本当にそうだろうか? 人質(ひとじち)だとわかっているのに……エリスロットは慰めるためにそう言ってくれているようにしか思えない。

 イリスは無表情で後ろから付いて来ている。


 通された父の執務室には以前と同じように多くの人がいた。しかし、以前と同じように決まり切った顔が並ぶばかりである。リングレントの貴族が全て揃えばもっと大胆な策が練られるのに、一部の者は常に反対を唱える。いつも思う。何故なのだろう。一丸と成れば数多くの案が出され、難しい事にも挑む事が出来るのに。反対する者は常に意固地なのだ。


 王女が部屋に入るとディオニシス王は真っ直ぐに王女を見た。


「ソル……ゼファールは自身でお前を迎えに来ると言って来た……」


 その言葉に王女は一瞬鳥肌が立った。


「ご自身で私を迎えに来られる?……」

「そうだ、つまり戦をせずこのリングレントに入城する心積りなのだろう」

「……」

「何にしても時間が足りぬ……」


 (にわ)かには信じ難い。それはつまり、ルーディアの軍隊をこの国に入れると言う事だろうか?

 父と兄の言葉は心臓を(えぐ)るような気がした。

 リングレントの国の民をどうするか、父や母はどうなるのか、兄達はゼファールの軍に何かされるのでは無いか?


「ゼファールがバロスを空ける事はないと踏んでたが……」

「本当に完全に掌握したという事でしょうか?」

「バロスの軍隊は? ゼファールに反抗する者も居ないと?……」


 次々と不安が頭を(もた)げて来る。だが、何とかしなければならない。何とか……。


 王女は考えた。ゼファールを迎えねばならないのなら、こちらから迎えに出てはどうだろう。

 ハボニア山の砦でまで赴いて、数日過ごす事が出来れば……少しでも時間を稼ぐ事が出来れば……何とか万全を期することが可能なのでは無いだろうか?

 王女は進言した。


「……あの、私がハボニア山の砦までお迎えに出るのはどうでしょうか? 一度そこで顔を見合わせるという名目で……それでしたら、自然ですし時間を少し稼ぐ事が可能なのでは無いでしょうか?」


 皆の視線が王女に注がれた。


「しかしソル……それではお前の身に何かあっては……」

「どうせ私は嫁ぐのですから、何を躊躇う必要があるのです?」


 この状況の中、王女は捨て鉢になる覚悟は既に出来ている。


「……しかし、ソル」

「わたしをお使い下さいませ。今必要なのは時間を稼ぐ事と存じます。周りの国々と連携を取るのでしょう? それなら、わたしが数日砦にて足留めを行えるのでは無いかと考えます」


 執務室の中の家臣達がお互いの顔を見ている。そして一人の文官が言葉を発した。


「ディオニシス王、我等も王女のその考えは使えるのではないかと思います」

「……」


 ディオニシス王は口を固く結んだまま王女の顔を見た。


「父上、今できる最善の事をせよと教えて下さったのは父上ですわ」


 父王は目を閉じ苦々しい思いでやっと返事をした。


「……わかった、ハボニア山の砦へ赴いてくれ」

「承知致しました」

 

 直ぐに準備を整えなければならない。部屋を出ようとした王女にディオニシス王は声を掛けた。


「くれぐれも無茶はするな。砦の様子は伝令係を三名つける。何かあればすぐに知らせよ。また数日留める事が出来たら連絡を待ち、ここへ連れてくるが良い。その時にはこちらの体制も整えておこう。重ねて言うが、無茶はするな。良いな」

「はい、任せてください」


 王女は王の執務室を後にした。


「エリスロット、砦の状況についての情報はありますか?」


 王女はエリスロットに尋ねた。だが横を歩くエリスロットの顔を見ると、珍しく険しい顔をしている。


「どうしたのですか? エリスロット」


 少し驚いた王女が声をかけると、エリスロットは絞り出すような声を上げた。


「……私は、砦に赴く事に反対です……」


 王女は立ち止まり、エリスロットの顔を見上げた。


「……何故ですか?」


 いつでもエリスロットは茶目っ気たっぷりに飄々(ひょうひょう)と物事を進める。王女の行動を読み、先を考え、王女の為に動くのだ。

 だが今、王女の眼の前にいるエリスロットは険しい表情のままだ。


「姫様は、ご自分を危うい立場に置き過ぎています。ただでさえゼファールなどに嫁ぐ事になってしまったのに……何も砦に自らが赴く事は無いのではありませんか?」


 エリスロットは強い眼差しでそう言うと、王女を凝視した。


「わたしが動かねばどうなりますか? 両親や兄達は? この国の人々は? ゼファールの軍隊がこの国に押し寄せるとどうなりますか? 言ってください」

「それは……」

「他に何か最善の策があるのなら、今ここで言いなさい、エリスロット」

「……」


 エリスロットは奥歯を噛んだまま何も言わなかった。


「私は何も英雄になろうと言うのではありません。ただ自分の成すべき事をしようとしているだけです。私はこの国の王女です。それは貴方もわかりますね?」


 エリスロットは苦しそうにツイッと眼を逸らせた。手を握り込み歯を食い縛ると、何かに耐えるように力を込めている。


「……少し、頭を冷やして来ます」


 エリスロットはそのまま王女から離れ廊下から庭へ出て行ってしまった。庭の樹木の枝が風で揺れる。

 彼の云わんとする事もわかる。王女自身も奮い立たねば逃げ出したくなるかも知れない。だがこれは行わなければならない事なのだ。この国を守る……そう決めたのだから。


「エリスロットは姫様を案じているのです。その気持ちがとても強い」


 イリスが静かな口調で言う。


「……えぇ、わかっています。幼い頃から一緒に居ましたもの」


 王女は眼を閉じた。幼い頃から何かとエリスロットは王女を庇ってきた。

 ジークリフトと竜の背に乗り父に謹慎を命じられた時も、エリスロットは窓の外の木に登り王女の様子を伺いに来た。あの時は、シリル以外の者は接触しないようにと父が監視を付けていた。それをエリスロットは王女が寂しい思いをしているのではないかと人目に付かぬよう来てくれていたのである。


 大きく息を吸うと眼を開けイリスを振り返る。


「行きましょうイリス。新しい侍女達に話さねばなりません」

「……はい」


 ディオニシス王は、ゼファールを迎える為に王女がハボニア山の砦まで赴くと言う事を使者に知らせ、その後連携を取る各国に報せを出した。




             * * * * *




 ハボニア山の砦は標高の高い位置に建っている。冬は雪に阻まれ、夏でも夜にはとても寒くなる。その砦は険しい

山岳路に建つが隣国バロスへの主要な交通路で在る。

 砦へ行く場合、時間をかけてユックリと移動する必要があった。知らずに普通の感覚で進むと高山病になり平地へ戻らねばならなくなる。


 王女は依頼を受けてから二日目には城を出た。

 王女を砦まで送るのはカイルの部隊だったが、その中にカイルはいない。

 平野を進む時は問題なかった。木々の間を通り馬車の通る道を進んで行く。


 次第に標高が高くなると、それに合わせ道端で生きる植物の様相も変化してきた。

 砦までは直線距離では一日で行ける距離だが、到着までには三日かかった。高さを加減するため道は曲りくねり徐々に進んで行く。進んでは休み、休んでは進み、牛歩の如くユックリと進み、体調の変化を見極めちょうど良い塩梅で到着するよう調整するのだ。

 王女は初めこそ息が上がり苦しくなる事もあったが、慣れてしまえば普段のように過ごせるようになった。それでもどうにも成らず高山病になる者は城へ返し、徐々にでも慣れる事の出来た者だけが砦に残った。


 砦の先にはハボニア山の雪が見えていた。あの場所を通ってルーディアのゼファールはやって来る。


 城から来た者達は、到着してもジッとはしていられなかった。砦で客人を迎え入れる態勢を作らねばならない。

 食料や寝具以外にも家具や敷物を持ち込み万全を期するのに余念はなかった。だが、こんな時一番活躍する筈のシリルは居ない。


「姫様、姫様の部屋より一番遠くの部屋にゼファール様の部屋を作りました。階が違えばそうそう出会う事もないでしょう」


 シリルの代わりの新しく入った侍女のリリーがこっそりと王女に耳打ちし、その言葉に王女は心から感謝した。


「本当にありがとう、助かります」

「いいえ、後、宴の事なのですが……」


 次々と侍女達が入れ替わり立ち替わりやって来ては報告をして行く。何故かいつもより(せわ)しい。何故だろう……王女はその理由を考え「あぁ……そうだわ」と独り言を言った。

 この忙しさはシリルが居ないからである。普段ならシリルがテキパキと指示を出すのだが、今はリリーともう一人マーレットがその役を買って出ている。

 だが、二人共まだシリルの様に(こな)すまでには行き着いていない。

 新しい侍女は王女付きが二人と下働きに四人、それから伝令係の青年騎士が二人の計八人が加わった。彼等は皆剣を使える者達である。だがまだ慣れなくて自分の身の置き所が定まらない。


「どうかされましたか?」

「いいえ」


 マーレットの声に王女は首を振った。

 王女はシリルが居ない事を今更ながら寂しく思うが、シリルの居ないこの状況に慣れなければならない。


                



 その六日後、伝令係のロルカが城からの知らせを持って来た。

 内容はゼファールがハボニア山の砦での顔合わせに承諾したというものだった。もう彼はバロスを出発しているようだ。


「いよいよですね」


 エリスロットが(おもて)を引き締めて王女に声をかけた。

 エリスロットはここへ来る前、砦へ行く事を反対したがその後は驚く程有能に働いていた。

 王女はチラリとエリスロットを見て訝しげに眉間に皺を寄せた。


「何ですか? 姫、妙な顔をしておりますが」


 エリスロットは普段通りだ。一体あれは何だったのだろう。遅い反抗期の様な……ただ反抗したかったような……そんなものだったのだろうか。


「……」


 エリスロットの何事もなかったかのように平然としている様に、何故だか腹が立ち返事をするのも嫌になる。それをイリスは仕方が無いと言いたげにクスッと笑い、知らない振りを決め込んでいた。


「このまま数日間ここへ留めるためには何か趣向を考えねばなりませんね」


 (おもむろ)にエリスロットが言った。

 それはずっと考えていた。数日留める事で国々の連携を強化するのだから、必要な時間だ。だが、意のままに動かぬゼファールはついた早々王都へ入ると云いかねない。


「一度考えたのですが……」


 珍しくイリスが進言した。


「お互いの騎士たちの親睦と命名し、剣の腕を競い披露するのはどうでしょうか?」

「剣の腕?」

「そうです。剣士は自分の腕に自信があります。その腕を披露できるとなれば、誰もが参加するでしょう。そこへ来てリングレントの騎士だけでも七十名はいる。この人数では全員終わるまでは少なく見積もっても三日はかかるでしょう。ルーディアの騎士がどのくらいの人数来るかは不明ですが、それ以上の日数を要するのは間違いありません」


 成る程、騎士達は自らが参加できるとなれば途中で切り上げることは無い筈である。リングレントの騎士達とルーディアの騎士達の総当たり戦にすれば時間を稼げる。

 王女は身を乗り出した。


「それは良い考えです。お会いした後、折を見てゼファール様に進言しましょう」


                



 それから更に五日が過ぎた。

 砦の見張り台の騎士が急いで王女の元へやって来た。


「ルーディア軍が見えました! 後三、四時間程で到着致します!」

「そうですか……すぐに城への報告もお願いします」

「はっ!」


 いよいよゼファールがこの地へ来た。王女の心臓の動きが早まる。緊張と共に掌が冷たくなった気がした。


「持て成しの準備は万全ですか?」

「滞りなく……」

「ゼファール様が到着するまで、私はここで待機します。到着後広間へお通しして(くつろ)がれてから私はご挨拶に参ります」

「御意に」


 ゼファールがハボニア山の砦に間も無く到着する。王女は知らず知らず、お守りのペンダントの鎖に手をやった。いつの間にかお守りの鎖を握る癖がついていた。






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[一言] ゼファール様 いったいどんな方なのか とても気になりますねー
[一言] あまみさんー! やらかし王女は、もう完全に国を守ろうとする立派な王族の一人に成長しているじゃあありませんか。 まあ、多少の無茶はあるかもしれませんが、誰もが納得せざるを得ない奇策を考える。…
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